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04 ――失礼。気に入ってもらえたのならなによりだよ


「はーーーー、髪型と色を変えて野暮ったくするだけで大分イメージ変わるんですねえ」

 

 セルヴィス様との待ち合わせ場所は、使用人がメインで使うことになっているという裏口近く。

 ちょっと猫背のしらない男性が立っていたのでまさかと思えば、外見だけはまるで別人のように装ってきたセルヴィス様その人だった。

 普段きちんとセットされている黒髪は銀色に変わり、無造作にあちこち跳ねつつ綺麗な顔の上半分ほどを隠していて、大きな黒い縁の眼鏡でさらにその造作を見えづらくさせている。着ているものもほつれや毛玉が隠れていないペラペラの衣服だし、靴も汚れているし、なによりもぴしっと伸びた背筋が丸まっていて先に声をかけられていなければ不審者かなにかかと思ったかもしれない。

 まあ、顔をちゃんとみればセルヴィス様そのものなんだけど。

 イケメン、なにしてもイケメン。

 対するわたしは私服なんてもちろん持っていなかったので、このたび就職とともにプライベート用の衣服も数枚用立ててもらっていた。給与から引いて欲しいとは言っておいたけれど、サラ先輩には黙殺されたので多分こちらも無料なんだろう。

 若草色に近い優しい色のワンピースに薄手のカーディガンを羽織り、足下は最近履き慣れた仕事用のブーツだ。

 スカートなんて前世では制服くらいでしか着てこなかったけど、郷に入れば郷に従うしかないので女の子らしい衣装にも素直に袖を通した。

 まあ、栄養価の足りてきたリディーナは、雇用主兄妹と比べれば相当見劣りしてしまうけど、劇場版アニメとTV放送の日常パートくらい作画に差が出てしまうけど、それなりに可愛い女の子ではあるのでいいかなって。


「今日は俺のことをヴィスと呼んでくれ、町ではボートウェル家に務めている庭師見習いということになっている」

「わかりました」


 さすがにしゃべればもうただのセルヴィス様だった。

 でもまあ、同じ建物で毎日顔を突き合せてしゃべっている人とかならまだしも、領主がこんな風体で町に下りてくるとは普通考えないんだろう。多分。

 戦うヒロインたちも大体素顔だったけど誰も気がついてなかったもんな。


「では行こうか」


 促され、頷きかけてはたと止まる。

 目の前に荒れ一つない大きなてのひらが差し出されたからだ。


「……あの、この世界に詳しくないんで失礼なことかもしれないんですが」

「かまわない」

「こういう、エスコート? だと思うんですけど、そういうのって平民レベルで行われるんですか、この世界」


 いや、本当無知晒すようで申し訳ないんですけど。

 重ねてそう尋ねれば、少しの沈黙の後でセルヴィス様が手を引っ込めた。


「……すまない。足下が悪いところを歩いてもらわなければいけないので、つい」

「……いえ、お気持ちだけ頂きます」


 こほんと咳払い一つして、セルヴィス様が裏口に向かって歩きはじめる。

 ちょっと気まずい気持ちを隠しつつ、それでも初めてボートウェル家の敷地の外へ出られるわたしは、内心ちょっとわくわくしていた。

 仕事でもなんでも、はじめての自由に出歩ける外だもの。

 お給料も持ったので、なんかこう、いい感じの自分のものを買いたい。

 そう思って、歩きはじめたところまではよかったんだ。

 

「…………」

「…………」


  うん、沈黙である。

 だって、話題がないんだもの。

 裏口から人が踏んで出来たであろう土の道を進み、途中で町から屋敷への正規ルートらしいレンガ敷きの通りに出ても、わたしたちはただただ無言だった。

 正直に言おう、ちょっと気まずい。

 かといって異性、それも雇い主にあたる人相手に使えるウイットに富んだ話術なんて持ってないし、天気の話なんて秒で終わってしまうだろう。どうしたものか。

 そんな風に頭を悩ませていたけれど、さすがのスーパー雇用主様が先んじて話題を投げてくれた。

 歩きはじめて五分は経ったところだけれど。

 

「あなたがうちで働くようになって一月経ったわけだが、なにか不便はないだろうか」

「いえ、特には」


 ふっとよぎったのは同僚さんのひそひそ話だけれど、まだそこまで深刻でもないし、なにもされてないし、不便かと言われるとそんなこともなく。

 あ、でも仕事の話でこの沈黙が埋まるなら、なにか仕事の話をひねり出した方がよかったりする?

