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花菖蒲殺人事件(左金吾花捕物控)時代小説  作者: 近江守満久
第一章 はじまりは日常から
9/15

道場では気持ちが焦る

 本日も 父上は朝から千代田御城に登城していた


 左金吾は気が逸るばかりのまま、花菖蒲の盥に不審なところがないか、確認した。

 本日は特に花が切り取られているとかそういうところはなさそうだ。

 よく見ると、他にも花の下から切り取られているものがいくつかあった。父や左金吾が切り取る場合は必ず木札を残しておくが、ないものがいくつもあった。


 いても立ってもいられなくて、左金吾は早々と花菖蒲の世話を下男の繁三に任せて、道場へ稽古に出かけた。


 道場へ着くなり、すでに見所に道場主で師匠である財部兵衛佐がいた。

「おい左金吾や、お前何かあったか」

「いえ・・・」

 左金吾はできるだけ顔色を変えないように心がけた。

「まさかお前、人を斬ったのではなかろうか。しかも、複数人相手にしたであろう・・・」

「・・・」

 左金吾は、それでも平常心を保ちながら、何も言わなかった

 しかしながら、財部兵衛佐という剣客は、恐ろしいものだ。左金吾の様子で昨日の出来事を、まるで見ていたかのように言い当てた。


 今日は、昨日激しく手合わせをした佐久間はいなかった。

 なので、何人かと手合わせをした後、佐々木師範にこっぴどくやられた。もとい、稽古をつけてもらった。


 他の者たちが出仕するなり、屋敷へ帰るなりする時間となった。

 道場が、閑散とした頃合いだった。

 師匠の財部兵衛佐が、ちょっと来なさい、と言って左金吾に自室に来るように伝えた。


 左金吾は井戸端で、稽古の汗を拭い、軽く着替えを済ました後、師匠の財部の居間である部屋に向かった。

そこには、財部と佐々木師範が座っていた。

「お前、一体何をした」

 左金吾は、もうごまかすことができない、と悟った。

「実は・・・」

 左金吾は、昨日あった出来事を述べた。


 屋敷で花菖蒲が盗まれたことから、不審者を追いかけ広尾原までいき、農夫や浪人、はたまた商人風の男たち六人に襲われたこと。そのうち御頭と呼ばれる頭領と思われる男に迫られ、最後に脇差をおられ、ギリギリのところでどこからか駆けつけた別の商人風の男に助けられたこと。自邸の火付盗賊改方の面々がやってきて、その死体等の始末をしたということを伝えた。

 財部は、はあ、ため息をついた。


 佐々木師範は厳しい顔つきだった。

「で、おぬしの身に何が起きている・・・」

 左金吾は、先ほど説明したことをもう一度説明しようとした。

 が、佐々木師範に右手で制されて、

「いや、昨日の顛末ではなく、何が起きているのだ・・・」

「私にもわかりません・・・」

「五人も切り伏せておいて、それはないだろう」

 左金吾に思い当たる節といえば、やはり花菖蒲だ。

「実は、「花菖蒲」が何か関係があるのではないかと思いまして」

「どういうことだ?」

 佐々木師範は、さっぱりわからない、という風に訊ねた。

 そして、左金吾は、師匠の部屋から庭をぼんやり眺めて、その情景を思い出しながら話した。

「最初は、たまたま道場の帰りに、そばを食おう、と思って行った愛宕山下のところで、商家が襲われるところの現場を見まして。覗くと、花菖蒲が一輪花入れに置いてあったんです」

 佐々木師範は無言で先を促した。

 財部兵衛佐は目を閉じている。

 左金吾は二人の様子を見て、先を続けた。

「そこから花菖蒲の事件のことは、なんとなく気になってはいたんです。が、ある時、また事件が起きました。それはちょっと自分では見てなかったんですが、今度は、道場の帰りに茶屋で声をかけられまして…」

こざっぱりとしている例の浪人の男の話をした。

「で、その男が花菖蒲のことについて、お前に問いただしてきたということか」

 佐々木師範は確認をした。

「そして事件は起きた。自宅で花がない花菖蒲のことを見ていると、門前の植木屋三右衛門の生垣から曲者が現れて、それを捕まえようとしてゆっくり男に近づいていると、植木屋の方から娘のお菊が出てきまして。そしてその男と鉢合わせになりました」

ちょっと待った、と言わんばかりに、佐々木は左金吾の話を制して、

「植木屋三右衛門とは、生垣の間を行き来できるのか」と言った。

「はい、父と親方の吉次は昔から花菖蒲の好事家(こうずか)として仲が良く、私の家の庭木の手入れもしてる関係で行き来はできるようになっているんです。どうやらそこから侵入したみたいなんです」

