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追放された少年  作者: 誰か
戦争編 第三部
122/150

第百六話

勇者様の華麗なる休日。夢に対する人生観。最近長いね。

やっぱり前話は後で書き直して、リルの依存を高めます。

 石造りの壁に、ゆらゆらとランプの明かりが反射して、薄暗い部屋を本が読めるくらい最低限明るく照らしている。

 本日、『勇者』は自室にて本を読んでいた。

 彼の自室は、王城内に造られた暗い石造りの部屋。中は広くない。内部にはベッド一つに、本棚が一つ。それらだけで一杯になりそうな狭さ。使用人どころか、どこぞの牢屋にすら思えた。

 だが、彼はこの部屋を思いの外気に入っていて、変える気はなかった。誰もいないところで静かに本を読むのは嫌いではない。一人になれる空間は好きだ。

 現在は思うところがあって、物流と地理を学んでいる。


――紙の生産には成功してる。地図もそこそこ正確。ただ、世界地図なんてのはないな……。そして火薬はまだ、こっちに来てない。


 先の戦いで自軍に多大な損害をもたらした火薬。損害はどうでもよかった。問題は、火薬がこの大陸では入ってきたばかりということ。

 自分の世界と照らし合わせても、この世界の時代背景がイマイチ見えてこない。現在のこの世界は、あちらの世界でどの程度の時代にあたるのか。それが知りたかった。好奇心から。


――欧州系だよなこの大陸……。歴史では火薬って何時頃来たんだったか……?


 人種からして欧州に分類し、火薬が欧州に入ってきたのは何時頃かを探ってみる。


――日本史で最初に火薬が出てきたのが、元寇だよな……。1200年代後半だろ……。同時期くらいか? 紙の生産が欧州で流行り始めたのも、この時期だろ……。


 そう考えると、1300年手前くらいに思えるのだが、何か違う気がする。


――でも、紙って結構前からこの大陸では生産に成功してるんだよな……。それこそ800年前には、既に結構質良いのがあるみたいだし……。それ以前の歴史は……分かんねェけど。待てよ……幌馬車って、発祥は開拓期のアメリカじゃなかったか?


 この大陸の歴史は1000年前以前の記録が存在しない。見事に何にも記されていないのだ。分かるのは、術式魔法というものがあったということくらいで、それも今となっては未知の技術だ。隷属の首輪は、何時からあるのか分からない物を発掘し、再利用しているに過ぎない。

 この世界では、一般的なファンタジーらしく魔法は使えるのだが、その自由度は低い。何かを唱えれば守護霊が護ってくれるとか、そんなことはないし、ましてや時間を止めるとか、瞬間移動とかは出来ない。

 だが、術式魔法というのはその限りではないらしい。

 

――術式……ねえ……。俺を呼んだ時は、研究が行き詰まっていていたのになぜか出来た偶然の産物だった上、発動した瞬間に消えたって話だし。


 術式を発動させた瞬間に、術式は消えたらしい。そういうものなのか、あるいは別の理由があるのか。

 他にも、どうしてこの世界の言語や文字を自分は理解出来るのか。どこぞの青狸のこんにゃくを食った覚えはない。この世界の全体像はどうなっているのか。

 疑問は考えれば考えるほど尽きない。

 結局、いくら考えても分かりそうになかったので


――とりあえず、外出るか!


 と、遠征から帰ってきた最初の休日を過ごすことにした。行き先は既に決めてある。


 意気揚々と扉を開け部屋を出ると、自分に何か用でもあったのか、金髪の長い髪を腰まで垂らした女性――マリアと出くわした。

 

「何か用か?」


「いえいえ、丁度お出かけされるだろうと思いまして」


「だから?」


「国外に出て歩くおつもりでしょう?」


 図星。読心術でもつかわれているのか。そんな疑念に囚われる。

 『勇者』は最近、他国に単身で出かけては、毎回注意されている。国側からすれば、そんな簡単に、しかも国外に出歩かれては困るのだろう。実は、こんな牢屋のような部屋を変えない理由の一部もそれにあった。『勇者』の部屋は内装もさることながら、城内での位置も非常に悪く、地下にある。人目につきづらいこの部屋なら、こっそり出ても誰にも見られない。帰りもこっそり戻って、一日中本を読んでいたと主張すればいい。

