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花菖蒲殺人事件(左金吾花捕物控)時代小説  作者: 近江守満久
第一章 はじまりは日常から
4/12

新たに花菖蒲が見つかる

登場人物


松平左金吾定朝(まつだいらさきんごさだとも)…火付盗賊改方加役の松平織部定寅の跡継ぎにていまだ部屋住み。父親の影響をうけて「花菖蒲」の栽培をこよなく愛す。後に小普請から書院番、中奥番、西の丸目付となり禁裏附から京都西町奉行にまで出世する番方の能吏。


松平織部定寅(まつだいらおりべさだとら)…久松松平一門の松平織部家五代目当主。老中松平越前守定信の一門。松平越前守と対立する火付盗賊改め方の本役長谷川平蔵のお目付け役として火付け盗賊改め方の加役に任命される。花菖蒲の交配においては右に出るものがいないくらい美しい花々を産み出す能力がある。しかし、性格的には難あり。長いこと寄合旗本だったため、ひねくれていて、面倒くさい。癇癪持ちで、思慮浅く、人を罵ること憚らず。いつも長谷川平蔵の足を引っ張ることを考えているが、失敗ばかり。


長谷川平蔵宣以(はせがわへいぞうのぶため)…ご存知、火付け盗賊改め方の本役(長官)。若い頃から放蕩三昧だったが父の死去により家督を継ぐ。苛烈な取り締まりで悪人や盗人からは「鬼の平蔵」と異名をとる。しかし、情に厚く庶民には人気。「今大岡」とも言われ政治手腕は見事なまで。妬みもおおく、老中松平定信からは嫌われている。上役の若年寄京極備前守や水谷勝久など理解者も多い。何かにつけて、同役の松平定寅の息子である松平定朝を気に掛けている。


火付盗賊改方長谷川組

佐嶋さじま 宣太郎せんたろう…与力。平蔵の父の代から長谷川家との縁が深く、平蔵が火付盗賊改に就任した際、真っ先に呼び寄せられた側近中の側近です。平蔵が石川島の人足寄場(更生施設)の設立に奔走していた際、奉行所との連絡や実務の差配を一手に引き受けていた。

 

酒井さかい 祐助ゆうすけ…与力。こちらも実在の与力です。長谷川平蔵の配下として、大規模な盗賊集団の摘発に貢献していた、凄腕の剣術遣い。


高瀬たかせ 充太郎じゅうたろう…同心。捜査能力に優れ、平蔵の命を受けて江戸市中を広く探索した探索のエース。


南町奉行所

佐久間さくま 弥太郎やたろう・・・佐久間家は八丁堀でも指折りの名家で、代々定町廻りなどの要職を継ぐ。


 今日も探索はすすまない。

 今回も過去の事件も、盗賊が押し入ったすべての現場に花が残されていた。

 しかもご丁寧に花入れまで用意して。

 これ見よがしに。

 

「確か、あの小僧は「花菖蒲」と言っていた」


 役宅の仕事部屋で庭を眺めながら、平蔵は独り言ちた。

 平蔵の役宅には、花菖蒲はない。

 出入りの植木屋に聞いたところ、湿っている土に生える植物だそうで、手間がかかるらしい。

 かつて溜池から四谷の御先手組屋敷へふらりと訪れた際によった茶屋で初めてあの小僧に出会った。その後、幾度となくあの茶屋で顔を合わせることとなる。


 わしは、市中巡回やご用向きで四谷方面に行くときにあそこの茶屋によって紀州様の屋敷から堀を見る景色が好きだ。


 あそこで燻らせるたばこは何とも言えない。

 

 平蔵はすこし焦りを見せていた。

 探索は壁にぶつかっていた。

 

 いつだか、あの茶屋で小僧があの花と似た絵図を茶屋で見ていた。

 それを思い出し、幾度となく茶屋を訪れたが、出会えなかった。

 そこで彼がどこかの道場に通い稽古をつけていることを思い出した。

 普段自分の木刀と道具一式をもってあそこの茶屋に訪れているのを思い出した。

 おそらく、道場の帰りに寄るのだろうから、昼過ぎにあそこへ行かばよいか。


 その日、平蔵は、密偵を一人連れて四谷へ向かった。

 平蔵は、ややしおれかけてきた花菖蒲を持って。


「長谷川様、本日のご用向きは何か探索と関係あるので?」

 

 平蔵は四十がらみの優男らしい背のひょろりと高い密偵から問われた。


「今回の事件ですこし気になるところがある。おぬしも知っておるかもしれぬが、現場にご丁寧に花が花入れに入れておいてあるのだ。わしは花にはとんと詳しくなくて、出入りの植木屋に尋ねたところ、この花は、花菖蒲という花らしい」


