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花菖蒲殺人事件(左金吾花捕物控)時代小説  作者: 近江守満久
第一章 はじまりは日常から
13/13

花というものは(1)

 昨日は火付盗賊改方長谷川平蔵との会合があった。

 左金吾は 重苦しい雰囲気となったまま朝を迎えた。

 しかし、そうも言ってられない。

 今朝は昨日の朝とは違い、しっかりと 花菖蒲の世話をした。

 確かに花が切り取られてる株は、 昨日の話したものと一致している。

「坊ちゃま、ここにも切り取られている株がありますぞ」

 左金吾は茂三と一緒に朝の水やりをしながら、株を点検してまわった。そして、軽く花の写生をした。

 交配して珍しい花が咲いている。記録として、自分の絵草紙にまとめるためだ。


 まさかとは思うが、壮大な争いに自分も巻き込まれているとは思いもよらなかった。 

 父上はお城の出来事で、あーだこーだ言うこともあるが、大抵は長谷川殿の文句であった。

 具体的に何がどうということは一切話さない。

 火付盗賊改方という役職上で知り得た事柄については、守秘義務は果たす。

 お城で何があったとか、誰がどうだとかっていうことはあるのだろうが、基本的に家に帰ってきてからはそのようなことは話さない。


 本日、師匠の財部兵庫介所用がある、ということで道場はお休み。


 自宅で庭で素振りをしようかと思っていたところ、生垣の切れ目からひょっこり植木屋三右衛門が娘のお菊が顔を出した。

「あら、左金吾さま。本日は道場に行かれないのですか?」

「やあ、お菊さん。今日が師匠の都合で道場がお休みなのです」

「珍しいですね」

 お菊はふふっと笑った。

「師匠に所用があるということで、師範の佐々木さんと一緒に出かけているようです」

「それじゃあ、お稽古はされないのですか?」

 お菊はなにか言いたい風だった。

「これから庭で素振りをしようかと思っていたのですが、あまり乗り気でなく・・・」

 左金吾が何となく、けだるそうに答える。

 お菊は、なぜかぱあっと顔が明るくなった。

「もしよかったらこれから私はお花のお稽古に行くのでご一緒にどうですか」

 しかし、左金吾はさらに顔を曇らせた。

「それよりも、お菊さん。こないだの曲者に襲われた後、大丈夫だったのですか。そんなにすぐ出歩いたりして」

 左金吾は心配した。

「全然へっちゃらです。ちょっと不意打ちを食らってびっくりしたぐらいで、どうということはありません」

「それは良かった」

「で、どうですか」

「そうですね。せっかく道場がお休みなので、たまにはいいかもしれません」

「では決まりね!」

 お菊は、出かける準備をしてくる、と言っていったん家に戻った。

 そして、二人は出かけた。


 お菊は左金吾の少し後ろを付いて行くように、横に並ばないように歩いた。

 左金吾は、いわゆる 部屋住みの身でありるが、やはり町人のお菊と横に並んで歩くことはできていない。

 お菊も、身分の差は弁えてている。

 真横には並ばないが、後ろからでも会話ができるくらいの距離だ。

「そういえばお菊さんのお花の先生は、新進気鋭の先生ですよね。確か古井一花軒草風先生でしたか?」

 左金吾は以前にお菊から聞いた話をうろ覚えながら、思い出していた。

「いいえ。古井一花軒草風先生は大師匠様です。 私が習っているのは 草風先生のお嬢様で師範代の楓先生ですよ」

「あーそうだったんですね。 以前、草風先生のお話をされていたので。てっきり草風先生にご師事されてるのかと思いました」

 左金吾はうろ覚えだったのがばれないか、肝を冷やしていた。

 私の話したこと、覚えてないんでしょー。と、後ろから顔を覗かれた。

 左金吾はちょっと焦って、話をつづけた。

「草風先生は、確か・・・一代で生け花の流派を築かれた方ですよね・・・」

「そうなの。今までの高い束脩で習う生け花のお稽古とは違って、自然のままのお花を生けるというやり方なのです。古い流派からは色々意地悪もされたけど、今は先生も多くの大名家やお旗本のお屋敷に出入りしてるので、それなりに力はあるみたいよ」

 お菊は、自分のお師匠様が大名家や旗本家に出稽古に出かけていることを誇らしげに言った。

「そうですか・・・」

 左金吾は、大名家や旗本家のことを考えて、少し憂鬱な気持ちになった。

「どうしたんですか?」

 お菊は、顔色に憂いをにじませた左金吾を心配そうに除いた。

 左金吾は少し難しい顔をしている。

「ちょっと考え事がありまして。その大名や旗本の出入りを許されている先生は大名旗本の派閥争いなどに巻き込まれてはいないのですかね・・・」

 左金吾は昨日、長谷川から聞いた話が頭にもたげた。

「どうしたの? そんなこと、この間の事件と関係あるのですか?」

 お菊は、なかなか勘が鋭い。

「うーん。そうではないのですが、大人の世界というのはそういった派閥や権力争いがたくさんあって、いろんな人が巻き込まれていると聞いたので・・・。このままお城へ出仕するのは、なんか気が滅入る、と思って」

