第一章 -40-
「なんで、コイツ等と揉めてたの?」
まったく進展しない状況にシンは軽く溜め息を吐き、Happy-Go-Luckyのファンの子に
少し柔らかい口調で訊ねた。
「Arrogantのライブが始まる前、小暮先輩達が使ってる教室から出て来た渡瀬さんに
この人達が声を掛けて体育館の裏の方に連れて行ったんです」
三人組に喰って掛かっていた女子はすんなりと口を割った。
「体育館の裏で何してたんだ?」
俺は再び三人組に視線を移した。
「べ、別に何も……」
真ん中の子が目も合わさずに小さな声で言う。
「じゃあ、美穂に何の用があったんだ?」
「……シンと親しいみたいだけど……どんな関係? って訊いただけよ」
右側にいる子も目を合わそうとしていない。
「訊いてどうするつもりだったんだ?」
「どうするって……だから、別に……」
左側のも俯いたまま口を開いた。
「別に何かするつもりもないのに、態々体育館の裏へ連れて行く必要があったのか?
ただ、どんな関係かを訊く程度なら、その場で訊けばいいだろ?」
俺がそう指摘するように言うと三人組はまた黙り込んだ。
「「「……」」」
「だ、だけどっ、別にライブを中止させなきゃいけないような怪我なんて……っ」
しばらくして真ん中の子が焦ったように言った。
「肋骨にひびが入ってるのに?」
俺がそう言うとシンと三人組の顔色が正反対に変化した。
シンは怒りに震えるように赤くなり、三人組は青ざめた。
「そんな……嘘でしょ? あれくらいで……」
右側の子が震えた声で言う。
「“あれくらい”って! やっぱなんかしたんじゃねぇかよっ!」
シンが怒鳴りながら三人に詰め寄る。
「「「っ」」」
ビクッと体を震わせる三人。
「ま、待って、確かに肋骨にひびが入っちゃったけど……私、ステージに立てるよ?
明日も中止になんかしなくても……だから、もうやめてっ」
すると、黙って様子を見ていた美穂がシンを止めた。
「……」
無言のまま美穂の方に振り返るシン。
怒りに満ち溢れていた表情が段々、悲痛な顔に変わる。
「詩音もライブやらないなんて言わないで……?」
美穂はそう言うが、今だって痛いに決まってる。
「……駄目だ。医者にも当分大人しくしてろって言われたばっかだろ?
無理はさせられない」
「「「……」」」
他のメンバー達は黙ったままだった。
本当なら活動休止前の区切りのライブだからやりたい気持ちの方が大きいのだろう。
しかし、かと言って美穂をステージには立たせられない。
「……あんた等が男だったら思いっきりぶん殴ってるところだ。
けど、俺以上にきっとシンの方がそう思ってる。二人にちゃんと謝れよ」
俺はそれだけ言うとその場を後にしようと踵を上げた。
するとHappy-Go-Luckyのファンの子達が俺の背中に向かって叫んだ。
「待って! この人達の所為でライブが中止になったのに、シオンくんは悔しくないのっ?」
「そうよ! 明日で活動休止するのに!」
「なんでそんな簡単にこの人達の事を許せるのっ?」
「ライブの事だって、そんな風に簡単に諦めないでっ?」
(“簡単”……だと?)
「んな訳ねぇだろっ!」
俺が叫ぶように言うとその場の空気が凍りついた。
「俺だって悔しいし、ライブもやりてぇよっ! だけどっ、安静が必要な美穂に無理はさせらんねぇっ!
それに俺だってコイツ等の事を許した訳じゃねぇよっ!
コイツ等に何を言ったって、何をしたって美穂が今すぐ治る訳じゃねぇだろっ!」
そう言い残して再びスタスタと歩き始めると、もう誰も俺を引き止める事はしなかった。
「詩音っ」
だが、しばらくして佐保が追いかけて来た。
「何?」
「なんか……みんなびっくりしてた」
歩く速度を変えない俺に佐保が小走りでついて来る。
「…………」
「……あたしは詩音の気持ちもわかるけど、ファンの気持ちもわかる……。
明日のライブ、渡瀬さん抜きでやるのは……駄目なの?
