第4話 薬草の匂いと、取引の言葉
扉が閉まった瞬間、外の世界は遠くなった。
足音も怒号も、厚い布を一枚挟んだみたいに鈍る。
代わりに鼻を刺したのは、薬草の匂いだった。
乾いた葉、苦い根、アルコールに近い刺激。
薄暗い部屋の奥で、小さなランプが揺れている。
レイアが息を整えながら、壁際に手をついた。
白い衣の裾は汚れ、手首の紋はまだ淡く光っている。
その光が、ここでも彼女を縛っているのが分かる。
俺は棒を手放さなかった。
扉の前に立つ女――作業着に薬草束。目だけが妙に鋭い。
彼女は俺とレイアを交互に見て、ふっと息を吐いた。
「……想像より静かだね、儀式妨害者」
声は軽いのに、距離感は正確だった。近づきすぎない。離れすぎない。
“慣れている”人間の立ち方だ。
「名は」俺は短く言う。
女は肩をすくめ、薬草束を棚に放り投げた。乾いた音がした。
「ミラ。ミラ・ヴェル」
言い終える前に、彼女は付け足す。
「安心しな。司祭側じゃない。――少なくとも、今はね」
今は。
その一言だけで、彼女が“味方”ではなく“取引相手”だと分かった。
システムの表示が薄く浮かぶ。
候補:ミラ・ヴェル
信頼値:低(暫定)
達成条件:情報交換/利害一致
利害一致。
結局それが、一番安い。
俺は視線を外さずに言った。
「証拠があるって言ったな」
ミラはにやりと笑い、指を一本立てた。
「ある。けど、タダじゃない」
彼女は台の上の木箱を開け、紙束を一枚引き抜く。
紙には細かい線で描かれた紋式が並び、端に役所の印が押されていた。
「これ、街の“ルーン法務院”の写し。表向きは『器登録』の手続き書」
ミラは紙を揺らす。
「でもね、裏がある。登録って言い方が優しいだけで、実態は“譲渡契約”だよ」
レイアが小さく息を呑んだ。
「……譲渡?」
「そう。人の身分を、紙と印で“物”にする」
ミラは平然と言う。平然と言えるくらい、何度も見たんだろう。
「しかもこれは、同意が形式だけで通るように、文言が組まれてる。逃げ道も一応あるけど――普通の子は見つけられない」
俺の頭の中で、システムの解析が重なった。
解析補足:『器』身分の成立要件=形式同意+登録印
解除条件:例外条項(第七码)に存在
第七码。
例外条項。
つまり“穴”はある。
俺はミラを見る。
「お前は、それを知ってる」
「当然」
ミラは紙を箱に戻し、今度は小さな革袋を取り出した。中には黒い粉末。
「それと、もう一つ。儀式の核に使う“定着粉”の実物。これが流通してる証拠でもある」
レイアが震える声で言った。
「それが……私を、結界に……?」
「あなたを“結界にする”ための材料の一部だよ」
ミラは言い切ってから、少しだけ声を柔らかくした。
「ごめん。言い方は悪かった。でも、現実はもっと悪い」
部屋の沈黙が重くなる。
レイアは唇を噛み、視線を落とした。
逃げたくなるのが普通だ。
でも彼女は逃げない。
その強さが、俺の胸を少し痛くした。
俺はゆっくり息を吐く。
「取引の条件は」
ミラは待ってましたとばかりに指を鳴らした。
「二つ」
彼女は机に腰かける。
「一つ。あなたたちが今からやろうとしてること――“器”の運命を壊すことに、私を混ぜろ」
「二つ。あんたのそのシステム。全部じゃなくていい。要点だけ教えて」
レイアが驚いた顔で俺を見る。
ミラは、俺の反応を見て確信したように笑う。
「あるでしょ? あんた、普通じゃない動きしてた。落下の着地、槍の折り方、混乱の作り方。――計算しすぎ」
「それに、司祭長が“法を踏んだ”って言った瞬間、顔が変わった。見えないものを読んでる顔だった」
鋭い。
だが、敵意ではない。好奇心と打算。
システムが小さく警告する。
注意:情報開示はリスクを伴います
推奨:限定開示(原理のみ)
俺は、最短の答えを選ぶ。
「“実利のシステム”だ」
俺は言った。
「倒した数じゃない。解決の仕方を評価する。効率、消費、……それと、余計な被害を減らすほど点が出る」
ミラは目を細めた。
「へえ。珍しいタイプだね。普通は殺すほど伸びるのに」
俺は首を振る。
「だから使う。派手に暴れたら、街が壊れる。レイアも壊れる」
