第一章 -2-
「なかなかいい声してるじゃない」
軽く一度曲を通して演奏した後、リーダーの千草が褒めてくれた。
ちょっと嬉しい。
「でも、シンより下手だな」
だが、またしてもあの“小動物女”が余計な一言を言った。
かっちーん。
せっかく機嫌が直りかけていた俺は、その一言にまたムカついた。
「でも、ピッチもずれてないし、声も出てる方だと思うけど?」
しかし、美希も俺に気を遣ってかフォローしてくれている。
「つーか、“シン”て、誰?」
俺がムッとした口調で聞くと、
「あー、うちの元ヴォーカル」
リーダーの千草が答えた。
「もしかして、さっき部室出て行った人?」
「そうそう」
“小動物女”と喧嘩をしていたあの茶髪にピアスの男子生徒だ。
「あの人、なんで抜けたの?」
「なんか、他のバンドに引き抜かれたっぽい。あいつ上手いからねー、いいメンバーが見つかったんじゃない?」
立ち聞きしていたから、だいたいの事はわかっていた。
「だからって、いきなり抜けるのは納得いかねぇ」
“小動物女”はまだ怒りが治まっていないらしい。
「いきなり? なんの前触れもなく?」
「うん、さっき部室に来て、部長にはもう話通したからって、あたし等にも『俺、バンド抜ける』って、
それだけ。だから軽音部も辞めたっぽい」
リーダーの千草は苦笑いしながら言うと、
「まぁ……愛莉、もうシンの事は忘れなよ。こうして新しいヴォーカルも入ったんだし」
膨れっ面の“小動物女”に言った。
確かにいきなり抜けるだなんて言われたら、それは怒るよな。
まぁ、この“小動物”の気持ちもわからないでもない。
しかし……、
「あたしはまだコイツを認めたワケじゃないけど?」
……と、またしても俺の神経を逆撫でするように言いやがった。
「……」
(この女……マジ、むかつくーっ!)
「でもねぇ、愛莉、アイツは確かに歌もギターも上手かったけど、私等の事、どっか見下してるところあったし。
そこ行くと詩音なんて見た目も可愛いし、素直っぽいし、これだけ愛莉に暴言吐かれても聞き流してるんだよ?」
美希が言った事は正確にはちょっと違う。
俺は素直でもないし“小動物”の言う事を聞き流している訳じゃない。
「言い返す勇気がないだけだろ?」
(言い返せないんじゃなくて、言い返さないだけだ!)
「そんなに俺が嫌なら、そのシンて人に戻って来て貰えば?」
「誰があんな奴っ」
「上手いとか下手とかそんなのは練習すればいい事だけど、それ以前に俺自身が気に入らないって言うなら仕方がない。
俺はどうせ穴埋めでとりあえずみたいだし、だったら無理して一緒にやる事もないだろ?
それなら俺は新しいバンドのメンバーが見つかるまで他のバンドの練習を見学させて貰ったり、
一人でギターの練習でもしてるよ」
別に言い返すとかそういうつもりはないが、自分の事を認めようとしていない人間とバンドを組んだって上手くいくはずがない。
そう思って俺は素直な気持ちを言った。
「……」
すると、“小動物女”は黙ってしまった。
(なんだ? 言い返して来ないのか?)
「今日は久しぶりに思いっきり歌えて楽しかった。ありがとう……じゃ、俺今日はもう帰るわ」
これ以上ここにいても、この空気をどうにか出来る自信はない。
後はリーダーである千草がなんとかするだろう。
◆ ◆ ◆
「詩音!」
部室を出て正門に向かって歩いていると、後ろから千草に呼び止められた。
「?」
「……ま、待って……、はぁ、はぁ……」
千草は急いで俺を追い掛けて来てくれたのか、ゼーハー言いながら息を落ち着かせた。
「……詩音、ごめんね」
そして、やっと喋れるようになると俺に謝った。
「愛莉、シンが抜けた事がすごくショックだったんだと思う。
やっといいヴォーカルが入ったって喜んでたから……」
「ふーん」
(それで俺に八つ当たりか?)
「愛莉は悪い子じゃないんだけど、すぐ頭に血が上っちゃうし、あの通り口が悪いでしょ?
だから余計に敵を作っちゃうんだよねー」
(……てか、そんな事言う為にわざわざ追いかけて来たのか?)
「あ、それでね、ヴォーカルの件だけど、あたしも美希も詩音と一緒にやりたいと思ってる」
「でも、小動……愛莉は俺じゃ嫌なんだろ?」
「愛莉も詩音とやりたいと思ってるよ。ただ、あんな事言ったのは今日はシンの事でキレてたから。
だから、ごめん」
「なんでリーダーが謝ってんの?」
(普通、あの“小動物女”が追い掛けて来て謝るトコだろ?)
「詩音には嫌な思いさせちゃったし、でも、それは愛莉だけの所為じゃなくて、もっとちゃんと
愛莉を宥めつかせてから詩音の歌を聴けばよかったかなって。まぁ……リーダーとして」
(宥めつかせるって……アイツは猛獣扱いか?)
