第一章 -39-
「美穂遅いなー? 何やってんだろ?」
午後四時過ぎ――。
シンのバンド・Arrogantの出番が近づき、野外ステージの前で待ち合わせしていた俺達は
既に美穂以外のメンバーが集合していた。
「まだシンと一緒に楽屋に居るのかな?」
……と、愛莉がシン達が楽屋として使っている教室の窓に目をやる。
しかし、窓にはカーテンが引かれていて中の様子はわからない。
「でも、出番直前まで楽屋に居るかな?」
千草が口を開いた横で心配になった俺は携帯を開いた。
「……あ、もしもし? 美穂?」
美穂の携帯に掛けてみると、しばらくコール音がした後でやっと繋がった。
『……』
「もう少しでシンのライブ始まるぞ? 早く来いよ」
『……』
俺の声に反応を示さない美穂。
「……? おーい、美穂?」
「どうしたの?」
愛莉が怪訝な顔で訊いてきた。
「わかんねぇ。電話には出たんだけど、反応がない」
「「「???」」」
俺の答えに愛莉と千草、美希が首を傾げる。
「おい、美穂?」
『……し、おん……』
俺の呼び掛けにやっと反応した美穂。
だが、その声はとても弱々しく掠れていて、まるで喉から搾り出すかのように発していた。
「美穂っ? おい、どうした?」
『……っ』
何かを言おうしているみたいだが、声にならないようで何も聞こえて来ない。
「美穂、どこにいるんだっ?」
『……た、いいくか……』
「たいいくかん?」
『う、ら……』
「うら? 体育館の裏だな? すぐ行くから待ってろっ」
「何? どうしたのっ?」
携帯を閉じると同時に千草が口を開く。
「よくわかんねぇけど、なんか様子が変なんだ。体育館の裏にいるらしいから行ってみようっ」
「「「うんっ」」」
俺達はよくわからないまま体育館の裏に向かって走り始めた。
ステージの上ではシン達Arrogantのメンバーがセッティングを始めていた――。
「美穂っ」
メンバーと一緒に体育館の裏に行くと美穂が蹲っていた。
俺の声に反応して少しだけ顔を上げる。
「一体、どうしたんだっ?」
彼女は酷い格好をしていた。
いつも綺麗なさらさらストレートの長い髪は乱れていたし、顔には平手打ちでも喰らったかのような痕と、
何度も殴られたのか唇も切れていて血が出ていた。
しかも、突き飛ばされたかコケたかで黒いタイツも破れていて制服も汚れていた。
それに、何故こんな冷たい地面に座り込んだままなのか……?
「大丈夫?」
千草と美希、愛莉が制服に付いた土を払ってやり、ハンカチで唇の血を拭ってやる。
「立てる?」
みんなで美穂を立たせようと手を貸す。
「っ」
だが、美穂がとても痛そうな顔をした。
「どこが痛い? 足?」
俺がそう訊くと美穂は痛みで顔を歪ませたまま首を振った。
「手じゃなさそうだし……、肩?」
美希の問い掛けにも首を横に振って答える美穂。
「美穂、苦しそうだけど……」
愛莉が心配そうに胸の辺りを押さえている美穂の顔を覗き込む。
「……もしかして、胸の辺りを強く打ったりした?」
まさかと思い、そう訊くと美穂はコクンと頷いた。
「まずいな……足でも手でも肩でもなくて立てない程痛みを感じるってなると……肋骨やってる可能性がある。
美希、誰でもいいから先生呼んで来てくれる?
車で病院に連れて行った方がいいかも。それと車は裏門に付けてくれって言って。
正門だとステージから見えるかもしれないから」
今シンにこんな姿の美穂を見せるのはまずい。
そう思った。
「うん、わかった」
そう返事をすると美希はすぐに職員室に向かって走り出した。
それから間もなくしてArrogantのライブが始まり、シンの歌声が俺達の所にも聞こえて来る中、
裏門に横付けされた美穂の担任の車で病院へ向かった――。
◆ ◆ ◆
病院へは俺と愛莉が付き添った。
そして、美穂の診察結果はやはり肋骨にひびが入っていた。
骨折じゃないだけまだマシだけれど、それでも当分は安静にしているようにと言われた。
「千草? 俺」
主治医に診断書を書いて貰っている間、俺は千草に電話した。
『美穂の具合はどう? 大丈夫?』
「やっぱり、肋骨にひびが入ってた。全治一ヶ月程らしい」
『そう……』
「でさ、当分は安静が必要だし……明日のライブ、出演するのやめた方がいいと思うんだ」
『……』
「美穂は多分、無理してでも出たいって言うと思う。けど、あれじゃライブなんて無理だと思うし……、
俺は無理させたくない」
『……そうね』
「だから、学祭の運営委員の方に明日は出演しないって千草から言っておいてくれるかな?」
『うん、わかった……』
千草はライブが出来なくなり、残念そうに返事をした。
「それと……多分、シンのヤツ、美穂の事捜してると思うから適当に上手く誤魔化しといてくれ。
もう少ししたら俺達もそっちに戻るから」
『うん……』
千草との電話を終えると、間もなくして診断書を手に先生と愛莉に付き添われて美穂が俺の所に戻って来た。
処置をして貰い、なんとか歩けるようにはなったようだ。
「……」
美穂は今にも泣きそうな顔をしていた――。
◆ ◆ ◆
学校に戻り、俺達Happy-Go-Luckyのメンバーはとりあえず部室に集合した。
「美穂、何があったんだ? 勝手に転んで勝手に泥まみれになって勝手に肋骨にひびが入った訳じゃないんだろ?」
「……」
美穂は俺が訊いても黙ったまま俯いていた。
……RRRRRR、RRRRRR、RRRRRR……、
すると、間が悪い事に俺の携帯が鳴った。
「……」
着信表示の相手は佐保だった。
今は佐保と話している暇はない。
そう思って終了ボタンを押して電話を切った。
……RRRRRR、RRRRRR、RRRRRR……、
しかし、またすぐに佐保から電話があった。
「???」
(急ぎの用か?)
