第百四話
トップクラスに長いです
内容はクロノの崩壊と、リルの正妻ポジションの確立?
心理描写苦手
今更ギルドの設定も多め
クロノの精神の完成形は勇者様だと思う。何があってもブレない。完全なる自己の確立をしてる。
アース郊外には、廃墟にしか見えない古ぼけた館が存在する。どうやらどこぞの金持ちが趣味で建てたものらしいが、建築から半世紀ほど経った現在は所有者がおらず、地元の子供たちの遊び場と化していた。
今日も今日とて、子供たちの遊び声が無駄に広い館に木霊する。
ただ一つ、いつもと違ったのは――
今遊んでいる子供たちは、地元の子供などではないことだった。
人相の悪い男の野太い声が、子供たちの無邪気な声を掻き消した。
「お前らうっせぇぇええええええ!!」
ユリウスの声は確実に子供たちの鼓膜に届いたのはずなのだが、依然声が鳴り止む様子はない。
叫んだユリウスの手には、ユリウスの顔を覆うほどに積まれた衣類――もとい洗濯物。どうやらユリウスが今日の洗濯当番らしく、その事で若干イライラしている様子だ。子供たちもなんとなくそれを理解しており、普段なら子供に混じって遊んでいるユリウスから静かにしろなんて言葉が聞こえても、そのせいだろうと思って聞き流す始末。
平日家事をしないんだから休日家事をしろ、とでも言われてる休日の父親のように、慣れない手つきで洗濯物を干していくユリウス。その顔からは毛ほどの不満が見える。
「昨日ついたばっかだってのに…いきなり家事かよ……ちょっとは労われってんだ」
本日の天気はむかつくほどの快晴。絶好の洗濯物日和。
ギール滅亡から丁度、一週間が過ぎていた。
前もって買っておいたこの古ぼけた館を仮の孤児院として、先にヘンリーたちを向かわせていたのだ。
ユリウスがここに着いたのは、つい昨日のこと。正直なところ、疲れていた。
それでも働かせられるとは、自分の孤児院内での立場はどうなっているのだろうか? と気になってしまう。
しかし、ユリウスが一番気になっていることはそれではなかった。
考え事をしている最中洗濯物を落とし、拾い上げる。
気になっているのは、孤児院を設立する前の話。ある意味で、設立のきっかけになったと言える人物。その人物と同名の青年。
「…クロノ…か…」
⇔
その頃孤児院の別の場所――
文句一つつけようがない青空とは正反対の空気を纏った青年は、まるでゾンビのように生気がない顔で、古ぼけた館の庭先に座り、空を仰いでいた。
クロノがこの孤児院の中にいるのには、理由があった。
再び目を覚まして動けるようになってから、すぐにでもここを立ち去ろうとしたのだが――
「おいおい、運んでやったってのに礼の一つもナシかよ」
と、人相の悪い男に言われ、短い礼の言葉と共に礼金を払おうと言うと、それを拒否された。
「それじゃあまるで、金目当てにやったみてえだろうが。気分悪いね」
「じゃあ、何が望みだ?」
「そうだな……暫くここで働いてもらおうか」
「断る」
「お前に拒否権があるとでも?」
「……勝手にしろ……」
そういったようなやりとりがあって、結局期限付きでここで働く羽目になったのだ。
こうなるように仕向けたのは、おそらくリル辺りだろう。何を考えているのかは分からないが、大きなお世話だと言ってやりたい気分だ。
実を言うと、クロノは別の可能性――ユリウスが主導したという可能性も考えてはいたが、どうでもよかったので頭から排除した。
クロノは一目見て、人相の悪い男が、かつて自分をバグラスの街に連れて行った人間であることに気づいていた。そして、あちらもそれを疑っていることに。自分の側と違うのは、イマイチ確信が持てないということだろう。昔の自分と見比べて、髪の色が違うことが最大の要因か。
そこまで解りながらクロノは、その全てを切り捨てる。
どうでもいい話だ。だからといって何か変わるわけではない。
そんなことが、どうでもいい、と思えるほどにクロノの心は疲弊していて、冷え切っていた。
