108 恋の始まり、夢の終わり④
「今日ずっと雨降ってるよな」
それはある大雨の日。僕は自室にいて、外を見上げつぶやいた。
最近ずっと雨が降っており、今日もまた大雨の日が続いている。
こうなってくると誰かと一緒に遊びにいくこともできないし……。今日はひよりを愛でるのに全力を尽くそうか。
そんな時だった。陽菜から連絡が入ったのは。暇だった僕は浮ついた気持ちで当然その着信を取る。
僕は陽菜の声が聞こえると思ったら……ゴゴゴと激しい水の音が耳に入る。何この嫌な音は……。
「涼真くん……」
力弱い陽菜の声が聞こえる。
「陽菜、何があったの!?」
「……助けて」
「っ!? どこにいる。そうだ位置情報送れる!?」
僕は大雨の中、家を飛び出した。あの水音、今にも消えそうな陽菜の声。まさかと思い、位置情報を示した川の方へ向かう。
その位置情報が示した場所はこの街の中心を流れる河川の近くで橋に近いところだった。
何でこんな雨の日にこんな場所にいるんだ。僕は自転車でその場所まで爆走した。
現場に到着し、僕は周囲を見渡す。いない、どこだ。
もう流されてしまった? 嫌な予感に肝が冷えるが僕はがむしゃらに陽菜を探すことにした。
「いた! 陽菜」
陽菜の姿を見つけた。荒れ狂う河川の中で必死にしがみついている陽菜の姿があったのだ。
僕は川の側に近づく。大雨の中で川に入ることは自殺行為に等しい。
だけど、陽菜に手を伸ばせば届く距離だったこともあり僕は捕まりながら河川の中へと入る。
この勢いなら何とかなるはずだ。陽菜を助けたいという気持ちがあまりにも強かった。
後になって思えばここで大人を呼んだり、付き添ってもらっていればまだマシな結果になったのかもしれない。結局僕もまた無知な中学生だったのだろう。
「陽菜大丈夫!?」
「涼真くん……来てくれた」
陽菜はかなり体力を消耗しているようだった。僕はしっかりと陽菜を支える。
「何があったんだ……」
「姉様と喧嘩して……。涼真くんと一緒にいたことがバレて怒られて、飛び出しちゃったんです。雨の中、橋まで行ったら昔姉様からもらったリボンが飛んでいってしまって……」
川側に落ちてしまい、拾いにいったはいいものの。足を滑らせて川に落ちてしまったらしい。大きな木にしがみついているが動けなくなり、僕に電話をしたようだ。
「姉様は電話に出てくれなくて……」
「溺愛してるくせにこういう時はかよ」
仕方ないのはあるがちょっと先輩に対して憤りを感じる。でもどうする。ちょっと川の勢いが強くなっていて、陽菜を連れてここを抜け出せるだろうか。
僕も誰かを呼ぶ方がいいのか。ぐるぐる思考を張り巡らせている内にさらに川の勢いが増してしまった。
「うぅ」
陽菜が限界だ。僕は陽菜を押し付けるように陸へと連れていく。
いちかばちかの賭けだった。このまま陽菜を陸にあげて、僕も上がりさえすれば……。
「涼真くん危ないっ!」
「えっ」
陸に上がる寸前、強い濁流が流れこんでくる。気づいた時にはその大きな何かが僕の左目にぶつかったような気がした。
痛みと衝撃に思わず気が遠くなりそうになる。このまま流されちゃうのかな。
でもまぁ……陽菜を守れたなら良かったのかもしれない。僕の意識はそこで途切れた。
「あ……」
次に意識を取り戻した時、何か柔らかいものに寝かされてる白い天井が見えた。何となくだけど病室だということがわかった。
「涼真、目を覚ましたのね!」
「にーにー」
聞き覚えのある声がした方に目を向ける。そこには母さんと天使のように可愛いひよりの姿があった。
「ああ、本当に良かったわ……」
普段は気丈な母さんが涙ぐんでいた。ああ、心配かけたよなぁ。
そうか僕は助かったのか。でも一つだけ疑問点はある。
「ねぇ、母さん。何で僕の左目は包帯を巻いているの?」
「それは……。あなた左目を強く怪我をしていたの。石が何か当たったんじゃないかって」
「そうだったんだ」
そういえば気を失う前に目に強い衝撃を受けた気がする。
「陽菜は……僕と一緒にいた子は無事?」
「無事らしいわ。私達が駆けつけた時には一緒じゃなかったけど、別の病室で治療を受けてるって」
「そうか、良かった」
陽菜は無事だったんだ。だったら良かった。疲れていたのか。僕はその日はそのまま眠ってしまった。だけどここからが僕にとっての地獄だったのかもしれない。
「弱視だね」
「……え? その左目がよく見えないのは視力が落ちちゃったってことですか」
左目の治療のため先生と話をする。右目に比べて、左目の視力が大幅に落ちてしまっていたのだ。おそらく先の事故の後遺症だとは思うが。
「矯正すればいいってことですよね」
メガネやコンタクトで正常になるならまだマシといえるか。でも次に先生からかけられた言葉はあまりに無常だった。
「弱視は……。いや、多岐に渡るから確実なことは言えないが君の弱視は補正をしても上がることはない。今の状態からよくなることはほぼないだろう。日常は問題なく、送れるレベルだし、これ以上落ちなければ運転免許も取れる可能性が高いだろう」
「……じゃあ飛行機のパイロットは」
先生の目が見開いた。
「私も詳しいわけではないが、……難しいと思う」
その言葉に僕は立ち上がって、病室から出てしまった。一緒に付き添ってくれた母さんや看護師さんの声も聞こえず僕は病院の中を走ってしまう。
あんなに頑張ってきた夢がたった一回の事故で途絶えてしまう。
