第百十一話
無双メインのどうでもいい話
クロノはただの情緒不安定
次回は報酬等の条件と汚い戦力差の埋め方の話
クロノの身体の術式関連もあるかも
――なん……だろうか……これは?
アレクは呆然と、目の前に広がる光景を眺めながら、言葉を失っていた。
ここに来るのに、アンナは宿屋に置いてきた。何だか、ユイにあそこまで言われて連れて来るのが癪だったというのもあるし、あまり人の多いところにアンナを晒したくはないというのもあったからだ。
戦争については、参加する気は未だない。とりあえず、条件やその他諸々でも訊こうかと思って来た。
そして、酒場の地下で突如として始まった『試験』。『勇者』になど興味はなかったので、アレクは受けなかったが、それは確実に正解だっただろう。そう思わせる状況が目の前に広がっているのだ。
目の前に広がる光景を簡単に現すならば――死屍累々。実際には死んでいないが、表現としてはこれが正しそうだった。
合格条件は単純で、糸目の優男に一撃加えるだけ。それだけだった。自分が弱いと自覚しているアレクでさえ、頑張れば出来るんじゃないか、と思ったほどの手軽さ。皆、そう思ったことだろう。
――だが、現実はどうか。意気揚々と、魔法やら肉弾戦やらを臨んだ彼らは、なんともあっさりと倒れ伏している。
優男の宣言から一分と経たない内に、ほぼ全ての人間が身体で敗北宣言をしている。
何が起きたか、と言えば、単純な話で、アレクにも分かる。
強烈な素手による一撃を叩き込まれ昏倒した。説明はこれだけで十分。付け加えるとしても、素早く、といった単語が冒頭に追加されるくらいのものだ。
ただ、「強烈」の度合いが遥かに常人を越えてはいたが。
残ったのは、参加していないアレクと、この場には相応しくない少女。
後は――参加していながら、未だ動いていないクロノだけ。
アレク自身、クロノの強さは断片的に知っている。その強さが、目の前のユウという男に類似したものであるということも。
二人の特筆すべきところは、身体能力。魔法優位のこの世界には、幾分か逆行した力。それでいて、人間ではない、と思わせる力。
気づけば、アレクは息を呑んで見つめていた。二人が動き出すその時まで。
そして――ついに二人が動いた。
⇔
ユイはぼんやりと、天井を見上げていた。
クロノ以来、傭兵募集の看板を見てここに来た人間はいない。
妥当でもあった。傍目から見たら自殺行為なのだ。参加しようなんて思う人間は気が狂っているだろう。
「アンナちゃんにちょっかいかけに行ってもなー。アレク君がいないと反応してくれないし」
頭の中で浮かんだ馬鹿な案を即座に却下して、窓の外に眼を向ける。
「そろそろ『試験』始まったかなぁ……。ユウ君とクリョニョンかぁ……」
どっちが勝つかな、と言いかけて止めた。勝敗が既に見えきっていた。
確信めいた言葉を持ってユイは呟く。
「ユウ君――でも、クリョニョンには勝てないよねぇ……正直」
⇔
有象無象の人間が倒れていく中、クロノは只一人、冷静にユウを観察していた。全ての挙動を一つ一つ。
身体の動きを一つも見逃さず、どういう動きをすれば、どういう攻撃が飛んでくるのかを、頭の中でパターン化していく。
無属性の使用は間違いない。武器は素手。早さを除けば、至って普通の拳。武術とか、そういうものの影は見られない。リーチの差では剣の分、こちらに分がある。
クロノにとって剣とは、リーチを伸ばす為の道具でしかない。通常の人間の様に殺傷能力を上げる必要はないからだ。ただ、リーチだけで考えれば槍などの方が遥かに長いし使いやすい。クロノがあえて剣を使う理由は単純に強度の差。クロノの超人的力では、通常の武器など一撃で砕けてしまう。紅朱音とエクスなんたらにその心配はない。
そしてなにより重要なのが――レベル。
無属性のレベルは5段階で、1~5に分けられる。
クロノの通常はレベル1。力は常人より少し強いくらいであるが、ここまでならば鍛えれば普通の人間でもたどり着ける。レベル2で、人間の限界。極限まで鍛えれば人間でもたどり着ける限界ライン。レベル3より上は、最早人間ではない。
昔、クロノが朱美に訊いた限りでは、レベル5は音速の手前――亜音速くらいの速度らしい。音速の意味がクロノにはさっぱり理解出来なかったが。
レベル5は頂点であり、限界。それ以上には上がらないらしい。
単純に考えてレベルを一つ上げるごとに、強さは増す。
見たところ、今のユウはレベル4。
