第17話 黒の導き手
冷たい蛍光灯の光が、天井から白々しく降り注ぐ騎士団本部の取り調べ室。
金属の机は擦り傷と落書きが刻まれ、椅子の脚は床を引きずった跡で黒く削れていた。
その真ん中に、シュウは後ろ手に手枷をかけられ、座らされていた。
背筋を少しだけ丸めて俯いているが、その目だけは曇っていない。
だが怒りでもなく、虚勢でもなく――何かを必死に押し殺している強張りがあった。
向かいには三人の騎士が立っている。
彼らは腕を組み、足を肩幅に開き、まるでゴミを見るかのような目でこっちを見下ろしていた。
「――そろそろ、認めたらどうだ?」
一人が机を指で叩きながら、吐き捨てるように言った。
「お前が魔法を使い、罪もない人達を焼き殺した。
その魔導器はどこに隠した?」
シュウは顔を上げた。
縋るでもなく、反抗でもなく、ただ真っ直ぐに。
「何も隠していない。魔法は使っていない。
何かの、間違いだ…!」
その静かな声が、かえって騎士の苛立ちを増幅させる。
「――はぁ……。」
一番年配の騎士が深く溜め息をついた。
「これじゃまったく話が進まん。
あの状況で“やってません”は通らんぞ。
それにな、お前は騎士二人の制止を無視し、暴行し、逃走をはかった。
この事実は覆らん。」
「違う!」
抑えていた声が弾けるように出た。
「俺は……ダカン帝連のマフィアを追っていたんだ!
大切な親友を二人も殺され、次は俺か……家族かもしれない。
だからあの場で捕まえようと――!」
「何の証拠がある? 陰謀論かなんかを真に受けて正義の自警団気取りか?」
騎士の冷たい声が、乱暴にその訴えを切り捨てる。
「学生のお前が犯人を特定できるはずがないだろう。
それに、騎士団が止めれば従うのが当然だ。」
言葉に呆れ返ったように、シュウは息を吐き出した。
肩がわずかに震える。
(……聞く耳なんて、最初から持っている訳ない。
俺がやったと言うまでこいつらとずっと不毛な事を話さなければならない……どうする……?)
その心の声を読み取ったかのように、騎士が怒鳴る。
「なんだその態度は、この旧アマツ人が!
お前は大勢を殺した罪で火炙りの刑に――!!」
その瞬間、取り調べ室の扉が開いた。
騎士の言葉が途中で止まった。
ゆっくりと姿を見せたのは――グレゴリー・ヴァレンタイン親衛隊長だった。
「こ、これはヴァレンタイン親衛隊長殿……。
ど、どういった御用で……?」
騎士たちが慌てて直立し、胸に手を当てる。
グレゴリーは彼らを軽く一瞥し、静かに言った。
「この者と二人で話がしたい。席を外してくれるか?」
「しかし……。」
その言葉を最後まで言わせず、グレゴリーの視線が鋭く突き刺さる。
「……もう一度言う。席を外してくれ。」
その圧は、怒声よりも重く強かった。
騎士たちは青ざめ、互いに目を合わせ、頭を下げて部屋を出ていく。
扉が閉まると、グレゴリーはゆっくり椅子を引き、シュウの正面に座った。
彼は深く息をつき、ほんの少しだけ表情を緩めた。
シュウは俯いたまま言う。
「……すいません。言うことを聞かずに……。
騎士を殴ったのも、本当です。
でも……俺は魔法なんて使ってません。
焼き殺してなんか……いない!」
グレゴリーは静かに頷いた。
「わかっている。君が正義のために身を張り、奴らを追い詰めようとしたことも。
そして……君が焼き殺すなんてことするわけがないことも。」
だが、その声は厳しさを帯びていく。
「しかし――これはあまりに無謀だ。
どんな理由があろうと、騎士に手をあげてはならない。
君の状況は、悪くなる一方だ。」
シュウは唇を噛む。
「でも……このままだとまた誰かが犠牲に……!」
「わかっている。」
鋭く遮られ、シュウは目を瞬かせた。
だがグレゴリーの目に宿っていたのは怒りではなかった。
――痛み。そして責任を背負った者の決意。
「いいか?これは私の仕事だ。
私の使命であり……私の責任だ。
君の親友を救えなかったのは、私の力不足。
だからこそ、私が戦わねばならない。」
言葉に迷いはなかった。
しかしその拳は、わずかに震えていた。
グレゴリーは立ち上がり、背を向ける前に言った。
「暁月君。君は明日には釈放させる。
私の権限で、必ずだ。
だから……今度こそ大人しくしているんだ。」
扉が静かに閉まった。
取り調べ室には、シュウの荒い息づかいだけが残された。
***
グレゴリーが出ていき、取り調べ室には再び静寂が戻った。
シュウは机に映る自分の顔を見つめた。
疲労と苛立ちが混じり、目は少し赤く滲んでいる。
(まさか俺は……本当に魔法を使ったのか?