 だが、見られた。それも軍事のナンバー2に。

 『勇者』は、無理矢理身体能力で抜けようかと模索し始めるが、マリアから次に飛んできたのは予想外の言葉だった。


「丁度いいのでこれお願いします」


 そう言って手渡されたのは小さな紙。メモ用紙のようだ。そこに記されているのは、今『勇者』が行こうと思っていた国、それと見覚えのある商品。


「それさえ買ってきて下されば、今回のことは黙っておきますので」


 普通の男ならば見とれてしまいそうな、美しい社交辞令の笑顔を浮かべるマリア。自分の世界に行っても通用しそうだ。

 つまり――買って来いということらしい。自分をパシらせるとは、本当に肝の座った女である。

 かといって、そんなことで腹が立つほど『勇者』も子供ではなかった。

 

「いいだろう。分かった」


「それと、勝手な行動は謹んでくださいね」


 どこか後ろ暗い取引が二人の間で密かに成立する。

 それだけ言うと、『勇者』はどこかへと歩いていった。



「昨夜はお楽しみでしたね」


 朝、目を覚まして、二人目にあった人間にそんなことをニヤニヤしながら言われた。隣にいる最初にあった人間を見ると、暢気にもにこやかに笑いながら、同調するように楽しかったなどと言っている。

 彼はその光景を見ながら、とりあえず一言言いたいことがあった。

 

「いや、何もやってねえよ!?」


 勢いよく吐き出したその声は、朝、人の多い食堂入り口前――宿屋受付のカウンターに響き渡る。食事をしていた人間の注目が三人に一斉に向いたが、カウンターに鎮座する人間を見て一様に視線を外す。

 

「またまた~、お兄さんやっちゃったんでしょぅ?」


「黙れませガキ」

 

「うん。楽しかったよ~~~~」


「お前もちょっと黙ろうか」


 アレクは隣にいるアンナの口を片手で塞ぎ、強引に黙らせる。もがくアンナから視線を外し、目の前に座る少女を見る。どうみても、10歳くらいにしか見えない少女。

 ユイと胸につけられた名札に記された少女は、手を振ってふざけた調子で弁解をする。


「いやいや、若い男女が泊まったら、この言葉をかけろっていうのが、ウチの伝統なんですよぅ」


「どんな迷惑な伝統だよ……」


 伝統だからとかではなく、絶対にわざとだ。

 アレクにそう思わせるほど、ユイの声に申し訳なさはなく、からかいたいという気持ちが、表情から滝のように溢れだしていた。

 

「それに私はガキじゃありませーん」


「はいはい、分かったから、飯を食わせろ」


 アレクは受付カウンターを通り過ぎ、食堂の中へ。

 食堂の中は、受付カウンターとは真逆で大混雑していた。

 それもそのはずで、現在ここ――宿屋ビッグマウンテンは、50室以上ある客室全てが満室らしい。客の数はざっと見ただけで、百人は超えている。

 大陸全体の情勢不安を受け、この国に流れ込んできた人間のお蔭で、アース全体的に見ても宿屋はほぼ満室状態だ。宿屋の中でも、人気のここが埋まっているのは当然のことと言えた。

 自分でも、よくこんな宿に泊まれたなと思う。たまたま、ギルドに紹介された宿がここだった。なぜか一室だけ空いていたらしい。

 混雑する食堂内でなんとか居場所を見つけ、食事をとる。

 

「暑いな……」


 食堂内は密集しているせいか、昨日の人混みのように暑い。ただの暑さではなく、蒸し暑い。

 不快感に囚われながら食事を終えた頃には、じんわりと嫌な汗がしたっていた。おかげで碌に味を覚えていない。

 アンナと共に食堂を出ると、またもユイに声をかけられる。


「どうかしましたぁ?」


 どうしてこんなに突っかかってくるのだろうか。他の客には声をかけていないというのに。よく分からない。

 とりあえず、感じた不満点をぶつけてみる。


「食堂が暑いんだよ……」


「あっ、窓開けるの忘れてた」


 確かに両側に備え付けられた窓は閉められていた。

 