これが彼の限界ならば、こちらに負ける要素などなかった。剣すらもいらない。
クロノは、最後の一人が倒れ伏した瞬間に、即座に移動を始める。5m先のユウへ、多大な風を巻き起こして。
レベル4の動体視力ならば、反応は出来るだろう。
二歩で間合いを詰めた刹那――読みどおりユウと眼が合って、相手から有り得ない速度の右拳が放たれた。
――と同時に、クロノはユウの視界から消え、クロノがいた場所に拳が届く前に、背後に回り込んで首に手を当てて囁いた。
「まだやるか?」
勝敗は一瞬で――歴然だった。
ユウにしては珍しく、呆れたといった表情で、静かに首を振った。
「負けで」
ユウの拳が放たれてから、それが届く前にわざわざ後ろに回りこめる速度の差。それだけで両者の差の証明は十分だった。
本当は、ユウが拳を放つ前に正面から一撃加えることも出来たが、それはそれでユウの身が危険な気がして止めた。一撃与えた瞬間にユウの身体に風穴を開くことが容易に想像出来てしまった。
心なしか、どこか汗を搔いているユウは、死屍累々の足元を見渡して、高らかに『採点結果』を告げる。
「合格者は一名です。後の皆様は不合格。『勇者』と戦えないなら帰るという方は、ここでお帰り下さい」
優しい声色でそんなことを言ってから、いつもより爽やかな笑顔を作って、何か思い出したように付け加える。
「あっ、そうそう。八名のマリアさんのところのスパイさんは残って下さいね。大事な『教育』がございますので」
言葉を聞くと同時に、何人か呻いていた人間の顔に驚愕と恐怖が浮かんだ。
だが、動けない。立ち上がろうともがくのだが、痛みからか何度か身体がビクッと動くだけだ。
倒れ伏した全員を見渡して、もがいている人間に対するユウの動きを再生していくと、どうやらその八名だけ、あばら骨が折られているようだった。
あばら骨は肺を支えていて、度合いにもよるが折れると呼吸するだけで激痛が奔る。それが何本も折れているとなると、動くどころか、痛みで正常に脳みそは機能しないだろう。もしかしたら、折れた骨が肺にまで刺さっているかもしれない。肺が破れているとしたら、動くどころではない、生命の危機だ。
ユウはそんな彼らを無視して、リル以外に『試験』に参加しなかったアレクに振り向く。
「というわけで、これがこの国の戦力です。十分ご理解いただけたでしょうか?」
「へいへい、十分ですよ」
苦笑いを浮かべながら、もういいよ、と言わんばかりに何ども頷くアレク。
「リルさんには……説明するまでもないでしょうし、行きますか」
「どこに行く気だ?」
「メイさんのところですよ。状況や作戦、アレクさんの知りたい報酬などについてはメイさんからということで」
「まるで俺が守銭奴みたいな言い方止めろ」
アレクの抗議の声を華麗にスルーして、ユウは地下室にある入ってきた扉とは別にある二つの扉――その内の一つを指さした。
「あちらに進んでください。道なりに行けば、すぐに着くでしょう」
「ユウさんはどうするの?」
「まあ、色々やることがありまして」
優男は、まるでそれ以外の表情を知らないかのように柔和な笑みを浮かべたまま瞬く間に、呻く八人を指さした扉とも、入ってきた扉とも違う、明らかに元からではないであろう赤黒い痕がついた扉の中に放り込んで、彼自身も中へと入っていった。
どうしようか、と周囲を見渡していると、アレクと眼が合って、視線が暫し交錯した後、どちらともなく示された扉の向こうへと入っていった。
指示された扉の中は、円環上の通路のようで、道の曲がりからそれが推測出来た。周囲は土の壁に覆われ、どこかひんやりと冷たく、壁に付けられたランプの火が漏れなくついていて、視界には困りそうにない。もしかしたら火がついていなければ少し寒いくらいかもしれない。道幅はそこまで広くないが、二人くらいは横並びで歩けそうだ。
先頭をアレクが歩き、その後ろをクロノ、リルの順で歩いている状況になっていた。
「なあ……」
アレクの方から突如として聞こえた声に、クロノは何事かと不思議に思いながら、無愛想な声を返す。
「なんだ……」
「お前さぁ……子供連れて歩くのが趣味なの? この前と今回、別のガキ連れて歩いてるけどよ」
ブフリ、と喉の奥から息を含めた尊厳とか色々なものを吹き出しかけ、割と真剣な声色で言う。
「次そんなこと言ったら首へし折るぞ」
「おお怖い怖い、冗談に聞こえねえから笑えねえわ」
