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花菖蒲殺人事件(左金吾花捕物控)時代小説  作者: 近江守満久
第一章 はじまりは日常から
12/13

花菖蒲との関係(2)

 そうこうしているうちに、助六が誰かを連れて戻ってきた。

「お頭、お待たせいたしました」

 長谷川と同じくらいの壮年の武士がやってきた。

「おお、佐嶋が来てくれたか。役宅の方はお主が抜けて問題ないか?」

 その佐嶋と呼ばれた侍は長谷川の脇に座り目礼をした。

「は。酒井は、探索の用向きで出かけております。与力の天野殿も戻って来られたので、役宅のことはお願いして、私がやってまいりました」

「そうか。そいつは済まなかったな」

 そう長谷川は言った。

 左金吾はどなたですか?と長谷川に紹介を求めた。

「おお、こいつは済まなかった。このものは長谷川組の筆頭与力で佐嶋宣太郎と申す。このものは父の頃からの長谷川家に勤めており、わしよりちょっと年上である。文武両道、頭脳明晰。私は若い頃は放蕩三昧。遊び呆けていた。このものはしっかりと父に勤めていた。鬼佐嶋と言ってな長谷川家の中では鬼のように仕事をするでその名がついた」

 長谷川は自慢の部下をご紹介した。

「お頭のお方はどなたで」

 佐嶋は左金吾のことを知っている風ではあったが、 ご紹介を、長谷川に伝えた。

「もういけねえ、いけねえ。大事なことを忘れていた 。こちらは 松平織部殿が子息、松平左金吾殿である」

「これはお初にお目にかかります。私、長谷川平蔵様のもとで火付盗賊改方を務めております佐嶋宣太郎と申します。以後お見知りおきを」

 佐嶋は長谷川の脇で深々と頭を下げた。

「松平左金吾と申します。こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします」

 長谷川は今までの話の経緯をざっと佐嶋に伝えた。

 どうだ、と長谷川は佐嶋に意見を求めた。

「探索のあらましと、花菖蒲の行方や松平織部家の異変などを考えますと、やはり松平織部様が何かに巻き込まれてるように感じます」

 左金吾は、えっ、と言ってみたものの、その指摘はなんとなく腑に落ちた。


        *        *


「それでは、我が家もしくは父に何か関わり合いがあるかもしれないということですね…?」

 左金吾は長谷川に確認した。

「いやまだ裏は取れてねえし、断定することはできない。しかしながら、何らかの関わりがあることは事実かもしれん。実際に庭に咲いてた花菖蒲が、このように商家を襲った殺人事件に現場に置かれているのだ。いまのところ、そう言わざるを得ないであろうと…」

 長谷川は厳しい顔になった。

「では、佐嶋はこの花菖蒲が関わりがあるということとして、探索を進めてくれ」

 長谷川は、煙草盆に灰をポンと捨て、煙管を仕舞った。

「して、その後何か動きはあったか」

 佐嶋は目配せで長谷川に左金吾の前で話しても良いのかと訊ねる。

 長谷川は察した。

「構わねえ。いずれにしても、松平織部殿の身降りかかってることかもしれないし。父上の身に何かあるやもしれぬ、ということで気が気ではないだろう」

 左金吾は、己の気持ちが見透かされたような気がしていた。そして、

「佐嶋さん。是非、私にもお聞かせ下さい」

 佐嶋の方を向き、そう願った。

「それでは、お話をいたします。まず、今の探索の経緯からしますと、犯人の行方は獏として知れていません。しかしながら、江戸市中ではあまり良くない噂が流れています」

 佐嶋は蕎麦屋の親父が出した茶を飲み、一服し再び続けた。

「江戸市中では、探索が進まないのは、松平織部様が我が殿の長谷川平蔵の探索を邪魔をしているからだ、とのことです」

 そんなことねえのにな、長谷川は苦笑いをした。

 左金吾は父の不名誉な噂なれど、唇を噛んで佐嶋の次の言葉を待った。

「もちろん松平織部様が我々長谷川組の探索の邪魔をしているわけではありません。市中で織部組の方々とも行き合うこともあります。が、決して邪魔をするわけではありません。ある時には情報交換などをし互いに下手人。挙げるの捜査に協力をしております」

 左金吾は佐嶋と目があった。

 佐嶋は頷き、さらに続けた。

「しかし、佐嶋。では、なぜそのような噂が立っているのか」

 長谷川は訊ねた。

「それは分かりません。壁に落書きのようなものがあるところ、町人より下級武士の間で広がっております。実は、あの襲われた商家は田沼主殿頭様の親しき間柄なのです。田沼様が老中首座だった頃にのし上がった商家です。そして、米ではなく金を広めるための政策を手助けしていた、とも言われています」