 なんて悩んでいると、となりから迷うような、ためらうような気配を感じた。


「……こんなことをあなたに聞くのはおかしなことかもしれないが、マリエルとは、どうだろう?」

「どう」


 週に二回お茶して世間話をしているけれど、どう。

 勉強進捗なんかはわからないし、セルヴィス様とマリエルちゃんも毎日食事は一緒にとっていると聞いているので、相変わらずの美少女っぷりです。というのもきっと違う。


「あ、勉強前向きに頑張ってるみたいですね。わたしが世間知らずなので色々教えてくれるって張り切っていましたよ、マリエルちゃ……様」


 目をキラキラさせながら、両腕をムンっと持ち上げて張り切る様はとても可愛かった。

 一人うんうんとマリエルちゃんの可愛らしさを思い出し悦に入っていれば、度の入っていないガラスのレンズ越しに湿度高めな目線が送られていた。

 あ、そういえばこの人相当なシスコンだったな。


「俺の前だからと呼び方を改めなくてもかまわない。マリエルが望んだことだと報告も受けているし、マリエルもその方が喜ぶだろう」


 そっと目元を綻ばせて告げられて、相当なシスコンではあるけどちゃんといいお兄ちゃんでもあったなあと思い直す。

 わたしみたいな人間を、きちんと公平に雇い入れてくれているし。


「仲良くしてくれるのは嬉しいんだ。いつも屋敷にいても沈んだ表情ばかりだったのが、笑顔も増えた。あの子は色々難しいところがあって、同世代の子と引き合わせたこともあるが相性が悪かったのか上手くいかなかったから」

「……そう、でしょうね」


 言動の幼さこそ目立つけど、マリエルちゃんの中身は外見よりも大人びているから、まず間違いなくガチ幼女さんとは会話を成立させるのも難しそうだ。

 彼女から合わせることは可能だろうけれど、マリエルちゃん自身ちょっと不安定なところがあるので結局気疲れしてしまっていいところがなさそうだな。なんていうのが、個人的な見解である。

 って、なにも考えずに同意したけど、これって不敬かな。

 でもセルヴィス様はそこに思い至っていないのか、まったく気にしていないのか、まだなにか言葉を探しているようだった。


「……マリエルは、俺のことをなにか、言っていたりはしていないだろうか」

「なるほど」

「なにがだ?」

 

 咄嗟に出た相づちに胡乱げな目線が刺さる。


「ああいえ、他意はないというか質問の意図がようやくわかったというか」


 シスコンだもんな。

 再確認のように思ったし、理解もした。

 二人が一緒のところを見たのはボートウェル邸に到着したあのときが最後だけれど、なんとなくぎこちなさは感じていたのだ。

 マリエルちゃんは前世女子高生だった記憶がある分上手く甘えられなくて、距離感をつかめなくなってしまってるようにみえたし、対するセルヴィス様はマリエルちゃんの壁のようなものに気づいて踏み込めなくなっている。

 第三者でまったくの他人であるわたしにはそんな風に思った。


「なにかっていうほどは話題になっていないです。というか、お茶会のときには大体サラ先輩も同じ部屋にいるので、サラ先輩に聞けばいいのでは?」

「サラはマリエルが是といわない限りはそういった情報を明かすことはない」

「なるほど?」

 

 よくはわからないけれど、サラ先輩はマリエルちゃん派と脳内に刻んでおいた。


「それだと、わたしも秘密をばらすみたいでお話ししづらいんですけど。言える範囲で言うなら、マリエルちゃんはマリエルちゃんとして、お兄さんのこと大切な家族だって思ってるようにみえますよ」


