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花菖蒲殺人事件(左金吾花捕物控)時代小説  作者: 近江守満久
第一章 はじまりは日常から
2/13

着流しの浪人

「ぼっちゃま、そろそろ四谷の先生のところの御稽古ですよ」


 屋敷の隅にある納屋の脇から天秤棒の左右の笊にもった土を運んできた老爺が言った。

 花菖蒲に上げる木製の柄杓の手を止めて、左金吾は苦笑い。


「繁三、そろそろぼっちゃまはやめてくれないかな。私ももう十八だぞ」

「いやいや、ぼっちゃま、身寄りのない儂にとっては若殿様なれど、ご出仕されるまではいつまでもぼっちゃまでございますよ。稽古着と木刀は御玄関の方にご用意致しております。どうぞお気を付けてくださいまし。」

 まるで孫でも見るかのような温かい眼差しで繁三は左金吾を見送った。


 

 花菖蒲(はなしょうぶ)は俗にいう湿生(しっせい)植物である。特に花の咲く頃は、水を欠かすことができない。

 父・定寅の育てている花菖蒲は全国の好事家たちから集めたもの、自生のもの、そして定寅自身が品種の交配をしたものがある。花菖蒲の収集は父の唯一の趣味であり、左金吾も胸を張って自慢できる父の取り柄であった。


 菖蒲という植物は、二つあって、端午の節句などでお風呂に入れたり軒先に飾ったりする本菖蒲と文目のような花が咲く花菖蒲というのがある。


 定寅の好んで集めているのは、この花菖蒲であり、松平織部家のある麻布桜田町では皐月の頃、屋敷の庭を開放して近所の人々や好事家に楽しんで貰っていた。


 普段、何かとひねくれている定寅も、この時ほど「名人上手」と持ち上げられていたく機嫌が良い。

 好事家の商人などには、「松平織部の殿様、私に是非この花を五十両で売ってください、いや百両でも構いません」などと言われても、気に入っている品種に関しては頑として首を縦に振らなかった。

 しかし、町の衆や花好きの女子供には喜んで分け与えた。左金吾は、そんな花と父が好きだった。



 左金吾は、屋敷を出てから北に向かった。


 そして丹波篠山藩の青山家の下屋敷を傍に見ながら信濃町を抜けて半刻ほど歩くと四谷に出る。

 四谷からさらに数丁のところ四谷荒木町の近くに左金吾の通う道場があった。


 左金吾の通う道場は一刀流の使い手である財部(たからべ)兵衛佐(ひょうえのすけ)の道場である。

 財部は小野派一刀流を免許皆伝ののち諸国行脚し、独自の剣技を確立して財部道場を興した。

 しかしながら、稽古が厳しく、門弟は殆んどいない。

 師・財部兵衛佐のほかに、師範代の佐々木健太郎と左金吾とわずか数名しかいなかった。


  左金吾は道場に着くなり、稽古着に着替え、見所の神棚に深々と一礼して、持ってきた木刀で素振りをし始めた。

 只でさえ少ない門弟たちは、昼頃とあって殆んどいなかった。

 

