第7章 影の門番との戦い
通路を塞ぐ黒い巨影――背から伸びる無数の腕が鎖を握り、空間そのものを締め付けるように鳴らしていた。
黒い鉄鎖が通路を覆い尽くし、出口を封じている。
「……才門の直轄か」
千景が低く呟く。
「ただの影兵じゃない、門番級だ」
鎖が一斉に唸りを上げ、美緒たちへと襲いかかる。
「任せろ!」
尊が地面へ手を突いた瞬間、影の水脈に石の壁が立ち上がる。複数の壁が幾重にも重なり、盾のように仲間を覆った。
鎖は壁にぶつかり、火花のような闇を散らす。
「ぐっ……! 押し込まれる!」
尊の額に汗が滲む。
「なら――攻めに転じろ!」
凛太郎が抜刀する。刃は淡く光を帯び、影を切り裂く音を鳴らす。
尊が壁を傾け、鎖を逸らした一瞬――
「行け、凛太郎!」
「任された!」
凛太郎の体が風のように駆け、刀閃が走る。門番の黒い腕が一太刀ごとに断ち切られ、黒霧が散った。
だが、門番の咆哮とともに鎖は倍以上に増え、尊の壁を打ち破る勢いで押し寄せる。
「チッ……防ぎきれねえ!」
尊が叫ぶ。
その時、美緒が一歩前に出た。
赤い光が瞳に宿り、喉奥から震えが溢れ出す。
「――止まれ!」
声が響いた瞬間、鎖の奔流が硬直する。空気ごと凍り付いたかのように、門番の動きが縛られた。
「今だ、凛太郎!」
千景の指示が飛ぶ。
「はあああっ!」
凛太郎の刃が光を裂き、門番の胴を横一文字に断ち切った。
黒霧が噴き出し、影の巨体が崩れ落ちていく。
残されたのは、青白い光に照らされる牢獄の輪郭。
美緒は息を荒げながらも、牢を見据えた。
「……楓が、あそこに……」
尊が最後に壁を張り直し、通路を守る。
「急げ! 才門に気づかれる前に!」
千景が頷き、仲間たちは影の残滓を踏み越えて進んでいく。
牢獄は青白い光に照らされ、透き通る水晶のように輝いていた。
だが近づくほどに、その光は冷たく、心を締め付ける。
内部には少女――楓が静かに横たわっていた。
「楓……!」
美緒が駆け寄り、声を震わせる。
楓は目を閉じ、穏やかな表情を浮かべている。
まるで深い夢に沈んでいるように。
だが、その周囲には黒い霧が薄く漂い、彼女の胸の上に絡みついていた。
狐が低く囁く。
「才門は彼女に“夢”を見せている。幸せな幻に囚わせ、意志を閉ざすことで永遠に支配するんだ」
「そんな……」
尊が悔しげに拳を握りしめた。
「このままじゃ目を覚まさねえ……!」
千景は一歩前に出る。
「解けるのは、美緒……お前しかいない」
美緒は息を呑む。
「私……?」
「お前の力は声を聴き、操る力。今の楓は、夢の声に縛られている。なら、それを上書きできるのは……お前の声だけだ」
一瞬、躊躇が胸をよぎる。
けれど――美緒は膝をつき、牢に触れた。
透明な壁は冷たく、指先から心まで凍りつきそうだった。
「楓……聴こえる? 私だよ、美緒だよ」
声が震え、空気が揺れる。
その震えが牢獄の水晶に伝わり、微かな波紋を生む。
美緒はさらに強く想いを込めた。
「目を覚まして……帰ろう、一緒に。みんなが待ってる!」
牢獄の中、楓の瞼が微かに震える。
夢の中で、彼女は笑っていた。
花咲く野原で、両親と兄に囲まれ……温かな幸せに包まれていた。
そこに、美緒の声が割り込む。
――美緒……?
