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花菖蒲殺人事件(左金吾花捕物控)時代小説  作者: 近江守満久
第一章 はじまりは日常から
11/13

花菖蒲との関係

 窓の外を見やると、外には永代寺の境内に人が参拝する姿が見えた。ここは永代寺門前にある蕎麦屋の2階。いま、今をときめく、火付盗賊改方長官・長谷川平蔵と一緒に蕎麦を食べている。父の松平織部定寅の同僚なのだ。


「話を戻すが、こちらにある五輪の花菖蒲。何か御心当たりはあるかな?」

「…」

 左金吾は押し黙った。

「おいおい、そんなふうに黙ってしまっては、知っていますって言ってるようなもんだぜ」

 長谷川はそう言って笑った

「そうでございますよ。バレバレです」

 助六もくすりと笑った。

 左金吾はうつむいた。

「そんなことじゃあ、あの有象無象の住むお城で幕閣として出世しねえぜ。分かり易すぎる」

 長谷川は酒を一杯呑んだ。

「そういうものですか」

 左金吾は、やっと顔をあげた。

「千代田のお城っていうのはな、派閥や政策などの違いによる争いが絶えない。そこで、真っ正直にやれば 済むという話でもない」

 長谷川はじろりと左金吾をみた。

「何かというとすぐに足元をすくいたがる。そして、反対派を切り崩し、自分が出世して思い通りに政を操る。そのような世界なのだよ。中には、私腹を肥やしたいだけの奴もいるかもしれないが、おおよそ、ほとんどの幕臣は自分の政策を実現したいがため。お上のご御威光を着て、田沼様も、今の松平越中様も皆同じ。ご自分が思うご政道が、この世の中を良くすると信じて暗闘を繰り返してきたのだ」 

 長谷川は煙管にタバコの葉を詰め、再び煙草に火をつけた。そして一服した。

 左金吾は神妙に聴いているだけだった。

「わしなんかのような、小旗本はそんなことにも巻き込まれず、つつがなく職務を全うしたいのだ。が、なかなかそうもいかない。誰がどの派閥だとか、誰が誰と親しい、とか。そんなことを気にしなければいけないのだからな。しかし、わしも出世欲はある。やはり 町奉行にはなりたいのだ。この江戸の街を見ていると 、己自身で江戸市中に暮らす皆のために何かをしたいと考えてしまう」

 長谷川はさらに一息入れてタバコを燻らせた。

「犯罪者の更生をするために、石川島に人足寄せ場を作った。しかし、運用はし始めたが、予算はつかない。 そのため、苦しいながらのやりくりをしつつ運営せねばならない。人足寄場は生活に困って、軽微な犯罪に手を染めたものを収容し、そして手に職をつけ 更生させる。再び、江戸の市中で、自分の生業で暮らしてもらうための施設として、松平越中守様に上奏できたものだ」

 左金吾も知っていた。

 昨今、長谷川がこの人足寄場を作るということに奔走してたこと。

 私の父が、この長谷川様の人足寄場について、火付盗賊改方のお役目をないがしろにしてる。おかげで わしの方まで仕事は増えている。これでは、花菖蒲の交配が進まないではないか、とぼやいているのを聞いたことがある。

 しかし、この人足寄場というものは、やはりこの世の中に必要なものなのだろう。それは左金吾でもわかる。

「もちろん、わしにも幕臣として夢がある。この火付盗賊改方を務め上げたら、何としても町奉行にはなりたい。 そして、この江戸市中を、くらしのしやすい豊かな街にしたい。犯罪者を取り締まるだけの今のお役目だけではダメなのだ」

 長谷川だけではなく、町奉行というのは全旗本にとっては憧れの役職である。上様のお膝元の江戸町奉行というのは江戸の町を差配し、庶民の暮らしを安定する。その権限や権力は膨大なものではあるが、幕閣として評定所にも出席することができる。老中や若年寄の次に優秀な幕吏として、そして、旗本の上がり役としても町奉行は存在しているのだ」

