第一章 -35-
千草がセッティング完了のサインを袖に居る吉高さんに出すと、客席に流れていたBGMが小さくなり、
代わりに俺達がいつもオープニングに使っているSEが流れ、ステージの幕が上がり始めた。
同時に愛莉がハイハットを刻み、曲が始まる。
幕が上がり切ると前列にはいつも観に来てくれている女の子達の顔が見えた。
Aメロに入ったところで俺にピンスポが当たり、緊張はしているものの歌詞が飛んで歌えない程ではなかった。
最初は二曲続けて演奏をした後にMC。
流石にその頃には俺の緊張も解れてきて客席を見回しながら他には誰が来ているのかなんて観察も出来た。
客席の真ん中あたりに湯川さんと佐保がいて、さらにその後ろにはミヤとその彼女、
そして、中学時代俺と一緒にバンドを組んでいたメンバーと一番後ろのPAブースの前あたりに
シンと東野先輩の姿もあった――。
◆ ◆ ◆
ライブが終わり、メインのバンドの演奏が始まった。
俺達Happy-Go-Luckyのメンバーは特別に二階の照明ブースで観させて貰う事にした。
ここならファンの子達に見つかる事もないからだ。
「ここのバンドはうちの逆で紅一点って、なんか不思議だね」
千草がステージを見つめながら言う。
「あぁ、そうだな」
『God Valley』に出演するのは三回目くらいで女の子のヴォーカル以外は全員男ばっかの大学生バンドだ。
「私達みたいに紅一点の逆バージョンのバンドと一緒になる事って、あんまりないだろうね」
美希もクスッと笑って言う。
「まぁ、ヴォーカルが女の子で他が男ばっかのバンドはその辺にいるけど、俺達みたいに逆パターンは
あんまりいないしなー」
「でも、このバンドのお客さん、あんまり反応よくないね? 演奏は上手いのに」
美穂が不思議そうに言う。
「確かにこの演奏自体は下手じゃないけど、MCが固い感じがするなー」
愛莉は顎に手を当てて言った。
「それなんだよなー、やってる音楽が正統派ロックだからか俺みたいにぶっちゃけたキャラでMCが
出来ないんだろうなー」
俺はいつも“ぶっちゃけキャラ”というか自然体でMCをしている。
中学時代、黒いマニキュアを塗ったりなんかして尖がってた時は格好つけてMCの時もキャラを
崩さずに作っていたけれど、今思えばアレはアレでいい想い出ではあるが“本当の俺”じゃなかったから、
どこか“無理してる感”があって自分でも嫌だった。
だから当然、客席の反応もいいはずはなく。
いつもチケットを買ってくれるのは友達だけだった。
「確かに詩音のMCはなんか聞いてて自然な感じがするよな?」
愛莉はそう言うけれど……だって、俺はいつもMCでは世間話をしてるからそれはそうだろう。
「いつも事前にMCで言う内容を考えてるとか?」
美希に訊かれ、俺は首を横に振って答えた。
「いや、全然考えてない。その時に思いついた事を言ってるだけ」
「だから、飾ってない感じがするんだね?」
「そういうのがいいのかもね?」
「シンは格好良い事ばっかり言ってたけど、それで受けが良かったのはキャラを作り込んでたからなのかな?」
美穂、千草、美希が口々に言う中――、
「でも、あたしは今の自然体でMCをして、キャラを作ってない詩音のヴォーカルのこのバンドが好き」
そう言ったのは愛莉だった。
彼女とは出会いこそは最悪だったけれど、今はお互いそれぞれの秘密……いや、“弱み”を握っていて
他の誰より近い存在になっていた。
