第11章 昼の世界へ再び
――助けて、美緒……兄さん……。
その声が届いた瞬間、空気が震えた。
美緒の中に眠っていた音の波が共鳴し、尊の胸の奥に響く。
まるで二人の意識を貫いてくるような怜の声。
それは境界を越え、昼の世界から発せられた“叫び”だった。
「今の……怜の声だ」
「間違いない。昼の境界から呼んでる」
千景が表情を引き締めた。
「境界安定維持局……奴らやはり見つけていたか。やばいな」
尊が拳を握り締めた。
「だが、またあの森を抜けるのは危険だ。夜の世界はもう、境界が乱れ始めている」
「大丈夫」
結衣が短く言い切った。
「道に残響のしるしをつけてきたわ。しるしを辿れば、迷わない」
その言葉に、千景が頷く。
「行くぞ。音を絶やさないで。残響が途切れれば、道も消える」
霧の底、かすかに光る軌跡が連なっていた。
それは結衣が残した音の残響。足を踏み出すたびに、青白い光が波紋のように広がる。
「走れ!」千景の声が響く。
皆が一斉に駆け出した。
風が切り裂かれ、霧が左右に裂ける。
夜の森の闇がうねり、無数の影が蠢く。境界の歪みが生んだ“虚像”たちが、道を塞ぐように現れた。
「くるっ!」
美緒が咄嗟に音を放つ。
空気が震え、耳を裂くほどの高音が虚像を貫く。影が悲鳴を上げるように崩れ落ち、霧に溶けて消えた。
「ナイス。……止まるな、前へ!」
尊が声を張る。
尊がその背後で結界を張り、追撃を防ぐ。透明な光が爆ぜ、火花のように周囲の闇を弾き飛ばした。
やがて霧が薄れ、光が見える。昼の世界の空が、わずかに覗いていた。
「出口だ!」
結衣の残響が最後のひと筋を描き、淡く消える。
それとほとんど同時に境界を跳び越えた。
境界を抜けた直後、世界が一瞬ぐらりと傾いた。
霧の光がほどけ、昼の匂いが押し寄せる。
「っ……戻った……?」
千景が手を突いて息を吐く。
「生きてる……みんな、無事か!」
「うん……! 大丈夫!」美緒が応える。
結衣は静かに頷き、霧の向こうに残響の光が消えていくのを見届けた。
「危なかったわね。あと少しで道が途切れてた」
「結衣の残響がなかったら、今ごろ森の中だな」尊が笑う。
千景は辺りを一瞥し、短く言った。
「急げ。長居はできない。境界の揺れがまだ残ってる」
彼らは走り出し、昼の街を抜けて、廃ビルの地下にあるアジトへ戻った。
扉を開けた瞬間、柔らかい灯りが目に入る。
そこにいたのは――楓だった。
「……みんな!」
楓が立ち上がり、駆け寄る。
「よかった……無事で……!」
「ただいま、楓」美緒が微笑む。
「ちゃんと休めてた?」
「はい。でも、ずっと不安で……兄さんは?兄さんはどうなったんですか?」
「どこにいるのかわからないけど、夜の世界から戻ってきているわ」
「こっちにいるんですね。良かった・・・家に帰ってきているかも!帰ってもいいですか?」
一瞬皆が静かになる
「尊の弟の怜が境界安定維持局に捕らえられたみたいなの
今、帰ると楓も捕らえられる可能性があるわ」
「兄さんも捕まっているの?」
「それは大丈夫だと思う。聞こえてこないから・・・」
「聞こえてこないってどういうこと?」
「私・・・夜の世界から戻ってきたら色々な声や音が共鳴するようになっていて
聞こえてきたり、協力してくれて私の力になってくれたりするみたいなの。
夜の世界にいた時、怜から助けてという声を感じ取って戻ってきたの。
でも柊や土生が捕まった感覚は届いていないから大丈夫だと思う」
楓は何か言いたそうな雰囲気だったが、すぐさま千景が
「楓、今は帰っちゃだめだ。柊や土生を探すからここにいてくれ。
怜だけでなく君まで捕まってしまっては何のために夜の世界から救い出したのかわからなくなってしまう」
美緒が頷く。
「絶対、柊も土生も見つけるから」
楓は唇を噛み、そして小さく笑った。
「・・・はい、わかりました」
沈黙のあと、結衣が明るい声を出す。
「とりあえず、まずは休もう。境界越えの疲労、舐めたらだめよ」
尊が苦笑する。
「確かに。美緒、もう立ちながら寝そうだぞ」
「そんなことないっ……」
言いかけて、思わず大きなあくびをしてしまい、皆の笑いが起こった。
その笑いの余韻の中で、千景だけが静かに窓の外を見た。
――昼の空は青い。けれど、その青の奥で、微かに揺らぐ光がある。
境界の乱れは、確実に広がっていた。
「休めるのは今のうちだな」
小さく呟き、彼は背を向けた。
その夜、アジトには久しぶりに“人の気配”が満ちていた。
温かい食事の匂い、笑い声、そして微かな安心。
けれどその奥で、誰も口にしない不安が静かに息づいていた。
――怜の声。
――柊と土生の行方
――境界の揺らぎ。
そして、まだ見ぬ“次の扉”。
皆疲れ果てて深い眠りについていた。