 左金吾は、その件については長谷川様だったら大丈夫であろうと心に思った。

「左金吾どのよ。わしもなお主の父もそういった面倒な派閥の争いに、知ってか知らずとも巻き込まれているのだよ」

 かたや長谷川はどこか遠い目をしてその幕府内の派閥争いが幾分鬱陶しいような顔をしていた。

長谷川は深いため息をついたが、話題をもとに戻した。

「その花菖蒲だが、やはり左金吾どのは、ご存知なのだな」

 左金吾はは仕方なく長谷川にそのことを伝えることにした。

「最後に切り取られて盗まれそうになっていた花は 夢姿という品種なのですがそちらの方は当然こちらにはありません」

 左金吾は花入に飾られている五種類の花菖蒲を見てそう答えた。


   *        *


 左金吾は、自宅の花菖蒲園で起きたの不可解なことを告げた。

「本来は、その花の首に付けてある花名とその品種の親を書いた木札がなくなっている花を見つけたのです」

「花の親?とはどう言うことかな」

 長谷川はよく分からないと左金吾に訊ねた。

「元々は、花も親があります。ある花とある花を掛け合わせると、その子がまた別の花になることがあるのです」

「ほう」長谷川は感心して話の先を促した。

「花には雄蕊と雌蕊があります。それで雄蕊の花粉を雌蕊に合わせると種ができます。その種を播くと播いたなかから突然、今までに見たことがない花が生まれます。それを新たに増やすのです」

 左金吾は、簡単に言うと、そういう事です、といった。

 それに今まで黙っていた助六が口を挟む。

「するっていと、白猫と茶トラの猫が子供を産むと、たまに三毛猫が産まれますね。そんなようなもんですか?」

「まあ、そんなようなもんです。そして、その掛け合わせた花菖蒲から更に種を取ったりします」

「そりゃびっくりだ、花も犬猫も一緒だなんて」

 助六は花屋の割には植物の理を知らなかった。

 助六は、勉強になります、といってもっと花の話を聴きたかったようだが、口を再び空けて、押し黙った。

 そこまではわかった、といい長谷川は煙草をさらに吹かした。

「そして、その木札のない花菖蒲が庭から見つかりました。当然、交配をしている我らは、その花の名前や来歴などを記した木札をつけるのです」

 もちろん花のないものもありますが、交配した親の名前は書きます、と左金吾は続けた。

「で、左金吾さま、その木札のない花菖蒲が、いくつか見つかったんでやんすね」

 助六は身を乗り出した。

「ええ、よく見ると木札が庭の隅に落ちてたり、そもそも木札も無かったり。はじめは父が種を取ったのか、と思ったのですが…」

 左金吾は言い淀んで、五種類の花菖蒲を見た。

「で、左金吾どの。切り取られた花菖蒲は、ここにあるのか?」

 今度は、長谷川が身を乗り出した。

「おそらく…」

 左金吾は悲しい顔になった。

 助六は、やっぱり…という顔をした。そして長谷川は、再び左金吾に向かって、

「もう一度、その花の名前を。助六、下からなにか書き留める文机になりそうなもの持ってきてくれ」

 そう言って、腰の矢立(筆入れ)から筆を取り出し、懐紙に名前を記載した。

 初紅

 日の出

 不明

 燭光

 不明

 左金吾がもう一度花の名前を答えた。

「左金吾どのよ。これらはまさか、ご当家の庭先から盗まれたものでは…」

 長谷川は唸った。

 左金吾は眉を下げ、申し訳なさそうにしている。

「長谷川さま、おそらく、十中八九間違えないかと…」

「この咲いてないのでわからないですが、恐らくは…」

 左金吾は不明の花を指していった。

「おい、助六。ちょっと役宅まで走って、酒井か誰かを連れてきてくれ」

「はい、わかりました」

 長谷川は助六に、役宅に言って部下を連れてくるように言った。

「そうすると、ますます謎だな。一体なぜ、花入れに花菖蒲生けて、押し入った商家に置いて行くのだ…」

 長谷川は煙管を煙草盆にポンと灰を落として、思案した。

 左金吾も続けて思案した。

 話しながら食べていた蕎麦もなくなり、左金吾はどこか手持ち無沙汰になりながら思案した。

 さて、どうしたものか父に伝えるべきかどうか…

 長谷川はやはり思案をしていたが、左金吾に目をやった。

「実は襲われた商家はそれぞれ別の商いをしていた。いわゆる大店というやつで、金蔵には唸るほどの金が眠っていた。一見するとただの、という言い方は悪いが、盗人、特に急ぎ働きをする盗人であるということは判明している」

 長谷川は言ったん、話を区切った。

「が、わざわざ花菖蒲を置くということは、何かしらの伝えたいこと、があるということ。まさか松平織部家に関わりがあるということではないだろう。それならば、わざわざ左金吾どのの自宅の庭の花菖蒲を花入れに活けるとは…しかも、松平織部殿は助役とはいえ 火付盗賊改方である。大胆不敵でにもほどがある…」