さっき渡瀬さんも詩音が駄目だって言うなら、それならせめて四人でやってほしいって言ってたよ?」
「……俺達は五人でHappy-Go-Luckyだから。それに美穂がいない分、アレンジを変えなくちゃいけないだろ?」
「今からじゃ間に合わないの?」
「演奏する予定の曲全部を変えようと思ったら間に合わないかもしれないし、
特に美穂の音を前面に出してる曲もあるから難しいと思う」
「他の曲に変えたりとかは……駄目?」
「……俺達はプロじゃないんだ。美穂が辛い思いしてる時にそうまでしてステージに立ちたいだなんて……
とてもじゃないけどそんな気にはなれない」
「じゃあ、プロだったらやるの?」
「それは……」
佐保に言われ、もしこれがプロになっての事ならどうなんだろうか? と考えてみる。
確かにプロだとこういう場合、代わりにサポートメンバーが入ってライブ自体は中止になる事はないだろう。
そうなった時に俺は自分の気持ちを押し殺してステージに立たなきゃいけない。
俺は“プロなんだから”っていう事だけでそれが出来るのか――?
「……出来ないかも」
「でも、それをやるのがプロなんだと思うよ? 詩音、プロになる事も考えてるんでしょ?」
「あぁ……」
「アレンジ変えたりするのも簡単じゃないと思うし、何より詩音の気分が乗らないのもわかる。
でも、あたしはそれ以上にファンとしてライブをやってほしいって思ってる。
それは他のファンの子だって一緒だよ?」
「それは、わかってる……さっきはあんなに怒鳴っちゃったけど」
「詩音の気持ちがわかってて、こんな事を言うのもファンの我が侭だってわかってるの……、
でもね、もしも詩音が本気でプロを目指す気になった時、明日ライブをやらなかったら……、
きっと後悔するんじゃないかな?」
「……っ」
「プロになって、また今回と同じ様にメンバーの誰かが怪我や病気でステージに立つ事が出来なくなった時、
気持ちの切り替えを今日の事が邪魔するんじゃないかなって思うの。
『あの時もファンがライブを楽しみにしていたのをわかってて、やらなかった』っていう思いが
詩音の中で残んないかな……?」
「……そう、だな」
今はまだ漠然と“プロになる事”を考えている。
だけどいざ、チャンスが来てプロになれた時、そしてまた今回と同じ様に誰かが欠けた状態で
ライブをやらなくちゃいけなくなった時――、
“今逃げて明日ライブをやらなかったら、俺は確実に後悔をする”
そう思った。
「詩音?」
ぴたりと足を止めた俺に佐保が不思議そうな顔を向ける。
「……ありがとう、佐保」
「?」
「やるよ、ライブ」
「本当っ?」
「あぁ、でも俺の提案に他のメンバーも納得してくれたらだけど」
「大丈夫、きっと賛成してくれるよっ」
佐保はにっこり笑って言った。
俺はそんな彼女に小さく笑みを返した――。
◆ ◆ ◆
「詩音、ライブやるってホントッ?」
そう言って勢い良く部室に飛び込んで来たのは愛莉だった。
「うん」
佐保に勇気を貰った後、俺は千草に明日のライブ中止の撤回を学祭運営委員にしてくれと電話をした。
そして、その後すぐに部室にメンバーを招集するメールを送ったのだ。
「……天宮さんに言われたから?」
愛莉は俺の隣に腰を掛けて窺うように言った。
「うん、まぁ」
“言われたから”という言い方がちょっと気になったが、実際佐保に言われてライブをやる気になったのは確かだ。
「……」
愛莉は何か言いたそうな顔で俺をじっと見ている。
「……確かにあそこで佐保が追いかけて来てくれなかったらライブをする気にはなれなかったよ?
