第百十六話
次は寝てからの話
後1~2話迷いの森やって、マリアさんに主人公移そうっと。
ログハウスの外観は至って普通と言えた。狭くもなく広くもなく、多くの人間が見て「ログハウス」だと判断出来るくらいには。見たところ高床式のようだ。
その脇には明らかに造られた畑らしき土が見える。こちらはやや広いだろう。おそらくログハウスの敷地面積の倍はあるに違いない。しかし見るに現在作物が植えられている可能性は低そうだ。
まるで夜空に散りばめられた星のように宙に舞う光の粒子は、ひらひらと浮かびながら沈む様子はない。
味気ないログハウスを彩る幻想的な光の粒子を興味津々に見つめながら、興奮した様子でリルは訊く。
「なにこれ!?」
「ここを覆っていた光の結界の残骸だね。普段この家は結界で守られてるんだ」
簡潔に説明を終わらせ、クロノはリルを地面へと下ろす。そして目の前に見える自らの家の入り口へと歩き出した。
リルもきょろきょろと辺りを見渡しながら、その後をついていった。
リルが5歩ほど歩き、”中”に入ったのを確認してからクロノは呟く。
「遮断」
その言葉を合図に舞っていた光は壊れる前――結界へと戻るために集合を始め、瞬く間に畑を含めたログハウスをすっぽりと囲った。結界の端は丁度今しがたリルが歩いた辺り。
「これでよしと」
「これが結界?」
「そうだよ。指定した人物の声に反応する術式での自動生成。結界自体にも自動で認識錯誤の術式が付くようになってる」
「自動生成……認識錯誤……???」
リルは単語の意味がイマイチ理解出来ていないらしい。
「ようするに俺が遮断って言ったら、勝手に壊れた結界が元に戻るってこと。認識錯誤は、簡単に言えば外からここが見えないようにすることかな」
厳密に言えば、認識錯誤はこの空間自体を意識から完全に消して認識出来なくするもので、見えなくするとは若干違うのだが。
クロノが認識出来ないはずの家を見つけられるのは、鍵の位置を覚えているからだ。
結界を解除するための鍵。森に多数存在する中のたった一本の木、その幹の特定の場所に手を触れる。それが結界の解除方法。
但し、手を触れるのはクロノか朱美でなければいけない。そういう風に朱美が術式で設定している。
人物の識別材料として使っているのは指紋であるが、クロノもそこまでは知らない。
高床式のためか少し高くなっている入り口から中に入ると、玄関にあったランプが勝手につき、内部がほんのりと照らされ徐々に内装が見えてくる。
まず見えるのは今いる玄関と、その先にあるリビングらしき大きなテーブルが置かれた部屋。リビングに行くまでの廊下の途中には三つの扉がある。天井の高さからして二階はなさそうだ。
外から見るよりは少し広そうだ。外からでは暗くて奥行きが見えなかったせいだろう。
安宿とは違って、歩いても軋むような音はしない。
廊下を歩いていくと、クロノが通った先から備え付けられたランプに火が点っていき、リビングに着くまでには十分過ぎる明るさとなった。
クロノはリビングにある大きめの紅いソファーに背負った大荷物を放り投げる。
「あー邪魔だった」
袋に入った大荷物から”中身”がいくつか床に零れ落ち、軽い振動と共にガランという低い金属音を響かせた。
元々二人用の家なのだろう、円形のテーブルの側には椅子が二つ。木製のはずなのだが、着色しているのか紅と黒という風変わりな色をしている。
「ここがリビングとキッチン」
明るくなったリビングの奥には確かにキッチンらしき場所も見える。
クロノは慣れた手つきで黒い椅子に座る。それを見て、どこか緊張した様子でリルも紅色の椅子に座った。
「ここがクロノの家……」
か細い声で呟いたその声は、都合の良すぎることにクロノの耳に届くことはなかったようで、反応はなかった。
「今日はもう遅いから寝ようか。ベッド二つあるから寝るとこにも困んないし」
「待って、ベッドって……同じ部屋?」
「嫌なら俺はここのソファーで寝るけど……」
「違うの! ……同じ部屋じゃなかったらどうしようかなって…………~~~!! 何でもない! 同じならいい!」
勢いよくテーブルに顔を突っ伏して、視線が合わないようにするリル。僅かに見える頬は赤くなっていた。
