75 お兄ちゃん
あれから少し日は流れて穏やかな日を過ごしている。
体育館でちゃんとアリサと会話できたおかげで以前のような気安い関係に戻れた気がする。
それでもアリサを見るとやっぱり可愛いなと思い、意識してしまうけど。
そんなわけで今日も家事代行のお仕事でアリサの家にいる。
だけど家主はおらず、僕一人でこの広い家の家事を行っていた。
今日はアリサがアルバイトで夕方まで帰ってこない日だ。
初めて会った時に家庭教師のバイトをしてるって言ってたっけ。
頭を使って帰ってくるだろうからパンケーキを焼いてあげようか。冷めても美味しいパンケーキのレシピはどこだったかな。
アリサが獅子と好みが似てるのがありがたい。獅子が好きだったものをそのまま作ってあげたら喜ぶもんな。
パンケーキを前に顔を綻ばせるアリサの姿を想像したら思わず笑ってしまうな。
ガチャリ。
そんな扉が開く音がして、僕は振り返った。
そこに見慣れぬ男性がいて……僕は言葉を失った。
「誰だ」
見たことのない男性の姿に一瞬肝が冷える。
だがさすが僕、獅子のストーカーに刃物突きつけられた時に比べたら100倍マシだ。
肝が冷える中、その男性の姿をじっと眺める。
上背が高く、顔立ちがとても整っていて、金色の髪にエメラルドグリーンの瞳。
まるでアリサを男にしたようなその姿に当てはまる人が頭の中に浮かび上がった。
「もしかして……アリサのお兄さんですか?」
「雫の代わりに雇った家事代行か。アリサが言ってた」
やっぱりアリサのお兄さん。確か静流さんだっけ。
めちゃくちゃイケメンだぁ。一つ年上だったはず。
「えっとお兄さんはどうしてここに……」
「ここは俺の実家なんだが」
「そりゃそうですよね……。あ、今アリサはアルバイトに出ていて」
「アリサに会いにきたわけじゃ。む、良い匂いがするな」
焼けたばかりのパンケーキをお皿に乗せたばかりだった。
お兄さんがキッチンを覗いてじっとパンケーキを見ている。
「アリサ用に焼いたんですけど……食べます?」
「食べる」
言い方が妹そっくりだな!
◇◇◇
「うまっ……うん……。これはなかなか。君は料理上手だな」
「ありがとうございます」
「おかわりはないのか」
「あ、すぐ焼きます!」
もう3枚目なんだけど、何枚食べるんだこの人。
しかし美味しそうに食べるなぁ。さっきまできりっとした表情なのに食事している時は穏やかな表情だ。
まるでアリサを見ているようだ。
なるほどな。大月さんがこの人を好きになった理由が分かった気がする。
イケメンでご飯を美味しく食べてくれるんだから大月さん的にはたまらんだろうな。今度このイケメン好きってからかうことにしよう。
今も毎日アリサの画像を送ってきやがるから。
アリサが言ってた通りなら水泳をやっているんだっけ。そしてアリサと大月さんの幼馴染の水原心さんと交際をしている。
あの騒動大変だったんだよなぁ……。
お兄さんは結局、パンケーキの具材をすべて食べ尽くししまった。もうないのかと言われ、正直ちょっとあきれてしまう。
お兄さんに話をしようと言われて対面して座る。そして一言。
「アリサと付き合っているのか」
「ぶふっ! い、いえ……そのようなことは」
当たり前のように言われて混乱する。
「俺は友人が少なくてよく知らんのだが、バイトとはいえ、異性の家に行くのは特別な関係ではないのか?」
「おっしゃる通りですが……その、アリサとは親友ですので」
火照る顔を押さえつつ、お兄さんの追求を交わす。
こっちも聞いておかないと……。
「お兄さん的に、僕がこの家にいて良かったんでしょうか。もちろんアリサや大月さんから許可はもらってますよ」
「雫が大丈夫って言ってるなら俺は何も言わん」
「アリサじゃないんですね……」
大月さんの評価たけー。なんでどいつもこいつも大月さんの評価高いんだ。
恋人の獅子。幼馴染みのアリサや水原さん。そして静流さん
おまけに紬まで大月さんは良い子だと言う
この女、性格悪っ! って思ってるの僕だけじゃないか。
この世は大月ハーレムじゃないかって思い始めるんだぞ。
「でもほら……僕も妹がいるので心配じゃないですか。妹は幼稚園児なんですが仲のいい男の子が出来たら本当に心配で!」
「そうだな。いや……普通はそうなのかもしれん」
「え?」
「アリサは兄の俺が言うのも何だが綺麗に育ちすぎた。ゆえに男という存在に憎しみすらあるように思う」
「それは……」
初対面の時の攻撃的なアリサを思い出す。
獅子とだって強く敵対してたし……。そうだったな。
「正直俺はそっちの方が心配だったんだよ。でも君がアリサを変えたようだ」
きりっとした表情を見せていたお兄さんの瞳が穏やかになったように思えた。
お兄さんなりにアリサのことが心配で、もしかしたら今日来たのもアリサではなく僕を見に来たんだろうか。
「それに上手い飯を作る奴に悪いやつはいない」
「なんですかそれ……ふふっ」
アリサのお兄さんってのもあって言っていることが少しずれてて面白い。
いつのまにか僕は静流さんと話が弾むようになっていった。
アリサのこと、学校のこと、静流さんのこと、水泳のこと、時間があっという間に過ぎていくようだった。
「メシは他にも作れるのか?」
「ええ、一通りは。大月さんほど手の込んだものでは出来ないですけど」
「雫のメシも久しぶりに食べたいな。だが雫にも彼氏が出来た以上、気軽には頼めないか」
とても複雑な関係なんだよな。
もし大月さんを薦めてしまって、大月さんがお兄さんに再び恋をして獅子が失恋する。
そして幼馴染に亀裂が入ってアリサが泣く。そんな未来にしてはいけない。僕は出来ることは。
「だったら僕が作りましょう! 静流さんが好む食事を僕が」
「ふむ」
お兄さんがじーっと僕を見る。
「ならお願いしようか」
「え?」
「高校を卒業したら海外にも遠征に行く予定なんだが、メシの問題が深刻でな。アリサほどではないが俺も異性には苦労した方でなるべく同性で固めたいんだ。優れた人材は今のうちに確保しておきたい」
「ぼ、僕はあくまで素人ですよ!」
「プロの栄養士も雇うし、そこは気にしなくていい。君のことを気にいった。是非とも俺の将来のため」
「し・ず・る。何言ってるのかしら」
突然現れたのは怒った表情を浮かべるアリサだった。
腕を組んで椅子に座るお兄さんを見下ろしている。
お兄さんは首を上げて、アリサの方を見た。
「よく見つけてきてくれた。感謝する」
「静流のためなわけないでしょ! あ、パンケーキのにおいがする。涼真、作ってくれたの!」
「それなんだけど……お兄さんが全部」
「は? おかわりは……」
「具材全部使っちゃって」
「美味かったぞ」
パコーンとお兄さんの頭をアリサはぶったたく。
この二人の関係性が見えてきた気がする。