レイアの名前を口にした瞬間、彼女の肩がほんの少しだけ揺れた。
自分が“対象”ではなく“人”として扱われたときの反応だ。
ミラはその様子を見て、少しだけ笑みを消す。
「……なるほど。だから、あんたは悪役になってでもやるわけか」
悪役。
俺に付いた“罪状”が、もう噂になっている。早い。街は早い。
俺は問いを急ぐ。
「例外条項(第七码)って何だ」
ミラは指を二本立てた。
「古い条文。今はほとんど使われない」
「“器の成立は、自由意思の確認を要する”。形式じゃなくて、実質」
「そして“自由意思が侵害されていた”と立証できれば、登録は無効」
立証。
そこが一番高い部分だ。
証拠を集め、味方を作り、裁定の場を用意する。
でも――道は見えた。
レイアが小さく声を出す。
「私、同意した……」
彼女は俯いた。
「みんなのためだって言われて。拒んだら、街が壊れるって……私が悪いって……」
俺はすぐに否定しなかった。
否定したら彼女の痛みを軽く見える。
代わりに、問いを置く。
「誰が、そう言った?」
レイアは迷い、口を開く。
「司祭長が……それと、“法務院”の人も。印を押す前に、部屋に……衛兵がいて……」
ミラが舌打ちした。
「典型。圧力あり、監視あり、同意の自由なし」
彼女は机の引き出しから小さな銀の円盤を出した。
表に細い紋が刻まれている。
「これ、記録盤。音と光の残滓を拾う。完璧じゃないけど、ある程度は“その場の雰囲気”を残せる」
「法務院の控室に行ければ、当時の残りが取れるかもね」
法務院の控室。
つまり、次の目的地が決まった。
システムが即座に反応する。
新規目標:証拠確保(ルーン法務院)
達成報酬:実利ポイント+?/解除条件情報の解放
リスク:追跡強化(罪状による)
レイアが不安げに言う。
「でも、私……追われる。手首の印が……」
俺はその紋を見る。
光が、脈みたいに打っている。
位置情報のようにも見える。――もしそうなら、法務院に行く前に対策が要る。
ミラが俺の視線に気づき、軽く指を振った。
「その印、完全には消せない。でも“鈍らせる”方法はある」
彼女は棚から薬瓶を取り出した。濃い緑色の液体。
「皮膚の表層を一時的に麻痺させて、紋の発光を抑える。痛いよ」
レイアが身構える。
それでも、彼女は瓶を見てから、俺を見た。
「……やる」
小さい声なのに、揺れていない。
「私、もう……決めたい」
その言葉は、俺の中の何かを少しだけ救った。
俺は頷く。
「やろう。痛みは短い。終わったら、次の一手だ」
ミラは瓶の栓を抜き、布に液体を垂らした。
部屋に苦い匂いが広がる。
レイアは袖をまくり、震える手首を差し出す。
紋が光っている。まるで“離すな”と叫んでいるみたいに。
ミラが布を当てた瞬間――
レイアが息を止めた。
痛みで目が潤む。
それでも声を上げない。唇を噛んで耐える。
俺は、ただ見ているわけにはいかなかった。
「レイア」
俺は低く呼ぶ。
「終わったら、必ず言ってくれ。君が何を望むか」
レイアは一瞬だけ俺を見て、苦しそうに笑った。
「……望んで、いいの?」
「いい」
俺は即答した。
「望む権利がある。……器じゃないんだから」
ミラが鼻で笑う。
「臭い台詞」
でもその声は、少しだけ柔らかかった。
そのとき、外で再び笛が鳴った。
今度は近い。探してる。ここも範囲に入った。
ミラがランプを消し、闇が部屋を飲み込む。
「よし。隠れる時間は終わり」
彼女は囁く。
「これからは動く。法務院へ。――証拠を取りに行く」
暗闇の中で、システムの文字が赤く瞬いた。
《反作用:第二段階 接近》
周囲の敵意:上昇中
推奨:出口の選択(裏道)
俺は棒を握り直す。
棒のほうが速い。
でも、今必要なのは速さだけじゃない。
――正しい順番だ。
俺はミラを見る。
「裏道は?」
ミラは闇の中で笑った。
「任せな。こういう時のために、街には“隙間”がある」
レイアの手首の紋は、さっきより弱く光っていた。
まだ消えていない。けど、確かに――鈍っている。
その小さな変化が、希望に見えた。
扉が静かに開く。
冷たい夜気が流れ込む。
そして俺たちは、街の“仕組み”の内側へ踏み出した。
(つづく)