少しして、洗濯を終えたばかりのユリウスがクロノを見つけ声を掛けてきた。
「おい、何休んでるんだ。お前、仕事は?」
クロノにこの日与えられた仕事は、急遽移動させた家具や生活必需品の配置。本棚やベッド、机に椅子と、到底一人で終わる量ではなかったが、クロノはあっさりと言葉を返す。
「終わった」
「嘘つけ。今日一日はかかるだろうが」
「疑うなら勝手に見て来い」
めんどくさそうにクロノが言うと、ユリウスは納得いかないという表情で孤児院へと入っていった。
そしてすぐさま、クロノの元へと戻ってくる。その顔には、驚きといった色が窺えた。
「お前、何した…?」
「何も、普通にやっただけだ」
まったく抑揚のない機械のような声で、端的に告げると、クロノは黒いフードを被りおもむろに立ち上がる。
「今日はもう用がないみたいだから、俺は本業をしに行ってくる」
クロノはそれだけ言って、何かを言いたそうにしているユリウスを無視し、孤児院を後にした。
アース市内
孤児院を出たクロノは、本業――ギルドへと、人混みをものともせずクロノは突き進む――はずだった。
自分でも驚くほど歩くペースが遅い。
原因は分かっている。
――うるさい…。
いつもならば気にならない人の声がやけに響く。耳障りな雑音が心に波風を立てる。道行く人々全員が、現在の状況を何も知らず暢気に笑っているような気がして、心の中の焦燥を駆り立てる。
それらの感情がクロノの歩みを遅めていた。
――うるさい…! うるさい!!
喉の奥がやり場のない怒りを溜め込んでいる。頬に力が入りぴくぴくと震えている。手には血管がくっきりと浮き上がっている。
今すぐにでもこの人間の群れを消し去りたい衝動が湧き上がるも、なぜそんな衝動が湧き上がるのか自分でも分からなかった。
とにかく耳障りで目障り。他の人間が全員愚鈍な豚に見えてしょうがない。
クロノは既に、まともな精神状態ではなかった。そして、自分でもそれを何となく自覚していた。
苛立ちに似た感情を抱きつつ、足早に暑い人混みを駆け抜ける。途中何度か人にぶつかったが、特に問題なくギルドまでたどり着けた。
ギルドの両開きの木製のドアを開くと、肌に感じる異様な熱気。ギルドの中は、大通りを埋め尽くしていた人混みの比ではない。密集し過ぎた多くの男たちによるじめっとした悪臭。まるで豚小屋だ。
その国の首都のギルドというのは、国がギルドに依頼されて建てるもので、本来その大きさや内装の綺麗さで国の権威を示すのだが、この国は一切見栄を張ったりせず、他の国と比べて狭く質素だ。狭いと言っても20坪ほどはあるが、それでも他国に比べれば狭い。
そんな狭いギルドの一階には溢れんばかりの人が、これでもかと敷き詰められていた。
一階には、新規ギルド登録窓口や、依頼掲示板、依頼発注所、報酬受け渡し口などがあり、二階は完全に職員用のスペースとなっている。
報酬は依頼者から直接受け取るタイプと、依頼者がギルドに預けるタイプがあり、後者はギルドで行なわれている。
見ると、登録窓口には本日業務休止の札が置かれている。
大方、難民が増えすぎて職にあぶれた人間たちが、誰でもなれる冒険者になりに来て、ギルドが処理しきれずパンクしたのだろう。困惑の表情を見せる人間が多いところを見るに、ついさっきまでは機能していたらしい。収入の安定しない冒険者は、世間的に見て下級の職業だが、こういう時は手軽になれるので重宝する。強盗にならない辺り、ここにいる人間はまだ上等だろう。
人混みの理由を適当に推察したクロノは、依頼掲示板へと目を向ける。
乱雑に貼られた紙が、本来薄いベージュの壁を覆いつくしている。普段ではありえない量の依頼だ。掲示板の横には、大量の紙の束を持った職員らしき女性がひっきりなしに貼っていっている。
依頼はランク別で掲示板に貼られており、自分のランク以上の依頼は受けられない。
依頼を受ける方法は、掲示板から紙を持っていき、発注所でその紙に書かれた依頼を受けると言うだけだ。そして紙は再び掲示板に貼られる。その繰り返し。