「とにかく、みんな詩音とやりたいと思ってるから」
「……うん、わかった」
リーダーは俺がそう返事をするとホッとしたのか、
「それじゃ、また明日ね」
手を振って部室へ戻って行った――。
◆ ◆ ◆
――翌朝。
駅を出て、学校に向かって歩いていると目の前をあの“小動物女”が歩いていた。
(よりにもよって朝からやっかいなのがいるなー)
友達と二人で話しながら歩いている。
昨日とは打って変わって頗る笑顔だ。
きっと機嫌がいいんだろう。
しかし、昨日の今日だし、あまり顔は合わせたくはない。
なるべく気付かれないようにしたいところだが、女の子だからか歩くスピードが遅い所為ですぐに追いついてしまいそうだった。
……かと言って、追いつかない程度のスピードだとどうにもイラつく。
(あぁーっ! もうっ! なんで俺がこんな“小動物女”に合わせて歩かなきゃいけないんだよっ)
そんな事を思いながら歩いていると、
「あ」
……と言う声が聞こえ、顔を上げるとすぐ目の前に“小動物女”がいた。
ごちゃごちゃ考えていた所為で結局追いついてしまったようだ。
「……お、おはよう」
とりあえず普通に言ってみた。
すると意外にも“小動物女”は
「おぅっ、おはよ!」
ニッと笑った。
「愛莉、誰?」
“小動物女”と一緒にいた女の子が俺をちらりと見て言った。
「うちの新しいヴォーカルくん」
(え……新しいって……)
「小暮くん、辞めちゃったの?」
「そーなんだよ、昨日いきなり抜けやがってさー」
「えー、私、小暮くんの歌好きだったのにー」
“小動物女”の友達はシンて奴のファンだったのか、がっかりした様子で言った。
「でも、この新しいヴォーカルくんもなかなかだよ」
「へー、愛莉が小暮くん以外のヴォーカル褒めるのって珍しいね?」
「まぁ、コイツはシンより下手だけど声はいい」
(む……)
「悪かったな」
俺がムッとした顔で言うと“小動物女”の友達は空気を変えるべく――、
「で? この新しいヴォーカルくんはなんて言うの?」
俺の顔を覗き込んだ。
「神谷詩音……です」
思ったより、顔が近くて俺はちょっと引いた。
「へー、詩音くんか……一年生?」
さらに“小動物女”の友達に訊かれ、俺がコクコクと頷くと
「私は湯川美海、愛莉の友達、よろしくね」
……と、にっこり笑った。
そして俺達三人はそのまま学校まで一緒に歩き、正門を潜ったところで“小動物女”と湯川さんは
「「じゃあねー」」
手を振りながら二年生の昇降口の方へ歩いて行った。
◆ ◆ ◆
――放課後。
部室に行くと既に俺のバンドのメンバーが来ていた。
そして何故か俺と同じクラスの女子と部長のヒロも一緒にいた。
「あ」
(なんて名前の子だったっけ?)
その女の子も俺の方に振り向くと同じ様に「……あ」と言った。
どうやらこの子も俺の名前を憶えていないらしい。
まぁ、昨日入学したばっかだしな。
「詩音、知ってる子?」
しばしその子と見つめ合っていると、部長のヒロが俺に言った。
「あ、えーと、同じクラスのー……」
(名前なんだっけ? ホントに憶えてないや)
「渡瀬美穂」
俺がなんとか名前を思い出そうとしていると、その女の子が苦笑いしながら言った。
「ごめん……まだクラス全員の名前憶えてなくってさ」
「いいよ、私も君の名前憶えてないもん」
渡瀬さんは、アハハッと笑った。
(だろうな)
昨日今日と席はまだ出席番号順で座っていて“か行”の俺と“わ行”の彼女とは席が離れている。
だから、まともに話したのも今この瞬間が初めてだ。
お互い名前なんて憶えているはずもない。
「同じクラスなら多少は面識はあるし、ちょうどいいな。美穂、詩音と一緒のバンドになったから」
ヒロはそれだけ言い残し、部室を出て行った。
(ふぁ? 同じバンド?)
「えーと……それで君の名前なんだっけ?」
「あ、神谷詩音」
「神谷くんも軽音部に入ったんだ? 同じバンドになったみたいだから、よろしくね」
神谷くん“も”って事は渡瀬さんも軽音部に入部したのか。
「あぁ……うん、よろしく……て、同じバンド?」
俺がそう言ってメンバーの方に視線をやると、
「キーボードで入ってもらう事になったから」
リーダーの千草がうんうんと首を縦に振った。
「ふーん、そーなんだ」
4 vs 1
女子4 vs 俺
いや、正確には……女子3 + 小動物1 vs 俺
……か?
別にシンとかいう奴みたいに女の子のメンバーが嫌とかではないけれど、男が俺一人と言うのもなんだかなぁ……。