「なんでしたら、今度からお部屋に直接運びますか-?」


「そんなこと出来んの?」


「はい。時間さえ指定してくだされば、三食可能ですよぅ」


 思ってもいない申し出。正直、アレクもアンナも人の多いところは得意ではない。

 だが、突如、アレクの中で何かが引っかかった。本当に漠然とした何かが。それは言葉か状況か態度か。あるいは全部。

 しかし、その何かに結論を出せないまま、アレクは返答を返す。


「……じゃあ、頼むわ」


「はいはーい。分かりました」


 適当に時間を指定して、二人は宿屋を出ようと入り口へ。

 そんな二人にユイが見送りとばかりに声をかけた。


「いってらっしゃーい、アレクさん、アンナさん」


 これもアレクの知る限りでは、一々ユイは出て行く客に声をかけてはいない。不可解な疑問が浮かぶ。

 その言葉に答えることもなく、二人は宿屋を出ていった。

 アレクは、宿屋を出て少し歩いてから、ふと、疑問を覚える。


「なあ」


「ん~~~何~~?」


「お前、名前教えたか?」


 アンナは小首をかしげ否定する。

 自分の名前は台帳に記録したから知っていることに疑問はない。だが、アンナの名前までは記していないはずだ。

 

「どうなってんだ……」


 いくら考えても答えは出ない。

 湧き上がる疑問を解決できないまま、二人はセントーへと向かった。

 アレクは最近朝風呂にはまっている。何か、あの熱いお湯に浸かると、前日の疲れが一気にとれるような気がするのだ。特に今日は、先ほど食堂で嫌な汗をかいたので、更に丁度いい。

 セントーにおいての問題としては、アンナが入りたがらないことくらいか。きっと、セントー自体が嫌いというわけではないのだろうが、どうにも入りたがらない。ただ、原因は知っている。

 

――今度混浴の場所でも探すか……。


 内心でそんなことを考えつつ、強引にアンナと別れ脱衣場に入ると、中はガランとしたもので、籠に入った服の数から見て中には一人しかいないようだ。

 セントーは脱衣場で服を脱いで、籠に入れてから入るというシステムになっている。勿論男女別。

 借りた大きなタオルを籠に放り込んで、小さい方のタオルを手に持って中に入る。

 入った瞬間に感じる熱気と、独特の臭い。中の広さは、狭くもなく広くもなくといったところ。桶と椅子が20ずつある。奥にある浴槽は熱さの違う温泉が3つ。更に奥の壁にはどこの山だか分からない、頂上だけが白い山が描かれている。

 早速中に入ろうとした、その時――ふいに声が聞こえた。


「富士山……だよなァ……これ」


 男の声。見ると、絵の前で仁王立ちしながら腕組をした男の後ろ姿。髪は黒。身体は、ところどころ裁縫でもしたような傷がついている。細身だが、しっかりと筋肉が見える身体つき。身長は180くらいか。

 

――黒髪とは変わった人間だな……。まあ、どうでもいいか。


 そう判断したアレクは、その男の存在を無視して一番熱い浴槽へと入った。身体の芯まで響くような熱さ。この熱さが心地いい。意識せずとも、疲れを吐き出すような溜め息が漏れた。

 入ってから再び黒髪の男を見ると、何が面白いのかじっと絵を眺めている。こちらの存在にすら気づいていないようだった。


――絵描きか?


 芸術などアレクには微塵も分からないが、とりあえずあの山の絵が珍しいのは分かる。それに見惚れているのか。

 正面からみた黒髪の男は、年齢10代後半の青年に見えた。もしかしたら自分と同じくらいかもしれない。

 何となくそんな感想を抱いていると、男と目があった。珍しい黒眼。黒々とした闇がどこまでも広がっているようで、どこか恐ろしさを覚える。

 絵描きなどではない、と瞬時にアレクに判断させた。

 が、アレクの判断とは正反対に、男からはフランクな口調で言葉が飛んでくる。


「アンタよくそこ入れるなァ……。45度以上あんだろ、そこ」


 心底感心したような声。どうやら既にここには入ったらしい。


「俺にはこれくらいが丁度いいんだよ」


「そうかい。のぼせないように気をつけろよ」


 男はアレクとは正反対の一番温い浴槽の中に入ると、先ほどのアレクと同じように疲れの権化のような溜め息を漏らした。

 

「異国で入る風呂もいいねェ。いや~、本当に自分が日本人だなと思い知らされるな。銭湯に温泉とか贅沢すぎるわ」


――ニホンジン?