 左金吾は朝のうちに家で花菖蒲の手入れと水やりを終えてから道場へやってくる。

 ために、どうしても昼前後になってしまう。

 普通、道場の稽古は朝のうちに行われ、日が高くなるころには皆帰っていった。


「おお、左金吾きておったか」


 背の高い佐々木師範が道場に現れた。

 財部一刀流は小野派一刀流の流れを汲むが、泰若自然に構え、ゆるりとした所作が特徴だった。

 正眼の構えから、相手の動きを見極め、それで一太刀にて、振り下ろす。

 弛緩の太刀筋である。


「左金吾、準備ができたら手合わせいたそうか」

「佐々木師範、ありがとうございます」


  誰もいない道場で、二人は中央に立ち、構えた。


 左金吾は正眼。師範代の佐々木は、まだ木刀を右手に持ったままだ。


 左金吾の気が充実してきて、正眼からすこし切っ先を上にむけ、佐々木の脳天目掛けて振り下ろした。

 佐々木はようやく軽く木刀をひょいっと持ち上げて、左金吾の振り下ろした木刀を弾いた。

 左金吾も手首に残る痺れにも負けずに体制を立て直し、次の太刀を振り下ろす。

 佐々木師範代はそれも軽くあしらい、カーンと木刀と木刀が打ち合う音が響く。


 何度か左金吾が、打ち続け、場所も入れ替わり、今度は佐々木師範代のほうから泰じゃくとした構えからつぎつぎと左金吾へ打ち込んでいった。

 左金吾はじりじりと、道場の壁際に押し込められてゆく。


 緩やかな動きの中から相手の動きを見極めて渾身で一刀振り下ろすのと、相手の連続技をうけつつ、攻撃する時期を逃さない。


 あと数間というところで、師範代がすうっと剣を引いた。


 左金吾も木刀を引いた。


「ご指導ありがとうございました」


 左金吾は息が上がっていた。


 左金吾が気付かないうちに、白髪混じりの痩せた老人が見所にすわっていた。


 にっこり左金吾に微笑んだ。


「左金吾もまだまだの様じゃな」


 左金吾は息が上がり応えられなかった。

 そう、この老人が左金吾の師匠である財部兵衛佐だ。殆んど骨と皮のような姿はあるが、その座る姿も凛としていてただならぬ雰囲気を身に纏っていた。


 この財部の道場にも美しい花菖蒲の花々が植えられていた。


 爽やかな風が道場を通り抜け庭の花菖蒲を揺らした。


 道場を雑巾がけして、井戸端で汗を拭った。


     

 

 左金吾は道場を後にして、四谷大木戸前の茶屋に寄った。


「いらっしゃい」


 しゃがれた声で腰の曲がったおばばがそっけ無く出迎えた。

 ここは昼は飯屋として八つ頃には、甘味を食わせるという。

 素朴な季節のまんじゅうや団子などを出している。


「おばば、草餅を」


 左金吾は適当なところへ腰かけて、お堀端のほうをぼんやりと眺めていた。


「師範代の隙を、どうやってつけばいいのか…」


 左金吾はひとりごちた。


「やっとうの稽古の帰りかい? 師範代の隙ばかり窺ってる様じゃあ、なかなか上達しねぇぜ」


 ごめんよ、と言って四十半ばくらいで着流しの浪人にしてはすこしこざっぱりした侍が隣にすわった。


「おい、おばば。冷やでつけてくれぃ」


 その、こざっぱりした着流しの男は、腰かけにあったたばこ盆を引き寄せて、懐からキセルを取り出した。そのキセルは、銀の彫り物でとても意匠がよい。


 左金吾は、それを横目でちらりとみた。


「おめえさん、筋は良さそうじゃねえか。正攻法で稽古しな」


「さ、最近よくこちらでお会いしますね」


 左金吾はあまり知らない人と話すのがちと苦手である。

 この着流しの浪人風の侍とは、何度かここで会ったことがある。

 会っても軽く会釈するか、天気の話や時節の話を少し交わす程度だ。


 しかし、道場での自分の稽古を見もしないでよく言ったものだと思った。


 左金吾の問いには応えず、着流しの男は、紫煙をゆっくりと吐いた。

 左金吾はさらに前のめりて、先ほどの独り言の答えを求めた。


「どうして師範代の隙を窺ってはダメなのですか?だって隙がないところへはうちこめないですよね?」


 着流しの男は、たばこを燻らせた。


 一服ついた。


 左金吾は答えの先を待った。

 ぽんとたばこ盆に、灰をすてて左金吾のことをみた。


「そんなんじゃ性格ねじまがっちまうぜ」


 おい、おばば代はここにおくぜ、と着流しの男は立ち上がった。

 四谷の大木戸を通って麹町のほうへ歩いていった。


 左金吾は腑に落ちる答えを求められなくて、ただ着流しの男が、使ったたばこ盆を見つめた。

 左金吾もお代を払って、席を立った。


 帰りは紀尾井坂を下って溜池へでた。


 溜め池の縁には、(がま)(かや)などの草のなかに、野文目(のあやめ)がひっそりと咲いていた。

 

