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花菖蒲殺人事件(左金吾花捕物控)時代小説  作者: 近江守満久
第一章 はじまりは日常から
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父の激怒

「大馬鹿者!!お前は一体、何をやっているのだ!」

 父は、苛立っていた。


 父の執務部屋で、左金吾とは父の配下二人と共に、叱られていた。

 迎えに来てくれた火付盗賊改方・松平織部組の筆頭与力・高木 覚三郎と同心の松井伴五郎も平伏している。

 相変わらず、連続殺人事件の方は、解決の糸口は見えずにいた。

 そして、父は連日登城して、上席の若年寄・京極備前守さまに探索の報告を求められている。

 火付盗賊改方・本役の長谷川さまも同席の上…

「わしは連日、長谷川の後塵を拝し、備前守さまには叱責されるばかり!方や、長谷川は備前守さまや水谷伊勢守さまにお褒めや励ましを頂く事ばかり!」

 こちらは、事件現場に残されていたであろう花の名前も分からずじまいじゃ!と忌々しさを顕にしていた。

 左金吾は平伏して父の怒りが鎮まるのを待った。

 一頻り父が探索の不満をぶちまけた。

 そして、未だ怒りで顔が赤い。

「あの・・・しかし、父上。庭の花菖蒲が…」

 左金吾は恐る恐る顔をちらりと上げて言った。

「庭の花菖蒲なんて、どうでもいい!」

 父にピシャリと言われてしまった。

 再び、額を床に付けた。

「しかし、御組頭さま。若さまは、道すがら襲われた曲者を五人も撃破し、さらにもう一人は腱を切られ、捕縛しております。初陣にしては、かなりお手柄かと」

 同心の松井が、左金吾に同情した。

「大馬鹿者! 殺してどうする! 左金吾は火付盗賊改方の倅なのだ。いかに曲者でも死んでしまえば何も聞き出せない事は分かっておろうが!」

 また、父の怒りが沸々と沸いてきた。手がかりを失くしてしまったことにいらだっているのであろう。

 左金吾はさらに、額を床に着けた。

 松井は藪蛇だったと思い、平伏した。

「わしの手のものが行ったから いいものを。他のものに見つかりでもしたら一体何と心得る! 惨殺死体、それも五人など、前代未聞じゃ。火付盗賊改方が、その場にいなければ大変な事件になっていたところだぞ。聞けば、農夫や 浪人、渡世人など左金吾が手にかけた者たちは身分も色々だったそうだな。ただでさえ、連続殺人事件の探索が手詰まりなところ、余計な仕事を増やした責任は重い!」

 父はピシャリと断罪した。

 もし斬りあいがが私怨と判断されれば、お家断絶。そして、左金吾はもとより織部も切腹を言い渡されてもおかしくない状況であった。


 しかし、火付盗賊改方は、探索において盗賊が刃向かえば切り捨てることも赦されていた。

「殿様、現在、若様が打ち漏らしたという、その手練れの頭目を成瀬どのと高田が追っております」

 筆頭与力の高木が探索の行方を報告した。

「その頭目の人相書きはできたのか?」

 父はさらに確認をした。

「残念ながら、若さまは人に襲われるのも、人を斬るのも初めての事ゆえ、よく覚えておられません・・・」

 高木与力は、しかたがないことです、という風に続けて報告した。

「…」

 父は左金吾を睨見つけた。

「…」

 左金吾も黙った。

 その後の探索も逐一報告せよ、と指示を出して父は部屋を出ていった。

 左金吾は、その連続殺人事件に花菖蒲がなにか関係があることを言いそびれてしまった。



   *         *



「坊ちゃま、何故、この様なことになるのですか!」

 白髪の老人・岡部光右衛門(こうえもん)は、金切り声を上げて言った。この岡部の年は六十過ぎてなお矍鑠としているのだが、左金吾が小さいときから松平織部家の用人を務めている。