一つの依頼につき、受けれる人数は決まっていて、その人数に達した時点で紙はループを止めることとなる。一人――またはグループが一度に受けられる依頼の数も決まっていて、基本的に三つまでだ。例外も存在するが。
紙がひっきりなしに貼られているということは、それだけ依頼が多いということ。クロノでも一目で分かるほど、アースに流れ込んでいる人間は多い。人が多いということはそれだけ犯罪も起きやすいということだ。職は有限だ。職にあぶれた人間は、どうにかして生計を立てるしかない。たとえ、それが犯罪だとしても。
クロノの推測通り、内容は市内の見回りや犯罪者の確保ばかり。依頼者名のところには、なんだかありふれた名前ばかりが記されているが、おそらく偽名で、依頼者は国だろう。表向きこの国には治安維持組織が存在しないので、急激に悪化した治安を冒険者で補おうといったところか。
クロノは、無数に貼られた紙の中から、一番ランクの高いBランクの依頼を三つほど剥ぎ取って発注所へ。
剥ぎ取った依頼の内容はどれも似通ったもので、条件の欄には漏れなく「生死問わず」と記されていた――。
⇔
赤髪の少女――リルは表面上落ち着きを取り戻し、クロノ同様孤児院に滞在していた。どういうことか、ユリウスに半ば強引にここに引き留められている。クロノも泊められているところを見るに、どうやらユリウスはユリウスで思うところがあるらしい。
ここにいる以上、子供たちに暗い顔を見せることも出来ず、表面上は明るく振舞っているのが現状だ。
「え~ここ教えて」
「ここは4に3かけた後6足して」
尋ねられた問いにすらすらとするリル。
孤児院の中では簡単な教育を行なっている。早めに独り立ちできるようにという、マルスの考えからだ。教育内容は、演算と識字がメイン。その二つさえ出来れば、最悪生きていくのには困らない。
リルは孤児院の中では比較的年長の部類に入るので、たまにここに来ると教える側に回る。決して頭が良いわけではないが、基本的なことはクロノに教わったのでなんとかといった具合だ。
「12…に6……18?」
「うん正解」
いつものクロノとの関係とは真逆で、リルは優しく微笑んで少女の頭を撫でる。
褒められたことが嬉しいのか、少女は頬を紅潮させ次の問題に取り掛かる。
リルはそれを慈愛とすら思うような、優しい表情で見守るのだが――
ふいに教室のドアが力強くノックされ、反射的にそちらを向く。
開かれたドアの先に立っていたのは、素性を知らなければ人攫いかと思うほど人相の悪い男。
「ちょっと訊きたいことがあるんだが、いいか?」
教室から一旦出て、庭先に出たところでユリウスとリルは立ち止まる。
「訊きたいことって、何?」
先ほど少女といたときとは打って変わって、冷淡というより暗い表情と声。
ユリウスは表情の変化に驚くことなく、自分よりも幾分幼い少女に訊く。
「訊きたいのはクロノについてだ」
「私じゃなくて本人に訊いた方がいいと思うよ」
「アイツが答えてくれると思うか?」
「なら、私に訊いたって同じだよ。クロノが喋らないことを、私が喋るわけにはいかないもん」
つっけんどんに答えて会話を終わらせようとするリルに、ユリウスは食い下がる。
「別に、直接素性を尋ねようってわけじゃあない」
「クロノを泊めてることもそうだけど……何かあるの?」
「ちょっと気になることがあってな」
「具体的には?」
「お前が答えてくれるなら、その後で教えてやるけど?」
つまり、先に質問に答えろということらしい。
いよいよ持って不毛な会話に思えてきていたリルは、これ以上の抵抗を諦め、一つ条件を出した。
「いいよ。質問の内容によっては答える」
答えないという選択肢を残しつつ、早く先を話せと目線で促す。
とりあえずの了解を得たことを確認してからユリウスは質問を口にし、リルはすらすらとそれに答えていく。
「まず、お前はクロノとどこで出会った?」
「ギール王都」
「出会った時期は?」
「4年前」