 多少の愚痴はあるけど、なんだろうな、のろけのように聞こえてる。なんて言ったら叱られてしまうだろうか。

 中身に女子高生だった記憶のあるマリエルちゃんは、なんだかんだで周囲のことをある程度把握出来ているというか、ちゃんと自分が愛されていることは理解出来ていて、気恥ずかしさはあれど嫌がってるようにもみえないのだ。

 友人同士で家族の愚痴を交わしながら、結局嫌いじゃないといういうなそういう空気。

 上手く言語化出来ないけど、うちの嫁がさあなんて言いつつめちゃくちゃ顔がふにゃふにゃしてる新婚先輩に近い感じ。


「ただやっぱり、実際の年齢と頭の中で思う年齢のギャップみたいなのを感じることはありますかね」


 日本の一般家庭ですくすくと育ったであろう女の子の人格が、異世界貴族の娘として育てられていることへのギャップとでもいうのだろうか。感情に引っ張られた発言をしてしまう度、眉を寄せたり下げたりしながら細い肩をしゅんと落として詫びられる。

 もっと自由に振る舞ってくれていいのにとは思うものの、そう出来ない事情だってあるだろうと想像出来たので、わたしは毎回気にしてないと笑ってみせるのだけど。


「というか、わたしもひとつ質問していいですか?」

「かまわない。答えられないことであればそう言う」

「マリエルちゃんのことをとても大切にしてるって一月いただけのわたしにもわかるのに、どうしてあのクソバ……んん、家庭教師をマリエルちゃんにつけたのかなって」


 わたしがここに来ることになったきっかけの詳細はいまだよくわかってないけど、あの最悪家庭教師が原因なのはわかった。なんだっけ、ボートウェル家の脅迫? とかだったっけ。

 あの人が自分を取り繕って入り込んだ可能性もあるけど、上っ面を取り繕う程度じゃこのシスコンお兄さんの目は掻い潜れないんじゃないかなってそう思ったのだ。


「あの女を屋敷に入れたのは俺ではない。というか、経緯をきちんと説明していなかったな。すまない」

「いいえ、わたしも率先して聞きませんでしたから。あっちら辺の人たちとは自分との関係も正式に切れているのでもう関わらなくていいならそれでいいかなって、思っていたところもあります」


 どうして自分があんな風に扱われていたのか。

 理由を聞いたってきっと納得できる答えは返ってこないのだろう。

 価値観がまるで違うのだ。

 ちょっと考えたのはわたしには魔力がまるでないということだけど、想像は出来たって答えは返ってこないし、知りたいわけでもないからやっぱりどうでもいいかな。と、思ってしまう。

 いまのわたしはただのリディーナでしかない。それがすべてだ。

 もしもわたしがカコモチでなければ、部屋で息を殺してじっとしているリディーナのままであれば、またなにか違った感情を持ったのかもしれないけれど。


「……マリエルがカコモチだと発覚したとき、母がそれを隠すために淑女教育を進めようとしたんだ。少しでも自分を律する能力をつけさせたかった。カコモチであることを表に出さないように。――というようなことを考えたらしい。そして、父にも誰にも相談せず、自分にすり寄ってきていたスウェル夫人に勧められるままあの女を雇い入れてしまった。家のことは母の裁量で決められるからな」


 スウェル夫人。それはリディーナの実母のことだろう。

 そして、なんとなくわかってしまった。

 マリエルちゃんは聡い女の子ではあるけれど、感情が高ぶると冷静さを失くしてしまうところがある。

 気づかれてしまったのかもしれない、カコモチであることを。

 

