夢での会話について
夢で「誰か」と話すという経験は誰しも一度くらいある気がします。他人だったり、化け物だったり、天の声だったりと形は様々ですが。
では、その「誰か」というのは他人なのでしょうか?それとも自分なのでしょうか?それについて考えてみました。
まず、夢というのは自分の脳が生み出しているものだと思っています。そこに出てくる「誰か」というのも当然、自分の脳が生み出したものでしょう。自分の人格が脳で形成されているように、新たな人格も経験などから形成される。それが、夢という現象の中に登場する。つまり、夢の中に出てくる全ての人格は自分の脳が形成したものであり、それはすべて自分の人格といえるのではないでしょうか。ですから一見、「誰か」と話しているようで、それは自分の脳が新たに作った自分の新人格と話しているのです。
しかし、その「誰か」というのが自分が形成した人格ではなく、現実の友達などの人格がそのまま脳にインプットされ夢に出力されているとしたら、それは他人であるとも言えそうです。自分なりの解釈をして他人を取り込んでいるとは思いますが、他人の人格を自分なりに解釈したものを自分の新人格だという人は少ないでしょう。あくまでそれは、自分が感じ取った他人の人格と考えるのが自然ですね。実際、友達が夢に出てくることもありますし、そういう時に自分と会話してると感じることは少ない気がします。
上二つの主張の違いは、「誰か」というものが、脳で生成したものか、周りからインプットしたものがそのまま出力されているだけなのかという差です。
また、一つ目の主張の反論として、新人格を形成したとして自分のメインの人格ではないのだから、それは他人と変わらないという意見もありそうです。自分の脳内に生まれただけの他人であるということですね。実際、二重人格の人などはもう一人の人格をどう思うんですかね?他人が自分に入り込んだと感じるのか、自分が生成した自分の別側面だと感じるのか。そういった解釈の違い次第で意見は分かれそうです。
スピリチュアル的な考え方まで入れれば、夢というのは全人類が形成するネットワーク世界であるみたいなものもありますよね。その場合、夢に登場する「誰か」は他人か全人類が形成した創造物なのでしょうね。
以上のようなことを考えましたが、結論はまぁ人次第でしょう。個人的には「誰か」は自分だと考えていますが、そう思わない人もいるでしょう。また、自分でも他人でもないその中間のようなあいまいな存在と考える人もいそうです。良ければ、考えてみてください。