「クロノの現在のランクは?」
「……言えない」
「初めて会った時のクロノの髪の色は?」
「? 当然黒だよ?」
途中、風変わりな質問が飛んできたが、内容はどれも直接クロノの素性に繋がるようなものではない。これで何が分かるのだろうか。
疑問に思うリルに、ユリウスは最後の質問を投げかけた。
「最後だ。お前に会うより前、アイツは誰とどこにいた? 具体的には、7年前アイツがどこにいたか聞いたことはあるか?」
7年――どうやらこれがキーワードらしい。7年前と言えば、自分は未だ孤児院にいた頃だ。聞くところによると、ヘンリーたちが助け出されたのもその時期らしい。
未知のキーワードの出現に、リルは頭の中でヘンリーたちと繋げるも、遠慮して助け出された時のことをそこまで詳しく訊いてこなかったので、イマイチ話が見えない。
「それこそ、私が答えることじゃないよ。たとえ知ってても教えない。本人に――」
言いかけて、リルはふと気づいた。自分の言葉に見える穴に。
「知ってても」
否、何も知らなかった。よく思い返せば、リルはクロノという人間について詳しいことは何も知らなかった。7年前どころではない。どこで生まれ、どの様に育ち、どうして自分を助けたのか。出会ってからも、最初の半年以外はちょくちょく顔を合わす程度で、具体的に何をしていたのかすら知らない。2年前、クロノが僅かに変わったあの頃、何があったのかさえ、知らなかった。
クロノは己をあまり語らない。いつも、自分やカイを立てて悩みを聞いてくれる。家族に関して教えてもらったことと言えば、母親がいるということだけだ。それ以外は、訊けなかった。今考えると自然に、会話の中で一定のこと以上訊かないように誘導されていた気さえした。
突然、今までよく知っていると思っていた人物が、まったく知らない誰かに思えて、リルは妙な悪寒を覚えた。
ただ、悪いのは自分だとも思う。今まで、クロノの深くまで踏み込めなかった自分が悪いのだと。現に、ドラはクロノの過去――特に母親についてある程度知っている節があった。きっとそれは、一番近いドラにだけ話したことなのだ。そして、そこまでの信頼を得られなかったのは他ならぬ自分だ。
自分に抱えた暗い何かを、誰かに知って欲しくて、クロノはドラに話した。そのドラが消えた今、クロノは誰にも理解されず、一人でこの現実を彷徨っている。
リルにも経験はあった。つい最近、ユリウスにぶちまけた感情も、きっと誰かに言いたかった、言って楽になりたかったのだ。
クロノも同じで、誰かが、クロノを知らなければならない。理解しなければならない。何を抱え、今までの人生で何があったのかを。そうしなければ、クロノは自らを閉ざし、誰の手も届かないところまで行ってしまう。時間が解決してくれるなんて、馬鹿げた作り話に頼っても意味はない。
そのためには、今までの立ち位置では駄目だ。守られる立場ではなく、クロノの隣を対等に歩けるようにならないといけない。ドラの様に――とまではいかないとしても。自分は自分なりのやり方で。
同時に少女は完全に自分の想いを自覚する。始まりは、単純な強さに対する憧れだったかもしれない。初めのうちは、憧れと、この感情を勘違いしただけだったかもしれない。
だとしても、今ははっきりと言える。正直に真っ直ぐに、たとえこの先何があったとしても、この想いは揺らがないと。
知らなければならない――ではなく、知りたい。クロノの為ではない、自分の為にクロノのことを知りたい。クロノの全てを知りたい。
そして、最初に知るべきは、今、目の前にあった。
「ねえ、喋ったんだから教えてよ。7年前のこと」
⇔
ボキリ
そんな音がアース市内某所で聞こえた。同時に人が一人倒れた。
ゴキリ
また別の場所で音が聞こえた。同時に人が一人倒れた。
ベキリ ボキリ ゴキリ ゴキョリ
音はひっきりなしに聞こえ、その度に人が倒れていく。一回音がする度に、一人倒れた。
倒れた人間は声を上げずにもがいていて、それまで元気にピンピンしていたのが嘘のようだった。