視力のことについては勉強をたくさんしてきた。もしかしたらこの視力でも準ずる仕事にはつけるかもしれない。でも……僕が求める夢はそうじゃない。
そしてそんな危険な爆弾を持った状態で夢を叶えてもきっと傷つくだけだろう。
立ち止まった僕は自暴自棄になりそうだった。
そんな時、看護師さんっぽい服装の人から声をかけられる。
「君、もしかして此花さんが言ってたお友達かな」
母と同じくらい年齢の女性だった。
「陽菜を知ってるんですか! 陽菜は今、どこに」
「この先の病室に移動になったって聞いたけど。昨晩、陽菜さんとお話をしたの。あなたが目を怪我してたことに昨晩、凄く取り乱していたの。私のせいだって嘆いていて、良かったら彼女を元気づけて。君っ!」
僕はそれを聞き終える前に陽菜の病室へと走った。陽菜に会いたい。君に会いたかった。
病室を見つけて、中に入る。ベッドで起き上がった陽菜の姿があった。窓を見ていた。
「陽菜! 無事だったんだね。良かった。本当に良かった」
「……」
「怪我はない? 僕はその……。無事だよ。でも良かった。あんなことがあって」
「……」
何だろうか陽菜の様子が変だ。光の無い目で僕を見ている。まるで初めて会った時のような目だ。僕の様子に陽菜の口が開く。
「あなた誰ですか?」
「え?」
「知らない人」
そう、陽菜は記憶喪失となっていた。その余りの衝撃で僕も何も話すことができなかった。
どうしてこんなことに……。僕は目を負傷し、陽菜は記憶を失ったというのか
「陽菜っ!」
病室の中に此花先輩が入ってきた。先輩は陽菜を抱きしめる。
「あなたの姉様よ。それも覚えていないの?」
「姉様……? あなたが私の姉なんですか」
「ああ……。私があなたを守ってやれなかったばかりに……。ごめんなさい。もう二度と手放したりしないから」
陽菜が記憶喪失したと家族に連絡がいったのだろう。それで直様にここに来たようだ。此花先輩は振り返り、そして僕を睨む。
「なぜ君がここにいる。陽菜と何をしていたっ! こうなったのは君が陽菜と関わったせいだ!」
「それはおかしいでしょ! 元を正せば」
「うるさい! 私に間違いなどない! 陽菜は……。これからは私が守る」
これ以上、陽菜と話せず僕は病室から出るしかなかった。こんなことになってしまうだなんて……。僕は様子を伺い、此花先輩やその親族がいない時間を狙って陽菜の元へ向かう。
だがそのチャンスはなかなか訪れず、チャンスが来た時には数日が経っていた。
「陽菜」
僕の入室に陽菜は気づく。
「あなたはこの前に来た方ですね」
「うん。……あれから記憶はどう」
「何も思い出せません。ただ、姉様や家族の記憶はかすかにあるようです。だからすんなりと入っていけました」
「僕のことは」
「覚えていません。でもどうやらあなたは姉様からとても嫌われているみたいですね。絶対話すなと言われました」
「う……」
陽菜は優しく微笑んだ。
「私が記憶を失ったことで事件当日何があったか分からないままです。私はなぜ記憶を失うことになったんでしょう」
そうか。事件の当事者は僕と陽菜のみ。陽菜が記憶喪失になったということは事件の全容を知っているのは僕だけ。
「記憶を失う前の私が何者だったか分かりませんが二つ言えることがあります」
「二つ……? それはいったい」
「記憶を取り戻すことを望んでいないようです。取り戻そうとすると激しく頭が痛みます」
記憶を失う前、陽菜は僕の目の怪我のことを知ったと聞いた。もしかしてそれが記憶喪失の原因だったりしないだろうか。
もし記憶を取り戻し、僕が目を怪我してパイロットへの夢を絶たれたことを知ったら。陽菜は心が強くない。さらに強いショックを受けてしまうだろう。
「そして私は小説を書くことが趣味だったと聞きました。そしてたくさんのお話を空想し、世に出したいと思っていたようです」
「そうだね」
「その思い出も全て消えてしまったようです。私の生きる目的が失われてしまったんです」
そんなことって……。僕達の夢が消えていく。
「この事故が、自分が起こしたことなのであれば……責任は取らなければならないのです」
パイロットになる夢も陽菜の夢も……無惨に消えていく。それからよく覚えていない。きっと病室に戻ってしまったんだろう。
そのまま退院の日が目前になった日。
「あの子大丈夫なの? 全然食事も取らないって話。生きる目的がなくなったからってどんどん衰弱してるみたい」
「お姉さんが必死に声かけてるけど、全然駄目みたい」
「そもそも何で記憶喪失になったの……? 記録残ってないよね」
「あの子錯乱してたらしいから詳しい話を翌日聞くことになってたんだって。そしたら記憶喪失になってたらしいわ」
看護師達のひそひそ声を聞き、僕がそれを陽菜のことだと認識する。
あの時の陽菜は僕と同じで全てを諦めたような目をしていた。
僕も無気力となり、あんなに好きだった飛行機のことも耳にしたくなくなった。
だから陽菜も小説というよりどころを無くし、無気力になってしまっているのだろう。
でもさらに陽菜は記憶喪失の件もある。そして記憶を取り戻したくないそぶりを見せている。その根底は事件を引き起こしてしまったことに対する僕に対して贖罪。正直、このまま立ち去ることもできる。
でも……できるわけない。僕は此花陽菜が好きなのだから。
彼女の言う責任を……罪を僕が奪ってやる。