120 想い交差する文化祭⑥
僕は体育館をすぐに飛び出して、そこへ向かう。出ている場合じゃない。みんなの側にいないといけない。だけどここを逃すと僕は一生後悔してしまう気がしたんだ。
「ほんとにいた」
体育館の外、校庭では後夜祭の準備が始められていた。相手校の生徒はもうほとんど帰ってしまっていた。その中で一人、魅力的なロングヘアーの女の子がそこに立ち尽くしていた。見覚えあるその美しい顔立ち。きっとこれが最後だ。
「陽菜……」
「また会いましたね」
また会えるとは思っていなかった。
「涼真くん」
びくりとなる。あの頃と同じトーンの声だったからだ。陽菜はゆっくりと近づいてくる。
「名前、間違ってないですよね?」
「……」
やはり記憶は戻っていなかったようだ。
「昨日はすみませんでした。なぜか急に涙が出て、凄く胸が痛んで……こんなの初めてで」
「……」
「やっぱりあなたは記憶を失う前の私を知っているんですね」
「うん」
隠す必要もない。涙が出た場面というのは僕をアリサの手を取った時のことだろう。記憶はなくしても潜在的には残っているということだろうか。
「やっぱり記憶を取り戻した方がいいのでしょうか。今の私ではなく、元の私に……。姉様も笑顔ではいますけど、時々寂しい顔をします」
「今、君は小説を書いている?」
「小説? ああ、記憶を失う前に好きだった趣味ですよね。記憶を無くしてからはさっぱりです。ブックマークに残ってた、小説サイトのアカウントのパスも覚えてないですし」
「そうか……」
記憶を失う前の陽菜の全てだった小説。それを持たないのであれば僕が言えることは一つしかない。僕はあの時の陽菜の姿を思い出し、すぐに首を横に振る。
「思い出さない方が良いと思う。きっとその方が君は幸せになるから」
「そうですか……」
陽菜は穏やかに笑った。
「あなたがそう言うならきっとその方がいいのでしょう」
幾度と無くいろいろなことがあり、お互いに強く傷ついて、今に至った。もしアリサと出会わなければもう一度やり直すこともできたかもしれない。でもお互い別の道を歩み始めている。
「姉様がまた体育館にいるのでしょう?」
「ああ、そうだね」
「仕方ない人なのです。悪い人ではないのですが、強情すぎて人を傷つけていることを理解していない。妹の私が叱ってあげないとですね」
「頼むよ。きっとそれが先輩にとって一番の薬になるはずだから」
別れの時が来た。きっともう運命のイタズラでもない限り会うことはないだろう。来年は恐らく合同文化祭になることもないからだ。僕は最後に陽菜にエールを送った。
「さようなら此花さん」
「はい、小暮さんもまたどこかで」
さようなら初恋の人。陽菜の新しい道が幸せであるように。
文化祭。全ての行事が終わり、僕は校庭のベンチで後夜祭の準備が着々と進められていく様を見ていた。今の時代珍しくなったキャンプファイヤーはこの学校では続けられている。
空は暗くなり、もう間もなく日が沈む頃、隣にポスンと誰かが座った。
「決着はついた?」
「うん」
暗くなってもアリサの金色の髪は褪せることはない。本来に綺麗な髪で顔立ちも美しくてずっと見ていられる。
「なによ私の顔じっと見て。何かついてる?」
「アリサの顔って本当綺麗だね。ずっと見てて飽きないよ」
「ちょっ! もう、照れるから」
「照れた顔も飽きない」
ほのかに頬が赤くなった所もまた可愛らしい。みんなアリサを美人というけど、やっぱりアリサは可愛いんだよ。もちろん美人でもあるけど。
「もうすぐ後夜祭が始まるわね。生徒会長代理の雫が喋るって言ってたから、その時に文化祭で一番活躍した最優秀功労賞の発表。そして男女のミスコン勝利者同士のダンスだったかしら」
「本当に選んでくれるのかな」
「さすがにこの段階で涼真以外の人を選ぶとは思えないけど……」
「雫さん、いじわるなとこあるし」
こうなってアリサと学校でじっくり話せる時は久しぶりかもしれない。
また例のカフェで一緒に話したいな。というより今、アリサと話したい。
暗くなってるし、僕とアリサが隣合って話していることに誰も気付いてないようだ。
「アリサはダンス断らなかったんだ」
「あなた以外の人がミスコンを勝ったら断るつもりだったけどね」
「嬉しいな。憧れのアリサと一緒に踊れるなんて夢みたいだ」
「心にも無いこと言われてる気がする!」
「心にはあるよ! ずっとあるよ! そりゃ初めて話かけられた時は怖かったけど……」
「初めて話した時ってどうだったっけ。多分私、汐らしい挨拶をした記憶がある」
「その記憶歪んでない?」
「でもこうして今、あなたの隣にいるの。私、すごくドキドキしてる」
「僕も。ようやく君と一緒になれると思うとね。やりたいこといっぱいあるんだ」
「……」
「胸を隠さないで!? そういうことじゃないから! 一緒に遊んだり、お祭りに行ったり、旅行に行ったり……、航空ショーも見に行きたいな。家事代行のお仕事も続けたいな。アリサと一緒に過ごしたい」
「私もよ。でもね。私、そういうこともしたいと思ってるの。涼真はしたくないの?」
「正直したいです。特にしたいのは……」
「じゃあする?」
「うん、……僕、君の体で一番好きな所、実は唇だったりするんだ」
「知ってる」
誰にも気付かれない暗闇の中、僕はアリサとキスをした。僕にとっては本当に初めてのつもりの大事な大事なキスだった。