第8話 神に背く拳
今回は暁月シュウと、ある人物が邂逅します。
この話は咎華においてとても大事な瞬間なので、是非ご拝読くださると嬉しいです。
鉄の衝撃音が夕の空に響いた。
暴漢の一人のバットが振り下ろされる瞬間、シュウの体は自然に反応した。避けるより早く、懐に滑り込み、相手の肋を肘で打ち抜く——鈍い音とともに男が空気を切って膝を折った。
(なんだ、これは――)
驚きすら自分の中を通り過ぎ、鋭い理性だけが残る。視界は研ぎ澄まされ、相手の呼吸、体重移動、汗の粒までもが鮮明に判るようだ。動きは無駄がなく、流れるように一連の攻撃へと繋がっていく。
右を取っていた者に膝蹴り。
振り向いた瞬間を拳で迎え、相手の顎が上を向く。
鉄パイプを振るった奴は、腕を掴まれたまま力を吸い取られるように地面に叩きつけられた。
更にナイフが閃くが、刃の延長線上に立たず、距離を詰めて肘で刃先を弾く。
反撃の余地を与えず、次々と致命にならないが確実に効く一撃を重ねていく。
音はある。呼吸もある。だが世界はひどく静かだ。
拳の重み、相手の身体が沈む感触、床に落ちる靴底の摩擦——それだけが言葉より雄弁に現実を語る。
四人目がもがいている。シュウは視線を逸らさず、ゆっくりと近づいていく。相手の目線の端に自分が映る。その瞬間、相手は何かを感じ取ったのか小さく怯んだ。
シュウはためらいなく拳を振り抜き、相手を倒す。
力加減に容赦はない。それはシュウの殺意そのものを現していた。
最後の一人――最初にローズを狙った男が、壁際で必死に体勢を整えようとする。シュウはその男にまたがり、両手で肩を押さえつける。男の鼻からは荒い息、震えが伝わる。
夕の風が二人の間を走り抜ける。
シュウは男の胸ぐらを掴んだまま、ゆっくりと顔を近 づけた。
路地の冷気が二人の間を泳ぐ。暗がりの中で、シュウの目だけが異様に光って見えた。
「言え…!」
低く、絞り出すような声。怒りはもう理性を突き抜け、純粋な衝動──殺意になっていた。
男は口を開け、かすれた笑いを漏らした。だがその笑いはすぐに消え、瞳が揺れる。
「金だよ……金でやっただけだ。誰がって……そんなもん、言えねえよ!」
その言葉を聴いた瞬間、シュウは力を込めて男の顔を殴りつけた。音だけが路地に大きく響く。男の頭が大きく揺れ、唇がひくついた。
だが男はまだ言わない。シュウの拳は容赦を知らず、顔面を執拗に叩き続ける。
シュウの表情はまるで怒り狂う悪魔のように、目を充血させ、食いしばる歯は剥き出しだ。
殴られるたびに男の声は割れ、嗚咽とすすり泣きが混じる。
ただの殴打ではない。シュウの動きには強烈な目的があった──情報を絞り出すための、尋問のようなリズム。拳を打ち下ろすたび、シュウの声が叫ぶ。
「誰に言われたんだ!! 名前を出せ、どこの組織だ!?」
男は目を見開いて震え、言葉をつなぎ合わせようとする。しかし口から出るのは断片的な音節ばかりだ。
こいつらはただの雇われの小者だと、シュウは理解していた。だからこそ、その軽薄な笑いが許せなかったのだ。
シュウはさらに激しく打ちつける。
拳の衝撃は生理的な衝動を呼び起こすほどで、相手の身体が震え、目が白く濁りかけた。男の嗚咽は断続的になり、やがて震える声が零れた。
「ダ…ダカンだって言われた…金は、ダカンの…連中から…。」
その一言で、シュウの殴打は一瞬止まった。
だが止めたのは慈悲ではない。問いに対する確認のための短い間合いだ。
男の唇から更なる言葉を引き出すため、シュウは顔面を殴るのを再開する。殴られるたびに男はさらに小さくなり、言葉は絞り出される。
「マフィアみたいな連中だ…政治家と繋がってる…騎士団の中にもいるって…。」
答えは雑で、断片的だ。だがその中身は重かった。
シュウの胸の奥で、何かが確かに変わるのを感じる。拳を振るう手に、冷たい確信が宿る。
怒りは情報に変わり、正義の仮面が剥がれて見える世界の輪郭が鋭くなる。
その刹那、男の体が急に硬直した。
目玉が泳ぎ、喉が変な音を立てる。
男は苦悶の声を上げ、身体を捩じらせた。
他の倒れていた男達も同じく全身をバタバタと痙攣させ始めている。
だんだんと皮膚が黒ずむような色合いを見せ、瞳は白く濁っていった。
シュウは殴る手を止め、後退した。直感が告げる──これはあの時の現象だと。
(……ゾンビ化!?)