「うん……、俺も今のバンドが一番好き」
素直な気持ちを口にすると――、
みんなは柔らかい笑みを返してくれた。
◆ ◆ ◆
メインのバンドのライブが終わった後――、
「準備OK?」
俺は後ろにいるメンバーの方を振り返った。
「「「「OK」」」」
小声で返事をするメンバー。
「んじゃ、作戦通り、表に出たら左に曲がって二番目の角を左、そのままコンビニの前まで真っ直ぐに進んで、
そこを更に左に曲がれば俺ン家のマンションの前に出るはずだ。はぐれるなよ?」
いつもは楽屋口でファンサービスをするところだが、長々とそこに居ると俺ン家のマンションに入るタイミングを
逃す上、家の場所がバレたあげくメンバーだけで打ち上げなんて出来ないと判断した俺達は今回は思い切って
ファンを欺いて、とっとと行方を晦ませる事にしたのだ。
まずは俺が先陣を切って『God Valley』の表口から出た。
他のメンバーもそれに続く。
案の定、ファンはみんな楽屋口に集中していて、表の方には誰も居ない。
俺達はそのまま目の前の曲がり角をスルーして二つ目の曲がり角を左に進んだ。
ここまでは順調。
後はコンビニの前まで一直線に進んで左に曲がるだけ。
「行くぜよっ」
素早い動きでコンビニの前まで行き、すぐに左に曲がって暗証番号を入力してエントランスホールの
自動ドアを開ける。
自動ドアが開いたと同時にみんなエントランスホールに駆け込んで、エレベータにダッシュして
“ミッション”完了。
なかなかスリリングな移動だった。
「みんな今頃、詩音の事、捜してるだろうね~?」
と、美穂が言った瞬間――、
……RRRRR、RRRRR、RRRRR……、
俺の携帯が鳴った。
「お? シンだ。もしもーし」
『おぅ、俺。みんないないけど、どこにいるんだ?』
「俺ン家」
『すぐ戻って来る?』
「いや、戻んない」
『んじゃ、俺もそっちに行っていい? 話したい事があるんだ』
「OK、OK」
(話したい事ってなんだろ?)
「シン、なんだって?」
電話を切って携帯を閉じると愛莉が一番に訊いてきた。
「今からここに来るって。俺に話があるぽ」
「なんの話?」
今度は美穂が俺に訊ねる。
「さぁ? なんだろ? 俺にも見当がつかないけど」
シンが俺にわざわざ会いに来る理由はわからないが、とりあえずみんなと一緒に家の中に入る。
「わ、ポテトとコロッケと唐揚げもある~っ」
「しかもこれ、揚げたてじゃない?」
美希と美穂はダイニングテーブルの上に並べてあるフライドポテトとコロッケ、唐揚げに
目を輝かせた。
「さっきお袋が帰って揚げておいてくれたっぽい。後、カレーはビーフカレーと野菜カレーの二種類と
シーザーサラダもあるって言ってた」
「「「「豪華~っ♪」」」」
メンバーはそう言って喜んではいるが……いや、しかしよく考えればカレーとサラダとその他揚げ物だ。
けど、カレーに唐揚げってだけでも俺みたいな男子高生じゃなくても普通にテンションは上がるかな?
そんな事を思っていると――、
エントランスホールからのコール音がした。
シンが来たのだ。
『俺、俺』
“オレオレ詐欺”のような口調でシンが言う。
「あいあい、今開けるー」
インターフォンからエントランスホールの自動ドアのロックを解除して、カレーを温め直しながら
待っていると、しばらくして今度は玄関のインターフォンが鳴った。
(……え?)
しかし、インターフォンのモニターに映っていたのはシンだけじゃなかった。
(東野先輩……っ?)