「花菖蒲、ですか・・・」


 平蔵の手元にある花菖蒲をみて密偵はつぶやくように言った。


「そうだ。そこで、最近、見回りのついでに寄る茶屋で、やっとうの稽古の帰りのような若いどこぞの旗本の子息と思われるものが、そこでその花の絵草子を見ておった」


 平蔵はどこか思案気にその密偵に語った。


「するっていと、長谷川様はそのどこぞのご子息につながりがあると?」

「直接なにかがあるとは思えねえが、こう手詰まりになっちゃあ、藁をもつかむ思いだ。それでも己の勘働きを信じるほかねえ」

「花菖蒲といえば、たしか、長谷川様の助役の松平織部さまがそのような花をご自邸で育てているとかなんとか・・・」

 その密偵は、おおよそ旗本の事情にも詳しかった。

 平蔵は何も言わず、うなずくのみ、であった、


 そうこうしているうちに、平蔵たちは弁慶橋の袂から四谷に向かって坂を上るところだった。

 そこで密偵はすぅっと、平蔵と距離をとった。

 そろそろ、と平蔵と密偵は目配せをした。


 そんなところに、その小僧が紀州藩の屋敷の脇を、弾正坂のほうから紀国坂を駆けていった。ちょうど、弾正坂が紀国坂へ交差する辺りではあったが、その小僧は、平蔵に気付かなかった。

 平蔵は少し早歩きでやや勾配のある坂を上った。

 密偵はややおくれて坂を上ってきた。


 坂を上り切った茶屋のあたりで、平蔵はその小僧と目が合った。


 小僧は、はっ、としてすこし狼狽した体で平蔵の手元の花菖蒲を見た。

 小僧はすぐさま手を刀の柄にやり、そっと鯉口を切っていた。

 

「やっとうの兄さん、隠し切りとこりゃまた物騒な」

 

 平蔵は、その小僧が行った隠し切りを見切っていた。

 

「まあ、その左手を刀の鞘からはなしていただけぬか。じっくりと相談もできぬであろう」

「じつはそこもとを探しておったのだ。ささ、どうぞこちらへ」

 小僧は少し逡巡したようすで、自らの懐を無意識に触っていた。

 

 平蔵が気付いて、


「わしがご馳走しようじゃないか」

 

 小僧は恐る恐る隣へ座った。


「なにも、取って食おうってわけではないのだ。ちと物を訪ねたいので、おぬしのあらわれるのを待っておったのだ」

 

 そういって、平蔵は手元の花菖蒲を差し出した。


 その小僧は、平蔵が絵草子といったことが不服だったらしく、あれは自らが筆を執って描いた写生画だという。ずいぶん色とりどりで、その花の表情をよくとらえていた。


 平蔵は二三訊ねたが、その小僧はなにか知っている様子であった。

 あきらかに目が泳いでいた。


「もし、何か思い出したのなら、どうかわしを訪ねてきてほしい。本所あたりで、「本所の銕に会いたい」といえばだれかが教えてくれるであろう」

 

 そして、小僧と別れた。

 平蔵は、密偵に目配せをして、そのまま四谷方面へ向かった。

 密偵は平蔵にうなずき、小僧の後をつけた。


 


 その後、四谷の御先手組長屋で部下の入れた茶を飲み、煙草をくゆらせながら、待っていると、先ほどの密偵が現れた。


「長谷川様、やはり麻布桜田町のお屋敷へ戻られました」


 平蔵は得心顔でうなずいた。

 密偵はさらに続けた。


「近くの植木屋に話を聞くと、やはり、織部様のご子息だそうで、お父上の織部様に倣ってそうとう花菖蒲についてはお詳しい様子です」


 そうか、と平蔵はうなずいた。

 名前を左金吾さまとおっしゃるそうです、そう密偵は付け加えた。


 平蔵は、武鑑で既に確認済みであった。

「さて、ああは言ったものの、その左金吾どのは、どうするかのう」

 また思案にふけっていた。


  *               *


 そして。事件はまた起きた。

 新両替町(現代の銀座)にある呉服問屋が襲われた。

 数寄屋橋にある南のご番所の目と鼻の先だ。


 近くの番屋からの通報で、火付盗賊改方も出役の準備に追われていた。

 先に入った情報では、やはり惨死した店主の枕元には、あの花菖蒲が置かれていた。

 またご丁寧に水に入った花入れに入れて。


「御頭、お出になりますか?」


 詰め所にいた与力が平蔵の部屋へ確認に来た。

 平蔵はすでに身支度を整えていた。


 先ぶれの小物が屋敷を出て行った。

 間をあけすに、騎乗にて平蔵、与力が出ていき、そのあとを捕物出役の格好で同心が小走りで続いた。


 平蔵の役宅のある本所菊川町から四半刻(約三十分)もせず、新両替町へ着いた。

 すでに、野次馬が現場を遠巻きに見ており、そこへ黒い紋付に黄八丈の同心が出入りをしていた。

 平蔵は一緒に着いた与力と共に、先ぶれに出ていた小者に馬を預けた。

 一緒にでは同心たちは走ってくるため、やや遅れ到着する予定だ。

 陳笠をかぶった平蔵に野次馬たちは道を開けた。

 