夢の世界で楓が振り向いた。
そこに立つ美緒の姿が、幻想の中に現れていた。
「楓、これは嘘の幸せだよ」
美緒の声は涙を含んでいた。
「帰ろう。本当の場所は、ここじゃない」
夢の空が割れる。
野原が黒く崩れ、影の鎖が露わになる。
楓の体を絡め取っていた黒い霧が、苦しげに蠢いた。
「っ……!」
楓の表情に迷いが走る。
美緒は声を張り上げる。
「楓! 私はあなたを信じてる! だから、目を開けて――!」
赤い光が美緒の瞳に宿り、その声が牢獄を震わせた。
波紋が広がり、水晶の壁に亀裂が走る。
「……美緒……!」
ついに楓の口から声が漏れる。
水晶が砕け散り、黒い霧が悲鳴をあげて消えていく。
楓の体が美緒の腕の中に崩れ落ちた。
「よかった……!」
美緒の目から涙が零れる。
楓は弱々しくも瞼を開き、微笑んだ。
「……夢の中で……あなたの声が……ずっと聴こえてた」
千景が頷き、仲間たちに短く命じる。
「撤退だ。楓を昼の世界へ返す」
尊が再び壁を張り、背後から迫る闇を食い止める。
凛太郎が刀を構え、残滓を切り裂きながら退路を守る。
狐が道を開き、青い光の門が再び揺らめいた。
そこは昼の世界への帰還口。
千景が低く告げる。
「楓を託す。ここから先は俺たちが闇の奥に潜る番だ」
青い光の門が揺らめき、昼の世界へと繋がる気配を放っていた。
そこから流れ込む空気は、どこか懐かしく柔らかい。夜の世界の冷たい気配に慣れ始めていたせいか、その温もりがひどく胸に沁みた。
楓はまだ弱々しく、美緒の肩に寄りかかっていた。夢に囚われていた影響で、体力も気力もすっかり奪われている。
「……私だけ、帰っちゃっていいの?」
楓がか細い声で呟く。
「いいんだ」
千景が静かに答える。
「今はお前を守ることが最優先だ。昼の世界で待っていろ。必ず俺たちが君の兄を助ける」
楓は不安げに視線をさまよわせる。
「でも……みんな、危ないところに行くんでしょ?」
「大丈夫。俺が守る」
尊が短く、しかし力強く言い切った。
その背にはいくつもの壁が層をなし、仲間たちを護るかのように揺らめいている。
凛太郎は刀を鞘に収め、にっと笑った。
「心配すんな。俺たち、こんなとこで負けるような連中じゃねぇよ」
美緒は楓の手を強く握った。
「楓……必ず柊と帰ってくるわ。そしてまた一緒に笑おう」
楓の瞳が潤み、震えた唇から小さく声が漏れる。
「……待ってる。絶対、帰ってきて」
狐が尾を振り、門がさらに光を増す。
「行け。昼の世界なら、才門の影も及ばぬ」
千景が頷き、美緒と共に楓を光の門へと送り出す。
楓の姿がゆっくりと光に溶けていき、最後に振り返った彼女の笑みは、涙に濡れながらも確かな強さを帯びていた。
やがて光が収まり、楓の姿は完全に消える。残されたのは夜の世界の冷たい闇。
――静寂。
美緒はしばらくその場に立ち尽くした。
だが、千景の声が彼女を現実へと引き戻す。
「ここからが本番だ」
千景の瞳は闇の奥を見据えていた。
「才門の居城、その中心へ。俺たちが踏み込むのは……この夜の世界の心臓部だ」
尊が壁を崩し、新たな通路を作り出す。
凛太郎が刀に手をかけ、軽く肩を回す。
狐の尾が揺れ、先導するように暗がりへ伸びていく。
美緒は胸に手を当て、深く息を吸った。
まだ体に覚醒の余韻が残っている。声を操る力、その新しい感覚が確かに内側で燃えていた。
「……行こう」
その言葉は、仲間全員の心を揺らし、静かな決意に変わる。
夜の世界の奥深く――才門の支配の中心へ。
彼らは一歩を踏み出した。