既に倒れていた五人が、ぎこちなく、ゆっくりと立ち上がる。
彼らの口からは低いうめきが漏れ、近づいてくる足取りは遅いが執拗だ。
シュウは背を壁に預け、拳を握り直す。恐怖と困惑が同居した一瞬だった。
ゾンビ化した暴漢達が襲いかかってくる瞬間――空間が、軋むような音を立てて裂けた。
風が止まり、世界が息を潜めたかのように感じた。
目の前は視界を塗り潰すほどの閃光が迸った。
それは白でも黒でもない、純粋な“光”そのもの。
神聖でありながら、同時にどこか背筋を凍らせるほど不穏な気配を孕んでいた。
六人の影はその光の中で、まるで現実から切り離されたように輪郭を崩し、
肉体が粒子にほどけていく。
音はなかった。ただ、空気がわずかに震え、光の残滓が砂のように舞う。
数秒後、すべては終わっていた。
闇に戻った路地には、もう何も残っていない。
ただ、焦げたような空気と、かすかに漂う鉄の匂いだけが、現実の証として残っていた。
残されたのは、静寂と乾いた余韻だけ。
シュウは膝をつき、ゆっくりと呼吸する。
拳に残る感触は現実のものだが、血の色や痛み、ただその重みだけが彼を現実へ引き戻す。
すると背後から、紳士的な穏やかな声が聞こえた。
「危なかったね。大丈夫かい?」
振り返ると、黒いスーツに身を包んだ男が、月光の中で静かに立っていた。長い黒髪、端正で中性的な顔立ち。両手のひらには赤黒い紋が微かに揺れている——魔法の光だ。
「私はルシアン・グレイ。魔導士さ。」
「魔導士……?」
ルシアンのその口ぶりは余裕と観察者の冷静さを同時に含んでいた。
シュウの視線はまだ震えていた。身体の奥に燻る殺意と、今見た光の余韻が混じり合い、言葉はすぐには出てこない。
ルシアンは静かに歩み寄る。
「見事だったよ、君は。躊躇なく敵の懐に入った。
恐れを知らないというより、己の恐れを握り潰しているかのようだ。」
褒め言葉の影には、禁忌を探るような興味が潜んでいる。シュウはやっと息を吐き、震える声で答えた。
「――あの連中……ゾンビ化してた……。
なのにあんな一瞬で…何だったんですか…?