死体になりかけた人間は、地面に倒れてすぐに、忽然と姿を消した。死体の消失は、まるで始めからそこに人間などいなかったようで、見る者全員に混乱をもたらした。
クロノは手一杯に「荷物」を持ちながら、嫌な臭いのする炎の前にいた。
アース郊外にある山の中腹に築かれた石造りの建造物。
山は休火山で、市内のセントーの温泉は、ここの地下にあるマグマから出来ている火山性温泉が主となっている。麓からは、ところどころ可燃性のガスが噴出しており、一部は立ち入り禁止の立て札が置かれている。
建造物と言っても、屋根はない。周囲を石で囲んでいるだけだ。石に囲まれた中心は窪んでいるのだが、現在は炎によってそれは窺えない。
目の前に燃え盛る炎からは、嗅ぐ全員が嫌悪するような焼けた異臭が漂っている。簡単に言えば、肉が焼ける臭いだ。ただ、牛とか豚の焼ける臭いとは少々違うと、嗅ぐ者全員が分かりそうな異臭。
きっと正体を言えば、多くの人間にとっては嫌な臭いどころか、吐き気のする臭いに様変わりするだろう。
クロノは、燃え盛る炎の前にいる数人の人間の内、一人の人間に声を掛ける。
「ほら次だ」
「………お、おうっ! ちょっ、早い早い! 10分も経ってないですよ」
「知るか。早く確認しろ」
クロノが「荷物」を無造作に放り投げると、声を掛けられた二十代前半と思しき痩せ型の男は、驚きながら「荷物」をマジマジと見つめて、手元の紙を眺める。
「……はい、完了でーす。全員正解。それにしてもよくこんなに簡単に見つけ出せますね」
「…何食わぬ顔して、街に紛れてたからな」
「正直、一人ぐらい間違えて殺すんじゃないかなーって思ってました」
「犯罪者かどうかくらい見れば分かる」
言葉を聞き、感心したように男が口笛を吹き、「荷物」――もとい、犯罪者の死体を全て燃え盛る炎へと放り込んだ。
炎の中で燃えているのは、他ならぬ人間だ。人間の焼ける臭いというのは、特有の脂のせいなのか、精神的なせいなのか、何か嫌な臭いがする。
この国では、死体の処理、埋葬方法として火葬が一般化している。行き倒れの死体があると、そのまま放置していても腐るだけなので、ここ――火葬場へと運ばれる。埋葬する場合は、燃えた後しっかりと取り出せるように容器に入れて、個別に燃やすのだが、処理の場合は見境なく炎に放り込んで灰になるまで燃やすことになっている。
「次の依頼をよこせ」
「はいどうぞー」
無愛想なクロノに、男は軽い調子で紙を五つほど渡す。全てが依頼書だ。内容は全て生死問わず。手配書には、相手が何をしたかまで、克明に記されている。並ぶ、窃盗、強盗、強姦、殺人の文字。見飽き過ぎて、文字がゲシュタルト崩壊しそうだ。
始めのうちは、こことギルドと街を移動していたのだが、次第にめんどくさくなり、ギルドに直接直談判した結果、職員の男が火葬場で死体を確認し、依頼書も男から受け取るという現状に落ち着いた。ついでに三つの制限も外して貰った。一度に多くやった方が効率がいい。
早速次へと向かおうとするクロノに、職員の男が下らないことを訊いた。
「それにしても、アレどうやって殺してるんですか? 血もついてませんし」
死体にもクロノにも血がついていないことを疑問に思ったらしい。
「……街中で血を派手に噴出させるわけにもいかないだろ…」
「だからその方法……って、おーい?」
男が言いかけたときには既に、クロノの姿はそこになかった。
アース市内
陽が傾き、地平線の向こうへと消えかける。消えかけの太陽から零れた茜色の陽射しが、アース全体を染め上げていた。
その頃になってもクロノは足を止めない。人の群れの中を縫うように駆けていく。
一人、手配書の人間を見つけ――握った。
ボキリ
枝が折れる音に似た、骨が砕ける音が聞こえた。
人が倒れると同時に、クロノはそれを抱え再び疾走する。
やったことは単純だ。首を握った。力が強すぎて首の骨が折れた。ただ、それだけ。