 聞いたことはないが、どこか知らない国の人間らしい。そもそもセントー自体が異国の文化らしいので、セントー発祥の国の人間か。 

 

「富士山までご丁寧に描いてくれやがって。なんだァ、この国はオレをホームシックにでもする気ですかァ?」


 楽しげに笑い、陽気な声を浴場内に響かせる男。

 その後、数十分に渡って男二人だけの空間が続いたのだが、特に会話を交わすこともなく、先に黒髪の男は出て行った。

 


 その日――というよりも、数日前からソフィアはイライラしていて、他の二人のパーティーメンバーにもそれが分かった。

 原因としては、おそらくギール王都壊滅。

 愛国心のようなものは、三人とも一般庶民程度には持っているくらいで、そこまでない。むしろ、普段あちらこちら飛び回っている分、他人よりも低いかもしれない。

 だとすれば、今ソフィアの胸中を占めているのは、おそらく親についてだろう。

 三人共親とは、王都壊滅後、どうなったか連絡がとれていない。メギドは冷静に、成り行きを見守ろうと言う。ザイウスは、なるようにしかならないと言う。

 二人とは違い、親子仲が良好ではなかったソフィアだが、なんだかんだ親のことを一番心配しているのだろう。ソフィアの親は、冒険者になることを反対していたが、それは娘の身を心配してのことで、ソフィアも実は分かっているはずだ。

 現在のソフィアの苛立ちは、不安が行き場を失くし表面に苛立ちとして出てきているだけ。

 ザイウスとメギドは、その見解で一致していた。

 幼少の頃から一緒にいるが、家族とか仲間とか、そういったものを見捨てることが出来ないのがソフィアという人間である。その程度のことが分かるくらいには、三人の付き合いは長い。この前の二人の少年を拾った時も、そんなソフィアの考えが見え隠れした。


 昼頃――とりあえず食事にでも行こうと、三人が入った店は、アース特有のスシという料理がメインの店。値段設定は少し高めだが、美味いと評判なので、これで少しでもソフィアの気が紛れればという二人の配慮からによる店選びである。

 店の先にある暖簾を搔き分けて中に入ると、真っ先に目に飛び込んでくる頭に鉢巻を巻き、明らかにうろたえた50代くらいのオッサンの顔。

 オッサンの視線の先には、若い男――が、掌に乗りそうなスシを、バクバクと口の中に流し込む姿。

 男はなにやら神妙な顔で呟いている。

 

「何だろうか……この……カリフォルニアで人気の寿司屋に行った時のような、何か違う感は。日本の回転寿司って凄かったんだな……。まあ、食うけど。あっ、大将! おまかせ握り50追加で!」


 決してプラスの評価をしているわけではなさそうだが、評価とは裏腹に手が休まる様子は微塵もない。まるで水のようにスシを口の中に流し込んでいく。

 注文を受けた店主らしきオッサンは、呆然と男を見ている三人にようやく気づいたのか、涙目で声をかけた。


「あの……ご注文は……」


「あっ……いいです……」


 店主の様子が居た堪れなくなった三人は、そそくさと店を後にした。





 陽が完全に地平線の向こうに落ちて、代わりとばかりに浮き上がってきた月が闇に染まった空を照らしていた。

 酒場――センターフィールドは本日も大盛況。店内は人でごった返し、満員御礼の立て札をかけたいくらいだ。

 しかし、店主――ユウは、そんな店の状況とは裏腹にげんなりした気持ちだった。

 毎年仮装大会の時期はこれくらいの客が押し寄せるので、客の捌き方は慣れたものではあるのだが、普段とは別な点が一つ。

 一際大きな怒声が酒場に広がる。


「――アア!? 蛆でも湧いてんのかテメェの脳みそはよォ!」


「ハッ、その言葉はそっくりテメェに送り返してやるよ豚が!」


 これだ。

 大陸の情勢不安が一般人の精神にも反映されているのか、どうにも客の気性が荒い。そして終いには店の中で暴れだす。

 ユウの店で暴れたらどうなるか、何ていうのは、地元民やよく来る人間なら知っているはずなのだが、新顔が多いせいか、彼らは暴れることに躊躇いがない。そして、その度にユウが「教育」する羽目になる。

 普段なら多い日で一日五件ほどだが、今日だけで十五件。今、目の前で起きている件を含めると十六にも上る。

 そんなこともあって、ユウは既にうんざりした気持ちで、それでいて顔には笑顔を貼り付けて、接客をしているのだった。


「お客様? お静かに願います」


「テメェは引っ込んでろ!」


 豚と呼ばれた、醜悪な人相の男の肩に手を置くが、突き飛ばされた。

 これで最終通告は終わり。ここからはいつも通り、機械のように同じことをするだけ。

 そこからは無言のまま、素手だけで二人の男をのした。その後、意識のない二人をわざと引きずって、カウンター奥から店の地下へ。そして、五分ほどの簡単な「教育」を施して、一旦地上へと戻った。続きは、店じまいした深夜3時以降からだ。