 すこしどんよりとした溜め池の水面はそれでも初夏の日差しできらきらとしていた。


 左金吾の腹が鳴いた。


 そのまま、山王下を右に折れれば、麻生谷町を通り抜けて帰るところだが、おばばのところの草餅だけではもの足りない。

 思い立って、まっすぐ足を愛宕山のほうへ向けた。

 愛宕山下にそば屋があるのを思い出したのだ。


 左金吾の様な、いまだ出仕せず、父親がお役についているのは、部屋住みとおなじ。

 特に決まった予定はない。


 虎ノ門から愛宕山へ、向かう通のところの商家に人だかりができていた。


 羽織袴の役人がバタバタと尻っぱしょりの御用聞きと駆けていった。


 商家のまわりに人だかりで道行く人が中を覗きながら歩いている者もいた。

 商家の大戸が半開きになり、戸板に乗せられたこの家の住人らしき人を運び出していた。


 左金吾も野次馬に混じって稽古道具と木刀を、携え覗いていた。

 半開きになりだった大戸が一枚あけられ中のようすが見えた。


 血の匂いだ。


 回りの野次馬も嫌な顔をして鼻に着物のの裾や手を当てて、それでも中を覗いた。

 何人もの奉公人らしき人々が殺されていた。

 中は血飛沫で番台やら商品やらがどす黒い赤で染まっていた。


 看板を見ると、「海産物・乾物問屋 肥後屋」といある。


 左金吾は、父が火付け盗賊改め方の役職にあるため、ちょっとだけ興味が沸いた。なんとなく不謹慎であるとおもいつつも。


 更に覗いてみると、死んでいる数名。


 気づくと、左金吾の後ろから騎乗の役人が駆けてきた。


 人垣は馬が入るくらい空けた。


 馬引きがあとから駆け足で追い付き、馬を軒の柱に、くくり首を撫でた。


 役人は中に入っていった。


 かわって、中から黄八丈の着流しに黒紋付の役人と御用聞きが出てきた。


 何事か不満を言っていた様だった。

 黄八丈の着流しに黒紋付の役人は町方か。

 町方の役人が追い払われる様に出てきたとすると、なかに居るのは火付け盗賊改め方か。


 左金吾は何となく見当をつけた。


 町方役人と火付盗賊改め方は何かと仲が悪い。


 町奉行所は北町奉行所、南町奉行所とあり、月番で訴えの受付、江戸の町の行政、物価等の監査や監督、事件の捜査などを行う。

 町奉行所の役人はみな八丁堀に住んでいる。

 旗本と同じく上様に直接仕える御家人であり、いわば直臣である。

 一応一代抱えとなっているが、実質はほぼ世襲である。殺人などの捜査も行うため、役人の間では不浄役人とさげすまされていた。


 一方、火付盗賊改め方は、御先手組頭が任命される。配下に御先手組を使う。

 火付や盗賊など荒くれものの捜査権と捕縛権を有しているが、やむない場合はその場で処断することも許されている。


 左金吾も父の遣いで、何度か組屋敷へは顔を出しにいったが、このなかには、顔見知りの役人は居ないように思えた。


「長谷川さまの組か」


 左金吾はなんとなくそう思えた。


 暫く検分が続けられていた。


 中の様子を見ていると、


「あっ」


 左金吾は小さく驚いて目を見張った。

 奥から、すこし萎れた花菖蒲を持った役人が出てきた。先ほど騎乗で現れた役人となにやら話をしている。


「あれは、日の出…」


 その花菖蒲の名前だ。

 なぜ、日の出が…。たまたまか、なにか事件に関係があるのか。

 左金吾は花菖蒲の品種には、詳しかった。


 門前の小僧というか。

 普段から父が交配して生まれた花菖蒲を写生していた。

 また、どの品種が誰の作ったものか、分かる範囲ではあるが、覚えていた。


 花菖蒲は、このころ、向島に菖蒲園が作られたり、浮世絵の美人画に描かれたり、何かと江戸庶民の間では人気であった。


 どこにでもある花菖蒲なら別だが、


「あの花はたしか・・・」


 今日はなぜか思い出なかった。交配した花など似た花も多い。何となく引っかかった。

 

 左金吾は気分が悪くなり、そばも食べず神谷町を抜けて、飯倉町から麻布桜田町の屋敷へ戻ってきた。

 

 屋敷の門前にある植木屋では、青や紫のあじさいが咲き始めていた。


 左金吾が屋敷に戻ると、役宅へ松平織部組の御先手組同心たちが次から次へと出たり入ったりしていた。先ほどの愛宕下の件と何か関連があるのか。


「ぼっちゃま、お帰りなさいまし」


 庭のほうへ回ると繁三が、土を混ぜていた。

 花菖蒲は湿生植物のため、土が庭の土では水持ちが悪い。

 田んぼの土やら湿地の土などを混ぜて、工夫をするのだ。


「繁三、精がでるね」


 そういいながら、左金吾は、先ほどの事件の商家でみた花菖蒲を探した。

 折も折、ちょう花菖蒲のころだ。広い庭のどこかに父が収集した中にあるはずだ。

 記憶を思い起こして、よく探してみる。

 しばらく探したが、見当たらなかった。


 花菖蒲の花というのは、ほとんどが一日花である。


 日が傾き始めると萎んでしまうこともある。また、種類によっては、早生、晩生とあるため今咲いてないこともある。


 己の勘違いか? 


 左金吾はあの花を思い出していた。


※この物語はフィクションです。実際の人物とは関係ありません。

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