シンと一緒に来ていたから別にここへも一緒に来る事は不思議じゃない。
けれど俺はてっきりシン一人で来るものだと勝手に決め付けていたからかなり驚いた。
「お? なんかいい匂い。カレー?」
シンはクンクンと鼻を利かせた。
「うん、お袋が打ち上げ用にカレーとその他もろもろ作ってくれたんだ。
シンと先輩も食べるだろ?」
「あぁ、カレーは好きだからお言葉に甘えようかな。姉貴もカレーは好きだろ?」
「うん」
先輩が柔らかい笑みで答える。
そしてシンと先輩を含めた七人で打ち上げが始まった。
「そういえば、シンはどこの大学受けるの?」
「いや、俺、進学はしないんだ」
千草の質問にシンが笑って答える。
「て事は、完全プロ志向?」
美希は驚く事も無く訊ねた。
「あぁ、メンバーも全員そうだし、実はこの間のライブに親父の事務所のスカウトマンが
来てて声を掛けられたんだ」
「それってスカウトされたって事?」
“親父の事務所”というキーワードには反応せずに訊き返した千草。
(親父さんの事、シンから聞いたのかな?)
「あぁ、親父のマネージャーから俺の事を聞いて、どんなもんかとライブを観に来たんだってさ」
「けど、そこで声を掛けてきたって事はプロに値するって評価されたって事でしょ?」
美穂が興味津々で訊く。
「かな」
少し照れた様子のシン。
「じゃ、卒業したらすぐにデビューするの?」
「いや、それはまだわからない。今、メンバーのみんなと親父の事務所に入るかどうか検討中」
千草の質問に答えたシンは意外な事を言った。
「親父さんの事務所は嫌なのか?」
「そう言う訳じゃないけど、実は前にも別のプロダクションの人間から声を掛けられた事があって、
その時はメンバーの親が高校だけはちゃんと卒業しろって言って反対したから、
名刺だけ貰っておいたんだけど……親父は最初に声を掛けてくれた事務所でもいいんじゃないかって
言ってて、ぶっちゃけどっちに入るか迷ってんだ」
「なるほどねー」
「そう言う詩音はどうなんだ? もちろんプロ志向なんだろ?」
シンはさも当たり前のように言った。
「やっぱ、みんなにもそんな風に思われてんのかな?」
「違うのか?」
「愛莉とは、その事についてこの間話したんだけど、まだ完全に『絶対プロになる!』って決めてる訳じゃないんだ。
大学へ行く事も考えてるし、でもバンドはずっと続けたいって思ってる」
「え、そうなの? てか、そんな話いつしたの?」
美穂が驚いたように言う。
「練習の後、二人で帰ってる時にそう言う話題になってさ、俺と愛莉は進学もプロも視野に入れてる。
だから、来年は俺も大学受験はするつもり」
「実はあたしも大学はともかく、プロになる事を考えてるんだよね」
そういったのはリーダーの千草だった。
「私も同じ。大学で栄養学とか勉強したいって言う気持ちもあるけど、プロになる事も諦めてない」
そして美希も同じだった。
「じゃあ、私も♪」
美穂はのほほんとして言った。
「……て、美穂、そんな簡単でいいのかっ」
「いいの、いいの♪」
「てか、詩音もだけど美穂は実家を継がなくていいの?」
千草が唐揚げに手を伸ばしながら言う。
「俺んトコはどっちでもいいって言ってる。プロになりたいなら目指してもいいって言ってるし、
ただ、そうした場合、自分達が隠居する時にはオーナーとして名前だけは貸すようにって。
俺もその事を考えて大学では経済学というか経営学を専攻しようかと思ってるんだ」
「私の家はもうお兄ちゃんが継いでるから全然問題なし」
すると、美穂もそう言ってにっこり笑った。
「美穂ってお兄さんがいたんだ?」
「うん」
美希の質問にもぐもぐとポテトを口に入れながら答える美穂。
「じゃあ、大学行きながらプロを目指すって事でいいんじゃない?」
千草の提案にメンバーみんな頷く。
「まぁ、今の時代、そういう音楽活動のやり方もあるしな」
いかにも行き当たりばったりと言うか、ガツガツとプロを目指していない俺達のやり方に
シンは苦笑いしていた――。