 「教育」を終え、カウンターに戻ると、豚が座っていた席にはまた新たな客が一人、ポツンと座っていた。

 性別は男。年齢は10代後半。そしてなによりユウの眼を惹いたのは――黒い眼と黒い髪だった。その男が誰なのか、ユウはなんとなく分かった。

 こちらの視線に気づいたのか、男は手招きしてこっちに来いと告げる。言われるがまま、男の前へ。

 ユウは営業スマイルを崩さず、いつもの調子で優しく訊く。


「ご注文はいかがなさいますか?」


「あー……ビール一つに枝豆で」


 どこかの中年が好みそうなオーダー。

 かしこまりました、と頭を下げ、ユウは早速準備にとりかかる。従業員は何人かいるが、この男は自分の手で相手することにした。

 お盆に乗った木製のコップに樽から直接ビールを注ぎ、手早く枝豆もお盆に乗せると、ユウは男の元へ。


「どうぞ」


 カウンターにお盆ごと置いて頭を下げると、枝豆を一口つまんだ男から飛んでくる言葉。


「なんだ。毒でも入ってるのかとおもったんだが」


 その言葉でユウは、なんとなくではなく、確実に誰だか分かった。ついでに、相手が自分のことを知っていることに驚く。間違っても一介の酒場の店主にかける言葉ではない。


「……そんな手が通用するとは思ってませんよ……現にユーリさんが何度も失敗していますしね……」


 三姉弟の一人の名前を出すと、『勇者』は嘲るように笑った。この嘲りは、ユウではなくユーリに向けられたものだ。


「んだよ、そんなことまで知ってんのか。分っかんねェんだよなァ……あそこまで怨まれる理由が」


 心底分からないといった風に暢気に首を傾げる『勇者』。

 ユウは彼とは真逆に神妙な顔をして、『勇者』に尋ねる。


「……私のことはどこから……?」


「ウチんとこの女狐から。何となくアイツがこの国を警戒する理由が分かるわ。確かに、ここが一番危ないかもなァ」


 その言葉にユウは臨戦態勢をとり身構える。


「まァ、今日は別に戦いに来たわけじゃあない。潰すときはちゃんと、無駄な軍隊引き連れて来るさ。立場的に今このポジションを失いたくはないしな」


「今日はどういったご用件で?」


「下見兼観光。この国にいるとホームシックになりかけるな。よかったな、図らずもオレに精神ダメージを与えられたぞ」


 随分と尊大な態度で『勇者』は笑った。笑いながら『勇者』は途端に笑顔の種類をニヤリへと変える。


「本当に似すぎだ、この国は。誰が建てたのか、是非ともお聞かせ願いたいねェ」


「そこまで……そちらは知っていると……」


「いや、これはオレが今日来て思っただけだ。女狐も知らないだろうよ。まっ、興味もないだろうが」


 ユウはそれ以上何も答えない。言うだけ無駄だった。『勇者』は間違いなく確信を持っている。

 答えないユウを見て、『勇者』は飽きたとでもいうように立ち上がる。


「……んじゃあ、オレ帰るわァ。金はここに置いとくぞ」


 ユウがカウンター上のビールと枝豆を見ると、いつの間にか無くなっていた。

 『勇者』が千鳥足で出口へと向かっていく様を呆然と見ていたユウだったが――

 何を思ったか、出口の手前で『勇者』は立ち止まり、慌ててユウの元へ戻ってくる。

 戻ってきた『勇者』の口から飛び出した言葉は、ユウがまったく予想していなかった言葉で、一瞬、本当に彼はあの『勇者』なのかと疑いたくなる言葉だった。


「忘れてた……。なァ、アイスってどこに売ってんの?」


 その手には、皺くちゃになった小さな紙が握られていた。



 少年は、夜の街を一人彷徨っていた。

 この少年はつい先刻、突きつけられた現実をどうにも認めたくなくて、衝動的に孤児院を飛び出してしまったのだ。

 突きつけられた現実が脳内でリフレインする。


「お前、才能ないから諦めろ」


 本当は知っている。これは変えようのない事実だと。薄々気づいていた。他人に出来ることが、自分には出来ないと。

 ただ、少年は夢の捨て方を知らなかったのだ。真っ直ぐに抱いた憧れの捨て方を。幼すぎる故に。

 齢9。『勇者』のいた世界なら、未だサンタクロースの存在を信じるような年齢だ。

 そんな少年に、突きつけられた現実は冷酷すぎた。

