57 ケンカのわけ
休み時間になり、僕は紬の手を引っ張って教室の外を出た。
クラスメイトの歓声が湧いたが変に問い詰められるよりはマシだ。どうしてこうなった。数ヶ月前まではそういうのとは無縁で空気と思われていた僕がクラスの注目を集めることになるなんて。
それもこれも獅子やアリサにそして紬と関わることになってしまったからだと思う。
人通りの少ない階段口で止まる。
「もう、涼真ったら強引なんだから」
「その割に嬉しそうだね……」
「昔もこうやって手を引っ張ってくれたよね。あの時もわたしすごくドキドキしたんだよ」
「紬が大型犬を驚かせたせいで追われた時のことを思い出したよ」
あの時は僕もドキドキした。食べられるんじゃないかと本気で思ったからね。
慌てて走ったので息を少し切らせつつも紬は笑顔をして見せていた。
おっとりした雰囲気で黒髪ロングな風貌から清楚なイメージをもたれがちだがこの子は意外にアクティブな子である。
10年前と変わらなければの話だけど。
「それにしてもなんてことを言ってくれたんだ」
僕は思わず頭を抱えてしまう。
「さっきの自己紹介のことだよね。わたし、嘘は言ってないよ」
「お風呂の話は言わなくていいでしょ!」
「ええ~」
紬が恥ずかしそうに顔を赤らめる。
「涼真がよく嫌がるわたしを無理やりお風呂場に連れ込んでたじゃない。あの強引な所、わたしは忘れないよ」
「おかしいな。僕の記憶と違いがあるなぁ。水が苦手で風呂に入るのを嫌がる紬をおばさんに頼まれた僕が仕方なく一緒に付き合ってあげたよね。逃げようとするから強引に引っ張ってたじゃないか」
「も~。そういう記憶は都合よく変えるものだよ」
「紬に都合の良い記憶にするのは勘弁して!?」
「そんなにまずかったかな? もしかして……恋人がいるとか」
「……いないよ」
一瞬だけアリサの顔が浮かんでしまったが慌てて頭を振ってかき消し否定した。
アリサは親友なだけでそういう関係じゃない。……なのに彼女に知られるのを恐れてしまうなんて失礼な思い上がりだ。
「いなかったとしても勘違いされるのは困る。ああいうのは勘弁してよ」
「……そうだね。ごめんなさい」
紬が萎らしく謝罪の言葉を放つ。
10年前の紬だったら笑いながら謝りそうなものだけど、本当に反省しているようだった、
僕もちょっと言い過ぎただろうか。
「わたし、この学校では上手くやっていきたいから」
「へ? それってどういう」
「こんな所にいやがったか。涼真そして紬」
「獅子」
現れたのは僕と紬の幼馴染の獅子だった。紬とは10年ぶりの再会だ。
正確には10年ではないのだけど、幼稚園を卒業し、小学校に入る直前まで僕達はいつも一緒に過ごしたんだ。
紬の顔つきがやんわり笑顔な美少女から冷淡なものに変わる。
「あなたが獅子なんだ。泣き虫、お漏らし、逃げ足の獅子がこんなに大きくなるなんてね。10年ってやっぱりすごいねぇ」
「はん。そういうおまえは10年変わらず性格悪いよな。転校早々涼真に迷惑かけてんじゃねーよ」
見えない火花が出ているようだ。
幼馴染は仲良しってのが定説なはずなんだけど獅子と紬は昔からこんな関係だ。
10年前もこんな感じで毎日のように喧嘩をしていた。間に入る僕の苦労を想像して欲しいもんだ。
「獅子くん大丈夫?」
そんなこんなで大月さんまでやってきてしまった。
獅子と大月さんの仲睦まじい会話を聞いて、紬は視線を飛ばしながら無言で聞いていた。
そして手を叩いて何かを把握した。
「もしかして二人って付き合ってるの!?」
「そうだーけど」
「へぇ……あの獅子がこんな可愛い子と。ちょっと雰囲気が涼真っぽくてわたしも好きになりそうかも」
「小暮くんぽい? え、それは嫌かな」
大月さんがとても嫌な顔をする。これ僕に対して失礼じゃない?
