『友として臣下として』
イマイチ
二百年前――彼は王だった。とある大陸の西方に聳え立つ、天に届きそうな霊峰の更に上。雲の中にある龍人の里の王。
彼は強かった。おそらく大半の生物が、見ただけで彼に頭を垂れるくらいには。
側近には美しく聡明な白龍を置き、何不自由なく過ごしていた。
王の決め方は実に単純で、戦って最も強い者が王となるというシンプルなルール。
しかし、彼は戦うことなく王座へとついた。彼が強いことは誰もが知っていたからだ。万が一本気で戦われては、里が崩壊しかねない。
王と言っても特にやることはなかった。食糧は里で自給自足出来るし、わざわざ他の種族が攻めてくることはない。そんなことは自殺行為だ。だからといってこちらから攻めることもない。
結局、何もやることなく怠惰に過ごしていた。好きな時間に寝て、好きな時間に食う。
それが就任して百年ほど――二百数年前から三百年前の話。
そんな怠惰な日常に転機が訪れたのは、二百年ほど前の話だった。
時を経て、人間の文化が次第にいくつか入ってきた。里の人間はそれに夢中になったりした。
実のところ、彼は人間があまり好きではなかった。一度下界に下りた時、人間が何だか魔物だとか言って、いきなり襲ってきたことがあった。自分から喧嘩を売ってきたくせに、彼らはまるで自分が正義であるかのようで鼻についた。食べてみても不味い。食糧としても価値はない。
調べてみると、どうやら龍人という種族は人間から見たら他の下等生物と同じ、魔物にカテゴライズされるらしい。実に失礼な話だと思った。そんなものと一緒にするなと言ってやりたくなった。
脆弱な存在の癖に力の差を弁えない愚か者。それが彼の認識だった。
まあ、文化というか、人間の造ったものにはいくつか役立ちそうなものもあったので、それはまだよかった。
問題は文化だ。特に議会制という文化。
国の方針は一個人によって決められるものではなく、何をするにも大勢の民に選ばれた庶民や貴族の承認が必要という実にめんどくさい制度。民主制とかいうふざけた文化。
それに毒された弱い龍人は、声高にそれを叫び始めた。少なくともそれは彼の眼には弱い龍人にしか見えなかった。彼の考えの根底には、王は絶対の存在で、王に成りたければ力づくで奪え、というのがあった。それが里のルールだった。
最初は無視していた。所詮弱者の戯言だと。
だが、彼の意に反して徐々に気運は高まっていく。元々人間に詳しかった側近の白龍も、そちら側の主張をしはじめた。
当然賛成派ばかりではなく、彼と同じ考えの者も多かった。
二分した里。王がいる反対派が若干有利に思えた。
そんな時だった。一部の反対派が秘密裏に工作を行なっていた。彼の預かり知らぬところで。
人間がいたせいでこんなことになったのだから、人間を全て消してこよう。
それは実に短絡的な発想。気に食わない奴がいるから、殴ってこようか、というガキ大将のような暴論だった。しかも、何の解決にもならない。
立案の段階で彼がいたら、おそらく止めていただろう。そんなことは無駄だと。だが彼がそれを知ったのは、それが始まった後だった。
反対派の中――特に若く気性の荒い連中が、魔物を従えて下界へと侵攻を始めた。
始めは順調だった。いくつもの国を滅ぼした。彼も、もう始めてしまったのだから、と止めることはしなかった。脆弱な人間に負けることな考えていなかった。
そして、最後に帰ってきたのは――全滅の報せだけ。
その情報は瞬く間に里に広まった。責任の所在として槍玉に挙がったのは、当然反対派のトップであった彼だった。傾いた世論を止めることは出来ず、結局彼が全ての責任を負わされ辞職。
新たに議会制となった里が彼に下したのは、里からの追放という罰。
聞くところによると、白龍は最後まで反対したらしいが、後の祭りだ。庇うならもっと早くしろと言ってやりたい。
彼は怒りに任せて里を壊すことも可能だった。それでもしなかったのは、失意に包まれていたからだ。そんな元気すらもなかった。
