『無力な少女』
リルの個別話。色々途中までは書いてるが、あくまで途中までで放置中。
最後はテキト―
リルはどこで自分が産まれたのか、両親の顔がどんなものだったのか、全くと言っていいほど憶えていない。そもそも見たことがあるのか、自分でも疑問に思うくらいだった。
だが、それを特別悲しいことだと思ったことはなかった。
物心ついたときには既にリルは孤児院にいた。おそらく二歳くらいのことだ。確かなところは正直分からない。産まれた年を知らないので、実際の年齢というものが分からないからだ。気づいたら勝手に年齢が決まっていた。そして同じように誕生日も決まっていた。孤児院にいた頃、誕生日が分からない子どもは当時の院長によって一律新年の始まりということにされていた。そのことを後に入ってきたヘンリーが随分と冷めた口調でこう言っていたのを覚えている。
「そら新年で誕生日一気にまとめりゃ、余計な祝いの経費がかからないで済むわな」
その言葉にリルは妙に納得した。金の出費を抑えつつ、子供に幸福感を与えられる。なかなか良策だ。 孤児院を離れた現在では、自分の誕生日をクロノと同じにしている。
孤児院内での生活には満足していた。衛生状況こそ悪かったが、親しい友人もいたし、それなりに楽しい日々だったと思う。
反対に気に入らない人間もいた。それはそれで当たり前のことだ。それくらいの好き嫌いはある。子ども同士の些細なトラブルから嫌いな子もいたが、とりわけ、当時の院長が嫌いだった。
当時の院長は控えめな言い方をしてふくよかな、白髪混じりの六十代後半くらいの女性だった。多くの子どもに慕われており、リルの知る限りでは彼女が嫌いな人間はきっと自分くらいだろうと思うほどだった。
リルだって何かされたわけではない。どこが嫌いだったのか、と訊かれても明確な答えは出てこない。ただなんとなく嫌いだった。嫌いだからといって反抗的な態度を見せたわけでもない。本当に何となく、軽い嫌いだったのだろう。
「何時かお母さんが迎えに来るからね」
そんなことを院長に新年毎に言われた。リルだけでなく色んな子どもに言っていた。
当然、その言葉は絵空事だ。幼いながらにリルはそう知っていた。子どものために言っていることも知っていた。だから、そのことで院長を嘘つきだ、なんて責める気はない。
院内では七歳くらいで、迎えなど来ないことを多くの子どもがうっすらと理解するようになる。リルはそれよりかなり早いくらいでなんとなく理解した。
理解して、特に何も思わなかった。そもそも、親がどういうものなのか知らないし、顔も知らない人間に強烈な恋しさや憎悪を覚えるなんて器用な真似はリルには出来なかった。幸せに暮らしていようが、どこかで野垂れ死んでいようが、まったく関係のないことだ。周りに親がいる人間なんて一人もいなかったから、劣等感を覚えることもなかった。「いなくて当たり前」孤児院で育ったリルの常識はそうなっていた。
長らくリルの世界は孤児院の中だけだった。それが変わったのは、九歳の頃。
その頃、目に見えて院内の衛生状況が悪化してきた。食事は一日一食になり、ちょっとした風邪が笑えない事態に悪化する。周りの子どもたちも見る見る痩せてきて、僅か1ヶ月で20人が死んだ。お金が足りない、と太った院長が一人自室で呟いているのを何度か見かけた。実態のない死が風となって孤児院に入り込み、一人ずつゆっくりと腐らせている、そんな気がした。
このままでは遠からずここは崩壊する。ここにいても結果は変わらない。それに自分がいなくなれば、かかる金が減るだろう。そう思って孤児院を出て、すぐに免疫力の低下した身体は風邪にかかり――クロノと出会った。
出会いの印象は、そこまで良くはない。助けてもらいはしたものの、何と表現すればいいのか、顔からあふれ出す自信とでも言うべきか、そんなようなものがやたら煌びやかに光っていて、精神状態が卑屈に陥っていたリルには、正直イライラするくらいだった。一目見て、これは自分と違う人種だな、と判断するような差がそこにはあった。
その後の印象は更に良くない。いきなり氷雪の霊峰に連れていかれて、その近辺で約半年間生活させられた。手足が霜焼けになるわ、高山病にかかって呼吸困難に陥るわ、ろくな思い出がない。
そこでは、料理や勉強、魔法などをクロノに習った。
孤児院の中では魔法なんて御伽噺の中にしか出て来ない存在で、自分には無縁のものだと思っていたから、使おうと思ったことなんてなかったし、どういうものなのかも詳しくは知らなかった。