 人間は叶わない夢を見て背伸びをし、いずれ自分の届かない現実を知って夢を捨てる。

 だが、この少年は背伸びをすること自体を否定された。それは、諦めるなら早い内にというクロノの一種の優しさなのだけれど、少年には気づけなかった。

 少年は空を見上げる。

 本来なら、少年は既に孤児院にて夕食を食べ終えている時間。昼食の前に飛び出してきたので、昼食も食べていない。

 腹が減っている。今すぐにでも食事をかき込めと、成長期の胃袋が悲鳴を上げていた。しかし、当然のように、少年には金がなかった。


――このまま死ぬのかな…。


 大げさにもそんなことを考えながら、街を彷徨っていると――血が足りないせいか、一瞬、よろめいた。

 その拍子に何かにぶつかったようで、少年は声を上げる。


「いてっ」


 よろめきから回復した少年が、ぶつかった先を見ると、そこにいたのはオッサン。若くはない。きつい加齢臭と毛むくじゃらの顔がそれを物語っていた。

 そしてその足元には、木の容器に入った白い半液状の丸い物体。簡単に言えば――アイス。

 

――子供かお前は! 俺に寄越せ!


 内心そんなツッコミを入れていると――ふいに強めの衝撃が首元を襲った。

 感触からして、どうやらヒゲ面のオッサンの手が首元を掴んだらしい。


「お前は、何してくれてんだアアアア!?」


――アイス如きで大人げなさすぎだろおおおおおお!!


 当然そんな叫びはオッサンには届かず、声に出すことも叶わない。

 少年は、アイス如き、と言ったが、値段は思いの外張るもので、実は一杯、一般庶民の給料一か月分は必要である。給料一か月分失ったと言い換えれば、オッサンの怒りはご尤もと言えた。

 少年にとっては更に最悪なことに、オッサンは仲間と居たらしく、オッサンの背後からは四人ほどの男がぞろぞろ。平均年齢四十くらいか。唯一二十代くらいの男は、マスクをしていた。

 そんな光景に苦笑する暇もなく、首元を掴まれたまま、人通りの少ない道から外れ、民家の奥の奥の隙間のようなところへ連れて行かれる。

 そして少年は乱暴に放り投げられ、硬い壁へと思い切り激突した。


「……ッってぇ……!!」


 少年が僅かに声を上げた時には、オッサンたちは他から見えないように少年を取り囲んでいた。

 これから何が始まるのか少年には、嫌でも想像が出来てしまう。


――本気か…よ!? こんな…


「……ガ……ハッ……!」


 こんなことで、と内心で言う事すら許されず、誰のものか分からない蹴りが少年の小さな腹に叩き込まれた。

 続けざまに聞こえる嫌な重低音。音の発生源は右手。誰かに踏まれているようだ。今度は足の指から聞こえた。顔面にも強烈な蹴りが叩き込まれる。鼻に嫌な感触が奔った。身体全体が熱く悲鳴を上げていた。

 少年は朦朧とし始めた意識で思う。


――こんなことで……死ぬの……かよ……。

 

 自分の生存を諦め始めた少年。これが才能のない人間の末路かと、自分でさえ思った。



 そして、少年はこの日――クロノとは別種の圧倒的『強者』に出会う。

 

  

「なーにやってんだか。オレの前でそんなもん見せんじゃねェよ――」


 少年の耳に届いたその声は、あまりにも暢気で、物騒で、軽そうで、それでいて――いやに耳に響く声だった。


「殺したくなっちゃうだろ」


 声が聞こえたと同時に、汚い音が聞こえ、少年の視界が開け――深紅に覆われた。

 

――なんだこれは。


 深紅の正体は見れば分かる。だが、目の前で何が起きたのか理解出来ない。かろうじて理解できたのは、平均年齢四十代のオッサン連中は死んだということだけ。

 現在少年の視界には、首が四つと深紅の血が舞っている。首がべちゃりと音を立てて地面に落下すると同時に、少年はようやく事態を理解する。突如として現れた黒い髪の男が、何らかの方法で首を撥ねた。それだけのことだった。

 黒い髪の男は、胴体だけと成り果てた男を踏みつけるように上に立ち、手についた血を舐めては不味そうな顔をしている。

 悲鳴を上げる気にもならなかった。目の前で人が死んだというのに、少年に湧き上がった感情は恐怖ではなかった。

 