それから暫くの時間を彼は覚えていない。何だか夢の中だったような気もする。夢と現実の間を彷徨っているような、曖昧な記憶しかない。探ろうとしても出てこない。人の姿になったり、龍の姿になったりしてフラフラしていたと思う。きっと姿が安定していなかったのは自分の精神状態の問題だったのだろう。度々天衣の霊装を狙って追っ手が来たような気もするが、イマイチ覚えていないということは大したことではなかったらしい。
次の確かな記憶は四年前だ。この頃になると、姿は龍で安定していた。適当な場所に洞窟を掘って、飽きたら別の場所へという流浪人のような生活をしていた。
そこに足を踏み入れた無粋な二人の客人。自分の姿に怯むどころか、瞬く間もなく距離を詰めて斬りかかってきたふざけた女。
実質的な戦闘での敗北はアレが初めてだった。
今更問答無用で襲われることに何か言う気はない。もう慣れたことだった。
敗北は、正直悔しかった。自分が侮っていた人間に、抵抗する間もなく斬られたなんて、笑い話にもならない。
おまけに殺しもせず何を言うかと思えば「私の下につけ」ときた。ふざけてるなと、彼は内心で吐き捨てた。
龍が勝者の下に着くなど、自分のいた時代で完全に終わった風習だ。それに、自分はそんな掟に縛られるような状態ではない。端的に言えば犯罪者だ。従う義理もなかった。
それでも彼が承諾したのは暇だったからだ。単純に暇。それと、この幼い少年について行けば女と再戦の機会もあるだろうと踏んでいた。少年に至ってはスキを見て殺すことも出来る。最悪少年を人質に戦えと脅すことも可能だ。
そう思って彼は、女の下についた。
それからの二年は、今までの生涯で最も充実していて、最も楽しかったと思う。
代理で付いていくことになった少年は、強くて弱くて、一緒にいて楽しかった。生涯で初めて誰かの下についた居心地はそんなに悪いものではなかった。次第に下という感覚はなくなっていき、どちらかと言えば友人という感覚になり始めた。少年の口からもそう言った言葉が聞こえた。
友人だと言ってくれることがたまらなく嬉しかった。
二年も経つと、殺すとかそういう感情は薄れ、完全に友人という感覚になっていた。
だがあくまで自分は臣下というスタンスは崩さない。まだ、この少年は強くて弱いのだ。もっと成長して貰いたかった。
その結果が二年前の村での一件。
自分を恥じた。謝っても謝りきれない。きっと、友人だという感覚を持っていなければこんな感情にはならなかったはずだ。
そして少年の母親の一件。
彼は主従関係を破棄された。好きなとこに行けと言われたが行く宛てはない。
やがて、戻ってきた少年は弱さを捨てていて、誰よりも気高く強く見えた。それでいてどこか脆さを感じた。
それを見て彼は思った。自分のような者は王になど相応しくはなかった。彼こそが本物の王だと。
彼は誓った。
自分は彼に本当の意味で臣下として仕えようと。友人という感覚は心の奥底に捨てて、真の意味で仕えようと。彼が友人として望むならその様に接するが、奥底では臣下として仕えるのだと。あらゆる不幸から災厄から彼を守るのだと。全ては彼の為に。
とっくに彼の心は少年に惹かれていたのだ。二年という僅かな時間で。
自分にけじめをつける為に、彼は少年と戦った。結果は惨敗。それでよかった。
敗北に喜びを感じた。その時点で彼は龍として終わっていたと感じた。
敗北した彼は、今度こそ本当に少年の下についたのだ。
少年といた四年。教えたし教わった。少年からいくつも大切なことを教わったと思う。それらはどれも自分にとって大切なもので、かけがえのないものだ。
本当の名前などもう思い出せない。それでいい。少年が最も呼んだ名前こそが自分の本当の名前だ。
少年と出会ったあの日から自分の一生は始まったのだ。
そして今。彼は目の前の敵と対峙する。敗北すると知っていても。
身体が震えた自分を恥じた。
誓ったはずだ。あらゆる全てから少年を守るのだと。
今がその時であるのだ。




