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花菖蒲殺人事件(左金吾花捕物控)時代小説  作者: 近江守満久
第一章 はじまりは日常から
6/12

すれ違い(1)

前回のあらすじ


左金吾は庭の異変に気付いた。庭の花菖蒲が、知らないうちに切り取られていた。

その異変を気にしつつ、道場へ向かう。

一方、花菖蒲の花入れが現場に残されるという五回目の殺人事件が起きた。

探索にあたっている火付盗賊改方長官・長谷川平蔵は、花菖蒲に詳しい松平織部の倅・左金吾に事情を呼び寄せようと、密偵の助六を使うよう、平蔵配下の与力・佐嶋宣太郎に指示を出す。

左金吾は気になりつつも道場で稽古を終えて、自邸へもどる。

庭先に不審者を見つける。

不審者は、庭に咲く花菖蒲を切り取っていた。

そして、不審者は門前の植木職人の娘・お菊と鉢合わせするも逃走。

その不審者を追いかけて、左金吾は広尾原までやってきた。


登場人物


松平左金吾定朝(まつだいらさきんごさだとも)…火付盗賊改方加役の松平織部定寅の跡継ぎにていまだ部屋住み。父親の影響をうけて「花菖蒲」の栽培をこよなく愛す。後に小普請から書院番、中奥番、西の丸目付となり禁裏附から京都西町奉行にまで出世する番方の能吏。


松平織部定寅(まつだいらおりべさだとら)…久松松平一門の松平織部家五代目当主。老中松平越前守定信の一門。松平越前守と対立する火付盗賊改め方の本役長谷川平蔵のお目付け役として火付け盗賊改め方の加役に任命される。花菖蒲の交配においては右に出るものがいないくらい美しい花々を産み出す能力がある。しかし、性格的には難あり。長いこと寄合旗本だったため、ひねくれていて、面倒くさい。癇癪持ちで、思慮浅く、人を罵ること憚らず。いつも長谷川平蔵の足を引っ張ることを考えているが、失敗ばかり。


長谷川平蔵宣以(はせがわへいぞうのぶため)…ご存知、火付け盗賊改め方の本役(長官)である。若い頃から放蕩三昧だったが父の死去により家督を継ぐ。苛烈な取り締まりで悪人や盗人からは「鬼の平蔵」と異名をとる。しかし、情に厚く庶民には人気。「今大岡」とも言われ政治手腕は見事なまで。妬みもおおく、老中松平定信からは嫌われている。上役の若年寄京極備前守や水谷勝久など理解者も多い。何かにつけて、同役の松平定寅の息子である松平定朝を気に掛けている。


繁三…松平織部家に使える下男。松平定寅の花菖蒲の育種や園芸作業の手伝いをする老爺。左金吾が幼い頃より何かと面倒を見ている。


植吉の吉次…巣鴨の植木職人の棟梁。松平織部家の花菖蒲の噂を聞き付けて出入りする植木屋。普段は主に、武家屋敷の手入れをしている。


お菊…植木屋吉次の娘。おきゃんなところがある。大勢の職人を使う父親の補佐をしている。職人には伝法調で話したりする。草盆栽の師範でもある


火付盗賊改方長谷川組

佐嶋さじま 宣太郎せんたろう…与力。平蔵の父の代から長谷川家との縁が深く、平蔵が火付盗賊改に就任した際、真っ先に呼び寄せられた側近中の側近。平蔵が石川島の人足寄場(更生施設)の設立に奔走していた際、奉行所との連絡や実務の差配を一手に引き受けていた。


花屋助六…平蔵配下の密偵のひとり。花屋になる前は、本所や深川の悪所で打った買った殺るか殺られるかなど、おおよそ悪というものに手を染めていた。本所の銕三郎と名乗っていた平蔵に出会った。今は平蔵の手下として密偵のようなことをしている。平蔵には、弥勒寺門前で花屋を持たしてもらい、花屋の主をしている。

