第15話 罪と怒りの裂け目で
この15話は遂に暁月シュウという人物の本質の片鱗が出てきます。
ノア連邦はダカン帝連に滅ぼされた旧アマツ人を差別の対象として見ています。
グレゴリーが部下のリードを伴い重役会議へ向かってから、およそ二時間が過ぎた頃。
地下シェルター全体は、表面上は落ち着いた静けさに包まれていたが、実際は昨夜の惨劇を引きずった重い空気が漂っていた。
ローズはまだ自室のベッドの端に座り込み、昨日のショックが抜けないまま、まるで時間が止まったように動けずにいた。
部屋の前を通るたび、シュウは胸が詰まる。
――ローズまで背負わせるわけには、いかない。
あの優しさに甘える資格は、今の自分にはない。
だから、シュウはそっと扉に手を触れ、聞こえないほど小さな声で呟いた。
「……大丈夫。俺が終わらせる。」
当然ローズには聴こえていない。
彼女に近づけば確実に止められてしまう。
シュウは静かにその場を離れた。
母のアリサは地下シェルターの簡易キッチンで湯を温めながら、落ち着かない様子で何度も入口を振り返る。
昨夜からずっと、息子が急に壊れてしまうのではないかと怯えているようだった。
レトルトのスープを温めながら、アリサは深く息をついた。
「……シュウ、大丈夫なの……?」
その背中は今にも折れてしまいそうで、シュウは胸の痛みを飲み込む。
(ごめん、母さん……でもあんな悪党を野放しにすればいつ誰が犠牲になるかわからない。)
アリサの視線がこちらに向いた瞬間、シュウは無理に笑顔を作った。
「ちょっと……外の空気を吸ってくる。気分転換にね。」
「危ないからダメ……! 外に出るなんて――。」
「出ないよ。入口の廊下まで。
ここに籠ってたら余計に気が狂いそうだから。」
アリサは迷ったが、彼の声に“嘘をついている響き”を感じ取れなかった。
息子を信じようと、ぎゅっとエプロンを握りしめて頷く。
「……すぐ戻ってきてよ。」
(戻れない……戻らない。復讐を果たすまで、俺はもう帰らない。)
シュウは微笑を返すと、ゆっくりキッチンから遠ざかった。
地下シェルターの通路には警戒のため、残りの騎士三人がいた。
ハロルドは監視室で端末の点検。エステルは装備室で武具の手入れ。そして最後の一人のアメリアは外周警備。
シュウは通路の角に身を寄せ、監視室の騎士が席を立った瞬間を見計らった。
端末の音声が遠くで響く。
『警備区画Cの回線、再起動します。』
騎士が配電板へ向かい、ほんの一瞬、監視モニターから目を離す。
(……今だ。)
シュウは軽く息を吸うと、気配を極限まで抑えて通路を滑るように移動する。
すれ違う気配に、体が緊張で軋んだ。
金属を研ぐ音が響き、装備室にいるエステルが刃に視線を落として集中している。
背を丸め、影のように通り過ぎる。
――あと少しで裏出口。
しかし次の瞬間。
「……ん?」監視室のハロルドが振り返った。
シュウの背に冷たい汗が流れる。
「なにか通ったような……?」
(動くな、動いたら気づかれる……!)