やってみれば案外簡単で、かなり使える能力だった。この時、リルという少女は無力の烙印を引きはがし、ついに自活できるようになったのだ。
ようやく半年が過ぎて、クロノ監視下から離れられた直後、その足でギルドへと向かった。その時、半年前抱いていた死への恐怖感は薄れており、意気揚々と初仕事を請け負った。
初仕事の感想は、こんなものか、というのが正直なところ。これで、自分でも自活できることを自覚した。
最初の報酬を貰って真っ先に向かったのは孤児院。はした金に過ぎないものだったが、最初の報酬はそこに使ってやろうと決めていた。
高揚感に包まれたリルがその足で向かった先で見たものは、それはそれは立派な孤児院。幽霊屋敷が知らない間に大病院に変わったのか、とでも思うような変貌っぷり。死の臭いなんてものとは程遠い。
後から知ったことだが、その頃には既にユリウスとマルスが買い取って約半年が経過していた。半年というと、リルが出てすぐくらいのことだ。
整備された庭で楽しそうに遊ぶ友人を見て、リルはまず――下唇を噛んだ。きっとリルにはどうにかしなければ、という使命感のようなものがあった。この半年の行為がまったくの無駄に思えて悔しかった。自分如きが何かしようがしまいが、結局大人の善意ですべてが無と帰した。
その日は、遠くから孤児院を眺めるだけで、適当に帰った。
まだ、自分に出来ることはある、とその頃は思っていた。相手の資金力を知らなかった。
その後、暫くの間リルはクロノについて世界を飛び回った。稼ぐのに金に執着心のないパートナーとしてクロノが優秀だったのだ。
ある程度稼げるようになって、再び孤児院に向かって、詳しい事情を訊いた。本当は訊く必要もなかった。自分の金なんてここは必要としていないのは、雰囲気から見て明らか。
まあ、それはいい。自分の金が必要ないのなら、それはそれで幸せということだ。
問題はリル自身。元々がここのために出たはずだ。そこに自分の助力はいらないという。戦いが好きなわけじゃない。どこか飛び回るのだってあまり好きではない。ここには自分の友人が多くいる。
では、ここに戻れるか? 答えは否。自分はもう自活出来る。ここは孤児院であっても、自分で生活出来る者を養う場ではない。まだ一人で生活の出来ない子供を支援する場だ。言いかえれば無力な子供を養う場だ。そして自分が無力ではないことをリルは自覚していた。
昔は無力であることが恨めしかったのに、この時ばかりは無力ではないことが恨めしかった。
更に久方振りにあった友人との会話。そこで思い知ったのは、能力の差。何でこんなことも分からないんだろう、と思った。思ってしまった。会話が噛みあわない。たかが一年にも満たない年月で、リルは自分が変わってしまったことを自覚した。
他の全ての事象も、そのどれもが自分の想像とはかけ離れ、無言で、ここはお前のいる場所ではない、と言われているようだった。
無力で無くなったことが、リルから孤児院での生活を、使命感を、完全に打ち砕いた。
何のために自分はやってきたのだろう? 押し寄せる感情がぐちゃぐちゃと混じり合った脳みそで何度自問しても答えは出なかった。
孤児院を出るまでは何とか取り繕ったが、街に戻ったときは足に力が入らずふらふらと街中を彷徨い、やがてまるでクロノと最初に出会った時のように、路地の片隅でへたり込んでしまった。
そしてまた、同じようにクロノと出会った。彼はこちらを心配そうに覗き込んでいた。
なぜその時、自分が立ち上がったのか、リルには分からない。ただ、何となく立ち上がってクロノに向かって倒れこんだ。
きっとクロノには何が起きているのか分からなかっただろう。それを困惑した表情でクロノは受け止め、リルを抱きしめた。
この日、この時、自分の居場所はここにしかないんだと思った。思いこんだ。そして同時に、孤児院という存在が中心から消え、その場にはクロノが居すわることになった。
別にこれは美しいことでもなんでもない。真実の愛とか、そういったものとはきっと縁遠いことだ。簡単に言い換えてしまうならば、失恋で傷心の彼女に優しくした男が掻っ攫っていった。たったそれだけのことだ。自覚するしないに関わらず。
こうして無力な少女は、無力でなくなり、その代償に使命感を失った少女は、新たな拠り所を得た。
これが何でもない少女の、何でもないお話。