窒息ではない。正確には――クロノはうまく、相手の首を絞めながら窒息させることが出来ない。素手で殺す時はどうしても力が入り、レベルが自然と最低3まで上がる。そのレベルになると半分以下の力で握っても、相手の骨が折れてしまうのだ。逆に、本気でやれば首ごと上を千切ってしまう。
また一人、見つけて首を握った。
時間にして僅か、秒にすら満たないくらいではあるが、感触はある。硬い骨。生温かい体温。喉を走る、波打つ血管の鼓動。生きているのだと分かる。そして自分がそれを殺しているのだと分かる。
殺すたびに、自分から何かが無くなっていく。亡くなっていく。それでもクロノは手を止めない。
一人握った。一人握った。握った。握った。握った。握った握った握った握った握った握っ握っ握握握握握握握握握握握握握握握握握握―――――――
50を殺した辺りで、完全に夜の帳が下りて、職員の都合により次で最後ということになった。
最後だからといって、やる事は変わらない。一人、また一人と殺して行くだけだ。
闇の中――宿にあぶれたのか、道端で野宿している人間も多い中で、正確に殺していった。
依頼の紙の束を、殺す度にめくり、次の標的を確認。その繰り返し。
ようやく、紙の束の最後尾にたどり着く。最後に記された名前と顔。並ぶ罪名。
その顔は微かに、確かに見覚えがあって、クロノの精神の崩壊を更に押し進めた。ピシリと、何かにヒビが入った気がした。同時に、よくこんな人間を覚えているなと、無駄に記憶力のいい自分が恨めしく思えた。
少し探すと、その顔は目の前に現れた。服だけで兵士と分かる。どこの? ギールの。
丁度一週間前、王城を出たときに見えた隊列の中にいた人間の一人だった。クロノの人生の中では、モブキャラもいいところの人間。覚えているだけで、クロノの記憶力が賞賛されるくらいだ。
罪名は強盗殺人。大方、職を失ってどうにもならなくなったのだろう。
クロノは一瞬立ち止まって、その姿を見た。
直後。相手もクロノに気づいたらしく、驚いたような顔でクロノを見つめ、すぐにこちらに走ってきた。
そして、先ほどの相手とは打って変わってクロノの胸倉を掴んだ。鬼気迫る表情で、歯軋りをしながら兵士は叫ぶ。
「なんで……!! お前が生きてるんだよ!!」
クロノは何も言い返さない。
兵士は止まらない。今まで溜めた何かを吐き出すように、耳劈く声で叫ぶ。
「お前が逃げたから……俺は、俺の国は……!! あああああぁぁぁぁぁっぁ!!! ふざけんなよ!! 死ねよ!! 死ねええええええ!!!!!」
国なんて言葉で取り繕ったが、彼は今の自分の境遇が許せないようだった。「お前さえいなければ」なんて言葉が垣間見えるようで、殺人を犯すまで自分を堕としたことが、何より耐え難いように見えた。
実際、国が滅んだことについて、クロノを攻めるのはお門違いだ。クロノは精一杯戦ったし、逃げたわけでもない。負傷による離脱と、恐れからの逃走は違う。そもそも、国の戦力ではないクロノに頼らざるを得ない程度の戦力しか持っていなかった国が悪いのだ。
兵士の手は、胸倉から首へ。クロノの首を、力の限り絞めた。奇しくも先ほどまでの人間たちとは、逆の関係。
「死ね…!! 死ねよおおおおおおお!!!」
クロノはこの時、不思議と冷静で、夢の中にいるような意識だった。兵士についても、耳の鼓膜を破りそうな声が五月蝿いな、くらいにしか思っていなかった。
兵士の手を右手で軽く握る。
ベキリ
あっさりと、兵士の手が折れた。いや、手首より上の骨が纏めて砕けた。
「…ア…ッ…ガあああああ!!!」
砕かれた兵士は痛みに耐えかね、耳障りな叫び声を夜の街に響かせる。
クロノはそのまま、呻く兵士の首を掴み、ゆっくりと持ち上げた。
ここで、兵士の眼から怨恨が消え、恐怖へと成り変わる。
「やめろ、やめろ、やめて、、なあやめてくれ。な、あ、やめてくれ? なっ? な、っ?」
生命の危機を感じた兵士は、急激に下手に出て延命を図る。
その様を見て、クロノはほとんど無意識で、表情のない人形のような顔で、短く小さく呟いた。