その様子を見て、クロノは少しの間ぽかんと口を開け、どういうことかを理解すると、少し気恥ずかしそうに言った。
「いや、まあ……そこまで言ってくれるのは嬉しいけどね……」
この瞬間この場にいたのは、おおよそ戦いなんて物騒な言葉とは無縁の、奥手な17歳の青年と13歳の少女だった。
暫し、言葉を出すことすら憚れるような沈黙が二人を包む。
その空気を打ち破ったのは――外からの眩い閃光。自然では有り得ない光量が、薄暗い森ごとログハウスを貫いた。
クロノは反射的に眼を閉じると共に、リビングを出て玄関へと向かった。
こんな機能はこの家にはない。結界の中に敵がいることは有り得ない。
だとすれば、この光は外部からのものに違いなかった。
更に言えば、この森でこんな閃光を放つ魔物はクロノの知る限りいない。アンコウのように暗い森で光を灯し獲物をおびき寄せる種類もいるが、これは放たれた閃光。
明らかなイレギュラー。
乱暴にドアを開け、閃光の収まった森を見渡すと、
「これで気づいてくれるかにゃー」
「さあ、どうでしょう」
そんなことを言っている男女が結界に手を触れていた。
ちなみにその男女は、糸目の若そうな青年と、リルより年下と思われる少女だった。二人とも背中にクロノがここまで背負ってきたような大荷物を背負っている。
その姿を認めたと途端に、クロノは愛想のない仏頂面を作る。
「あっ、クリョにょんだー。開けて開けて」
「何の用だ……」
「必要な『物』届けに来たんだよぅ」
ガラガラと金属音のする荷物をこれ見よがしに見せ付けるユイ。
クロノは結界の端まで歩いて、二人の目の前へ。
「じゃあそこに置いて帰れ」
「冷たいっ!? 氷雪の霊峰の山頂より冷たいよ!?」
「勝手に凍えて死んでしまえ」
氷雪の霊峰とは大陸の北に連なっている山脈の中で一番高い山のことで氷の産地だとか、そんなことはどうでもいいとして、実に冷たい言葉を吐くクロノ。
「まあまあ、申し訳ないですが、今晩一晩泊めていただけませんか。今日はもうこんなに暗いことですし。明日からのお仕事、私たちもお手伝いしますから」
クロノはちらりと森を見る。闇に覆われたこの森は、童謡に出てくる悪い魔女でも住んでいそうな雰囲気。それでなくても暗いこの森を歩いて帰るのは至難の業に近い。
「泊めてくれないと、さっきみたいな光を何度でもブチ込んで安眠を邪魔しちゃうよぅ」
「地味にうざいまねを……。……ッチ……解除」
露骨な舌打ちを見せつつ、結界を解除する。
ベキベキと結界にヒビが入り、隔離された世界が外界と繋がった。
「もたもたしてるとすぐに閉じるぞ。早く来い……」
無愛想に言いながら、二人が結界の中に入ったのを確認してから結界を再び張った。
⇔
クロノがリビングに戻ると、リルがユイを見つけて声を上げた。
「あーっ! ユイちゃんなんでこんなところにいるの?」
「お届け物。悪いけど今日泊まらせてね」
紅いソファーに置かれた荷物と背負った荷物を床に下ろし、ユイはそこにぼすんと座った。
「お前ら、ここどうやって見つけた?」
この家はクロノですら鍵を開けなければ認識出来ない。それなのに、間違いなくユウとユイは結界に触れて、こちらを認識していた。
ユイは妙に殴りたくなるにやにやした笑顔を浮かべる。
「知りたい? 知りたい?」
おちょくられている。めんどくさい。
瞬時にそう判断したクロノは、ユイを無視して対象を変える。
「おい、ユウ」
「でも教えてあげ――」
「私たちには術式を見破る見透し眼鏡っていうのがあるんですよ。まあそれ自体も術式を刻んだものなんですけど」
「隠蔽とか認識錯誤かかってても、それを無視して見れるのか?」
「多分いけると思います。元々隠蔽されて探しきれなかった術式を探して消す為に、私たちの祖先が後世に残したものですから」
「ユウ君の裏切り者ぉーーーー!!」
一人で叫んでいる馬鹿は置いておいて、クロノは考える。
「お前らも全属性持ちなんだから、術式は刻めるよな?」
「そうですね。――でも、使えはしないです。何を考えてるかは分かります。術式を使えば今回だってそこまでの危機じゃない。ただ、使えないんです」
「どういうことだ?」