けど、佐保はあくまでファンの一人としての意見と俺に対しての助言をしてくれただけだから。
それにこのままライブをやらなかったら愛莉達がきっと不完全燃焼で受験に集中出来ないんじゃないかと
思ったからだよ」
「ふーん」
「いや、だから……その“元カノに言われたからなんだ?”みたいな顔やめろよ」
「別にそんな顔してないけど?」
「俺にはそんな顔に見えるけど?」
「じゃあ、やっぱりそうなんじゃないの?」
愛莉はなんだかトゲがある言い方でプイッとそっぽを向いた。
「なんで怒ってんだよ?」
「怒ってない」
とか言いながらムッとしている顔をしているのはどこのどいつだ?
そこへ――、
「「お待たせ~♪」」
千草と美希が一緒に入って来た。
「美穂は? まだシンと一緒だった?」
「美穂ならお兄さんが迎えに来て車で一緒に帰ったよ」
千草が俺の目の前に腰を下ろす。
美穂からのメールの返信がないのは携帯をカバンの中に仕舞っていて、気付いていないのかもしれない。
「そのお兄さん、超イケメンなんだよー♪」
美希はそう言いながら千草の隣に腰を下ろした。
「へぇー」
「しかもね、事情を聞いたお兄さん、美穂に怪我をさせた三人に詰め寄って何て言ったと思うー?」
美希はなんだか楽しそうだ。
「んー、なんだろ? 『うちの妹になんて事をしてくれたんだ!』とか?」
「それがさぁー、口調は老舗の若旦那よろしく『被害届を出した上であなた方にきちんと責任を
取って頂きますのでそのおつもりで』って言って美穂を連れて帰って行ったのぉーっ!
あの三人組ったら一気に顔面蒼白になってさ、超すっきりしたぁー♪」
「うほ♪ 俺もその場面見たかったなぁー♪」
「でも、詩音がライブをやる気になってくれて良かった♪」
千草は嬉しそうに笑った。
愛莉はまだ俺の隣でムスッとしているが、とりあえずミーティングを始める。
「でさ、明日のライブの事なんだけどメールで送ったとおりアレンジを変えてやってみようと思うんだ。
ただ、美穂の音を中心にアレンジしてる曲は外して、さらにどうせ変えるなら思い切って
超ロックな感じでやってみようと思うんだけど、どうかな?」
「そうね……中途半端にただキーボードの音を無くしたようなアレンジにするより、
その方が面白みがあるかも」
美希が頷きながら言う。
「ただ問題は明日の本番までに仕上がるかどうかだけど」
千草は冷静に言う。
「明日はみんな模擬店に出るの?」
すると、ここで拗ねていた愛莉がやっと口を開いた。
「俺は今日の昼に出たから明日は大丈夫」
「あたしも今日の午前中に出たから平気」
「私も」
そう答えた俺達に愛莉は、
「んじゃ、今から選曲し直して明日は朝から本番までアレンジの練り直しをしようっ」
笑みを浮かべながら言った。
「「「おーぅ!」」」
「でさ、今回だけはバンド名は“Happy-Go-Lucky”じゃなくて別の名前で出たいかな」
「うん、美穂がいないんだもん、あたしもその方がいい」
愛莉がそう言うと千草と美希も賛成してくれた。
「それとー……もう一つ我が侭言うなら俺、今回は一曲だけ弾き語りをやりたいんだけど……いいかな?」
「「「弾き語りっ?」」」
「う、うん、駄目かな?」
「駄目じゃないけど、なんでまた突然に?」
すかさず愛莉が突っ込む。
「ま、まぁそのぉー……その方がアレンジし直す曲が少なくなっていいかなぁー? って……」
「相変わらず嘘が下手なヤツ」
精一杯平静を装って吐いた嘘があっさりバレ、愛莉が呆れたように言った。
「……」
「けど、いいんじゃない? 理由はどうあれ、詩音がやりたいって言ってるし、アレンジし直す曲が
減るのも事実だし」
千草が苦笑いしながら言うと美希もクスクス笑いながら頷いていた――。