堕落者の転落
井上は帰宅途中に太刀川だけでなく波多も信用できないと思いながら家路に着いた。
休憩室には波多と太刀川がまだ話をしていた。
「んじゃとりあえず1万円分だけ頼むよ」
波多が少し寂しそうに言った。
すると太刀川が金を受け取りながら言葉を吐く様に言う。
「あのなぁ、毎回一万って訳には行かないんだぞ。しかもいつもの人に頼む訳には行かないからなぁ」
といって渋っている。
というよりも1万円では太刀川には儲けが出ないのである。
波多もそれは分っていたが井上が乗ってこなかったので仕方なく頼んだのである。
太刀川もいくら波多とは言え一応客であるなんとかしたいと言う気持ちはある。
しかし、計算が合わないのである。
儲けも無しであの田口に会うのは嫌なのである。
もともと詐欺師出身のおとこである金と行動のバランスはしっかり計算を行う癖が出来ている。
「波多。もし、これからも上質の物が欲しいなら今日はあきらめろ。俺の所の物は親分さんクラスが使ってる上物だ。そこに1万円分だけを頻繁に頼むと相手がめんどくさがって相手してくれなくなる」
波多は韓国人社長の平からも昔に引いた頃が有りそちらの方が上質だった事を知っている。
ゆえに太刀川のは言う程では無い事も分っていた。しかし、太刀川は自分しか居ないと思って調子のいい事を続けて言った。
「それだと波多が困るだろ?俺は別にシャブなんていらないんだし。これってボランティアなんだぜ。
それにさぁお前は俺が持ってくるシャブがいいとか悪いとかではなく、俺のシャブの癖が分って来て他のは合わないかも知れないぞ。」
一口にシャブ(覚醒剤)といってもその化学式は様々で塩化アンフェタミンやフェニルアミノプロパン
にメタンフェタミンなど呼び方も組成も違う。ただ似た様な塩基配列をしているだけなのだ。
しかもシャブなんて所詮は違法薬物で品質に保証など無い。
何処かのヤクザが密輸しそれに混ぜ物(不純物)を入れて品質を落として重量を稼いで闇で流通させているのだ。
しかし、この不純物の割合と塩基配列の違いにより同じシャブでも癖が違ったりする事がある。
波多は太刀川のシャブの癖に慣れて逆にそのシャブに教育されてしまっていたのは確かである。
しかし、今の波多はそのような余裕は無い。
今日シャブが出来ると思い込んでいたのである。それが出来ないとなれば尋常ではなくなる。
しかし、太刀川に喰ってかかるのは不利である。
波多はあきらめたそぶりを見せて「分ったよ。今後の事も有るし今日はあきらめて帰って寝るよ」
と言うと「そうだね、たまには体を休めないとなぁ。少し時間を空けると耐性(免疫のようなもの)
も下がってまたききがよくなるかもよ」と言った。
しかし、太刀川は波多に1万円を返さない。
波多が金を返してくれと言おうとしたとき太刀川が
「さっきの金は利息で貰っとくね。ちゃんとツケから引いとくから」
というと自分の財布を取り出しそれに移した。
さすがは太刀川だった最初から断るつもりで金を手中に収めていた。
井上が断ってもとりあえず金は頂くと決めていたかのようだ。
財布に金を納めると太刀川は慌てる様に「んじゃな〜」
と席を立ち帰って行った。
波多は怒り心頭だが怒れない自分が居た。
シャブのツケが有るのも確かだし奴に歯向かうとシャブどころか小遣い稼ぎに使う大麻すら手に入らなくなる。波多はただ黙って見過ごすしか無いのだ。