心臓が破裂しそうなほど脈打つ。
ハロルドは数歩ずつ歩き出し確認しに近づいてくる。
シュウとの距離が縮む――
だが次の瞬間、通信が鳴った。
『至急、警備B区画の点検を頼む。』
「……なんだ、またか。今確認する。」
騎士は踵を返し、別方向へ向かっていく。
シュウは小さく息を吐いた。
シュウは裏口の小さな扉の前に立つ。
母さんの僕を想う不安な表情。ローズの怯えた表情。そしてタクトとリナの受け入れられない死。
すべてが胸の中で渦巻き、最後には黒い炎のような決意だけが残った。
(必ず……殺す。)
振り返れば、戻りたくなるかもしれない。
だから、シュウはもう振り返らなかった。
静かに扉を押し開け、セラフィア市の街へと向うべく姿を消した。
地下シェルターの防音扉が閉まる音は、誰にも気づかれなかった。
*****
昼のセラフィアの街は、いつも通りの穏やかな喧騒に満ちていた。
屋台の呼び声、行き交う人々の足音、遠くの噴水の水音。
その中を、シュウは自分が目立つようにと早歩きをしていた。
(来い……必ず来るはずだ。奴等は俺を狙っている。)
ただ歩いているだけのはずなのに、通行人たちがシュウの異様な殺気に気圧されて距離を取っていく。
影のように静かで、しかし燃えるような敵意が周囲に漏れ出ていた。
――その時だった。
背後から足音を消した影が、ぬるりと近づくのを感じた。
(見なくてもわかる。後ろから俺を刺そうとしている…!)
背中の気配がざわついた。
空気の密度が、ほんのわずか変わる。
嫌な温度。冷たい鉄の匂い。
こんなに感覚が研ぎ澄まされるのか。
汗が一筋、背骨を伝う。
世界の音が遠のき、心臓の音だけがやけに大きく響いた。
黒いスーツの男が、人混みの影に紛れるように接近していた。
その男は迷いなど一切なく、ただ呼吸するように刃物を抜き放つ。
銀の軌跡が閃き、シュウの首へ直線を描いた。
(来た──ッ!!)
振り返るよりも先に体が跳ねた。
全身の神経が、火傷するほどの熱で連動する。
シュウは横へ飛び、その刃は髪をかすめて空を裂いた。
空気が切れた音が、耳の奥で刺さる。
地面に着地する瞬間、彼の表情には“恐怖”よりも“怒り”が浮かんでいた。
「チッ……気づかれてたか……!」
ダカンマフィアの男が舌打ちし、間髪入れず再度刃を構えた。
だがシュウは、その動きを目で追っていない。
“殺意”の匂いで感じ取っていた。
血が沸騰するような衝動。視界の色が濃くなる。
心臓は音を消し、世界の呼吸だけが聞こえる。
(殺す……逃がさない……絶対に訊き出す……!)
マフィアが踏み込む刹那、シュウは腰を沈めて相手の懐へ飛び込んだ。
男の手首を掴み、刃物を地面に叩き落とす。
想定外の動きだったのか、マフィアは驚愕した表情を浮かべる。
「……なんだお前……その動き……!」
「お前だ……ッ。お前らが……タクトとリナを!!」
怒りに飲まれ、掴む手に力が入り、その手首が軋んで悲鳴を上げる。
だがマフィアもただではやられまいと歯を食いしばり、ひるむように後ずさった瞬間、煙幕のような小型閃光を地面に投げた。
白煙が広がる。
「じゃあな!この馬鹿力の劣等種め!」
男は逃げた。
「待てぇッ!!」
シュウは通行人を押しのけて追う。
殺気の奔流が街の空気を引き裂く。
角を曲がった先で、ノア連邦のパトロール騎士二人が異常な空気に気づいて立ち止まった。
一人がシュウの必死の顔つきを見て眉をひそめる。
「おい君、止まれ! ただ事じゃないな!」
「邪魔するな! あれはダカンマフィアの暴漢だ!逃げられる前に捕まえる!! 友達が殺されたんだ!!」
「落ち着いて落ち着いて、市街地でそんな形相で走ってるの見たら、君の方がよっぽど危険だ。」
「そういうことだから。話は聞いてあげるから、とりあえず止まって止まって、落ち着きなさい。」
騎士が腕を掴んだ瞬間――
シュウの中で、何かが切れた。
(なんで……!なんで俺を止めるんだ……!
友達が……殺されたのに……!)