俺が電話に出られない時、携帯を切った場合、佐保はいつもしばらく時間を置いて掛け直すか
後で俺が掛け直すのを待っていた。
それなのに間を空けずに掛けて来たという事は――。
「もしもし、俺」
『詩音っ? すぐに野外ステージの前に来てっ』
焦った様子の佐保。
「どうしたんだ? 何かあったのか?」
もしかして、また佐保が嫌がらせを受けているのかと思った。
しかし――、
『小暮先輩のファンの子と詩音のファンがケンカしてて、今にも取っ組み合いが始まりそうっ、
お願いっ、すぐ来てっ?』
切羽詰った佐保の声。
「わかった、すぐ行くからっ」
どうしてシンのファンと俺のファンがケンカしているのかすぐには理解出来なかったが、
このままじゃ事態は収束しそうになかったから、とりあえず現場に向かう事にした。
「詩音、どこに行くの?」
「野外ステージ。シン達のファンと俺達のファンがケンカしてるらしい」
千草の問いに早口で答える。
「待って! あたしも行くっ!」
そう言って猛ダッシュで走り始めた俺の後をついて来たのは愛莉だった。
その後ろを千草と美希、美穂もついて来ている。
「佐保、一体どういう事なんだ?」
野外ステージの近くに行くと、二つの集団を遠巻きに見つめている佐保を見つけた。
「わかんない……千賀と一緒に小暮先輩のライブを観てて、終わった後に学祭の運営委員から
明日のHappy-Go-Luckyのライブがメンバーの怪我で中止になったってアナウンスがあって……、
そしたら、いつもHappy-Go-Luckyのライブに来てる子が小暮先輩のライブを最前列で観てた子に
何か文句を言い始めて……」
そう言って佐保は野外ステージの真ん前で何か言い争いをしている集団に視線を移した。
ちなみに彼女が言った“千賀”とは彼女の親友・花本さんの事だ。
「ねぇ、ホントに明日のライブは中止なの?」
「……あぁ……てか、どんな風に文句を言ってた?」
「なんかね、『あんた達が渡瀬さんに怪我をさせたから明日のライブが中止になったんじゃないの?』とかなんとか……」
「っ!?」
佐保の言葉を聞いて俺は自分の予感が正しかったんだと確信した。
なんとなく、佐保が俺のファンに苛められていたように美穂もまたシンのファンに何かされたんじゃないかとは思っていた。
「詩音っ」
すると、そこへシンが現れた。
「美穂は?」
「……」
開口一番、そう言ったシンに俺はすぐに答える事が出来なかった。
すると、そこへ他のメンバーに付き添われて美穂が現れた。
「美穂?」
シンは美穂の姿を一目見て眉根を寄せた。
それもそのはず、髪や制服の汚れ、タイツもはき替えたと言っても口元に貼られた絆創膏や
俺以外のメンバー全員が美穂に付き添っていればいくらなんでも不審に思うはずだ。
「……」
「……」
しばし、無言で見つめ合うシンと美穂。
だが、美穂は既に目に涙を浮かべている。
野外ステージの前では二つのグループが対立をし、罵倒する声が俺やシン、他のメンパーの耳にも聞こえていた。
「さっき、学祭の運営委員から明日のHappy-Go-Luckyのライブが中止になったってアナウンスがあった。
どういう事だ?」
シンは目の前の美穂を真っ直ぐに捕らえた。
それはまるで『正直に言わない限り、逃がしはしない』という感じだった。
「……」
それでも何も言わずに俯いている美穂。
「……」
シンは美穂が口を開くのを待っているかのように黙っていた。
その間にも続くファン同士の睨み合い。
シンはいくら待っても美穂からは何も訊けないと判断をしたのか、その騒動の方に足を向けた。
「お前等、美穂に何かしたのか?」
ストレートな言い方にシンのファンがその場で硬直する。
「何もしてないのに詩音のファンがこんな風にお前等に対して言うはずがないよな?」
シンは鋭い視線を向けた。
「……待て、シン」
キレかかっているシンに声を掛ける。
「あんた等、なんでうちの学校の女子と揉めてるんだ?」
俺はシンに睨まれ固まっている三人組に詰め寄った。
制服を着ていないという事は他校の子だ。
「な、何よっ、アンタに関係ないじゃないっ。それにさっきからHappy-Go-Luckyのライブが中止になったのは
あたし達の所為みたいに言ってるけど、なんでそんな話になるのよっ?」
真ん中にいる女の子が俺を睨み返す。
「美穂はHappy-Go-Luckyのメンバーだ」
「「「っ」」」
「その様子じゃ知らなかったみたいだな? それと俺もHappy-Go-Luckyのメンバーで、
俺の後ろにいるのはHappy-Go-Luckyのファンの子達。だから関係なくないんだよ」
「「「……」」」
「それで? なんでうちのファンの子と揉めてるんだ?」
「「「……」」」
俺の問いに答えない三人組。
(こっちもダンマリかよ)