 左金吾はハッと何かに気づいた。

「ちょっと待ってください。佐嶋さん、ということはその田沼様と親しき商家を襲った何者かがいて、田沼様の政敵と見られている松平越中様の息の根がかかった私の父がその探索の邪魔をして、田沼派の商家を潰そうとしているということですか」

 長谷川は目を伏せた。

 左金吾は事の顛末がただの殺人事件ではなく、その商家たちも自分の父も幕閣の派閥争いに巻き込まれていると察した。

 少し沈黙が流れた。

「左金吾どの。まあ、今それも性急にそのような結論を出さなくても良いではないか。とにかく、今わかっていることの事実を積み上げていくしかないのだ」

 佐嶋は再び長谷川に向き合って、

「さらに悪いことに、昨日、松平織部組の与力安藤どのが私どもの天野殿を訪ねてまいりました」

 天野は長谷川組の与力である。

「そして、内々にですが、ということで話された事があります」

 佐嶋が言うには、松平織部組の火付盗賊改方は、この殺人事件の探索より手を引かざるを得ない状況ができたとのこと、を天野は聞いたという。

「そして、これは松平織部組の詰所で申してることで、 まだ松平織部様には了承を得ていない、とのことでもあったようです」

 佐嶋は深刻な顔つきでそう告げた。

 左金吾は驚いた。

「どういうことですか」

 佐嶋はさらに続けた。

「実は、これも何々に話があったことなのですが、松平織部組の安藤殿が言うには…」

 ご子息である松平左金吾様が何者かに襲われた。黒鍬組のような装束の男を追わなければならない。そうしなければ左金吾さまはもとより、松平織部組の沽券に関わることである。誠に申し訳ないことだが、よしなに申し上げる。

「という、お話をしていかれました」

 左金吾は昨晩での役宅での聞き耳を立てた内容を思い出していた。

 そして、佐嶋はこうも言った。

「これは当事者であれば、当然のことでございます。しかしながら、ここで松平織部様が探索の手を緩めてしまうということになると、いよいよ江戸市中で流れている噂が信憑性を増すのでございます」

 再び沈黙が流れた。

 長谷川は目を瞑っている。

 左金吾は俯いている。

「私のせいで、このようなことになってしまいました」

 左金吾は再び顔を伏せて、悔しさをにじませた。

 つまり、こういうことか、と長谷川は口を開いた。

「田沼主殿頭様の子飼いであった商家が五件襲われている。そのことで田沼派は力をさらに失う。そうなると、田沼様が幕政に影響を与えることは益々少なくなるであろう。襲わせたのが誰かはわからぬが、そのことを利用して松平越中守様は、田沼派を抑え込むつもりであると…」

「しかし、長谷川様。どうして我が屋敷の庭に咲く花菖蒲をわざわざ置いておく必要があるのですか。それでは 松平織部家がわざとそのように仕向けていると世間に知らしめているように思えます。殺人強盗犯がわざわざ犯人は私でございます、というような痕跡を残して行きますかね。しかも、少し調べれば松平織部家と関わりがある、ということがわかってしまいます。そうなれば、探索がますます進むというものではないですか」

 左金吾は疑問に思ったことを呈した。

 長谷川は、辞めたつもりの煙草を取り出し、再びキセルに詰めた。

「左金吾殿、これは探索の矛先を混乱させるための仕向けたものなのだ。つまり、一見すると田沼派を貶める風に見えて、その実、越中守様一派を陥れる策とも見受けられるのだ。というのも火付盗賊改方は、本役のわしと助役の織部様がいる。しかしながら、世間では、松平織部殿は越中守様の親戚筋にあたり、その引き合いで火付盗賊改方になったということは明白なことである。事実、石高二千石の大身である旗本が務める役職ではない。一部では、わしに対しての当て馬だという憶測もあるのだが。それだけではないであろう。その松平越中守様一派が目の敵にするということは、おそらく長谷川は、田沼派でろあうと踏んでいるのだと思う。わしとしては派閥どうとか、誰が何をしている、とかそんなことはどうでもいい。与えられた 職務を全うする、という役人でありたいと常日頃思っている」

 はっきり言ってそんなものは面倒くさいしな、役目に集中したいというのが本音よ、と長谷川は笑って言った。

「どちらの派閥が仕掛けたものかはよくわからないが、これが千代田のお城の物の怪の仕業よ・・・」

 長谷川は煙草を燻らせた。

 

 いずれにしても、当家にもとんでもないことが起きている…

 そして左金吾は、自らが襲われたことも偶然ではないかもしれないと思い始めていた。

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