「……わたしのって言いたくはないんですけど、生家の人たちとあの家庭教師、二度と外に出しちゃいけないような気がするんですけど、いまどうしています?」

「生きている間は監視されて不自由に暮らすことが決まっているし、もし出されたとしても自由に話す言葉を彼らは持ち得ていない」


 それが、答えだった。


「まあ、そんなこともあってな。すっかり意気消沈した母を連れて父が地方へ隠居することになり、急遽俺がその後を引き継ぐ形になったんだ」

「そうだったんですね」


 そういえば、この人はいくつくらいなんだろう。

 この世界の成人年齢が何歳かわからないけど、親元から独り立ちするには随分と若いようにもみえる。

 でもきっと、なんの不自由もなく今日まで働けていたことがその答えなんだろう。

 マリエルちゃんは前世を思い出したのは半年くらい前だって言っていた、突然噴き出した前世の記憶に戸惑っている中であのクソババアがやってきたら――。

 そこまで考えて、やめた。

 少し先に町が見えてきたのと、過去がどうであれ今現在のマリエルちゃんが笑っているから。


「あなたさえよかったら、これからもマリエルと仲良くしてもらえると嬉しい」

「それは、こちらこそです。マリエルちゃんと話をするのはわたしも楽しいので」


 いまだって、前世だって、年は離れているけれど、外見だけの話ではなくてわたしはマリエルちゃんが可愛い。真っ直ぐわたしを慕って一生懸命にお話ししてくれようとするところも、ちょっと話過ぎちゃったと一人こっそり反省している姿も、大丈夫だよと声をかけると嬉しそうにはにかむ表情も。

 前世きっかけの好意からはじまった関係であるかもしれないけど、いまわたしたちは出会えてちょっとずつ仲良くなっている。

 

「これからのことは安易に約束できないですけど、マリエルちゃんがこれから色んな人と出会っていく中で、最初のお友達として思い浮かべてもらえるくらいにはわたしも仲良しでいたいので」


 老兵は死なず去りゆくのみ。

 そんなことわざ前世にあったけど、出来れば末永く仲良く出来たら嬉しい。


「あなたは」

「あっ、あれが町ですね?」

 

 セルヴィス様がなにかを言いかけたタイミングで、町の入り口が見えてきた。

 うっかり遮ってしまったけれど、聞き返そうと目線を向ければなんでもないと首を振られてしまった。ちょっと申し訳なかったかな。

 とはいえ、色とりどりのレンガ調の壁と屋根や道路にちょっとだけ、いや、大分心がときめいてしまう。

 異国情緒あふれる町並みはヨーロッパというかファンタジーというか、そういうものを感じさせてくれるのだ。

 セルヴィス様に案内されるまま入ったのは商店街というのか、繁華街というのか、昔ファンタジーアニメでみたやつだ! と、テンションをあげてしまいたくなるような外観の町だった。

 灰色の石畳敷きの広い通りはメインストリートなのかな? 乗り合い馬車が走り、通りに面したお店は店の中にも外にも商品を並べていて、中央にあるらしい広場には噴水があってお祭りみたい屋台が並んでいる。

 あ、あれクレープみたい。あっちにはたこ焼き? 中身タコじゃないっぽいけど見た目はたこ焼き。え、食べたい。ソースのいい匂いがすごい。

 なんてキョロキョロしていたら隣で思わず噴き出しました。みたいな息づかい。


「――失礼。気に入ってもらえたのならなによりだよ」


 喉の奥で笑いをかみ殺しながら言われて、そういえば連れがいたんだと思い出す。

 異世界情緒にときめきすぎて完全に存在を忘れていた。


「すみません……」

「いや、謝るのはこちらの方だ。あなたはずっと閉じ込められていたと聞いていたのに、もう少し早く町に連れ出すべきだったな」

「いえいえ、町に遊びに出るのを目標にお仕事させてもらってたのでそこは別に」


 やはり町に出るなら遊ぶための予算はそれなりに確保したいし、どのくらいの予算が必要か確認も出来るから今日は仕事になってよかったかもしれない。


「取り敢えず画材を置いている店、案内してもらってもいいですか? えーと、ヴィス、さん?」

「……」

「え、名前間違えました?」

「いや。合ってる。そういえばあなたに名を呼ばれたことがなかったな。と、思い至ってな」

「そうでしたっけ」


 言われてみるとたしかに?

