02 あたし、がんばりました!
閑話休題。
何度目かの仕切り直しのように、ボロボロになってしまった応接室から場所を移し、また別の応接室へと移動をしたわたしたちには、沈黙が落ちていた。
わたしは再び警戒がとかれたのかソファに腰掛け、真正面にレッド隊長さん。そのとなりに顔を両手で覆ったイケメン幹部改めお兄さん。そして、わたしの腰元にがっちり腕を回して抱きしめて、というよりはしがみついて離すまいとしている天使マリエルちゃん。
カオスだわー。
「今聞いた話を総合するとあなたはカコモチであるということになりますね」
「カコモチ」
前科一犯みたいな響きでなんかやだな。
思わずへの字口になっていれば、レッド隊長さんは苦笑した。
「この国では時折そういう存在が生まれるのです。この世界には存在し得ない技術や概念を生まれながらに持つ存在が。一般的には伝承の域ですが、そちらにいらっしゃるマリエル様もそういった存在です」
「はあ」
異世界転生とかそういうジャンルは基本的に主人公や語り手だけがそうであることが多いイメージだけど、この世界では希少性はあれど唯一無二の特性でもないということか。でも、一般には伝承の域というからには公言できない事情なんかもあるかもしれない。
「たとえばスイッチ一つで灯りをともす技術、遠い国まで安全に船を向かわせる知識、未だこの世界には存在していませんが遠距離移動を空路で行う知識、そういったものはすべてカコモチからもたらされています。あるいは、貴方が先ほど召し上がった食事もその一つです」
「――なるほど」
納得した。
勝手に和定食だなんて呼んでいたけど、間違いではなかったらしい。
ということは、みりんや醤油に似た調味料がこの世界にはあるということだ。今朝までは自分の新たな人生に夢も希望も持てずにいたけど、そういう、食とかを楽しむことを願ってもいいのだろうか。
「それで、ここからが本題です。この国ではカコモチには貴族階級と同等の権利を与えるとともに、手厚く保護することが義務づけられています。たとえば、有力な貴族預かりとなる、国に保護を求める、などです」
「……保護」
「先生、保護はおすすめ出来ません。毎日朝から晩まで監視されて自由に外も出られなくなるんです」
「そうなんですか?」
いまだにぎゅぎゅっとしがみついたままのマリエルちゃんが、つまらなさそうに目線を伏せて言う。その表情だけを見たら、さっきあんなにも泣き叫んでいた女の子と同一人物とは思えないほど大人びて見えた。
「カコモチが持っている知識はそのくらい貴重であることが多いのです、過去には他国にさらわれてそのまま行方不明になった者もいましたし、みつけたときには知識だけを無理矢理搾り取られ廃人のようになっていた事案もあるそうです」
そう説明をくれたのはレッド隊長だった。
マリエルちゃんも真顔でこくこく頷いているので、まあ、そういうことなんだろう。
「おう、思ったよりも悲惨なやつ。というか先生呼びをやめて…………いや、なんでもないです」
美少女、目を潤ませての上目遣い強い。
まあ、活動名バレしたところで検索されて自分の性的嗜好の煮こごりSNSアカウントまでたどり着かれることもないもんな。些末なことだと思い込もう。
……もうちょっとなんか、まともな名前つけとけばよかったかなという後悔をいましたって意味はないし。ないったらない。
「話を戻しまして、貴方がカコモチであるのならこちらの疑念すべてに説明がつきます。今後は、貴方の処遇をどうしていくかの話になっていくのですが、なにか希望はありますか?」
「……叶うなら、ですけど、自分でお金を稼いで生活していきたいです。わたしがそのカコモチというものだとしても、ごくごく普通の一般市民でしたので特殊技能も知識もあまりありませんし、それほど厳重にしてもらわなくても大丈夫かなと」