怒りが膨れ上がり、胸の奥で黒い霧が蠢く。
騎士が再度声を張り上げた。
「このまま暴れるなら拘束するぞ! おい、手枷を出してくれ!」
「まったくこれだから旧アマツ人は……。はいそのまま!」
その瞬間、シュウの中の何かが爆ぜた。
「どけぇぇッ!!!!」
膨大な力が拳に集まる。殴られた騎士の鎧は、金属音を上げる間もなく粉砕された。
騎士が三メートルほど吹き飛び、もう一人の騎士とぶつかり二人とも石畳に転がる。
街中が、一気に静まり返った。
「えっ……!!」
「今……騎士を……殴った……?」
人々の目が一斉にシュウへ向く。
野次馬の中の一人が叫んだ。
「こいつ! 純血の旧アマツ人じゃないか!?
見ろよあの目……野蛮だ!」
「だから嫌なんだよ! 下等な血はすぐ暴れる!」
「騎士を殴ったぞ! 取り押さえろ!俺達がこのクズを成敗するぞ!」
シュウの喉が震えた。
(今……そんなこと……どうでもいい……
邪魔するな……邪魔するな……ッ!!)
シュウに対する差別の言葉に何人かは眉をひそめた。
「いや……でも差別は……ちょっとおかしいんじゃ……。」
「彼、誰か怪しい人追ってたよ? もしかして事件じゃ……。」
まともな声もある。だが、差別の暴走は止まらない。
「黙れ!旧アマツは悪だ! 俺たちが正義を成すぞ!
ほらお前等、囲め囲め。」
怒鳴り声と共に、十数名の市民が手にした棒や石を振り上げた。
シュウの頭の中で、怒りと焦りと絶望がぐつぐつと煮え立つ。
(今俺が止まったら……また逃したら、また大事な人が殺されるかもしれない。)
すると街人の1人が石を投げつける。
「死ねよ、化け物が!」
その一言で最後の理性が焼き切れた。
シュウの目が、深すぎる闇色に染まる。
空気が圧し潰されるように歪む。
街人たちが息を呑む。本能が警告したのだ。
そこに立つのは“人間”ではないと。
そして遂に――怒りは頂点に達し、彼は叫んだ。
「消えろ!!虫けらどもがァッ!!!!」
あの穏やかなシュウから発せられたとは思えぬ、とてつもなく強烈な覇気と憎悪のこもった魂の叫び。
叫びと共に、世界が黒い光に包まれた。
彼の周囲に、影が逆巻くように立ち上がり、
触れた空気そのものが焦げる。
今までシュウを差別していた街人たちの身体から、一斉に火焔が噴き出した。
炎が──“人間の体内から自然発火したように燃え上がる”。
叫び声が重なり合い、焦げた匂いが街に漂う。
それは一瞬で肌を這い上がり――炎が爆発したように全身を包んだ。
「ぎゃああああああ!!!」
「な、なんだこれ!? ひっ、ひぃぃ!!」
一人、また一人と、シュウに怒鳴り返していた街人達が“体内から自然に発火する”ように燃え上がる。
通りは激しい悲鳴で満たされ、周囲は恐怖に陥った。
「逃げろ! 化け物だ!!」
「ひ、火が……水! 水をおぉぉ!!」
「やめろ!近づくな!!」
そして誰かが叫ぶ。
「あいつだ!!旧アマツの少年がやったんだ!!
こいつが魔法を使ったに違いない!!」
指差されたシュウは、炎の反射で真っ赤に染まった瞳で呟いた。
「……クソッ……また……逃がした……。」
ほんの一瞬、人間らしい理性が戻り、目の前の光景など見えていないかのように悔しさが顔に滲む。
だが騎士団の増援がすぐに到着し、十数名でシュウを包囲する。
「動くな!!」
「両手を頭の後ろに!」
「この場で拘束する!!」
シュウは歯を食いしばり、追跡の望みが完全に潰えた現実に拳を震わせながら――ゆっくりと膝をついた。