火付盗賊改方の与力、佐嶋宣太郎の依頼を受けた、密偵の助六は、左金吾を平蔵の下へ連れてくるべく、四谷へ向かった。

 先日、助六は平蔵とともに四谷の茶屋で左金吾に会っている。

 正確には、会ったのは、長谷川平蔵御頭だ。

 助六は平蔵に付いていき、平蔵の指示により、あの小僧の家と正体を突き止めていた。

 あの小僧は、平蔵と同じく、火付盗賊改方・松平織部定寅の跡取り、松平左金吾定朝と言うことを。

 為に、助六は左金吾を呼びに行くのに向いていた。

 助六は、まず四谷のいつもの茶屋へ向かった。

「どうやって、左金吾さまを長谷川さまのところへお連れするか、思案しなきゃなあ…」

 助六は考えた。

 そのまま、長谷川さまのところへ、と言ったところで付き従ってくれるかどうか。

 助六は半刻ほどで四谷へ着いた。

 今日は陰から見張るのでなく、堂々と茶屋で待つことにした。

 助六はあの後も、左金吾の事を調べ上げてたので、大体この茶屋に何時ぐらいに現れるか、もっと言えば何処の道場へ通っているのか、など突き詰めていた。

 

 しかし、待てど、左金吾はやってこない。

 団子屋のお婆に、銭を払って、四谷荒木町の左金吾の道場へ向かう事にした。


 道すがら目を凝らして、左金吾とすれ違わないように向かった。

 四谷荒木町の左金吾が通う財部道場へ着いた。

 助六は様子を伺った。

 既に道場は閑散としていた。

 助六は通りから道場を伺っていると、気配もなく後ろから声がかかった。

「なにかご用かな?」

 助六は、はっと振り向いた。

 そこには練習着姿の、助六と同じ頃合いの、背の高い体の締まった剣士が立っていた。

 ここの道場の師範か、道場主か。

「左金吾さまをお呼びに参ったので」

 助六は少し屈んで、助六を呼びに来た使いの体をとった。

 事実、嘘ではない。

「そうか、残念だが左金吾は、本日は帰ったぞ」

「そうですか、それでは…」

 助六は、この剣士に何もかも見透かされている様な気がした。

 慌てて、その場を去った。

 

「左金吾さまは帰られたのか、はたまた、どこかへ行かれたか…」

 あの茶屋へほぼ毎日顔を出すのは、すでに調べ上げている。とは言ってもここのところ、寄らない日もちらほらあるらしい。

 助六は思案するのをやめて、行き先を麻布桜田町のお屋敷へさだめた。

 四谷左門町から甲賀組組屋敷あたりを抜けて丹波篠山藩青山家の脇から、麻布龍土町をぬけると、麻布桜田町だ。

「もし、御屋敷に左金吾さまが、居なければ、そのときはその時だ…」

 助六は、備後福山藩阿部家の下屋敷あたりまで来て独りごちた。

 そこから御書院組組屋敷をぬけると麻布桜田町だ。

 周りには寺が多く、この辺りはほぼ寺町と言ってよい。その寺の門前や間に町人地があり、そこに挟まるようにして松平織部家屋敷がある。

 松平織部家は石高2000石とあって、屋敷の門も大きい。

「以前来た時も思ったが、この半分でも長谷川さまに分けて頂きたい…」

 助六は、呟いた。

 それはそう。

 火付盗賊改方として、獅子奮迅の働きをし、功績を挙げること枚挙にいとまがない長谷川平蔵は400石。

 平蔵の仕事の邪魔ばかりする松平織部は2000石なのだから、助六がそう思うのも無理はない。

 

「なにやら騒々しいな…」

助六が、様子を伺っていると、屋敷内がバタバタとしていた。

そこで、門前の町人地にある植木屋をたずねた。

助六はすかさず、懐から前掛けを出し腰に巻き、小商いをする商人の風体になった。


「ごめんなすって。ちょっとお伺いしますが…」

 奥から返事があり、植木職人が顔を出した。

「以前お伺いしました、本所弥勒寺門前の花屋の助六と申しますが、本日、こちらのお菊さんはいらっしゃいませんか?」

 助六は、以前聞き込みに来たときに名乗った本性を明かした。

「申し訳ありません、いまちょっと立て込んでおりまして」

 植木屋の若い職人が応えた。

「なにかお隣の織部さまの御屋敷でも何かあったご様子ですが…」

 助六は、心配そうな体で聞き込みをした。

「私どもからは、何も申し上げられません」

 助六は、花屋の店先に並べる盆栽や植木などの仕入れの件で相談があった、と言付けてほしいと言い残して、「植木屋三右衛門」を出た。

 その後、麻布桜田町にある店数軒に聞き込みをすると、どうやら、織部家に曲者が侵入し、居合わせた吉次の娘・お菊が襲われ、それを追って若様の左金吾が南部家屋敷方面へ走っていったとのこと。