あの魔法は……。」
「私は昔から魔法を探求していてね。
さっきの魔法は汚れた魂の人間を選別し消滅させるものだ。
研鑽を重ね、ようやくこうして聖なる魔導石を移植することに成功したんだ。」
ルシアンはそう言って両腕を見せると、その手からは神々しく感じる魔導のオーラが淡く輝いていた。
しかし、シュウの目には確かに神々しく見えるが、どこか禍々しい気配も感じていた。
「気をつけることだ。この世界の汚れは深い。
君が今見たのは表面的な駒に過ぎない。
雇い主は、もっと大きなものだ。
しかし、その大きな悪も、所詮は汚い欲望に忠実な虫けらに過ぎない。
君の崇高な行いと意思、そして強い魔力の素質の前では敵ではない……。」
シュウは言葉を失いながらも、ただ黙ってその言葉を受け止めていた。
するとルシアンは歩み寄り、手を差し出した。
「君のような存在に会えたことを、嬉しく思うよ。」
その手を見つめ、しばらく躊躇したのち――シュウはそっと応じた。
指が触れた瞬間、ドクンッと心臓が強く跳ねた。
視界の端が一瞬、歪み、光の粒が流れる。
誰かの声、誰かの叫び。
ほんの刹那、遠い記憶のような映像が脳裏をよぎる。
だが、それが何なのかを理解する前に、意識は現実へと引き戻された。
ルシアンの手は温かく、どこまでも落ち着いた紳士のものだった。
だが――なぜだろう。
その笑顔の奥に、底の見えない闇を感じてしまう。
「あぁ……それじゃ、俺はこれで。
助けて頂いてありがとうございました。」
シュウがその場を離れようとすると、ルシアンの声が彼を呼び止めた。
「そうだ…最後にこれを聞いてくれ。」
ルシアンの瞳が、街灯の光を反射して淡く光る。
「さっきの虫けら共は、跡形もなく消滅した。
証拠も残らない。だが、いずれ君がローズの殺害を阻止したことは“奴ら”の耳に入るだろう。
そして――君も、ローズも、再び狙われる。」
その言葉に、シュウは振り返る。
「そんな! でも…どうして、そんなことまで知ってるんですか?」
ルシアンは微笑んだまま、淡々と答える。
「私は“ジャーナリスト”でもあるんだ。
この国の裏側――いや、世界の歪みを追っている。
ノア連邦は今や、ダカン帝連からの侵食を止められない。
政治家も、騎士団も、芸能界や医療業界すらも。
すべてはダカンに魂を売った連中に支配されている。
つまり、この国で何かをすれば、それはすぐにダカン帝連の耳に届くということだ。」
重苦しい沈黙。
風が吹き抜け、シュウの心臓が再び波打つ。
「……じゃあ、俺はどうすれば……?」
ルシアンはゆっくりと歩み寄り、優しく言った。
「君が今考えているように、ローズの父――ノア連邦騎士団親衛隊長に、ありのままを話すんだ。
彼であれば君の勇気ある行動は、必ず正当に評価される。
そうすれば、ローズも、君の母親も、少なくとも今は安全だ。」
シュウはしばし考えたが、すぐに頷いた。
「……分かりました。ありがとうございます。」
ルシアンは微笑んだ。
「また会えるよ、シュウ。」
その声には、不思議な確信があるかのようだった。
しかし、シュウは言葉にはしないがずっと思っていた。
なぜ、自分がさっき考えていたことがわかるんだ、と。
シュウの足音が遠ざかっていく。
路地に一人残されたルシアンの表情が、ゆっくりと変わった。
笑みは消え、瞳は鋭く光る。
「間違いない……やはり、彼が――。」
その言葉を最後に、彼の姿は夜の闇に溶け、跡形もなく消えた。
ご拝読ありがとうございます!
暁月シュウの大切な友達ローズを守るため、逃がすことなく執念で相手を追い詰め、五人の暴漢が武器を持って囲んできても怯まず戦いました。
普通の人間にはとても敵う状況でもありませんし、何よりそもそも暴漢を追うことなく、その場を見逃すか、ビビって立ち尽くす人がほとんどでしょう。
もちろん恐れず立ち向かえと言うつもりはありません。
しかし、シュウは条件反射的に悪を、卑劣な行いを見逃すことを決してしないということです。