「醜いなぁ…」
氷よりも冷たい声。眼から眼光は消え、青い瞳さえも黒く染まっているように兵士には見えた。
下手に出ていた兵士は、その眼から言い知れぬ恐怖を覚えて、必死に叫んだ。
「なんだよ……なんだその眼は!! お前は!! 俺の国も家族も殺したくせに、俺の命まで奪うのか!!!?」
それが兵士の最期の言葉。そして、最期に聞いた言葉は――
「黙れクズ」
言うと同時にクロノは、自然とレベルを5まで引き上げ、本気で兵士の首に自分の指をめり込ませた。
血が溢れる。骨は粉になり、皮膚は指に破られ、首と胴体が分かれてしまった。掴んでいない胴体が地面へと落下する。
首からの生温かい血が、クロノの顔にかかり、ようやくクロノの意識を夢のような中から、現実へと引き戻す。
手に持った首を地面に放り投げると、1度バウンドしただけで止まった。
殺した。一週間前まで、味方だった人間を殺した。
だというのに――何も思わなかった。ショックを受けるどころか、だからどうした、という言葉すら浮かんでは来なかった。だからどうした、というのは何か起きたことに対して言う言葉だが、それすら浮かんで来ないということは、今起きたことは自分にとって何かが起きた、と認識すらしていないということ。つまりこれは―――この殺人は話題にする必要もない、まるで呼吸をするようなことだったということだ。
直後。クロノはショックを受けた。人を殺すことにではなく――人を殺してもショックを受けない自分に。つい最近まで、罪悪感はあったはずだ。どれほど薄くてもあったはずだ。それが今はもうない。人間として当然に思うはずの感情がなかった。
そしてクロノは――嗤った。嗤うしかなかった。
「…ハハッ……ハッハッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!! ……何なんだ俺は……何なんだよ俺は!!!!! ……アアアアアアアアアアアアアァァァァァ!!!!」
喉が枯れるほど叫んだクロノは、ガラガラと自分の何かが壊れていく音を感じた。
殺すたびになくなっていたのはきっと、自分の人間性とか道徳心とか、そういうものを全てひっくるめたものだったのだと、初めて気がついた気がした。
「死んだ。死んだ。皆死んだんだよ。なあ、何やってんの俺? 護りたいって思った結果がこれかよ!!!」
この二年、クロノは人を殺し続けた。誰かがやらなければいけないことだと、自分に言い聞かせて、ずっと。
リルやカイには、そんな素振りすら見せず、常に笑って見せた。二人にこんな世界を見せたくはなかった。もしかしたら、カイは紅朱音の血から気づいていたかもしれないが。
正直な話、二人の前で演じるのは疲れた。だからこそ、最近はリルを避けていたのかもしれない。
二年で受けた依頼は、盗賊団壊滅だけで優に百を超え、殺した人間は千を超えた。百を殺した辺りで、まともな躊躇いが消えた。五百を殺す辺りになって、殺した数を数えるのを止めた。今では、どの程度の力で、どうやれば、どんな風に死ぬか、そんなことばかり詳しくなった。
そんな退廃した生活の中で、それでもクロノが最低限の精神を保てたのは、きっと、一人ではなかったからだ。
常に隣に誰かがいた。何でも――とは言わない。互いに隠すこともあったけれど、確かに言い合える―――理解してくれる誰かがいた。
彼はクロノにとって、最低限の精神を保たせるストッパーのようなものだったのだ。
生存の代償として、そのストッパーを失った今、精神は歯止めを失い、どこまでも―――どこまでも―――壊れかけていた。
Q.俺はなんですか
A.主人公です。物語の最後まで死なないのも補正です。
クロノを豆腐メンタルって言ったけど、家で虐待の後、追い出されて、自分の身代わりに女の子死んで、育ての母親を殺して、自分の身代わりで親友が死んで、負けたせいで国が滅んで、こんな人生、自分だったらうつ病で死ぬね。
実はクロノはメンタルが強いのではないだろうか。




