表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
花菖蒲殺人事件(左金吾花捕物控)時代小説  作者: 近江守満久
第一章 はじまりは日常から
10/13

道場の帰り

 左金吾は、通っている財部道場の佐々木師範にこっぴどくやり込められて、もとい厳しく指導を受けて、 道場を後にした。

 そして、毎日の日課である四谷お堀端の茶屋へ向かった。


 すでに花屋助六は、そこで待っていた。

「左金吾さま、本日はご足労をおかけします」

 花屋助六は、丁寧に腰を折った。

「それでは参ろうか」

 左金吾は、佐々木師範に打ち込まれた小手や肩などをさすりながら助六について行った。

「今日は猪牙にのりましょう」

 助六は、早めに着いて昼食をご一緒に、と。

 二人は四谷御門から半蔵門をへて、千鳥ヶ淵をまわり、道三堀から猪牙を拾った。


 大川へ出て、猪牙舟は深川界隈へと入っていく。

 左金吾は初めて見る深川の風景を興味深く見ていた。

 大島川へ入って、永代寺門前町で猪牙をおりた。

「助六、どこへ参るのだ?」

「へえ。ちょいと近くのそば屋でさあ」

 ここらあたりでもなかなか良い所で、そう言って助六は手でそばを手繰るような仕草をした。


 永代寺門前は参拝客で賑わっていた。

 助六と離れぬよう、人混みをかき分けながら歩いた。

 程なく、永代寺と富岡八幡宮を囲う堀のほとりにある蕎麦屋・香寿庵へ着いた。

 いらっしゃい、と声が係る。

 店主と思しき老人は万事心得てます、という風で、助六と目配せをした。

 助六に促されるまま、蕎麦屋香寿庵の二階へ上がっていくとそこには、例の着流しの男と、花菖蒲が五輪、それぞれ花入に入れて、床に飾ってあった。

 男は窓の桟に腰掛けてきた。

「左金吾どの、本日はすまなかったの」

 その男はにっこり微笑んだ。

 まあ、そちらへ適当に、と言われて左金吾は、ふすまの近くに控えた。

 助六は、下に行って何か適当に見繕ってもらってくれ、と言われ下に下がった。

 着流しの男はポンと煙草盆に灰をおとした。

 左金吾は改めて見ると、地味で上品な麻の着物を着流しに着て、どこか隙のない雰囲気を見定めた。四十代半ばか。もちろん月代は綺麗に剃られている。

 その男は床にに座り、居住まいを正した。

「改めて、ご挨拶をいたそう。長谷川平蔵である」

 は?左金吾は、動きが止まった。

「なに、今日は役宅でもお城でもねえ。ざっくり話そうぞ」

 いきなり江戸市中で聞くようなざっくりとした言葉遣いになった。

 とりあえず、挨拶をせねば。

「私は松平織部が子息、松平左金吾と申します」

 平伏とまではいかず、腰を折って挨拶した。

 左金吾は、当然、長谷川平蔵といえば、今をときめく火付盗賊改方本役長官の長谷川平蔵宣以であることは承知している。そして、左金吾の父も火付盗賊改方の助役を務めている。本役は火付盗賊改方の長官であり、助役は言わば副官である。長谷川平蔵は有能な幕吏であり、四百石取りの中堅からやや下の幕臣だ。そして左金吾の父、松平織部定寅は、二千石の大身旗本である。家格では、松平織部家のほうが上なのに、役職では長谷川の方が上なのだ。


「お父上の若い頃の名乗りを継いでなさるか。よいよい」

 そうと言って、平蔵は新たに煙管に煙草の葉を詰めた。

 ちょっとまってくれよ煙草に火をつけるでな、といって、長谷川は煙草を盆にある灰に埋もれた炭に煙管を近づけた。

 左金吾は、その間ちらりと 花菖蒲の姿を見た。

 花菖蒲は五輪ある。

 それぞれ意匠の凝った花入れに入っていた。

 そして一番左に置いてある花入れの花菖蒲はすでに花がしおれていた。もうすでに二番花も咲き終わったようだ。


 花菖蒲という花は一つの茎からおおよそ二回、花が咲く。一回目は葉のような緑の包と呼ばれるにものに包まれたところから蕾が伸びてきて、花となる。花は外花被という大きな花びらと、内花被という小さな花びらから構成される。その花は、ほぼ一日花で、夕方にはしおれてしまう。そして、その花がしおれて花弁がなくなった頃に、またもう一度、一番花の花のすぐ下の方に二番花の花を咲かせるのだ。株が何年も経ち 力のあるものはさらに下からも咲くこともあるが実際はほぼ二回で済む。1番目に咲く方を一番かに番目に咲く方を二番花という。