 でもまあ、大体話すときは一対一になるので、あまり名前を呼ぶ必要がなかったかもしれない。

 一応上司にあたる人だし、あと、イケメンのファーストネーム呼ぶのってハードル高くないです? とは、さすがに言わないけど。


「変なことを言った。画材を扱っている店を案内しよう」

「あ、はい」


 たこ焼き風屋台の横を通り抜け、広場を中心に四方へ伸びている通りの一つへ入り込めば、渋い佇まいの店が目につく。鍋やなんかの調理器具や、ペンキや刷毛やはしごといった資材やなんかを扱うお店が多い。

 ホームセンター通りとこっそり名付けてみようか。

 通りを歩くこと少し、示されたのはいかにもな画材屋さんだった。というか、紙専門店? なのかな。

 大きなものから小さなものまで紙がこれでもかというほど並べられている。

 中に入れば奥に店主らしきおじさんがいて、好きに見ていってよと声をかけられた。

 あまり広くはない店内は天井につくくらい大きな三つの棚で通路が作られていて、紙が種類とサイズごとに分けられている。壁側にはキャンバスなどの大きなものが立てかけられていた。

 さすがにそれは扱えないので、模造紙みたいな薄いやつないかな。それか画用紙。

 学級新聞みたいに貼り出そうぜとか思ってるんだけど。

 なんて思っていたら特殊紙コーナーをみつけた。

 おお、遊び紙に使いたい透かしのあるレース模様の紙や、絵はがきとかに使えそうな花柄エンボス加工された画用紙くらいの厚みのある紙まである。可愛いなあ、お礼状とかこういうので作ってた時期があったなあ。

 なんて夢中になっていたところにそれは目に入った。


「あ」


 思わず声が出た。

 模造紙に似た筒状の紙をみつけて手に取ったら、そのすぐ側、膝くらいの高さの棚に平積みにされていた自由帳みたいなのが目に入った。

 表紙の色紙をめくれば、荒くてクリームがかった色味の紙が綴じられていてまさにって感じがちょっと懐かしい。手書きのラフとかこういうのにざかざか描いてたっけ。


「どうした?」

「あ、いえ。……下書きというかラフをこれで描こうかなと」


 あ、やべ。声がちょっと揺れた。

 さすがに気づかれないとは思うけど。

 

「……そうか」

「はい、あとはこういう薄くて大きな紙に一枚使って描いて壁に貼り出そうかなって」

「わかった。ちょっとこの辺りの商品を見て待っていてくれ」


 そうして店主のおじさんとなにやら話をしていたセルヴィス様は少しして戻ってきた。手には自由帳だけを持って。


「大きな用紙は屋敷に運んでもらうよう手配したが、このくらいなら邪魔にはならないだろう」

「え、っと?」

「一冊だと足りないと思ったらこれとは別に十冊ほど注文しておいたんだが、それで間に合うだろうか? 必要なものさえわかっていれば改めて注文も出来るから言ってくれればいい。他に気になったものは?」

「……いまのところは」

「じゃあ次は書くものだな」


 店主のおじさんの声を背に店を出て、ペンの専門店とでもいうのか、そういうお店へ案内してもらった。

 道中、目についた不思議なお店やオブジェなんかの由来も、さすがの領主さま知識でよどみなく教えてもらえて、ガイドと観光客みたいだなと思うとちょっとおかしくて、紙屋さんで胸を刺した郷愁みたいなものも吹っ飛んでしまった気になる。

 そうして紙屋さんから十軒ほど離れたペン屋さん? みたいなお店では、ボールペンや鉛筆によく似たものや、スケブの友達ともいえる某カラーマーカーみたいなものも充実していて、絶対絵描きやおたくこの世界にいるでしょって思った。言わなかったけど。

