すれ違い(2)
左金吾は事態を読み込めてなかったが、自分の名前を知らない男に呼ばれた。
商人風の男は何者なのか。
ただ、命の危機は脱した。
足元が震える。
再び間合いを取って、正眼に構えなおした。
脇をあけている。
「お前の地摺りの剣はすでに見切った」
黒装束の韮山笠の男は、にやりと笑った。
「お前はだれだ!」
左金吾は誰何した。
「おぬしの名は、左金吾というのか・・・松平織部の倅か?」
「・・・」
左金吾は答えない。
「むん!」
黒装束の韮山笠の男は、左金吾に対して一閃。
左金吾は、慌てて脇差で受けるも、キンと音がして、折れた。
商人風の男は、しまった!という顔をした。
左金吾は、あの男は、少なくとも敵ではないことを察知した。
そして、商人風の男が、持っている鍋をカンカンと何かでたたき出した。
甲高い鉄を打つ音があたりに響いた。
渋谷川の対岸の天現寺の僧侶たちが、何か何か、と出てきた。
「潮時だ。左金吾、また会おう」
そういって、恐ろしい速さで走って去った。
商人風の男が近づいてきた。
左金吾は警戒を解かなかったが、敵ではないと承知していた。
「間に合ってよかった!初めてお目にかかります。あっしは、花屋助六といいます。さるお方にあなた様を呼んでくるよう申し伝えられて、お捜ししておりました」
左金吾は訝しんだ。
「花菖蒲の事件のことで・・・」
左金吾は、花菖蒲のこと、といわれて少し引っかかった。
「その方、何か知っておるのか?」
助六は左金吾の着物を見た。
左金吾も自分の着物を見た。
血飛沫を受けて、血の匂いもひどい。
渋谷川の対岸で、僧侶たちが、右往左往している。
先ほど、この助六が鳴らした鍋の音の騒動で、何事か、と確認している様子だった。
二人は草むらで座り込んでいた。
「このままじゃ、市中はあるけません。あっしが、近くの農家か何かで、着替えを見繕ってきますから、左金吾さまはどうか、あの木陰の地蔵さまのところで身を潜めてくだせえ」
「おぬし、なぜ私の名前を・・・」
「それも含めて、道すがらお話しますん」。
そういって、助六と名乗った男は、広尾原を渋谷川沿いにすすんだ。
左金吾は、花菖蒲の事件のことも気になり、このままだと屋敷に戻れないため、いったん助六の言う通り、木陰の地蔵に隠れるようにして待った。
対岸の天現寺のまえでは、僧侶たちが落ち着いたらしく、門前にはすでに人影はなかった。
日が伸びてきたので、まだ辺りは明るかった。
ぼんやりと天を仰いでいると、トンビがくるりと回った。
辺りには血臭が漂っている。
脇差を持った手が固まって、動かない。
歯は綻んでいる。
最後に受けた一閃で、途中で折れた。
現実に戻ったような気がした。
斃した相手は5人。
1人目は農夫、2人目は、3人目は、4人目は…
転がってる者たちをみても鮮明には覚えていない。
白刃が迫ることだけが脳裏に焼きついていた。
時間が過ぎていけば、己のしたことが恐ろしくなった。
ピーヒョロロとトンビが鳴く以外、広尾原は静かだった。
助六が戻ってきた。
「左金吾さま、農家から着替えは調達できなかったので、左金吾さまのお屋敷へ遣いを走らせました」
助六は、残念そうに言った。
「それで、大丈夫だったのか?私の屋敷から誰か来れば、そこもとに同行できなくなります」
左金吾は、命を助けて貰ったので、すこし申し訳ない気持ちだった。
「いいや、今日でなくても構いません。こちらも急ぎではあるのですが、こんなことになってしまったので、致し方ありません」
「ところで、私に会いたいというそのお方は、どなたなのか?」
左金吾は、今気になっていることを尋ねた。
「以前、四谷の例の茶屋でお会いしていると思いますが・・・」
助六は、知っているはずです、という顔で答えた。
左金吾は、花菖蒲の件と聞いて、やはり、という顔をした。
「しかし、助六どの」
「あいや、あっしのことは助六と呼んで下せえ」
「では助六。あの着流しの侍はどなたか?」
助六は、少し苦笑いをして、
「大変申し訳ございません。あっしの口からは、お伝えできねえんで。できましたら、直にお尋ねください」
助六は、申し訳なさそうにはしていなかった。
左金吾は、自邸の花菖蒲で命まで狙われたのだから、会わないわけにはいかないだろう、とぼんやりと考えていた。
そうこしているうちに、天現寺の脇の道から、麻布桜田町の屋敷まで呼びに行った農夫と、数名の家人が走ってやってきた。
天現寺の向かいにある橋の袂で、若さまー、若さまー、と呼びながら、探している風だ。
助六は、身をかがめて、
「それでは、あっしはこれで。あの方とお会いになるのは、また四谷の茶屋で道場の帰り時分にお願いします」
できましたら、明日か明後日にでも、といって、去っていった。
左金吾を迎えに来た者たちは、渋谷川の橋を渡って小走りでやってきた。
「おーい、ここだ!」
左金吾はすくっと立ち上がった。
農夫とともに、父の配下が走ってくるのが見えた。




