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妖屋の講釈

妖の気配が濃く沈殿した廃屋を後にし、私たちは夕暮れ時の町へと繰り出した。


暮れなずむ江戸の町は、家々から立ち上る夕餉の煙と、どこかから聞こえる豆腐売りの鐘の音が混ざり合い、どこまでも穏やかに見える。だが、先刻までの「百鬼夜行」を目の当たりにした私の目には、その穏やかな景色の裏側に、無数の異形が息を潜めているように感じられてならなかった。


前を行く榊は相変わらずだ。だらしなく着崩した着流しの懐に手を突っ込み、銀のキセルをぷかぷかとふかしている。ゆらりと揺れる紫の煙が、彼の端正すぎる横顔をなぞり、道行く町娘たちが思わず足を止めて振り返る。


対する私は、武家の娘らしく背筋をピンと伸ばし、泥で汚れた着物の裾を気にしながらも、その数歩後ろを必死について歩く。


「……あの、榊さん。さっき仰っていたカマイタチについてですが」


私は、ずっと胸の中にあった疑問をぶつけてみた。


「それの仕業だと、どうしてそんなに簡単に断定できるのですか? 誰もいないのに背中を斬られたとはいえ、見られなかっただけで俊敏な辻斬りだっているかもしれません。それこそ、お役所的な調査も必要では……」


すると、前を歩く偏屈男が、こちらを振り返りもせずに鼻で笑った。


「お役所仕事か。西園寺の野郎に似て、お前さんも随分と型にハマりたがるな、木偶人形。いいか、物事にはすべて道理ってもんがあるんだよ」

「木偶ではありません、雛です! それに、道理って何ですか。あんな不気味な傷跡に道理なんて……」

「あるんだよ、明確な理屈がな。さっきの商人の話、誰もいねえのに斬られた、だが血はほとんど出てねえ。この一点だけで、犯人の正体は絞り込める」


榊は立ち止まり、空中にキセルで円を描いた。まるで、目に見えない理をその場に書き出しているかのような、優雅でいて傲岸な仕草だ。


「いいか、カマイタチってのは本来、一匹でうろつく野良妖怪じゃねえ。三匹一組で動くものなんだ。まず一匹目が突風を起こして標的を転ばせ、二匹目が鋭い爪で標的を切り刻む。そして肝心なのが三匹目だ。こいつが、切り傷の直後に特別な傷薬を塗り込む。この一連の動作が瞬きする間に行われるから、被害者は痛みを感じる暇もなく、血も出ず、後から気づいて『おかしいな、いつ転んだんだっけな』と思うだけで済む。これが、江戸の平明を乱さねえための、あいつらの生態だ」


「……三匹一組。まるで、三位一体の職人技ですね」


「職人ならいいがな。だが、今回の事件はどうだ? 転ばせると斬るまでは機能してるが、肝心の三匹目——癒やす役がいねえ。後始末の薬を塗らねえから、傷口は剥き出しのまま放置される。血は妖力の干渉で一時的に止まっちゃいるが、そのせいで中には厄が溜まり続け、数日後にはドロドロに腐り始める。……客を座らせて料理を出すだけ出して、片付けもせずに店を放り出すアホな飯屋と同じだ。そんな迷惑な店、お前ならどうする?」


「飯屋と一緒にしないでください! 被害者は命に関わる大怪我なんですよ! それに、私なら店主に文句を言って、無理やり掃除させます!」


私が思わず声を荒らげると、榊はめんどくさそうに耳の穴を小指で掻いた。


「声がでけえんだよ。だからお前はなまくらなんだ。感情で怪異を計ろうとするな、無駄だ。……とにかく、カマイタチってのは仲間意識が強え。三匹目が自分の意志で持ち場をサボるとは考えにくい。となれば、何らかの外因で拉致されたか、あるいは別の用途に無理やり転用されてる可能性が高い」

「……拉致? あやかしを、人間が捕まえるのですか?」

「金になると思えば、人間は何だってする。神仏の皮を剥いで小銭に変えるような奴らが掃いて捨てるほどいるのが、この江戸って町だ」


榊の言葉には、かつて寺社奉行所という「権力の中心」で泥臭い実務をこなしてきた者特有の、冷え切った考えが宿っていた。ふと見れば、榊の周囲に、小さな光の粒が浮遊していることに気づく。


「……え、何ですか、その光。火の粉?」

「あぁ、俺が放った人魂ひとだまどもだ。町中に散って、三匹目のイタチが発してる癒やしの残り香を嗅ぎ回らせてる。……が、そいつらが尻尾を掴むのを、鼻提灯作って待ってるほど俺は暇じゃねえんでな」


人魂を放って探している? 口を開けば毒しか吐かないこの男、不遜な態度とは裏腹に、驚くほど手が早い。


ふわりと浮いた人魂の一つが榊の肩に止まり、何事かを囁くように明滅した。榊はそれをうっとうしそうに追い払う。


「……とりあえずここかな」

「心当たりがあるのですか?」

「あぁ。カマイタチの三匹目が分泌する成分は、どんな高価な漢方よりも即効性がある。刀傷を一瞬で塞ぎ、痕も残さねえ神の薬だ。そんなもんを、喉から手が出るほど欲しがる人種は限られてる」

「それは……病を治したい人や、それを使って大儲けしたいお医者様、あるいは……」

「正解だ。なまくらお嬢様の割には、話が早くて助かるぜ」


榊は、江戸でも指折りの大店おおだなが立ち並ぶ大通りへと私を導いた。


夕闇が降りてきた通りの中でも、ひときわ重厚な瓦屋根と、磨き抜かれた看板が目を引く一軒の建物の前で、彼は足を止めた。


「……薬屋。まさか、ここにあると?」

「さてな。だが、ここに居着いてる座敷童とは仲がいいんだ。なにか聞けるかもしれない」


榊はキセルを懐に仕舞い、ニヤリと唇の端を吊り上げた。


「さあ、行くぞ。なまくらお嬢様。お前のその、暑苦しいまでの正義感……多少は交渉の材料として使わせてもらうぜ。……あぁ、あと一つ」

「何ですか?」

「お前、さっきから俺を榊さんと呼んでるが、俺は別に誰のさん付けも求めてねえ。……ま、呼び方は好きにしろ。だが俺のことは、妖屋、で十分だ」

「……言っておきますが、なまくらではありません! それに、私は西園寺雛です。名前で呼んでくださいって、さっきから何度も言ってるじゃありませんか! それに妖屋なんて怪しい呼び方、人前でとてもできませんよ!」


私の必死の抗議を、榊はひらひらと手を振るだけで受け流し、薬屋の暖簾をくぐっていった。


灯り始めた提灯の火が、薬屋の店先を不気味に照らし出している。


ここが、江戸を蝕む「血の出ない辻斬り」事件の、腐った核心なのだろうか。私は仕込み杖を握り直し、毒舌男の背中を追って、その豪華な入り口へと足を踏み入れた。

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