「じい、そうは言ってくれるな…」

 左金吾は先ほど、父に小言を言われたばかりでげんなりしていた。

「じいはもう、坊ちゃまのことが心配で、心配で、なりません。何をどのようにやったらあのような、血飛沫が着物に着くのですか」

 岡部は、ことの顛末を詳細に知らされていないせいか、イライラというよりも、心配をして声を荒げていたようだ。

「奥様にも、左金吾が何かに巻き込まれたのかもしれない、と問われました。心配されるといけないので、この事件のことは伏せてあります。せめて、お母上を悲しませるようなことはしないでいただきたい」

 岡部老人は切望するように左金吾へ言った。

 左金吾が生まれる前からずっと織部家の用人をやっている。

 左金吾もこの金切り声をあげている岡部のじいがイライラをしているのではなく、自分の心配をしているということに気づいていた。

「いずれにしても本日は身を清め、早々とおやすみなさいませ」

 そう言って、岡部用人は部屋を出て行った

「やはり 助六の言っていたあの浪人には一度は会わなければいけないか・・・」

 左金吾はひとりごちた。

 殺人現場に残されていた花菖蒲と我が家から盗まれていた花菖蒲。


 何か関係があるのか・・・。


 花菖蒲を盗もうとした男のことを追いかけただけであれだけの目に遭うのだ。

 やぶさかではない事情があるかもしれない、ということを肌で感じてしまった。

 左金吾は身の引き締まる思いがした。


 父上はすでにお休みになられたようだ。

が、役宅の方では父の配下が夜遅くまでバタバタと出入りを繰り返していた。

 左金吾は、寝付きがどうしても悪く、明かりの漏れる役宅の方へそっと様子を伺いに行った。


       *        *


「それで、成瀬どの。その後の探索はいかがであったか」

 火付盗賊改方助役・松平織部組の筆頭与力の高木覚三郎は言った。

「はい、若がおっしゃっていたお頭という呼ばれていた者の足取りを追ったのですが、広尾原からの形跡は、杳として分かりません」

 同じく与力の成瀬善右衛門が困っているように言った。

「もしかしたら、そんなやつはいなかったんじゃないですか」

 陽気にヘラヘラと同心の高田が言った

「しかしなぁ、あれだけのことを若は成し遂げられたんだ。言っていることが事実と異なるということはまずなかろう」

 筆頭与力の高木は腕を組んだまま唸った。

 そこへ同心の松井が「ただいま戻りました」といって詰め所へ現れた。

 一服もせずに、皆の輪に入った。

「その黒装束の侍というのは、足取りはつかめませんでした。が、どうやら、若の斬り合いを助け、農夫を走らせたものが現場にもう一人いたようです」

「どういうことだ? 若はお一人ではなかったのか?」

 成瀬与力は、身を乗りだして松井同心に訊ねた。

「農夫の話によると、こざっぱりとした商人風の男が訪ねてきて、麻布桜田町の松平織部邸へ使いに行くようにと」

 農夫は、その男に小遣いをもらって我々のところへ来たようです、と松井同心は付け加えた。

「うーむ。それでは、そのこざっぱりとした商人風の男も含めて、探索の範囲を広げなくてはならないということか・・・」

 筆頭与力の高木は頭を抱えた。


「とりあえず安藤殿が今、長谷川組のものと内々に情報をすり合わせているところだ。安藤殿が戻ってくれば何かわかることもあるやもしれぬ」

 高木筆頭与力は眉間のしわを深くした。

「それでは引き続き、成瀬どのは、若の関係した暴漢の事件を。安藤どのは、連続殺人事件の方担当していただこうと思う」

 織部家の内用人である岡部どのにも、若をこのように合わせた、悪いやつらをとっとと 捕まえるように、ときつく申し付けられてしまった、と高木筆頭与力はぼやいた。

 そして、続けて、

「探索にかかる経費は、覚書に書き留め、用人の野村どのへ提出するように。今月の月末までには必ずまとめて提出しろとのお達しである」と事務的な連絡事項を伝えた。

 最悪、殿には悪いが連続殺人事件は長谷川組に任せるとして、我々は若の対峙した黒装束のものを追おう、と腕組みしたまま高木筆頭与力は話をまとめた。


 左金吾は、そこまで聞いてすっと自室へ戻った。


 松平織部組の探索は暗礁に乗り上げていた。

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