105 恋の始まり、夢の終わり①
将来の夢はなんですか?
小さな頃から何度も何度も聞かれてきた。僕はこう答えていた。パイロットになりたいと。
小さい頃から飛行機が好きで、空に飛び上がることの躍動感、例えば雲の下が大雨でもその雲を抜ければ快晴の空があって、初めて乗ったスマラグドス航空の飛行機の思い出は今でも忘れられないほどだ。世界最大の航空会社に働きたいと思っていた。
だから幼馴染みの獅子や紬と遊んだ時も僕はいつだって飛行機の話をしたし、部屋の中はそんなグッズで溢れていたんだ。
将来はパイロットになってみせる。勉強は得意ではなかったけど、好きになったことだったから凄く捗った。
とても難しいのは知っていたけど、獅子だってバスケの選手になりたいという夢のために練習に励んでいたし、僕だってそれ見ていたから負けられないなと思っていた。夢のために僕は日々頑張っていたんだ。
中学二年生の春。それは運命の出会いだったんだと思う。
「あれ……って此花先輩の妹だよな」
「うわぁ……。やっぱ綺麗な子」
それは学年一の美少女である此花陽菜と同じクラスになったことに他ならない。彼女の噂は一年の時から知っていて、姉であり一つ年上の此花咲夜先輩があまりに有名人だったので必然的に彼女の存在も噂となっていた。
生徒会長の此花咲夜。容姿端麗で学業優秀、カリスマ的魅力を持ち、そしてそれを自覚している。何をとっても完璧な才女。誰でも知っているあの此花財閥の令嬢で国すらも動かせる……は冗談としてそんな人の妹だ。美人じゃないはずがない。
「……」
でも姉と違って此花陽菜は物静かだった。
腰まで伸びた煌やかな髪にワンポイントのリボンはとても良く似合っていて可愛らしい。
百六十センチの僕よりやや身長高めですらりとしたスタイルはとても美しい。
そして自己主張強めの胸元はどうしても目がいってしまう。
正直これだけ外見の良い女の子は見たことがなかった。幼馴染みの紬も可愛かったから順当に育てば同じくらい可愛くなったかもしれない。
まぁ十年近く会ってないから今は何をしているか分からないけど。
彼氏はいないという噂。口説く同級生はいるようだが、妹を溺愛している姉がいるせいで完全にシャットアウトされてしまっているらしい。こんな可愛い子と関わり合いになるはずが……。
「図書委員は小暮と此花で決定な」
豪運はこんな所で使わなくても良かったのに。そんなわけで此花陽菜さんと僕は図書委員ということで一緒に委員会活動をすることになった。クラスメイトから羨ましがられたけど……。
「……」
「あの此花さん」
「……」
「この本は片付けておくね!」
「……」
とにかく喋らない! 図書室での委員会活動を始めたがとにかく此花陽菜は寡黙だった。でも喋らなくてもすごく絵になるからいいよなぁ。
此花さんは元々男子と距離を置いている感じがあった。あの美貌だ。
一年の頃、いろいろあったと聞くし深く関わらない方がいいだろう。姉の此花先輩めっちゃ怖そうだし。
「涼真。こんな所にいたのか」
図書室で作業をしていると獅子が声をかけてくる。幼馴染みの平沢獅子。
ぐっと身長も伸びてイケメンで正直此花姉妹に匹敵するほど人気者になったと思う。
バスケ部のエースだしね。ファンクラブなんてものも出来ているんじゃって噂もあるくらいだ。
当の本人は恋愛には無縁でまったく興味もないようだけど。
いつか本気で好きになる女の子が現れるんだろうか。でもずっと毎夜、僕の部屋に来るんだよな。
「部活行くよな」
「うん。でも委員会活動があるから先行ってて」
獅子が僕の手に持つ本を見る。
「良かったじゃねぇか。図書室の本を読みたいって言ってたし、時間作れそうだな」
「そんなに大変な仕事じゃなさそうだし、待って読んでる時間の方が長そう」
「涼真の飛行機好きがさらに増しそうだな。飛ぶことなら誰よりも詳しいもんな」
「興味あるからね。面白い本あったら紹介するよ」
じゃーなっと獅子は部活の方へ行ってしまった。
中学になってほんと背が伸びたよなぁ。来年には百八十センチ超えそうだし、世界一格好いい男だと本気で思ってる。
僕は元々本を読むのは好きだったので図書委員自体はかなり嬉しかった。
最近は授業、部活で忙しくてなかなか図書室には行けてなかったけど、委員会活動にかこつけて好きなことができるのはありがたかった。
でも。
「……じー」
なんか此花さんがじっと見てくるんだけど。は、そうか!
