第百三話
また主人公出てこない。
ギール帝国の滅亡は瞬く間に大陸へと広まり、楽観視していた人々でさえも今回の事態は危惧せざる負えないという認識がようやく広まりつつあった。
そして人々は、今更のことながら、とある二つの国へと洪水のように流れ込む。
一つは戦勝国であるレオンハルト王国。
戦勝国であれば一応は安全だろうという考え。国民になるには多額の税金を払わなければならない上、見計らったように金額が引き上げられており、行くのは一種の上流階級たちだけだ。
その他はというと、先にあげた国とはまったく正反対の、来るものは拒まず去るものは追わずといった体のシュガー神聖国へ。
他国にはまだシュガーより大きな国はある。それでも人々がシュガーを選ぶのは、一重に歴史からだ。千年という長きに渡って沈黙を守り、由緒ある国。ここ百年近くは小さな争いすらも起きていない。近くで争いが起きようと、決してこの国まで戦火が及ぶことはない。それが百年も続いている。
最早フィファル大陸の中で、シュガーという国は神聖の名の通り、一種の神聖なる不可侵領域と化していた。
シュガー首都アースにはそんな事情もあり、日に日に人の群れが目に見えて増していた。
決して広くないシュガーの中でも特に人口が集中する首都。正確には測っていないが、見る限りでは通常時の5倍は人がいるように見える。
「人口増加に歯止めがかからんね」
まさに渦中の国の領主は困ったように溜め息を吐く。
続いて領主の館――その中の和室に幼い少女のような声が聞こえる。
「私たちにとっては大歓迎なんだよぅ。ねえ、ユウ君?」
和室の中には座布団が三つ置かれ、三人の人影。皆一様に座布団の上で正座している。
同意を求められた糸目の青年のような男は、柔和な笑みを浮かべたまま求められた通りの回答を返す。
「そうですねえ…。このままだと、仮装大会を行なわずとも例年通りの収益を得られそうです」
宿屋経営と酒場経営の観点から見ると、人口増加は客が増えるということでもあるので、願ってもいない朗報のようだ。
自分の憂鬱を軽くいなされた領主は、少し不満げにそっぽを向いた。
それをフォローするように、ユウは別の視点に立って問題点を提起した。
「ただ……人口の増えすぎは治安の面から見て、悪化が懸念されますね。最近、教育しなければいけない方々が増えてきておりまして、仕事量が激増して大変ですよ」
「にゃはっ! ユウ君の店で暴れるとか有望な自殺志願者だよぅ」
ケラケラと軽い調子で笑うユイを尻目に、ユウは依然柔和な笑みを崩さない。
「ユイさんの方だって、何かしらのトラブルは御有りでしょう? 先日も――」
10歳ほどの少女にしか見えないユイは、いたずらっぽく笑い、人指し指で自分の首をなぞる。
「やだにゃあ…お痛をする子にちょっとお仕置きしただけだよぅ?」
言葉に熱は篭っておらず、字面とは真逆に冷淡な印象を受ける。しかしその顔からはお仕置きの内容が、本来の意味をはるかに超えているであろうことが見て取れた。
ユウはそれを受け流し、不貞腐れているメイに顔を向ける。
「――ということなので、このままの状況が続くと不味いかと」
「すっごい回りくどいフォローされた気がするんやけど、ウチの気のせい?」
「ええ、気のせいですよ。きっと」
「ユウ君って意外とふてぶてしいよね……」
既知の人間の見慣れない一面を見たメイは、馬鹿にされていると感じ取ったのか、再びそっぽを向いた。
「まあ、冗談ですからそんなに拗ねないでください」
こういった場面に慣れているらしく、落ち着いた様子でフォローを入れるユウ。
ジトッとした何か怨むような視線でユウを睨みながら、メイは再び二人へと顔を戻し話題の転換を図る。
「…後でユウ君はお仕置きやね…。ユイちゃん頼んだ。それはいいとして、対策をどうするかっちゅーのが問題なんやけど」
どうやら完全にユウを許したというわけではなさそうだ。直後に聞こえたユイの舌なめずりの音に、ユウは不気味な悪寒を感じて身震いする。
「お仕置きは確定なんですか…。対策…と言ってもこの国は表向き軍事力は居ませんしね…。諜報の「忍」に秘密裏に見回りして貰うしかないでしょう」
「たっのしみぃ、ユウ君をお仕置きとかゾクゾクしちゃう」
完全に関係ないことでテンションが上がり、若干素が垣間見えるユイ。ユウはいよいよ持って身の危険を感じ、縋るように訊いた。
「…やっぱ止めません…?」
直後に返ってくる双子の姉妹かと思うほど息の合った言葉。
「却下」
逃げ道は用意されていないらしい。
自らの生存すら諦めたユウは、悟ったように溜め息を吐いた。
「もういいです。話を戻しましょう」
ここで恍惚の表情から戻ってきたユイが、ようやく意味のある会話に参加する。
「…ユウ君の提案はご尤もだよねぇ。それくらいしか手はないと思うよぅ」