働き口を紹介してもらって、細々と暮らしていけたら多分それでいい。
そう思って告げた言葉に、レッド隊長さんは渋い顔をした。
「私も、出来る限り希望に沿って差し上げたいとは思っているのですが」
「――無理だ。世間知らずな妙齢の女が一人暮らしをはじめれば、それだけで周囲からは奇異の目で見られる。田舎であれ、都会であれな。そしてあなたが有益な知識を持ち得ないと思っていたとしても、他者がそのように思う保証もない。実際、似たようなことを言っていた婦人が農家の出で、彼女の知識でたくさんの作物を安定して収穫出来るようになった。という事例もある」
イケメンお兄さん、復活したらしい。
いまだ目元をてのひらで覆っているけれど、背筋をしゃんと伸ばしてはっきりとした口調で言った。
「――お兄様」
「…………だめだ」
唐突な唐突な兄妹のやりとりに面食らえば、わたしの腰元でマリエルちゃんがぷくりと頬を膨らませる。
お兄さんはそれを直視しないようにか、視線を不自然に壁の方に投げて重ねてもう一度、駄目だと告げた。
「俺は、俺たちは、マリエルがカコモチであることを疑ったことはないぞ。だからこそ、お前には家庭教師をつけることになったんだ」
「とんだクソババアだったけどね」
おっ、ちょっと厭世的な表情。
あれかな、肉体年齢と前世の年齢で表情があっちこっちしてるみたいな、不安定な感じ。
「……先生は、あのクソババアからひどいことをされませんでしたか?」
きゅっとすがる指に力がこもって、なんとなく事態の一部を把握した気持ちになった。
そうか、あの似顔絵を彼女が持っていたのは、あの女家庭教師の被害者がこの子だったからということだ。そしてきっと、わたしの肉親たちもなんらかの関わりを持っている。
「なかったとは言わないけど、まあ、そのときには前世の記憶を思い出せてたから、なるべくおとなしく従順な振りをしてみせてたかな」
見下し嘲り折檻は標準装備だったけれど、あの頃はまだ現状をどうにか出来ないかってあがいていた頃だったから、家庭教師の言葉を深読みしては脱出のヒントがないか。なんて、そんなことをしていたし、まだどこか夢の中のような、ゲーム感覚が抜けきらない時期で、正直そこまで強く残ったエピソードもない。
「とはいえね、わたしがそこまでダメージなかったとしても、マリエル、ちゃん? 様? は、同じように思う必要はないからね。余所は余所で家は家だからとんでもなくひどいことをされたなら、怒ったり制裁加えたりいい感じに対応したらいいと思う」
あの家庭教師のクソババアさんと、わたしの家族はとても懇意にしていた。と、いうようなことをクソババアさんが言っていた。性格のクソ具合がとても似通っていたので事実だろうとして、いまのところ一切の説明がされていない現状の元凶も彼らなんだろうなという想像も出来たので。
「保護という名の軟禁か、野放しにしてもらって知識だけ抜かれて廃人コースなら、前者の方がましかなって思うので、取り敢えず保護の方向でお願い出来ます?」
「先生っ」
「……同じ自由がない生活でも、三食クズ野菜スープと鶏肉ソテーよりかはマシかなって」
これまででなにが一番つらかったかって、やっぱり食生活だったんだなってクッキーを食べてわかった。というか、気づいた。
しんどいときでも茶化して誤魔化して笑いに変えてしまうことの多いわたしだけど、なんだかんだ今までの生活相当きつかったんだなあって。
記憶を失う前のリディーナのままであれば、そういう辛さもなかったんだろうけど。
「生きてればまあいいことも悪いこともあるだろうし、なるようにしかならないことはなるようにしかならない。だからまあ、大丈夫」
ケセラセラ。
自分の活動名の「けせら」もそこから取った。
座右の銘だなんてたいそうなものではないけれど、なるようになるって思って踏ん張っていれば多少はマシな方にいけるだろう。そんな気持ちで。