 助六も、慌てて後を追った。


      *      *

 意外なことに、事件が起きてまだ間もない。

 「うまく行けば、左金吾さまの助太刀が出来るかも知れない」

 助六は、先を急いだ。

「どうせ、この先は広尾原だ。あそこには狸と江戸市中に顔を晒して歩けないものしかいねえ」 

 助六は、花屋になる前は、本所や深川の悪所で打った買った殺るか殺られるかなど、おおよそ悪というものに手を染めていた。そのころ、当時は本所の銕三郎と名乗っていた平蔵に出会った。

 今は平蔵の手下として密偵のようなことをしている。

 平蔵には、弥勒寺門前で花屋を持たしてもらい、花屋の主をしている。

 この頃の花屋はちょうど棒手振りから店を持つものも増えた。『瓶花群載へいかぐんさい』をはじめとする生け花に関する書物がいくつも刊行され、武士や僧侶の嗜みであった立花から、自然な花の姿を活ける事を説いた華道家・古井(ふるい)一花軒(いっかけん)草風(そうふう)の草風流が庶民の間にブームとなっていた。寛政の改革で、松平越中守が進める、質素倹約のため華美な振る舞いを禁ず、とのなかに生花は含まれていなかった。 


 助六が、天現寺の脇から渋谷川に架かる橋を渡ると、潰れた蕎麦屋の店先で、すでに斬り合いが始まっていた。 

「しまった!」

 助六は、慌てて、駆け寄ろうとしたが、こちらも丸腰だ。

 そして、どういうわけか、左金吾も、脇差で斬りあっている。

 そして、1人また1人と斃している。

 全身に血飛沫を浴びながら。

 残りは3人。

 いや、奥に韮山笠を被り黒装束に野袴と言う出で立ちの屈強なる武士がいた。

「黒鍬組?」

 助六は、見ただけでそれが何を意味しているか分かった。

 ところが、助六には懐の護身用の匕首しかない。

 まさか、不利な脇差で斬合いをしているところに、匕首で加勢するわけには行かない。

 かと言って、天現寺あたりまで人を呼びに行くのは、後々左金吾のひいては松平織部家の体面に関わる事態となりかねない。

 左金吾がまた一人斃した。

 残り2人と黒鍬組の男だ。

 商人の体をしたものと浪人風の男だ。

「なにか、なにか加勢をすることはできぬか…」

 助六は焦った。

 しかし、間合いを詰め、茶屋近くの大きな木の陰まで近づいた。

 双方、助六の存在にはまだ気づいていない。

 その間、左金吾は体勢を崩しつつも、もう一人倒した。

 助六はそこから一旦引いて、遠巻きに、そして、気づかれないように潰れた蕎麦屋の裏手に回った。

 

  *      *


 左金吾は、最後の1人の浪人風の男と対峙していた。腕もそろそろ限界だ。

 1人と斬り合うのも、かなり心身ともに擦り減る。

 まして、人生で初めて人を斬った。

 この衝撃は大きい。

 必死で隠しているが、足がゾワゾワして、震えてしまう。

 しかし、この場でやらなければ己が斃される。

「覚悟はとうに決めている」

 左金吾は己に言い聞かした。


「もう限界かな。小僧…」

 浪人風の男がニヤリとして左金吾へ言い放った。

「そう見えますかね…」

 左金吾は、右脇をすうっと空けた。

 浪人風の男は正眼に構えたまま、気力を充実させた。ゆっくりと間合いを詰めてくる。

 左金吾は、動かない。

 悠然としていた。

「むん!」

 浪人は気合を裂帛させた。

 御頭と呼ばれる韮山笠の男は目を細めた。

 浪人が渾身の一閃で振り下ろす。

 左金吾は目を見開き、腰を落とす。

 左金吾は地面を蹴った。そのまま浪人の懐にはいる。

 振り下ろす腕が、下から斬り上げられた。

 地摺りの太刀だ。

「うわ!」

 浪人風の男は片手は切られもう片手は切り飛ばされていた。

「それが来るのは分かっておろうに…」

 御頭は呟いた。

 浪人は切り取られていない手で切り飛ばされた腕を押さえた。

「うわあああ!!」

 そしてその場で崩れた。

 左金吾は、体勢を立て直して、御頭と呼ばれる男と対峙した。

 刀を構えたまま、脇差しに目をやると、すでに多くの刃綻びがあった。

 刹那、白刃が弧を描いて、目の前に迫ってきた。

「甘い!気を抜くな!」

 左金吾が、慌てて避けて、身を地面に転がした。

「死合の間に気を抜くとは、あの世へ行きたいか…」

 御頭は左金吾が立ち上がるのを待った。


 左金吾は、立ち上がり、間合いを取った。

 しかし、間髪入れず、御頭が目の前に入り込む。

 左金吾は慌てて脇差を合わせるのが精一杯。

 そして力で押されている.