「知ってるかもだけど、あいつは平沢獅子といって僕と幼馴染みなんだ。すっごく格好いいでしょ。この前のバスケの試合にね。三人のディフェンスを抜いて」
「……それには興味ないです」
「え?」
ぼそりと呟いた言葉。そりゃ学校生活を送っていれば声を聞かないことはないんだけど、此花陽菜の声を聞いたのは初めてに近いかもしれない。あまりの衝撃に僕はもう一度言葉を吐いた。
「え?」
「……」
此花陽菜の白い頬が赤く染まったように感じた。ちょっと待ってると此花陽菜から小さい声が聞こえる。
「飛行機好きなんですか?」
「……うん。僕、将来パイロットになるのが夢なんだ」
「……」
「此花さんは何か夢はある?」
反応は期待していなかった。でも何となく聞いてみたかったんだ。少しだけ待ってみて、回答がないと思って僕は手に持つ趣味の本に目を走らせた。
「……小説家になりたいんです。ウェブに小説を投稿していて……これ」
少し遅れて聞き取れた言葉に僕は本を閉じて、彼女の方に視線を向けた。此花陽菜は慌てて視線を外した。
「ごめんなさい。忘れてください」
「忘れないよ。素敵な趣味だと思う」
此花陽菜は驚いたような顔を見せ、恥ずかしそうにこくりと頷いた。
「もし良かったら読ませてもらってもいいかな?」
「……下手だし、面白くないかも」
「まだ小さい妹の子守とかしてると暇でさ。ダメかな」
恥ずかしそうに顔を赤らめていた彼女だったが、読者が欲しかったのか最後には頷いてくれた。そしてその夜。
天使の生まれ変わりであるひよりの子守をしながらスマホをいじって、ウェブ投稿していると言われている此花陽菜の書いている小説にたどり着く。ペンネームはヒナ。ありきたりだが良い名前だよなぁ。別人を騙っているのはまずなさそうだ。
さっそく小説に目を走らせてみる。ライトノベルというよりはどっちかというと文芸よりの作風。同い年で文章ってこんなに書けるものなんだ。
僕なんて読書感想文でも命がけだというのに。本人は言葉少ないのに小説の登場人物は饒舌だった。
あの寡黙な女の子の頭の中ではたくさんの登場人物が騒いでるんだろうか。
そんなことを思いながら読み進める。
「……」
「涼真、いつまで起きてるの!? ひよりを寝かせなさい!」
「おわっ、もうそんな時間!?」
いつのまにか帰ってきていた母さんに怒られ、そこで日が変わりそうな時間になってると知る。
そして次の図書委員の時間。
「早く続きを」
「へ?」
「早く続きを読ませてくれぇっ! 此花さんの書いた小説、面白すぎるんだけどぉぉぉ!」
此花陽菜の小説はとんでもなく僕に刺さる物語であった。
僕は図書室でずっと彼女の小説の話をし続けたのだ。
もう此花陽菜のファンになったと言っていいかもしれない。
それから此花さんとの会話が増えたように思う。教室の中で話すと目立ってしまうため、委員会活動のそれも図書室の中という少ない時間だけだけど、此花さんと小説談義する時間がとても増えた。
「小暮くんはどんな本を読むんですか?」
「スマラグドス航空の紹介雑誌とかかな。お小遣いが少ないから妹の子守の手伝いとかして何とか稼いでる感じ。あとは空港関係のお話とか結構読むよ」
「そうなんですね。私も今、空をモチーフにしたお話とか考えていて」
幼馴染みとの触れ合い以来、女の子と縁の無かった僕。彼女との会話が楽しくないわけもない。
ちょっと性格が近いってのもあるかもしれない。此花さんはあまり喋るのが得意な方ではないが、彼女の小説を褒めちぎった結果、かなり打ち付けたようだった。
僕の言葉に嬉しそうに笑うその姿がとても魅力的で勝手に顔が熱くなってしまいそうだ。
「小暮くんに小説のことを話すかすごく迷ったんですけど、……話して良かった。誰も読んでくれないから寂しくて」
「あれだけ面白いのになぁ」
面白いからと言って必ずしも人気が出るわけじゃない。バズる要素でもあるんだったら違うんだが、此花さんの小説は文学という感じだ。赤の他人がいきなり読むにはハードルが高いだろう。
「此花先輩は読んでくれたりしないの?」
「姉様は……」