 わたしが手に取ったもの全部、セルヴィス様は屋敷に運んでもらうように言っていて、手元には特にデザインが気に入っただけで実用向きかもわからないペンが一つだけ残される。

 先端とお尻がピンクゴールドで、持ち手の部分が木のような見た目の柔らかな素材で薔薇の花弁が彫ってあるものだった。

 自由帳とそれをこれまたおしゃれな紙袋にまとめられ、手渡される。

 なんだかんだ見て回れば、紙やペンは自分の給料と比べて安価とは言えないものだなと。

 それをぽんと手渡されるのは、やはりなんだか複雑だ。

 だってどう見たって実用向きじゃないプライベート用なんだもの。

 

「あの、これ、自分用に使いたいので、お金をわたしに負担させてもらえませんか?」


 じっと見上げた先、表情の読みづらいもっさりした前髪と眼鏡の奥で、セルヴィス様が目を瞠ったのがわかった。いや本当この人顔が綺麗だな。


「あなたにはこれから色々面倒をかけるので、その対価として受け取ってもらいたいんだが」

「でも、昨日言われた仕事については新たに雇用契約書を提示してもらったので、それにわたしも納得した上でサインしましたし」

「それとはまた別でな」

「え?」


 小さな、本当に耳を澄ませなければ聞こえないくらいの声量でセルヴィス様が何事かを囁いた。

 それに思わず、本当に思わず、わたしは顔をしかめてしまったのを確認して、どこか楽しげな様子でセルヴィス様は店内へと戻っていき、この店の女将さんだという女性となにやら話し出す。


「お姉さん、ヴィスがせっかくくれたんだから受け取っておやりよ。あいつが女の子にプレゼントするのなんてはじめてなんだ。ちょっと抜けてるところもあるけど、仕事は真面目だしいいやつなんだよ」

「いや、あははは……」


 店内からは店主だというおじさんがそんな声をかけてきたので、曖昧に笑うことしか出来ない。

 だってそうでしょ。

 あの人さっき、こう言ったもの。


 あなたの絵の技術を盗むことが出来れば、俺もマリエルからあんな笑顔を向けられるかもしれないしな。


 って。

 年頃の男女で贈り物のやりとりがあれば甘酸っぱいものを想起してしまうのはわかるけど、そもそもわたしたちにそんな感情は存在していない。

 ボートウェル家の庭師見習いヴィスさんは町に溶け込んでるらしいことがわかってなによりですけど。そうだった。いい雇用主ではあるけど、あの人、極度のシスコンでしたわ。


「さて、必要そうなものは粗方見て回れたところで、これからは君の買い物に付き合おう」

「え?」


 そっと腕を差し出されての言葉に首をかしげる。


「今日本当は町を見て回りたかったと言っていただろう? 俺もこの町を見てもらえるのは嬉しいし、なにも知らないあなたがどういうものに興味を示すのか、楽しみを見出すのか、それを間近で見せてもらいたい」


 そう言われれば答えはイエス一択なのだけれど、ほんと少しだけ目元を緩ませた美丈夫に至近距離で笑まれれば、さすがに美人耐性はないのでわたしだって動揺くらいする。


「ていうか、さっきも言いましたよね、一般市民エスコートしません。要りません」


 ほとんど無声音みたいな小声で差し出された腕に苦言を呈せば、セルヴィス様はきょとりと目を瞬かせてから至極真面目ぶった表情ですまないと腕を引っ込めた。

 いやもう、色々と心臓に悪いぞこの人。

 こんな風に、交友とまではいかないにせよ時間を共有することになるとは思わなかったけど、意外な表情を見せられてしまうとどう対応していいのかちょっと迷う。

 ビジネスライクに接するだけなら全然問題なかったのに。


「では行こうか。どういうところがみたいとか、希望がないようなら端から案内しようと思うんだが、どうだろうか?」

「じゃあ、それでお願いします」


 一人で巡れるのであればそうするつもりだったので。

 わたしの返答にひとつ頷いたセルヴィス様は、どこか嬉しそうな表情を隠さないまま歩き出した。


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