顔は見えないが、やれやれと、首を横に振っているのがクロノには確認出来た。
「そういえば、この前のあれ、弟だっけか? アイツは置いてきたのか?」
何気ないはずの質問が、今のクロノにはどうしようもなく嫌な言葉に聞こえて、心に動揺が奔った。
――が、突如右手から消えた感触が、逆にクロノを落ち着かせる。右手に握っていたはずのリルの手がいつの間にかなく、リル自身はクロノの前に立ち、アレクを本気で睨んでいた。
クロノは、そんなリルを見て動揺を完全に抑え込み、優しく怒りに燃えるような赤い髪を撫で、小さく囁いた。
「大丈夫だから」
幸い、リルの顔は先頭を歩くアレクには見えていなかったらしく事なきを得た。
そしてクロノは告げる。自らの口から、飲み込んだ彼の死を。
「……死んだよ」
「あ?」
「死んだ。先の戦争に巻き込まれてな……。いや、巻き込んだのは俺か」
クロノが自嘲気味に答えると、アレクはめんどくさいことを訊いたと思ったのか、右手で頭を搔いた。
「あー……なんだ、悪いこと訊いたな」
「別に……気にするな。お前こそ、連れはどうした?」
「置いてきた。連れて来ても、多分意味ないからな」
クロノは、もう片方――極端なまでにおっとりとしたアンナの顔を思い浮かべ、その言葉に心中で何となく頷いた。
ここで、少し疑問に思っていたことを口にしてみる。
「『勇者』が目的じゃないなら、なんでお前は参加しようと思った? こんな無謀な戦争に」
先頭を歩くアレクから、薄く笑った声色で言葉が返ってくる。
「単純な話、金だ。こんな無謀な話に参加してやるんだ、相応の対価くらい貰えるだろ? じゃないと割りに合わない。それに、未だ参加するって決めたわけじゃない。条件次第さ」
言っていることは解る。
今回のをギルド風にランク付けするとしたら、AどころかSまで行ってしまうだろう。それくらい危険で無謀だ。危険度に見合った報酬となると、それはそれで莫大になるだろう。
だが、それだけでこんな無謀な作戦に参加しようと思うだろうか。命を懸けてまで。
クロノが疑問に思っている間にも、三人はランプに照らされた土壁の通路を進む。
と、上に上がる石造りの階段が見えてきて、三人も道筋通りそれを上った。
数えるのも億劫になるような数のらせん状の階段を上り、ようやく地下からの脱出を果たすと、そこに太陽はなく、どこかの家屋内の廊下のようだった。
「ここは……?」
アレクが短く声を漏らす後ろで、クロノはここがどこか知っているような感覚を覚えた。
自分の歩幅と何歩歩いたかを頭の中で計算して、そこに歩いてきた方向を加えると、案外簡単にここがどこだか分かった。
「こっちだ」
リルの手を引いて、見知っているであろう館の中を歩き出す。アレクも慌ててそれに付いていく。
中はかなり広いらしく、歩けど歩けど果てが見えそうにない廊下。それでもクロノは、ある方向へと歩き続けた。
「どこ向かってんだ?」
「この館は来たことがある。ここまで奥には俺も入ったことがないが……正面玄関の方向くらい分かる。正面玄関にたどり着けば、そこから和室までの道筋は知っている。メイはおそらく和室で待ってるだろう
」
「方向ってお前……俺たちずっと地下で最後は螺旋階段だぞ? どっち向いてるかなんか分かるのかよ?」
「地下通路の方向は北東。螺旋階段は約4回転半。つまり出たときの方向は北東の反対南西。これだけ分かれば十分だ」
「へえ、そうやってウチの部屋を見つけるんやねぇ……」
淡々と言いながら、クロノは領主の館を突き進もうとして止めた。
最後に声のした方向に顔も向けずに、ぶすっとした声を投げる。
「……お前がここにいることで見事に俺の予想を外してくれているわけだが?」
「いやね、ウチも和室で待っとったんやけどね。あんまり遅いから」
「案内役も付けないお前が悪い。俺がいなかったらどうするつもりだ?」
「大丈夫やって、ユイちゃんからいるって連絡は来てたから」
感情が篭っているのかいないのか、どこか掴めない笑顔で言うメイ。
これだからメイは苦手だ。というよりクロノ自身、メイ、ユイ、ユウの内、前二人は苦手だ。おちょくられているのか、この前の依頼の時といい、話していて素でイラっとくることが多い。
「……まあ、いい。それより――」
「詳しい話はあっちに行ってからでええやろ?」
廊下の端――明らかに正規の扉ではない、ただの壁にしか見えない隠し扉のようなところから顔を覗かせ、どこかへと歩き出すメイの後を三人も追っていった。