我を失う程の怒りと共に感じたあの黒い霞……あれは……。)
思い返した瞬間、胸がざわつき、頭の奥が熱を帯びた。
黒い何かが脈のように波打つ感覚――。
(……いや、今は考えるな。おかしくなりそうだ。)
額に手を当て、深く息を吸ったその時。
ガチャっと扉が開く音がした。
再び騎士が来たのか、と身構えたが――。
「あっ、また会えたねぇ。暁月シュウ君。」
その声は、取り調べ室に似つかわしくないほど軽く、そして妙に艶っぽかった。
ノア連邦の騎士服をまとい、美しい黒髪を後ろでまとめた女性。
目元の涼やかさとは裏腹に、笑みはどこか猫のように掴みどころがない。
数日前、グレゴリーへの謁見の際に案内をしてくれた――あの時から違和感しかなかった謎の人物だ。
「……あなたは、あの時の……。」
シュウが驚きと警戒を混ぜた目を向けると、
セラはぱっと表情を明るくし、手を叩いた。
「良かったぁ、覚えててくれてたんだ!
嬉しいなぁ、シュウ君って本当に可愛いじゃない。
私はセラ・アルバーノ、ヨロシクね。」
その場にそぐわない柔らかさ。
だが、言葉の裏に何か柔らかくないものが潜んでいる。
セラは机を迂回し、シュウの背後へ回る。
そして――躊躇なく手枷の鍵を取り出し、カチャリと外した。
「立って。ここからは、私が案内するからね。」
「あの騎士の人達はいいんですか?
それにセラさんは、本当にノア連邦の騎士――。」
言い終える前に、セラは指先でシュウの唇を軽く押さえた。
「はいはい、その話は後ね。
今は“話より動く”時間。」
そして、ためらいなく彼の手を握る。
その手は優しく温かいのに、なぜか血の気のない冷たさを感じた。
しかしこんな状況なのに不覚にも心臓が跳ね上がり、顔を真っ赤に染まってしまっていた。
「さ、行こっか。」
「どこへ……?」
シュウの問いに、セラはくるりと振り向いて、いたずらな笑みを浮かべた。
その笑顔だけで、取り調べ室の空気が一気に塗り替えられる。
まるで、扉一枚越えただけで“別の世界”に連れていかれるような――そんな、底知れない感覚。
「君を助けに来たんだよ。それからはシュウ君が決めること。」
助けに来た……。騎士団から?
胸の奥で何かがざわついた。
「……本当に、俺を助けていいんですか?」
「もちろん。だってあなたこのままじゃダカンの連中に殺されるよ?」
「え!? でもグレゴリー親衛隊長が明日釈放するために何とかするって。」
「親衛隊長はね、信頼できる人だよ。
本気で君を守ろうとしてる。強いし、毅然としてるし……本当に“立派な騎士”なんだ。」
セラは歩きながら軽く肩をすくめた。
「でもね、このノア連邦という国全体が、もうダカン帝連の色に染まってる。
親衛隊長の言葉なんて、誰も本気で聞く気はない。
立場だけは立派でも、実際は“数で潰せる”と思ってる。」
言葉は静かだが、内容は冷徹だった。
「だから……彼が何を言おうと、君の身柄は決まってる。
このままじゃ、今晩にもダカンの連中に引き渡される。
処理する気満々だよ。“旧アマツの厄介者”ってね。」
その瞬間、シュウの背筋に冷たいものが走った。
あれほど怒鳴られながらも、どこかで――
“騎士団なら正義を通してくれるかもしれない”
そんな希望を捨てきれずにいた自分が、ひどく惨めに思えた。
(……やっぱり、ここは腐ってる。
正義なんて、飾りにもなっちゃいない……。)
悔しさと虚しさで胸が締めつけられる。
セラはその表情の変化を見て、小さく微笑んだ。
だが、その笑みは美しくも――底の見えない危うさを帯びていた。
「だから言ったでしょ。
シュウ君は『助けられる側の価値』があるんだから。
私たちが拾う理由は、ちゃんとある。」
その言葉が、警告にも救いにも聞こえるほど、セラの声は甘く、妖しく響いた。
「でもここから先は本物の闇の世界。
あなたはもう闇を受け入れて生きるしかない。
いや、あなた自身が闇になるの。」
そして彼女はシュウの腕を引いた。
「さぁさぁ。」とセラは軽やかに言う。
シュウはわずかに息を飲み――扉が開かれ、その暗い回廊の先へと、一歩を踏み出した。
その一歩が、もう二度と後戻りできない道だと、このときのシュウはまだ知らなかった。