 その話を聞いて、お菊は驚いた。

 そして驚いたかをが今度は、なにが可笑しかったのか、コロコロと笑った。

「左金吾さまは、そんなことも知らなかったの?」

 左金吾は、自分も驚いて、

「お菊さんはご存知だったのですか」と急に立ち止まって言った。

「そんなことは当然よ」

 今度はお菊が左金吾の前を歩きだした。

「田沼様だって、別の人から権力を奪って老中になったんでしょ。今の松平越中様も田沼様から権力を奪ったわけだし・・・」

「ちょっとお菊さん!」

 左金吾は止めた。お菊はやめずに話を続けて、

「だいたい今の上様だって一橋家の・・・」

「わー、わー。 えーと、そんな話誰かに聞かれたらまずいですよ!」

 左金吾は周りを見回した。

「えー、そうなの?」

 続きを話したかった、とお菊は頬を膨らました。

「誰が聞いてるかわかりません」

「別に誰も聞いちゃいないわよ」

 お菊ははあっけらかんとしていた。



 左金吾は自分が世間のことを知らなすぎてびっくりした。

 町人であるお菊でも知っているようなことに今まで全く関心がなかった。

 確かに、花菖蒲のことと剣術の稽古だけの暮らしをしていた。

 もちろん、幼い頃から学問所などに通っている。そのほとんどの講義を履修し終えていた。

 今は月に数回学問所に顔を出す程度だ。


「うーむ」


 左金吾はうなった。

 学問所でもそれなりに学友はいたが、特につるんでどこかに行ったりすることもなく、学問所で勉学に励んだ後はそのまま財部道場に行き、剣術の稽古をしていた。

 また、帰ってきてからは花菖蒲のことの研究をし、写生したり、手入れをしたりに没頭していた。

  たまに同じ年の頃合いの旗本の子息などと話したり、あったりする。

 しかし、悪所に通ったたり、夜遅く帰ってきたりなどすることはない。

 いわゆる、 毎日真面目に過ごしていたのだ。

 左金吾にとっては、身分は違えども、幼い頃から隣に住んでいて遊んでいたお菊がいれば、別に友達がいなくても、どうということもなかった。


 左金吾たちが大名屋敷の立ち並ぶを小路を抜け、常盤橋辺りに出た。

「そういえば、その楓先生のお宅はどこにあるのですか」

 左金吾は行き先も聞かずに、お菊と歩いていた。

 もちろん、楓先生の所に行くことはわかっていたが、先生のお宅がどこなのか聞いてなかった。

「明神下よ。神田明神の近にあるわ。 今もお父様の草風先生と一緒に暮らされているの」

「なるほど。それじゃあ学問所のところを通った方がいいのかな」

 左金吾は久しぶりに学問所の方へ足を向けている。

「そうね。いつも昌平橋を渡って、学問所をぐるりと回って、明神下に出るわ。 その辺りが先生のお宅よ」

 左金吾は、そういえば、今月はまだ学問所に顔を出してないことに気づいた。

 が、まあ今日はよしとしよう、と思った。



 そこから、左金吾とお菊は花菖蒲の話やその他の草花の話をした。お菊も植木屋の仕事の話など、植物にまつわる様々な話をしながら、古井邸へ向かった。

 左金吾は花の話や植物の話をしている時が一番楽しい。例えば、この時は入谷の朝顔市の話や朝顔の名人の武家の話など、新しく品種を作り出すことに情熱を捧げている御家人のことを話していた。

 また菊も例えば、作庭のお仕事のこととか、小堀家の話や遠州流の作庭、生け花のことなどを話したりした。

「お大名の方々や、大身のお旗本の方々は、きっと小堀先生に生け花を習っていたと思うわ。ところが小堀先生は数年前にお役を辞されてしまったの。お取り潰しになったという噂もあるけど。だから小堀先生の稽古をできなくなった皆さんは、古井先生の草風流に鞍替えした方もいらっしゃっるのよ」

 お菊は最近の生け花界の事情を、そう話した。

「生け花の流派にも色々あるんですね」

 左金吾は生け花の流派がいくつもあるということは分かっていた。しかし、小堀家が改易になって、その生け花の遠州流がどうなったかというのは知らなかった。

「小堀家といえば、初代の小堀遠州様から数えて7代目だそうよ。ところが、その当代の備前守正方様はどうやらご領地の方で失敗をしてしまったらしいの。でそれで、お役は御免になってしまって。そこから小田原藩の大久保様預かりとなり、今はお茶や生け花を教えているらしいの。ひょっとしたら小堀様も何やら千代田のお城で起きてることに巻き込まれたのかしら」

 これは噂よ。私にも、よくわからないわ。といってお菊は笑った。

「小堀遠州様といえば、作庭家としても有名ですよね」

 左金吾は、小堀遠州のことはそれくらいしか知らない。

「父上が小堀様のことも知っているだろうか。花菖蒲のことについては、よく父と話もするが、花菖蒲が植えられている庭や、もしくは作庭家の方々の話はあまり聞いたことがない」

「小堀遠州様は、作庭や生け花以外にも茶道なども嗜んでいると聞いたことがあるわ。才能のある人は何でもすごいのね」

 お菊はどこか羨ましそうにいった。

 いずれ父上にも聞いてみるか…左金吾はそんな風に思った。

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