――スゲェ……。


 感嘆と憧れ。少年に湧き上がった感情はおおよそそういったもので、微塵も恐怖はなかった。

 だが、ここで少年は気づく。舞った首は四つだ。相手は五人いた。

 その気づきは実際正しくて、黒い髪の男の背後には、二十代くらいのマスク男の生存が確認できた。

 マスク男の眼には少年とは違い、絶対的恐怖と錯乱の色が浮かんでいる。


「あァ、一人殺り損ねた。まァ、実験には丁度いっか。ほれ」


 黒い髪の男は相変わらず暢気な声色で、平然と振り返り、マスク男にキラリと光る短剣を放り投げた。

 意味が分からないといった表情でマスク男はそれをかろうじて受け取る。

 そして、呆然と立ち尽くすマスク男に、黒髪の男は衝撃的な一言を投げかけた。


「どっからでもいい。脳天でも、心臓でも、どこでもいい。一発刺させてやるよ。あっ、魔法使ってもいいぞ」


 両手を目一杯広げて、まったく抵抗しないと示す黒髪の男。


――馬鹿げてる。


 少年は流石にそう思った。どこからどう見ても自殺行為だった。

 マスク男も、これなら、と思ったのか、錯乱と恐怖の中に生気が戻る。微かに見えた勝機に眼が輝いていた。

 マスク男の行動は早かった。真正面から黒髪の男へ駆け出す。その速さたるや、距離が短いこともあり、瞬きすら許さないようなものだった。


「死ねええエエェェェェェェ!!!」


 耳劈く悲鳴のような叫び声を上げたマスク男の振りかぶった短剣が、黒髪の男の脳天に突き立てられる。

 直後。グジュリと嫌な音がして、頭から血が滴った。見るもの全員が、これは死んだな、と思うほどに強く力を込めた成人男性の一撃だ。血が流れるのは当たり前と言えた。

 だが――それだけだった。血が滴っただけ。しかも、到底致死量になど届きそうもないほど微量。

 短剣の大部分が未だ外にあって――黒髪の男の頭に埋まっていなかった。埋まったのは刃先のほんの先だけ。

 マスク男はどうみても本気だった。あんな叫び声を上げて本気でなかったはずはない。だというのに、これはどういうことか。

 状況が理解出来ない二人を尻目に、黒髪の男はやはり暢気に呟く。


「やっぱり身体が硬くなってる。筋肉の作り自体を変えてるんだな。これなら、普通の人間の力で刺されても死なないんじゃないか」


 完全に一人の世界に入っていたところで、ようやくマスク男を見下ろした。


「まだいたのかよ?」


 マスク男の存在などどうでもいいかのように言いながら――直後。首が舞った。

 黒髪の男の右手がまるで瞬間移動でもしたかのように、右から横に跳んだ。右手には血が付着している。

 ようやく少年は理解する。どうやって首を撥ねたのか。

 手刀とはよくいったもので、まさに刃物のように手刀で首を薙いだ。その結果、首と胴体が離れた。不思議なことは何もない。当然、誰にでも出来るわけではないが。

 あっという間に五人を殺した黒髪の男は、めんどくさそうに頭をかき始める。一度も使っていなかった左手には、鉄製のバケツのようなものが握られていた。

 そしてギロリと、少年を見下ろす。


「食いかけに興味ないんだよなァ……」


 微妙そうな顔をして少年を食いかけと表現し、ブツブツと呟き始める。


「あいつらが悪いな。オレの許可なく勝手に人を殺すとか極悪人だ。なんて、最低な奴らだ。しかもオレは、少年を助けたわけだ。勝手な行動ではないどころか、警視総監賞を貰いたいレベルだな」


 自分の言葉に納得したように、うんうんと頷いてどこかへと歩き出す男。

 少年は痛む体で必死に耐えながら、潰れていない喉の奥から言葉をひねり出す。


「お、おいっ!」


「ん? 何か用?」


 この光景を見ながら、男に声をかける少年は傍目から見ても異常と言えた。誰がどう見ても黒髪の男は、声をかけたいと思うような人間ではない。

 それでも少年が声をかけたのは、諦めたくなかったから。なまじ、今の目の前の現状を見せられてしまったから。圧倒的強さに魅せられてしまったのだ。

 こうなりたいと願った故の行動。

 少年はクロノに投げかけたような言葉を男に投げかける。

 

