78 紬の噂
夏本番となり、太陽の下を歩くだけで汗が吹き出す季節になってしまった。
学業も部活も今は安定していて穏やかな気分でいられる。
アリサとの関係も順調で二人きりの時にも変に意識してしまうことも少なくなり、親友として良好な関係を続けられている。
獅子と大月さんのバカっプルぶりは変わらず。
ただ一つ、少し忙しいことになっているのが幼馴染の紬だった。
「柊さんお願いっ! チア部に入って」
「えっと……」
バスケ部で見せたあの紬の応援が学内で目立ってしまい、あっという間に広まってしまったのだ。
それに目をつけたチア部の先輩達が毎日のように紬に対して勧誘をしていた。
アリサや獅子がびっくりするくらい紬のチアは素晴らしかった。
ウチの学校のチア部は有名でもないし、紬の勧誘に必死だった
「わたしチアとかやったことないですし、無理です!」
紬のやつ困ってるな。ここは間に入るべきだろうか。
「でもあなた」
その言葉は僕の歩みを止めるものだった。
「高校一のチアリーディング部『FRY』のトップだったんでしょ!」
チア部部員の期待の込めた言葉とは裏腹に紬の表情は青ざめていた。
「youtubeで見たけど凄かったわ。身軽というかあんなに軽やかに空中で舞うなんて……。何よりその見た目よね! コメントでもあなたのことしか書かれてなかったわ! 私もあなたの演技に釘付けだったもの」
「……」
「だからお願い! 少しでいいから力を貸してほしい。今トップを演じる子が少なくて、もし合わなければ円満に退部してもいいから!」
「……それが嫌なんです」
「へ?」
「そう言うくせにみんな最後はわたしを追い出そうとする。だからっ!」
紬は大声を出して、チア部の人達を振り切って走り去ってしまった。
紬があんなに言葉を荒くするのはとても珍しい。いつもにこにこしていて、僕やアリサにが温和な感じで獅子には冷淡だから、あんなに感情的になるなんて思わなかった。
「ねぇ、私、彼女に悪いことしちゃったかなぁ。でも柊さんに見惚れたのは本当なの。私もトップだから分かるのよ、あの演技の凄さは」
チアの部長さんはがくりと肩を落とす。
他の部員達が駆け寄る。チア部の部長さんは部員達に慕われているようだ。
「見学くらいすればいいのに……。部長にあんな態度を取るなんて」
「本当にあの子を入部させるんですか? youtubeにも変なコメントあったじゃないですか」
「それに」
女子部員がぼそりと呟いた言葉が頭の残った。
「あの子、悪い噂あるんですよね。だから正直……」
◇◇◇
校舎に戻ってきて、教室に戻るため廊下を歩いていた。
紬に悪い噂。
紬が僕に家に引っ越ししてから今までずっと一緒に過ごしているけど悪い噂が何か具体的になったことはない。
両親ともひよりとも仲良しだし、獅子とは……うーん、まぁそれはいいか。
男子からの人気は上々で正直アリサよりも人気があるんじゃって思うくらいだ。
「紬ちゃんマジで可愛いよなぁ」
一部の男子からは普通に下の名前で呼ばれている。
アリサだったらこうはいかない。
「いつもニコニコ笑ってるし、喜んでくれるし、距離近いんだよな」
「分かる分かる。スキンシップしてくるっていうか。仕草も可愛いよな。体で喜びを表現するって感じ」
「あの上目遣いがたまらん。すごいね~って言ってくれるんだぜ! 俺のこと好きなんだと思う」
「ばーか。そう言って告ったらみんなフラれてるんだろ。朝比奈アリサとは違った難攻不落だぞ」
そんな男子達の声が僕の耳に入ってくる。
悪い噂どころか良い噂しか無くないか? 幼馴染みが褒められるのは普通に嬉しい。
ただ恋人が出来てしまうのは複雑と言える。獅子に恋人が出来たことは嬉しくもあり、寂しくもあったからね。
紬も学校に慣れたら誰かと交際するんだろうか。今の所はごめんなさいしてるようだけど。
「涼真、こんな所で何してるの?」
「紬!」
当の本人が現れた!
さっきは青ざめていたけど、今は元の笑顔が輝かしい紬の姿になっていた。
先のことを聞くのは今ではないかもしれない。相談されればもちろん受けるが、無理に聞くことは絶対しない。
身内だからこそ聞かれたくないことが僕にだってある。
「午後からの授業なんだけどさ」
ぐいっと紬は顔を寄せてくる。
アリサより少し小さい、150センチ後半の紬は下から上目遣いで見つめてくることが多い。
170過ぎの僕の視点では紬の綺麗な黒髪がよく見えるのでこれがたまらなくドキっとする。
「紬、近い近い」
「え~、顔近づけた方が喋りやすいよ」
「まわりの視線が気になるから」
「別に幼馴染み同士なんだからやましいことでもないでしょ」
そうは言ってもなぁ。アリサの家でもほっぺにチューとかしてくるし、紬のマイペースさは今に始まったことじゃない。
それに動揺してしまう僕の女性慣れのしてなさが良くないのかも。
アリサに負けず紬も良い香りがするし、スタイルもいいから正直ドキドキする。
「僕や獅子はまだいいけど……他の男子にはしちゃ駄目だよ」
「分かってるよ。そこはなるべく意識してるつもり」
「紬?」
「でも……生き方はそんなすぐには変えれないよ」
紬なりにいろいろ考えてるのだろうか。でも他の男子の言葉を思うとあまり効果はないような気がする。
紬は僕の腕を急に引っ張った。
「どっちにしろ涼真はいいの! 今回は独り占めするんだから」
「まったく紬は……ってげっ」
視線を外すと廊下の奥の柱を握りつぶす勢いでアリサがこちらを覗いていた。
メラメラと炎を宿してしまっているようでまわりの生徒達もびっくりしているじゃないか。
これはまさに嫉妬の感情なんだろうか。
もし大月さんがぶっ込んでなかったら僕は鈍感でくぐり抜けていたに違いない。
でも正直怖いし鈍感を装っちゃだめかな。
僕の視線に気づいたのかアリサが険しい顔で近づいてきた。
「や、やぁアリサ。どうしたのかな」
「男と女の間に友情は存在しないって話、知ってるかしら?」
何でそんな話題になってしまうのだろうか。
この話を深掘りしてはならない気がする。何としても話題を変えないと。
「アリサちゃん! こんなところでどうしたの?」
そして紬はそのアリサのオーラにまったく気づいておらずいつも通りニコニコした顔で答える。
マイペースで天然でほんとそういう所は変わらないな!
予想もしてなかったのかアリサの頬が少しひくついてるじゃないか。
「ふん。二人して随分親密にくっついていたように思えるけど、幼馴染みにしたって仲良すぎじゃないかしら」
アリサは嫉妬心なのか、腕を組んでツンな口調を口にする。
こういう姿のアリサを見るのは久しぶりな気がする。