此花財閥の有名姉妹。姉様という時点でお家柄が分かるようだ。
「文学にはあまり興味がなくて……。私が小説を書いてることは知ってはいるんですが、投稿をしているまでは知らないと思います」
「そうなんだ。確かに押せ押せって感じの人だもんね。部活も体育会系だし。でも此花先輩とは仲がいいよね」
「はい、自慢の姉様です。ちょっと過保護な気がしますけど」
時々、クラスに様子を見に来るんだよなぁ。そして二人は一緒に帰ることが多いようだ。姉妹仲は良く、界隈によっては百合的な雰囲気を感じて盛り上がったりなかったり……。
美人で人気もあるからクラスメイト達にとっては万々歳のようだが。僕は話したことないけどね。
「あの小暮くん、小説のこれからの展開についてちょっと相談したくて」
「うん。僕でよければ聞くよ」
すっかり彼女の作品のファンになってしまった僕は正直頼られるのが嬉しかった。獅子からは毎日のように頼られてるけど、やっぱり女の子から頼られるのは違った楽しさがある。そんな時だった。
「陽菜、そろそろ委員会が終わる時間よ。帰るわよ」
「姉様!」
噂をすればなんとやらそのお姉さんががやってきた。此花咲夜。一年上の先輩でこの中学の生徒会長を務めている。
美人で有能で完璧とも言える存在。名家のお嬢様という話だし、
ここまでいろいろ持っている人も珍しい。きりっとした目つきが印象的だ。
妹の陽菜さんはロングで流しているが、姉の咲夜さんはミディアムショートという感じか。
「あの……姉様。もうちょっとだけ残ってもいいですか? 小暮くんとお話したくて」
「なんですって」
柔和な表情だった此花先輩の顔が険しくなる。
「男子と一緒にいても陽菜にとって良いことはないわ」
「そんなことありません!」
「無かったら一昨年、あんなことにはなってないでしょ」
此花先輩は強い口調で語りかける。一昨年。今が中二だから小六の時の話か。
「陽菜、あなたは身体の成長が早すぎるわ。だからあなたは男子に付きまとわれて嫌な目に遭ってきたんじゃない。それで小六の時に半年も不登校になったこと忘れたの?」
「それは……」
そんなことがあったのか。確かに此花さんは身長はおそらく百六十五センチくらいあると思う。成長期まっただ中の僕よりも少しだけ高い。女子の中では背も高い方だし、胸も……。これは止めておこう。
「中学に入って、私が守ってあげたおかげで中一、中二と無事に過ごせてるでしょう。あなたに近づく男を全部シャットアウトすればもう傷つくことなんてない。あなたは心が弱すぎるの。姉さんに頼りなさい」
「……」
「それにあなたは此花家の娘。この程度の学校に通う男と付き合う必要なんてないわ。男と交流したいなら姉さんが見繕ってあげるし、一人で気ままに暮らしてもいい。此花家は姉さんが背負ってあげるから陽菜は健やかに生きればいいわ」
有無を言わさないとても強い言葉。先輩は妹を愛しているんだけどその方向性は意思を無視しているんじゃないだろうか。
「早く帰るわよ。話だったらいつだってできるでしょ」
「……私の心が弱いのは事実です。一人で何にもできないのも事実。でも小暮くんは私の小説を面白いって言ってくれたんです!」
「……小暮。あなた、もしかして小暮涼真くんでいいのかしら」
「え、ええ」
何だかぎろりと睨み付けられて物怖じしてしまう。何かすごく警戒されてないか。
「彼も陽菜も私よりこんな平凡な男の方がいいって言うの。許せない……」
その言葉は僕への憎悪が込められているように感じた。これ以上もめ事はまずそうだ。
「此花さん、僕は大丈夫だよ。また良い時に話そう」
「小暮くん、ごめんなさい」
此花さんは頭を下げて、先輩に引っ張られるように帰って行く。思えばこれが此花姉妹との因縁の始まりだったのかもしれない。
5月23日に本作3巻が発売されます。↓にカバーイラストとリンクも張りましたのでWEB版にない書き下ろし部分や挿絵などに興味がありましたら予約をお願いできればと思います。
WEB版は本日から完結まで投稿しますので宜しくお願いします。