 一旦離れるか、押し切るか。

 考えている余裕は微塵もない。

 鍔迫り合い

「ほう…」

 御頭は関心した風につぶやく。

 流石に左金吾は、この状況では気が抜けない。

 足腰に力を入れて踏ん張る。

 しかし、この場で力を抜けば、押し合いのバランスが崩れる。

 気合が充実して、お互い一間後ろに跳び、間合いを取った。

「おぬしは、相当足腰にちからがあるの…」

「…」

 左金吾は答えない。

 御頭という男はさらに問うた。

「そこな、剣術は、一刀流とお見受けいたす…」

 左金吾は、顔の表情がやや動いた。

 刹那、再び御頭の剣が、繰り出される。

 今度は、右に左に、下から、上から。

 左金吾は次々と繰り出される白刃に応えるので目いっぱいだった。


  *     *


 助六はなんとか、蕎麦屋の裏手にまわった。

 中はすでにもぬけの殻だった。

 食べ散らかした弁当や酒瓶があった。

 左金吾が斃した奴たちがここにいたからか。 

 時折、外から刃物の当たる音がした。

 助六は焦った。

 蕎麦屋の中を見渡すと、台所には、錆びた包丁、鍋、心張り棒。

 他に加勢できそうなものはない。

 とにかく、薄く開いた窓からちらりと見ると、劣勢らしい。とそこへ裏口から、もう一人現れた。

「誰だてめえ!」

 助六にどなった。

「お前こそ誰だ!」

 助六も大声で誰何した。

 旅姿をした渡世人風の男が掴みかかってきた。

 助六は横目で窓の外をちらりと回りながら、心張り棒を手に持った。

 男はそのまま、持ってる長脇差(ながどす)を抜いた。

 

 助六と渡世人風の男は狭い蕎麦屋で対峙した。

 助六は 心張り棒を正眼に構えた。

実は助六は、平蔵配下の随一の手練れ・黒塚 治兵衛同心に手ほどきをうけているので、そこそこ護身術くらいはできる。

 そうはいっても、助六は素人。昔、悪だったとしても、そうそう本実の剣と向き合うことはない。

 しかし、ケンカ慣れはしている。


 渡世人風の男は、じりじりと詰め寄ってくる。

 ちらりと薄く開けられている窓の向こう見やると、左金吾は押されている。


 渡世人も刀を正眼に構えた。

 客がそばを食べる机が二人の間にある

 助六は、顔は渡世人にむけつつ、地面を確認した。

 お互い見合ったままじりじりと移動して、広く開けた入り口付近まで来た。

 障害物はなくなった。


 刹那、渡世人の気合が裂ぱくして、切り込んできた。

 心張棒で刀を受けつつ、足元にあった椅子を勢いよく蹴った。

 渡世人の刀は心張棒に食い込んでいる。

 脛に椅子が当たった。

「痛っ!」

 渡世人は体勢を崩した。

 助六は、そこで、心張棒を捨てた。

 すかさず、懐にある匕首で、渡世人の手首と足の腱を切り、窓の外をみた。


 左金吾は切りあって、さらに押されている。

 助六は、匕首の血糊をぬぐって懐にしまい、台所にあったさびた包丁を二丁。さびた小さな鍋をひとつもって、台所にある勝手口から外へ出た。


 左金吾は、押し倒されていた。

「こいつはまずい!」

 助六は慌てて、近くまで行き、

 黒鍬組の男に包丁を投げた。


 黒鍬組の男の足元に包丁は落ちた。

 黒鍬組の男は、助六の方を振り返った。

 其の隙に左金吾は、組み敷かれていた黒鍬組の男の下から脱した。

「左金吾さん!」

 助六は思わず、左金吾の名前を呼んだ。

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