第4話 星空とプロムナード
「テレーズ、待ってたわ」
うららかにスカートをなびかせ、リリアンお嬢様が椅子に座った。
わたしは紅茶を淹れて、そばにひかえる。
許されない恋をおしとどめて、わたしたちは生きていた。
「お嬢様、大変お待たせ致しました」
「二人っきりのとき、そういう堅苦しいのはなしよ」
「……お嬢様、会いたかった」
「わたしもよ、テレーズ」
夕焼けのさすお嬢様の部屋には、わたしたちは二人っきりだった。
お嬢様が一口紅茶を仰いで、わたしを見据える。
「早速だけど、悲しいお知らせがあるの」
「なに?」
「フィアンセが、決まって……」
「……そう、はやいわね」
「お相手はモーリス公爵の長男。悪い話ではありません」
何も聞きたくなかった。
せっかく練習した紅茶も、今だけはしょっぱかった。
わたしたちがずっと一緒にいるわけにはいかない。
「ねえ、テレーズ。わたしと一緒に駆け落ちしませんか?」
「え?」
「計画はかなり前から練ってあるんです」
「ほ、本気なの?」
「もちろんです。明日からは護衛が増えるという噂を耳にしました。よければ、今日にでも」
お嬢様は立ち上がって、わたしの手をとった。
「わたし、テレーズ以外のものになるつもりなんてありません!」
「でも、貴族の責務は……」
「関係ない。あなたと一緒になれない人生なんていらない!」
「……」
お嬢様は顔を近づけた。吐息がかかった。
「テレーズ、わたしと一緒に来てください」
「やめてください、本気にしちゃう……」
「わたしは、本気です」
お嬢様の星のような瞳が、何よりも綺麗だった。
胸がドキドキした。
「わたしも、一緒に行かせて」
お嬢様はようやくわたしを離した。
見つかったらただではいかないだろう。
良くて折檻、悪くて処刑。
その日の深夜、お嬢様に起こされた。
「テレーズ、出発の時間ですよ」
「んにゃ、ちょっと待ってください」
「あなたのメイド服も、見納めですのね」
ろうそくの薄明かりの中、私服に着替える。
静けさ香る真夜中に、すこし高揚感を覚えていた。
「で、どうするんですか?」
「ふふ、驚かないでね」
お嬢様が据え付けの電球を引っ張る。
暖炉の奥から、カタという音がした。
「来て」
「わかった」
お嬢様が暖炉の奥に進む。
後を追うと、調理室の暖炉につながっていた。
「すごい」
「まだまだですわよ、おほほ」
お嬢様と手をつなぎ、くらい調理室を明かり無しで進んでいく。
「巡回の時間、順番は把握してあるわ」
お嬢様はドアを開け、廊下へスイスイと躍り出る。
蒼い月明かりだけが、わたしたちを照らしていた。
外に出て、星月夜のあかりが照らす草を踏みしめる。
「テレーズ、ついてきてる?」
「うん」
「あとちょっとよ」
外には巡回している騎士が居た。
慎重に、抜け穴へ向かう。
……バキっ
突然、足元から音が鳴った。木の枝だった。
「誰だ!」
巡回の人が近づいてくる。
「テレーズ、来て」
お嬢様が駆け出して、わたしが追いかける。
「ごめん」
「平気よ」
わたしたちは城壁の影に隠れた。
「だれも居ない? 妙だな……」
わたしたちは息を止めて細い隙間にとどまる。
「まあ、気のせいか」
騎士さんは去っていった。
しばらくして、お嬢様が歩き出した。
今度はもっと慎重に、わたしも歩き出した。
そしてとうとう、城を抜け出した。
「ぷはぁ、危なかった!」
「お嬢様、ありがとうございます」
「テレーズ、頑張ったわね」
お嬢様はわたしを抱きしめた。
わたしも負けじと、抱きしめた。
「つぎはどうするの?」
「商人の方に協力を取り付けてありますわ」
それからは言外に上手くことが進んだ。
早朝の馬車の積み荷に紛れて、城下町を抜ける。
それから2日後の昼過ぎ、山の峠でわたしたちは降ろされた。
「じゃあ、俺達が手伝えるのはここまででっせ」
「ええ、ありがとうございました」
「姫さんがたも、お気をつけて」
お嬢様は商人を見送って、わたしを見た。
「この山を北に進めば、マメール王国ですわ」
それからわたしたちは山を登り始めた。
お嬢様と一緒なら、大丈夫な気がした。
山頂についたとき、あたりはもう真っ暗だった。
眼の前には広大な平原がひろがり、遠くにちいさな街が見えた。
大地がごく低い音を響かせ、まわる宇宙に反響していた。
「つかれたー」
「今日はこの辺にしておきましょう」
わたしは岩の上に倒れ込む。
お嬢様も一緒に、倒れ込む。
「お嬢様、お疲れ様でした」
「わたしはもう、公爵令嬢じゃないわ。……リリアンって、呼んで」
「……リリアン、今日はありがとう」
「いえ、別に」
名前で呼ぶと、リリアンは高い星空に目をそらした。
碧い宇宙にはかがやく川がかかっていた。
「マメール王国といえば、同性婚が認められていましたっけ」
「ええ、そうです」
「わたしたちも、一緒になれるのかしら」
何気ない一言のつもりだった。
「その、左手を出してくださる?」
「ええ」
リリアンがバッグから何かを取り出した。
「少し早いかも知れませんが……」
わたしの薬指に、リリアンの瞳のように輝く指輪がはまった。
「リリアン、用意周到すぎませんか?」
「これぐらいでちょうど良いんです」
「それも、そうですね」
「指輪、受け取っていただけますか?」
「ええ、もちろん」
リリアンが星にまたたいた。
暗くて表情はあまり良く見えなかった。
それでも良かった。
「ねえリリアン」
「なに?」
「愛しているわ」
わたしはリリアンにキスをした。
それからわたしたちは街にたどり着いて、ちいさなパン屋を始めた。
小さいながらも、立派な結婚式をした。
こうしてわたしたちは、自由を手に入れたのだ。