 先に到着していた町奉行所の同心が平蔵に寄ってきた。

「この辺りを担当しております。南町奉行所定町廻り・佐久間 弥太郎と申します。事件は、先回と同じく凄惨な現場です」

 月番の南町奉行所同心のが現場の保全に努めていた。


 江戸町奉行所は通称・ご番所ともいわれ、北町奉行所とあわせて二か所ある。この奉行所は、江戸市中の警邏・行政・司法・消防をつかさどっており、今でいう東京都知事と警視庁と東京都庁と東京地方裁判所がいっしょになったようなものだ。奉行は、幕臣の中でも非常に有能な能吏がなる職で、非常に多忙である。また、南北の奉行所は月番でその業務を受け付けている。例えば、訴訟案件も月番で受け付け、非番の月は、その捜査や訴訟の処理をする。これを南北両奉行所は交代で行うのだ。

 また、このような殺人事件の場合も発生した月によって担当する奉行所が変わる。そして、そのような事件は、各奉行所に六名しかいない定町廻り同心が地域ごとに分担して担当しているのであった。江戸八百八町を定町廻り同心六名で担当するから、それはもう忙しい。事件や犯罪は不浄のものとして、おなじ武士からは毛嫌いされる存在だが、町では黒紋付きに黄八丈という当時おしゃれの最先端を行く庶民に近い武士として注目をあつめていた。そのため、さらに武士の中では、あまり評判が良くない。かれらもおなじ武士に対しては、不浄役人とさげすまれていると思い、ひねくれいるものも多い。


 そんななか、この佐久間という同心は、そのような様子を微塵も見せず、さっぱりとしている。池田筑後守どのの教育が行き届いておることだ。

 平蔵は感心した。


 そう、江戸南町奉行の池田筑後守長恵は、非常に有能な幕臣であった。江戸町奉行はいわば旗本の役職でいえば最高峰の役職で、その先は、もう大名になるか、大目付などの実権のない名誉職になってしまうかだ。


「長谷川様、こちらにございます」


 佐久間は平蔵の先を案内した。


 いまだ血なまぐさい部屋を進んでいくと、住み込みの奉公人や、息子夫婦と思われる惨死体が倒れていた。

「長谷川様、こちらにございます」


 さらに佐久間が先をすすめると、一番奥の部屋にたどり着いた。

 瀟洒な壁に無残にも飛び散った血飛沫が飛んでいた。


 そして、ここにもご丁寧にあの花菖蒲が花入れに活けてあった。


「今回で五件目です。この新両替町の呉服屋・加賀屋は、加賀前田百万石のお殿様に出入りを許されている商家です。その名の通り、加賀屋と名乗ることを許されており、前田家からずいぶんと目を懸けられています」


 佐久間はすでに加賀屋を熟知しているようだ。


 その花菖蒲を見ると、白地に薄く紅を挿した色をしている。


 まさにつぼみからほんのりと外側の花びらが開き始めようとしている。


 平蔵と一緒に騎乗でついてきた与力が、花入れごと平蔵の元へ持ってきた。

「御頭、こちらはやはり花の色がほかの四件と異なるようですね」

「酒井、ちと急いで、人を探してくれぬか。役宅へつなぎをつけて。ああ、佐嶋には十分言い含めてあるから、花菖蒲の倅を呼んでくれぬかと」


 平蔵は、一緒に連れてきた与力の酒井祐助に指示を出した。

 承知致しました、と 酒井はすっと下がり、部屋を出た。


 そこへ、徒で一緒に役宅を出た長谷川組の同心たちが遅れて到着した。

「これは佐久間どの、ご苦労様です」

「高瀬どの、お疲れにござる」

 佐久間は、本所菊川町から現場まで走ってやってきた平蔵配下の高瀬充太郎をねぎらった。発生した前の四件のうち、三件は南町奉行所の月番、一件は北町奉行所の月番で発生していた。その際、現場で佐久間と高瀬は顔を見知っていたのだった。

 現場を、町奉行所から、火付盗賊改方へ引き渡し、南町奉行所の佐久間は出て行った。


 役宅へつなぎをつけた酒井祐助が戻ってきた。

 高瀬やほかの同心ととともに現場検証が行われた。


 そして、平蔵はただその花菖蒲を見ていた。


※この物語はフィクションです。実際の人物とは関係ありません。

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