 長谷川は事件の背景を頭の中で整理しているのか ポツポツと話している。

 まるで左金吾に事件のあらましから背景を説明するかのように。

 左金吾もそれを聞き、何か渋い顔になった。

 一旦この話はここで終わった。

「そうだ左金吾どの、その曲者どもに立ち会いをした時、その黒装束の男たちをよくもまあ5人も切り伏せられましたな」

 長谷川は左金吾を褒めた。

「私もびっくりしているのです。その時は夢中でした。最初に曲者を斬った時、そこから出る血飛沫や断末魔の叫び声は、今でも脳裏に残っております」

 長谷川はフフッと笑った。

「わしも始めはそうであった。どれだけ道場で稽古を積んでいても、命をかけて向かってくるものは迫力が違う。また、竹刀や木刀でやり合うのとは違う。白刃が舞う真剣勝負だ。これでやられてしまったら、己の命がない、ということを覚悟した。そして、斬り伏せたものにも家族や親しい人間がいるということを感じずにはいられない」

 長谷川は煙管を吹かした。

「この上様の御代においては、ご威光もあり、ほとんどの人が何事もなく日々暮らしている。当然、腰のもので、斬り合うことなど、また、遭遇することもない。しかし、現実には無残にも商家を斬って捨てる盗賊が後を絶たない。そんな中、時代は金や銀を中心とするようになった。特に、田沼主殿頭(とのものかみ)様が老中であった頃に、商家を中心とした貨幣でお国の経済を回すという政策に出た。そのため、商家は莫大な富を得て、武家はその商家に借金をし、にっちもさっちも行かなくなっている。さらに、一部の消化はその田沼様のご威光を傘に、大きく儲けた。それが今はどうだろう」

 長谷川は左金吾に問うた。

「華美なことを規制をし、商業の制約、庶民に対しても経済活動に制約を求めている。そして、借金漬けになった武家を救うべく様々な政策を行っている、と言うことですか」

 左金吾は大凡の世の中の流れを理解していた。

 長谷川は大きく頷いた。

「そうだ。庶民の生活が成り立たなければ、経済は立ち行かない。領地で農民の逃散など起これば、田畑も当然荒れてしまう」

 武家はその収入を領地からの米で賄っている。その米も食べるだけではなく、まさか物々交換をするわけではないので、浅草蔵前に納め、門前の札差に金に変えさせることをしている。しかし、米には不作豊作がある。不作になれば米の値段は上がるが、収入そのものが減る。豊作になれば米の値段は暴落し、やはり収入そのものが減るのだ。

 飢饉や天変地異で、米による経済の疲弊は露わだったが、当時はそれしか道がないと思われていた。

「それを、田沼様は全て金を持って、行おうとしていた。大名や旗本の収入を、そして、全ての経済をお金で行おうとしていた。まあ、金には江戸と大阪とは金貨銀貨の違いがあり、やはり、両替所は儲かってしまうのだが、できる限り米の相場の乱高下に皆が巻き込まれないようにしたかった」

 長谷川は煙草を燻らせた。

 一息ついて、さらに続けた。

「しかし、その経済の変革が早急過ぎたせいか、幕閣の中には、なかなか田沼様の政策を理解するものがいなかった。むしろ、軋轢が生まれた。そのため、幕閣においては、田沼派と反田沼派が現れたのだ」

 左金吾は大きく目を見張った。

 長谷川は煙管の先を見つめながら、

「そして反田沼派の首魁は老中松平越中様だというのが世の中の見方だ」

 長谷川は一息ついて、さらに続けた。

「しかしながら、松平越中様は田沼様に老中に引き立ててもらったはず。なので、その政策をおとなしく、引き継ぐように見えた。それが今になってはどうだ。田沼様の商いに重きを置く政策は影も形もない。常陸の国の霞ヶ浦の干拓事業の失敗で、田沼様は排斥された。もちろん、これは田沼様の直接の失敗ではない。現場の干拓奉行の方に問題があったのだが、無理やり引責辞任という形を取らされた。そして、田沼様のいわば、商いに重きを置く、という政策はそのまま引導を渡されてしまったのだ」

 長谷川は随分と 田沼の政策をよく理解していた。

「いや、何こんな話は、この殺人事件に関わりあるかどうかまだわからない。左金吾どのにもちょっと頭の隅に置いておいていただければと思う」

 元々武士の中には、商いやお金の事に関して考えるのはあまり良くないという風潮がある、そう言って長谷川の長い長い話は終わった。


 左金吾は細かい政治のことについては、まだわからなかった。ただ、父がその松平越中守様の引きで火付盗賊改方になったということは理解している。

 つまり、父はバリバリの松平越中守様の派閥なのだ。

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