「どうしたら……お前みたいに強くなれる……?」


「はァ?」


「教えてくれよ……! 俺は、強くなりたいんだ……!」


「知るかよ。勝手に頑張れ」


 見捨てるように吐き捨てて去ろうとする男に、少年は縋るように叫ぶ。


「魔法の才能がないのは自分でも分かってるんだ……! でも、俺は諦められないんだよ! 強くなることを諦めたくないんだ!」


 男が一瞬、足を止めた。男の肩が上下に震えだす。聞こえる嘲笑。蔑みの笑いにも聞こえた。

 男は振り返る。その顔には、心底馬鹿にしたような怒りが貼り付けられていた。


「あァ!? 馬鹿かお前はァ! 諦めたくないなら諦めんな! 頑張れよ! 努力しろ!」

 

「でも、俺には才能が……」


「才能がないって言えるほど、お前は努力したのかよ!? その齢で!? 笑わせんな! 誰かに言われただけだろ!? テメェの道は他人に決められるもんじゃねェだろうが!」


「ないんだよ! 魔法が使えないんだ! それは自分でも分かってるんだ! どう頑張っても夢には届かないって……分かってんだ!」


 自分を否定する少年。しかし、男はそれすらも否定する。


「それが馬鹿だってんだよカスが! 魔法が使えない? だからどうした! それが事実だったとして、使えない=弱いにはならねェんだよ! ヒョードルは魔法なんざなくたって強ェんだよ! モハメドは魔法なんざなくたって強ェんだよ! 人間はな、魔法なんざなくたって地球の表面上を支配できるんだ! 頭を使え、脳みそ回せよ! 一日腕立て一万回やれ! 腹筋二万回やれ! それでも強くなれないなら武器を使え、造れ! 拳銃だろうが、核ミサイルだろうが、人間なら造れるんだよ!」


 男は止まらない。夢を否定する少年を否定する。


「オレは誰よりも人間の可能性を信じてる。オレだって夢の途中なんだ。オレはもう諦めない。その夢を達成できると信じてる。だからオレは、その夢を否定する人間が大ッ嫌いなんだよ! それ以上言うなら、食いかけだろうがなんだろうがぶっ殺すぞ!」


 苛立ちながら、少年の全てを破壊するように力強く言い切った男の眼は本気だった。本気で自分の夢を達成出来ると信じている。

 少年は地べたに這い蹲ったまま、何も言い返せなかった。少年の――この世界の常識が否定された。魔法が使えない=弱いではないと。

 出てきたたとえ話は、さっぱりわからなかったけれど、希望は示された。魔法など使えなくても、強くなれる。

 その事実は、少年に一縷の望みを繋がせてくれた。諦めるなという言葉が心の奥から湧き上がってくる。

 少年がこんなにも簡単に、男の言うことを信じたのは、自分が強くなれると信じたかったからだ。諦めたくないと願って、自分にとって都合の良い言葉を信じた。

 それが正しいことかどうかは誰にも分からない。

 

「……俺は……なってやる……。強くなってやる……」


「そうだ。なりたいなら勝手になれ」


 男は再びどこかへと歩き出そうと、少年に背を向けた。

 その背中に少年が投げかけた言葉は――感謝だった。


「ありがとう……。俺は諦めない……もう諦めないから……」


「あっそ。勝手にしろ」


 どうでもよさ気に適当な返事をした男に、少年は最後の言葉を投げかける。


「……名前……教えてくれ」


 知りたかった。自分をここまで魅了させた彼の名前を。圧倒的強さを持った人間の名前を。

 男は振り返ることもせず、めんどくさそうに右手で頭を搔いた。


「ゆ……じゃねえな。あれは称号みたいなのだし。名前か……白井だ。白井善治」


「俺は――」


「興味ないから言わなくていいぞ。聞いても明日になったら忘れてるだろうし」


 心底興味がないのだろう。今度こそ少年はそれ以上何も言わない。 

 白井は数歩歩き出したところで、何かを思い出したように立ち止まる。

 

「あァ、そうだ。お前がオレにありがとうって思ってんなら、今度またここ来るからよ、それまで強くなってろ。で、精々オレをてこずらせて殺されろ。期待しないでおいてやる。じゃあなー」


 意味不明なことを言い残して、白井はどこかへと消えた。

 後に残された少年は、骨が折れたままでも、強く決意する。絶対に強くなってやろうと。白井の言う今度とは、何時だか分からないけれど、それまでに絶対に強くなってやろうと。たとえ、魔法が使えなくても人間は強くなれるのだから。

 


 一日が終わる頃――マリアは帰ってきた『勇者』から受け取った鉄製のバケツのような物の中――白いアイスを見て、彼女にしては珍しく微妙な表情をして静かに怒りの声を上げた。


「溶けてるんですけど……」



少年はまあ、頑張れ。

次回は本編進めて戦争の始まりかな。

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