「刻めるのと使えるのは違います。術式の線には一定の規則性があります。その規則性を私たちは知らない。もし国の在り方が変わっても術式を広めさせないためでしょう、祖先はそれを私たちに残さなかった。適当に刻めばいいってものじゃないんです。適当に刻んで、制御不能のものが出来上がるかもしれない。それに今でも、私たちの国では術式研究はタブーになってますから。本来術式の刻み方だって伝えられてはいなかったんです。私たちが刻み方を知っているのは、朱美さんを手伝う過程で知ってしまっただけで」
適当に刻んだところで、開けてみなければどんな効力があるか分からない。それ一つで国が滅ぶ可能性だってある。まるでパンドラの箱。
要約すると、今からやろうとしていること”以外”は、術式は使えないということ。
皮肉気にクロノは笑う。
「それだけ術式を危険視しておいて、ここでの”これ”はいいのか」
「そう言われると、返す言葉もありませんね」
それまで黙っていたユイが口を開く。
「信念やプライドで何かを守れるなら、誰も苦労しないんだよぅ。折る時も必要にゃの、それが大人ってもんだよクリョにょん」
「お前が大人なんて言っても、説得力ないな」
「にゃにおう!?」
一旦ここでまともな会話は終わり、この後は各々就寝まで時間を過ごした。
それ以降目立ったことと言えば、露天風呂があることでユイがおおはしゃぎしたことくらいで、就寝する運びとなった。
寝室に向かう直前、クロノはユウを呼び止める。
「ユイ……じゃなかった、ユウ。さっき言ってた見透し眼鏡って今あるか?」
「ありますが……何か?」
気になっていた。リルから聞いた、自分の身体の再生具合。何もしなくても勝手に治っていった身体。
明らかにおかしい。
普通に見ても変わったところはないが、術式の痕を術式で隠されているのだとしたら。
「それで俺の身体見てくれ」
「いいですけど……」
ユウはどこかから取り出したモノクルを通してこちらを眺め――
「あ……」
とだけ声を上げて固まった。唖然とはまさにこういうことをいうのだろう。
珍しく呆けたように口を開けているユウ。
答えは訊くまでもなかった。
何時か、どこでか、どの位置かまでクロノは想像出来た。心当たりがある。線をわざと刻まれるような痛み。術式を刻むことが出来る人間。
おそらく、自らが母を殺したあの時だろう。
怨むことはない。そのお蔭で死ななかったと言える。感謝してもしきれないくらいだ。
――本当、かーさんには頭が上がらないな。
「お前の反応で大体分かった。どうせ胸のあたりだろう、もういい」
ユウに問うこともなく、それだけ言ってクロノは寝室へと入っていった。
⇔
クロノに取り残されたユウは、一人闇に閉ざされた廊下で立ち止まっていた。
どういう意図があったのかは分からないが、本人は満足して帰っていった。
だが、ユウにはクロノとは別の、きっとクロノですら気づいていないものが見えてしまった。
最後にクロノは「胸のあたり」と言った。
確かに、そこに術式はあった。経験上、隠蔽の術式と思われるものと、よくわからないもの。
世界中に千年以前の名残として、術式はまだある。消し去る努力はしているものの、完全に消し去れてはいない。
隠蔽の術式は何度か地中に埋まっているのを見たことがある。隠蔽は視覚と触覚を完全に騙し、そこから違和感を奪い去る。見透し眼鏡でもないと分からないだろう。
しかしユウはそんな術式にあまり眼がいかなかった。もっと他の場所に、目立つものがあった。
それは――右腕。右腕に刻まれた膨大な線。
胸に刻まれた線など、比較にならないほどの数と量。線と線の隙間は1mmあるのかと思ってしまうほどで、刻まれていないところを探すのが難しいくらいだった。まともな右腕の皮膚などろくに見えはしない。
今まで見てきた術式の何よりも緻密で繊細。何をするためにあそこまでの術式が必要なのか。
そして何よりも恐ろしいのは――クロノ自身がそれに気づいていなそうなところ。
誰がやったのかは分かる。育ての親を考えれば誰だかはすぐに分かった。
理解出来ないのは、本人に気づかれないように術式を刻む必要性。
何のために刻み、何のために隠したのか。
「……貴女は……何をやったんですか……?」
今はいないこの家の主への声は、永遠に届くことはなかった。