「小暮くんが嫌というのは半分冗談として」
「半分なんだ……」
「柊さんだっけ……。小暮くんが前に言ってた幼馴染って獅子くんと柊さんのことだよね」
「ええ。大月さんにしてみればアリサや水原さんと同じような関係ですね」
「でも獅子くんと柊さんは大喧嘩したって」
そうだ。その話を大月さんにはしていたんだった。
まさか紬が帰ってくるとは思わなかったから普通にしちゃったけど。
「この感じだとそんなに大きな喧嘩じゃなかったのかな?」
「そんなことねーよ!」
「うん、わたし達にはとても大事なことだったよ!」
獅子と紬は強気で大月さんに訴える。
あの大喧嘩は出来れば蒸し返さないでほしい。確かに大きな喧嘩だったんだ。
だけど内容はとても言いふらしたくないこと。特に僕にとって。
まぁ……あんなことで喧嘩した二人も今になっては言わないだろう。
「何がきっかけで喧嘩したの?」
その予想は覆され、大月さんの質問に二人は大声を上げた。
「どっちが涼真を」
「お嫁さんにするか言い争ったの!」
「え、くだら……」
大月さんは途中まで言って口を噤んだ。
そこまで言ったら分かるよ。確かにくだらない。
でもこの二人は本当にそれで大喧嘩したんだ。この時の僕の気持ちを察してほしい。僕のために争わないでとか言うべきなの。アホか。
しかもお嫁さんなのがなんとも言えない。
「言っておくけど今でもあの喧嘩で負けたとは思ってねーからな」
獅子も負けず嫌いなので紬に対して対抗意識を言う。
しかし……それが良くなかった。
「え、じゃあ獅子くんはわたしじゃなくて小暮くんを選ぶんだ」
「ち、違っ! 雫っ!」
彼女がいるのにそんなことを言ってはいけない。
寂しそうな顔をする大月さんに獅子は滝のように汗を流して慌て、やがて項垂れた。
「っ! お、俺は……彼氏として雫を選ばなければならない」
何でそんな苦しそうなんだよ。
「へぇ、じゃあ獅子は涼真を諦めるんだね。わたしの勝ちってことね」
紬が勝利を確信する。両手を置いた。
「すまん涼真。俺、涼真を嫁にしてやれない」
「うん、しなくていいよ。ってか絶対しないでよ」
「俺には雫がいるから」
この意味の分からん茶番を何とかしたい。
大月さんが僕を見て優越感に浸ってるし、みんな結構性格悪いな!
「涼真をお嫁さんにするのは……わたし。な~んて」
「そんなのだめっ!」
大声にびっくりしたと思ったらアリサが慌てて突入してきた。
もう無茶苦茶だよ!
「あなたは……」
「涼真は絶対、渡さないんだから!」
アリサが大声をあげて、僕の名前を呼んでくれること。凄く心に染みるようだった。
大した話ではないはずなのにとても嬉しい。
こんな意味のない話をそろそろ止めよう。口に出そうとしたその時、紬がアリサの両手を掴んだ。
「あの……わたしと友達になってくれませんか!」
「え」
紬を除く全員が声を上げる。
「初めてあなたを見た時びっくりしたんです。艶のあるプラチナブロンドの髪に柔らかな白肌……、スタイルも良いし、こんな綺麗な女の子を見たことないって」
「ちょ、……えっと」
突然のことにアリサも慌てていた。
「だから!」
アリサはばっと離れて紬から距離を取る。
「ひ、否定はしないけど……あなたもしかして同性が好きなの?」
その言葉に紬はきょとんとした顔をした。
「いえ、好きなのは涼真だけだよ」
アリサからみしっという重低音が響いた気がした。
多分勘違いかもしれない。
紬はそっとアリサに寄る。
「わたしよりも綺麗な人が側にいれば今回の学園生活は楽しめると思うから」
その時、紬の愛らしい瞳が少しだけ濁っているように見えた。
それは勘違いかもしれないし、ほんの一瞬だったので見間違えなのかもしれない。
でも……それが離れて暮らしていた紬の10年だったとしたら。
僕は幼馴染の10年間を少しずつ紐解いていかなければならないのかもしれない。