 平蔵はタバコを一服ふかした。

 そして、左金吾の方をゆっくりと見やった。

「左金吾どのも時間もあまりないで、単刀直入にお尋ね申す」

 左金吾は、長谷川の御用のことであるのかと思った。

「何なりとお尋ねください」

「左金吾どのを花菖蒲の専門家とお見受けしてお尋ねいたす。この花菖蒲の名前と由来などをお聞かせ願いないか」

 長谷川は先ほどの砕けた話し方でいいと言ったにもかかわらず、しっかりと武家の言葉で話した。


 左金吾は懐から絵草子を出した。

「おそらく、そのようなお話になるかと思いました。ですから、私の写生した絵草子をお持ちしました」

 左金吾は床に絵草子を置き、そして一番花が咲いているものを見た。

「これは初紅です」

 床に置いた絵草子を開くことなく、左金吾は答えた。

 ほう、長谷川は感心した 風で言った

「次はどうかな」

 紫の濃い色をした花菖蒲であった。

 これはもうすでに花がしおれている。

「こちらは日の出でございます」

 長谷川は、なるほど、と相槌を打った。

 そして、次を促した。

「こちらは花がしおれているのでよくわかりません」

 そして更にみると、

「次のものは一番最初に咲いた花の下から二番花のつぼみが出てきておりますので、それが叫ばわかります」

 左金吾は最後の花菖蒲を見た。

 二番花が綺麗に咲いていた。

「これはおそらく燭光というものです」

 左金吾は持ってきた絵草子を開くこともなくスラスラと答えた。

 長谷川は得心した様子で、

「やはり其許に聞いて、正解であった」

 左金吾は、不思議な顔をして、長谷川に

「私の父には尋ねなかったのですか」

 長谷川は苦笑いをした。

「そこもとのお父上である松平織部様にお尋ねしようと思ったところ、ひどく癇癪を起こされていて、取り付く島もなかったのだよ」

 父も花を愛でている時はさほどでもないのですが、といいつつ左金吾もどこか腑に落ちたようだった。

「して、この花菖蒲の出所などは、お分かりになるか」

 左金吾の眉毛がピクリと動いた。

 昨日のお話をしていいものかどうか迷っていた。

 長谷川は左金吾の表情が変わるのをしっかりと見逃していなかった。

 そこで、下の階から助六と蕎麦屋の親父がそばを持って上がってきた。

「いやいや、長谷川様。本日は三つ葉の天ぷらがあるそうで、そばと一緒におつまみください」

 助六は笑顔であがってきた。

「酒は燗にしてまいりました。そちらの坊っちゃんは飲まれますか? お若いので、たしなまれないかと思ってお持ちしなかったのですが…」

 蕎麦屋の主は、助六に続いて酒を持って上がってきた。

 左金吾は慌てた

「大丈夫です。 ありがとうございます」

 長谷川は、 目を見張った。

「大変素直に育ったのだな・・・」

「父に似ず、ですか?」

 長谷川は、はははと笑った。

 左金吾はは照れくさそうに、

「よく言われます。父がああいう性格ですので、私も気が短いと思われることがよくあります。が、親しくお話すると、父と真逆な性格のため、皆さん、驚かれます」

 左金吾は、三つ葉の天ぷらを箸で持ったまま、

「まあ父がああなので、と言いますか、私はそれを見て育ってますから」

 と言って左金吾は、バツの悪い顔をした。

「しかし、癇癪を起こしているのは父の本当の姿ではないのです。花菖蒲の交配をし、同じ同好の士とは、町人や植木職人などとも身分の分け隔てなく、本当に楽しそうに花を愛でています。花菖蒲の花の咲く頃には、お屋敷を開放して、多くの方に来ていただきます。花菖蒲の説明を女子供にもそりゃあ楽しそうにしています…」

 左金吾は遠い目をして、そう言い終わると、蕎麦を手繰った。

 長谷川も、織部殿にもそんな一面があったのか、と感心していた。


 長谷川は手酌で一杯、クピッと飲んだ。

「そうかそうか、それは良い良い。大身の旗本である跡取で人あたりが良いのは、決して悪いことではない。しかしながら、出仕をし始めると、千代田のお城に棲んでいる様々な、まるでもののけのような、有象無象のものに手足を引っ張られるでな。御政道のためにと思い、お勤めをしてるのだが、なかなか思い通りにいかぬものよ」

 長谷川は、誰にとは言わず、左金吾の顔を見ていった。

 左金吾もおおよそ、誰のことを言っているのかは承知したようで、何とも言えない顔をしていた。


「長谷川様、しかしながら、左金吾さまの初陣は素晴らしいもので、私も間近でその姿を拝見しましたが とても堂に入っているものでございます」

 助六は刀を構える仕草をして、長谷川に言った。

「左金吾どのは、昨日五、六人の暴漢に襲われたそうだな」

「はい」

「五人は斬り伏せ、頭目と思われる黒装束の男、おそらく黒鍬組のものと思われるが、そのものだけ逃した と…」

「はい、相当の手だれで間一髪のところを助六さんに助けていただきました」

 長谷川はそばが伸びてしまうよ、ささ召し上がれ、そう言いそばを手繰った。

「しかしながら、黒鍬組の装束をしていたものというだけであって、実際に黒鍬組かどうかはわからぬだ。こういう場合は、慎重に、たとえ、黒鍬組の装束だったとしても、その関係者とわかるまでは、おおよそ決めつけず、丁寧に足取りを追うものだ」

 長谷川は丁寧に説明した。

 左金吾は感心した。

 なんなく、役宅の方から漏れ出る父の癇癪を起こしたような金切り声は、違った。部下への指示はおおよ、そのような深い洞察力があったようには思えない。左金吾は別の意味で心配になった。

 それと同時に、目の前にいる火付盗賊改方の長谷川平蔵というひとが、功績を上げるのがわかる気がした。

 


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