同意の意を示し――
でも、と付け加えて言葉を続ける。
「それはあくまで現在の対処法であって、人口増加の根本的解決にはなってないよねぇ? このまま増え続けたとして、全てを監視出来るかーって言ったら無理だよぅ? 人数には限りがあるんだからさぁ」
考えてみればその通りで、人口が増え続けたとしたら、その分だけ監視人数も増やさなければならず、そこまでの大所帯をこの国は抱えてはいなかった。
黙りこむメイの様子を見て、ユイとユウは密かに視線を交わし、互いに小さく頷いた。
やがてユイが立ち上がって口を開いた。
「つまり、根本的な解決方法は一つなんだよ。このままだと難民が増えるだけだ。何をすればいいのか、本当は分かってるでしょ? 私たちに遠慮しないで言えばいいんだよ。幸いクリョノンは生きてるわけだしさぁ」
ユイからは既に外見通りの少女らしさは消えており、堂々とした大人にすら見える。
ユウもその言葉に無言のまま大きく頷き、同意の意を示す。
しかしメイはそれでも答えない。相変わらず俯き黙り込んだままだ。
業を煮やしたのか、或いは呆れたのか、ユイは大きな溜め息を吐いた。
「いいよ。じゃあ、ユウ君が言ってあげる」
「あれ、そこ僕なんですか?」
「女性に言わせるなんてないよねぇ。本来ならここまでのセリフ、全部ユウ君に言って貰いたいくらいなんだよ?」
渋々といった感じでユウはすっと正座から立ち上がり、メイに向けて極めて優しい言葉で言った。
「『勇者』側との全面戦争をしろ、と命じればいいんですよ」
⇔
アース 昼間
洪水のように押し寄せる人の群れ群れ群れ。それらの進路に統一性は一切無く、ところどころで逆流を起こしているような状態だ。
そんな荒波に揉まれながらも、人目を引くニコニコした銀髪の彼女。その手はしっかりと握られており、ちょっとやそっとのことでは外れないだろう。
「あーうぜぇ。んだよこの人ゴミは」
混みではなくあえて、ゴミと苛立たしげに呟きながら、アレクは人混みの中にいた。右手はアンナの手で塞がっている。
彼が現在目指しているのはとある武具店であるのだが、そこにたどり着けそうにないほどの人混み。
おまけに人混みの中は、人間が密集しているためか異様に暑く、気持ちの悪い汗がじっとりとアレクの身体を伝っていた。
――またセントー入りなおすか…。
朝方アンナと入っては来たのだが、こう汗をかいてはしょうがない。
この国に来て初めて入ったセントーをアレクはなんだかんだ気に入っていた。山の下にあるマグマというものから出来上がっているという説明も含め。斬新で奇怪なものだ。もう一人――アンナはなぜか好きではないらしいが、おそらく熱いお湯が嫌いとかそういった理由だろうと彼は推測している。
セントーに限らず、この国では学ぶことが多い。文化水準が高いとでも言えばいいのか、他の国にはないものばかりで、技術的にも高レベルだ。
移民が多く、様々な文化が入り混じった結果なのだろう。大陸の中にありながら、独自の文化がこの国では発展していた。
遅々として進まない人混みの中で、アレクがぼんやりとこの国の文化について考えていると――
ふいに、奇異の視線を感じた。自分ではなく、後ろのアンナへと。
いつものこと、ではある。滑らかな銀髪、他とは一線模す整ったスタイル。アンナは贔屓目なしに見ても人目を引く容姿だ。
だが、今日の視線はなにか違う。男の劣情の視線ではなく、女の嫉妬の視線でもない。
――驚いてる…?
驚愕といった色が、視線の先にある多くの表情から見えた。そしてその多くは女性によるもの。
――バレた? それはないだろ?
アンナは元貴族だ。この驚きは、あの人がまさかこんなところにいるなんて、というものかもしれないと一瞬考えるもアレクはすぐさま否定する。
ある意味ではアンナは確かに有名だが、こんなに多くの一般人が顔を知っているわけはない。
アンナの家からの追っ手という可能性も吟味してみるが、それならば今すぐにでも目の色を変えて捕まえに来るはずだ。それにここまで数は多くないだろう。
いよいよ持って意味が分からなくなってきたアレクだったが、ここで微かな話声を聞いた。
「朝…あんなんだっけ?」
「なんか違う気が…」
「もっと無愛想だったよね…?」
「猫かぶり…?」
朝、セントー、豹変、無愛想、猫かぶり。浮かんでは消える単語。
これらだけで、彼女たちの驚きの理由がアレクには十分理解出来た。ついでにアンナがセントーを嫌いな理由も。
分かったところで、アンナがセントーを嫌いな理由はセントーのルールのようなものなので、どうしようもない。
終始にこやかな顔のアンナに聞こえないように、アレクは小さく溜め息を吐くのだった。
次回は本当に賢者モードクロノ君をお送りします。
アンナがセントーを嫌いなのは男女別だからです。
他は後々。