 父は花菖蒲の好事家とは身分の隔たり無く付き合いをするのです、と左金吾は付け加えた。

「そして、その不審者が、吉次の娘と鉢合わせになり、慌てて逃げたと。それを追いかけて、お主は広尾原まで行ったのだな」

「はい」

「うーむ」

 佐々木はうなった。


 財部は、目を閉じていた目を開けて問うた。

「左金吾よ。しかし、お主の力量ならそれくらいの曲者など訳もなかったろうに。なぜそのようなことになったのだ?」

 実は私、恥ずかしながらと言って左金吾は目を伏せた。

「その時、自室にいたので、刀は帯刀しておりませんでした。曲者を追うのが夢中になるあまり、脇差のみで出てしまいました」


 自宅の庭の中なので、曲者など容易に捕らえられると油断しました、と左金吾は平伏した。


「お主は阿呆か…」


 師匠の財部はあきれた。


 左金吾は何にも言えなかった。

「しかし、とは言っても、その頭目は手だれですね。 左金吾をそこまで追い詰めるとなると、相当、腕の立つ奴らだったのでしょう」


 佐々木は師匠の財部にそう同意を求めた。


「まあ、左金吾もそんじょそこらのごろつきではかなわないくらいの力量は持ってるはずじゃ。それがこうまでやられるとな。しかも脇差まで折って」


 財部は思案するように眉間の皺を深めた。


「その頭目はどういう()()()()だったのか」


 佐々木は今度は、左金吾に向き合あい、そう質問した。


 左金吾はその時のことを思い出していた。


「韮山笠を着け、黒装束に同じような黒の野袴をつけておりました。残念ながら顔は覚えておりません」

「おぬしは命のやり取りをした男の顔を覚えていないのか」


 財部は大きく目を見開いて呆れた。


「しかし、先生。よく私が死合をしたということがお分かりになりましたね」


 左金吾は今朝の師匠のひと言に驚いた、という体で言った。


「そんなものは、すぐわかる。人を殺すというのはそれだけのことをしてのけたのだ。お主から殺気がダダ漏れだ」

「普段と異なっていた。私も分かっていたぞ」

 佐々木は師匠に続き、左金吾に伝えた。

 左金吾は二人の師弟がそら恐ろしくなった。


「いいか、左金吾。今回は狙われたから致し方なく人を手にかけた。が、決して自ら剣を抜くでない。今は徳川の御上が始まった頃とは違い、戦国の世ではない。かれこれそこから二百年も経っている。武士の勝敗はすでに剣を抜く前からついてると思え。できることなら、剣を抜かずに済ませ。そのために剣を極める。その頂きに向けて日々努力をしておるのだ」


 佐々木はそう左金吾に伝えた。

「こんな物騒なものを振り回していいという時代ではないのだ。我々剣客は肩身が狭き世になった」と財部は言った。

 はあ、と財部はため息をついた。

「しかし、先生。その韮山笠と黒装束に野袴と出で立ちはおそらく、黒鍬組ですね」

 佐々木師範は黒鍬組をおおよそ知ってるふうであった。

「うむ。そうだろう」

「黒鍬組ですか…」

「なんだ、左金吾は、黒鍬組を知らないのか」

 佐々木は呆れた目を向けた。

「ははは、全く左金吾は世間知らずよの。これだから 二千石の御大身の旗本は。まさに箱入り息子だの」

 財部はそう言って笑った。

 佐々木師範が言うには、黒鍬組とは、江戸市中の土木工事を一手に引き受ける組織で、道の補修から路上の草刈り、石垣などの整備など行うらしい。


 左金吾はむすっとしながらも、続けた。

「そして、実はその現場で私を助けてくれたのは、本所の花屋助六というものでして。その日、例の四谷であったという浪人の男からの、繋ぎをと、ということで、私を探していたようです」

 ちょっと優男と言いますか、背がひょろっとしている割には肉体のがっしりとしたの男でした、と左金吾はその時のことを思い出してそう言った。


「それならここにも訪ねてきたぞ。左金吾が、もうすでに道場を辞した、ということを伝えたら 、そそくさとどこかに行ってしまった。あれはお前を 探していたのか」

 佐々木師範が対応したらしい。

「はい。何でもその浪人の方が、 以前、私と茶屋であった時に、花菖蒲の話をした件で何か言付けがある、ということで、私のもとに来たのです」

「そのものは、 確か本所の花屋弥勒寺門前のだったか、本所菊川町だったかの花屋と名乗っていたな」

 佐々木師範も己のやり取りを思い出した。

「そうか・・・本所のな」

  財部は、特にさしたる風でもなく返事をした。

「して、私は会ってみようと思います。なぜか、そうしてみないとこの事件は解決しないような気がして」

「そうだな。いずれにしても何か手がかりがないと前に進まないだろう」

 佐々木もそれに同意をした。

「しかし、いつもの刻限まではまだ時間がある。左金吾、それでは道場に戻れ。 もちろん道着に着替えてな」

 佐々木師範はにやりとした。

「これからですか」

 うへ!?左金吾は思わず変な声を出した。

「当たり前だ。曲者を見つけて、武士が大刀(だいとう)を忘れていくやつがあるか。その性根からまた鍛え直してやる」


 さらにこの後、佐々木師範にこっぴどく、いや厳しく指導をされたのだった。


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