ココロ編14
顔が緩みっぱなしのキズハと目が合う。
俺は今いったいどんな顔をしているんだろうな。
そんなこともわからなくなるくらいに動揺していた。
キスは初めてだったのだ。
頬や額にはキズハが家でふざけてしてくることがよくある。
それでもちょっと照れくさくてちょっとの間目を合わせられなくなるのに。
今は唇に、だった。
それは親愛のしるしとかじゃなく、間違いなく愛情の込められたそれ。
よく言うような味だとか感覚みたいなものは正直感じられなかった。
だが、衝撃は凄まじく、印象が脳裏にしっかりと焼き付けられてしまう。
こりゃ、一生忘れられないわ。
卵形のイスの心地よすぎるソファ。
俺の胸に当てられたキズハの右手。
キズハに引かれたままの右手。
間近に迫ったキズハの照れて紅く染まった顔。
唇に触れるやわらかくて熱い感触。
離れた今でも唇の感触が消えない。
ずっと消えない気すらしていた。
幸せそうに笑うキズハが目の前にいる。
なんかもう、俺は耐えられる気がしなかった。
「――ゃうっ」
「終わるまで離さないから覚悟しろ」
キズハの身体を引き寄せて自分のひざに乗せて抱きしめる。
小さい身体は俺の身体にすっぽりと収まってしまう。
それすらも愛おしくて胸が苦しくなった。
一生離したくないとさえ思えてくる。
実際は無理だろうがせめて今だけは、いいだろ?
この気持ちを抑えきるためにはこうでもしてなきゃどうしようもない。
自分の中にこれほどまでの想いがあったとは知らなかった。
愛おしいって、こんなに胸が熱くて苦しくて、幸せなものだったのか。
未だにその想いを口にする覚悟はできないがそれでも態度で表すことくらい、許してほしい。
キズハのことが心の底から大好きだった。
自分のものにしてしまいたくてたまらない。
キズハがもぞもぞと腕の中で動く。
どうやら背中を向けて俺に抱かれているのが嫌だったようで、俺の方へ身体と顔を向け直した。
この妹さまはどうやら俺を悩殺したいらしい。
そんな挙動一つ一つが愛おしすぎて悶絶しそうになる。
思わず再びぎゅっと強く抱きしめると、キズハは苦しいだろうになんだか幸せそうな声を上げた。
勝てるわけないわ。
認めざるをえない。
俺は完全にキズハに行かれてしまっていた。
何をやっていても頭の中が全部その時のキズハで埋まってしまう。
頭を冷やさないと俺、月曜日から学校に行ける気がしない。
そう思いつつキズハの髪の中に顔をうずめる。
そして、頭皮にキスをした。
キズハが驚いたように声を上げてこちらを見ようとするのを抑えて俺は震える。
ヤバい、幸せすぎて死にそうだ。
自分のことながら痛々しすぎて見ていられなかった。
プラネタリウムの照明がすっかり落とされて、天井にゆっくりと空が映し出されていく。
今の空から今日の夕方、夜へ。
その辺りになってようやく落ち着いてきて二人で上を見上げた。
星が輝きを増してきて、息を呑むほどの美しい空が広がる。
星ははるか昔から輝き続けていて、何万光年と言う距離を飛んで俺たちの住むここへ降ってくるのだ。
何万年も前に発生した光を見ている俺たち。
それはある意味タイムトラベルと言える気がした。
だからと言って別にどうと言うことはないのだが。
しかし、そんないつか遠い過去のとある時間の光を俺たちは空を見上げるだけで見ることができる。
まるでその『とある時間』と俺たちの『今』が繋がっているかのような、そんな錯覚。
実際はそんなわけではなくともそれは奇跡のようで。
普段そう意識して空を見ることがないことがなんだかもったいなく思えてきてしまう。
そこに誰かがいるわけでもない。
その誰かがもしいたとしても、繋がることなんてありえないことはわかっている。
だがその光にはそれだけ長い時間を過ごした力と言うか、重みがあるように思えるのだ。
その尊い時間をほんの少しでも受け止められたら自分にもそれだけの意味があると感じられる気がした。
ただの空想で特に意味はない。
そんな空を見上げる時間にもし、キズハといられたら。
そしたらきっと今みたいに満ち足りた気分になるんだろうな。
そう思ってキズハの手を握り締める。
キズハもそれに応えるようにぎゅっと握り返してきた。
「久々だったけどやっぱよかったな。サンキュ、キズハ」
「んーん。わたしも楽しかったー♪」
そうしてプログラムが終わり、外に出てきた俺たちは中で起きたあれのことについて語ることもなく、プラネタリウムの会話をしながら街へ歩き出す。
たぶんお互い話したいのではあるけど、あれはあそこだけの話にしておかないと、な。
あの空間だからこそできたことだった。
やっぱりいくら好き合っていても、俺たちが兄妹であることは変わらないし。
人に知られてはならない気持ちなのだ。
いやまぁ、学校ではもう手遅れな気もするんだけどな。
大人に知られたらまずい。
倫理とかを盾にされたら俺たちは逆らうこともできなくなってしまう。
ダメなことはわかっているから。
いや、だから今日は深く考え込まないと決めたんだった。
つい考え込む癖があるからことあるごとに考え込んでしまう。
「次はどこに行くんだ?」
思考を振り払ってキズハにたずねる。
「んっとね、こっちこっちー」
また手を握られて引っ張られて動悸がした。
ドキドキしすぎだよ俺。中学生か!まったく。
近年まれに見る動揺っぷりだ。
キズハの手のぬくもりが、やわらかさが頭の中に強く、強く焼き付けられていく。
鼓動がキズハに伝わっていやしないかと心配になる、って俺なんか少女漫画の常套句みたいなこと考えてるな。
キズハに引かれて行く内にだんだん行き先がわかってくる。
「あぁ、ミヤト中央美術館か」
「そそ。お兄ちゃんが昔から好きな画家さんの展示会もやってるみたいだからさー」
「マジでか!そりゃいいな、とは思うが。しかしそれでお前は楽しめるのか?」
俺がプランを立てた時にもここは二番目に来たんだがさすがにキズハは退屈していたような記憶がある。
その時も俺の好きなウェリベと言う印象派近代画家の展示があったのでキズハも興味を持ってくれないかと言う希望も込めて行ったのだが。
結果は芳しくなく、あまり長居しなかった。
もうちょっと見ていたい気持ちもあったのだがさすがに興味なさそうに俺の隣で周りをきょろきょろ見回しているキズハを待たせるのも悪いと思って早々に切り上げたのだ。
「あの頃はわかんなかったんだけど、あの後でお兄ちゃんがこの人の画集買ってたでしょ?」
「あー、高校に入った頃に買ったなぁ」
「あれを見させてもらったことがあるのです」
「いや、別にいいんだがいつの間に……。っつか断り入れろよ……」
「色の使い方が特殊すぎて前はわからなかったんだけど、その時に見てやっとわかったんだよ。あの絵の良さが」
「一般受けはしない画家だけどなー。あの良さはじっくり見たときにだけわかる」
現代の解釈では恐らくウェリベは色盲だったのではないかと言われている。
それゆえに色が明暗や濃淡だけで色調はまったく気にせずに使われていて、支離滅裂に見えるのだ。
しかし、そのことを理解しながら見てみるとなかなか面白い。
一部のマニア層にだけ受けている画家なのだがこうして時々展示会のスペースが開かれる辺り、根強いファンがこの辺りにもいるのだろうか。
ウェリベの展示会は五階建てのミヤト中央美術館の二階を貸し切って開かれていた。
中には多いとは言えないまでも、それなりの人がいる。
同好の士がいる、そのことが少しうれしくなった。
「お前が興味を持ってくれたのはうれしいことだな」
「うんー、だって、お兄ちゃんも色弱だし、なんか理解したいなーって思ってじっくり見てたらだんだん好きになっててね」
「俺も最初は完全にはわからなかったよ。色弱と色盲は違うからな」
「色がわからないのに絵を描き続けられたって言うその気持ちがすごいよね」
「あぁ、一部では怨念がこもっているとまで言われてるからな」
俺自身もそうなのだが他人の見ている世界との差異と言うのが時々寂しくなる時がある。
色弱ですらそうなのだ。
色盲ではもっと辛いだろう。
比べてしまうこと自体が失礼なのだとは思うが。
俺も時々絵を描く。
だがほとんどは鉛筆画だ。
色を塗ろうにもそもそもその色がわからない。
その状態で塗って、昔気持ちが悪いと言われた。
肌色だと思った色が薄い緑だったのだ。
植物人間、などと言われ、俺の絵は破壊されてしまう。
それから人に絵を見せるのが嫌いになってしまった。
美術の先生には気にしないでいい、それは君の個性だから、とか言われたが。
そんな個性は要らなかった。
ウェリベはそう感じなかったのだろうか?
それとも、それすら凌駕して描こうという強い意志を持って書き続けたのか。
だとすれば、彼は本当に強い意志を持った人だ。
俺は他人に拒否され続けたり、理解されないと言うことを孤独に耐え続けられるほど強くない。
独りで信念を貫き通せるほどの意志も想いも持っていなかった。
そんなウェリベの絵だからこそ俺は好きになったのかもしれない。
キズハの心も動かせたのかもしれなかった。
彼が死してからもうすでに200年近く過ぎている。
それでもこうして展示会に見に来てくれる人がいる絵を遺せた彼は幸せだろうか?
生前まったく評価されることもなく、独り身だった彼の自宅が取り壊される際に見つかったたくさんの絵画。
それがこうして今も大切に保管されている。
そして、その絵画たちを見るために足を運んでくれる人たちがいた。
孤独死してしまった彼は今、報われてくれているだろうか。
俺も努力すれば、信念を貫き通せば、いつか何かをなせるだろうか。
自分自身が生きてきた証と言えるものを、残すことができるんだろうか?
俺の前でじっと壁に掛けられた絵を見つめるキズハの顔を見つめる。
誰かにこんな真剣な表情をさせられるほどの何かを俺は持っているのか?
俺にそんな価値はあるのだろうか、そんなことを考えてしまう。
そんなもの、悩むようなことではないのだが。
やっぱり自分自身の価値と言うものを求めてしまうのだ。
誰かの価値あるものが見えてしまうと、どうしても。
価値があると信じたい。
俺が生きていることは無駄ではないのだと。
俺がここにいる理由はどこかにある。
そう言い聞かせていないと、俺は大切な女の子の隣に立つことすら臆病になるほどに、弱い人間だった。