実際、同じ軟禁状態でも生家にいるよりはきっと人間らしい扱いをしてもらえるだろう。
しらんけど。
駄目ならふて寝と暇つぶしにはじめていた筋トレでもしながらまた時期を待つ。
「だからまあ、大丈夫。――そういえば伝え忘れてたけど、さっきはかばってくれてありがとう」
今生の別れになる可能性もあるから悔いが残らないようにって、サラつやなマリエルちゃんの髪に触れて頭を撫でる。
まさか前世の読者さん? と言葉を交わす事態になるとは思わなかったけど、存外わたしみたいな境遇の人ってたくさんいるのかもしれない。自己申告されていないから気づかれてないだけで。
そう考えると保護されるのも悪くないかもしれない、似たような誰かと出会ったり話したり出来るかも知れないから。
……なんて、前向きな気持ちで保護を受け入れたわたしは、なぜだかマリエルちゃんを腕にひっつけたままとても立派なお屋敷の前に来ています。
「――どうしてこうなった」
保護を受け入れていろいろな聞き取りやら書類記入やらを経て、完全に生家とは無関係になって一週間くらい。軟禁前に町へ出て食べ歩きなどさせて頂きたい気持ちはあれど、無一文なことと警備上の都合で迷惑をかけそうだなって思ったので、前世日本人らしく口をつぐんでその日を待った。
与えられた個室でおとなしく過ごしつつ、あまりにも長くて結局名前を覚えられなかったレッド隊長さんに迎えが来たからと言われ、お世話になった挨拶をつつがなく済ませてやたらと豪華な馬車に乗り込んだところまではよかったんです。
必要なものはすべて用意してもらえるからということで、手ぶらでガタゴト揺られて到着したのがヨーロッパの豪邸みたいなところだったので、異世界すごいなあなんて思って眺めていた視線の先で、マリエルちゃんがにっこにこの笑顔で立っていなければ。
「いやこれ本当にどういうことなの」
「あたし、がんばりました!」
そっかー、頑張っちゃったかー。
むふんと鼻息荒く得意げな表情をしても美少女は美少女だったけれど、うん、美少女無罪。
「リディーナ嬢、あなたに相談なく勝手に話を進めてしまったことは詫びよう。その上で、もしよければ食客として住んではもらえないだろうか」
「…………」
少し疲れた顔をしてやってきたお兄さん。そうだよな、あれだけのシスコンであるのならば負けるよな。
後ろに濃紺のワンピースに白いエプロンを身に纏ったおっとり美人メイドさんを連れたお兄さんが、目の前までやってきて膝をつく。
その視線の先はもちろんわたしではなくマリエルちゃんだ。
「お前のわがままを聞く代わりに、俺が出した条件は覚えているな。マリエル」
静かにそっと言い含めるように告げたお兄さんに、マリエルちゃんはきゅっと眉を寄せる。
それからじっとわたしを見上げてからぎゅっとしがみついて、身体を離す。
「けせ……リディーナさんをお迎えしてもらう代わりに、きちんと淑女教育を受けます。勉強も、します」
淑女の礼とでもいうのか、ぴっと背筋を伸ばして実の兄へと頭を下げたマリエルちゃんをみて、口が勝手に動いた。
「――いやそれは駄目でしょ」
怪訝そうな瞳と、ぽかんとした瞳がそれぞれわたしをみたけれど、応えたのは後者の瞳に対してのみだ。
貴族としてのなんちゃらとか、まあ、必要ではあるんだろう。
立場があるのならなおのこと。
それはわかるけど、わたしと引き換えに意に沿わないことを強いられてしまうマリエルちゃん。というところに、感情の方が納得しなかった。
「あのね、マリエルちゃん。それともはなさん? あなたがいまどっちの記憶や経験に引きずられてるのか、わたしにはわっかんないけど、それは駄目だよ」
お兄さんの隣に両膝をついて目線を合わせれば、不安そうに揺れる真っ黒な瞳。
その色彩を日本人ぽいとは思ったけどやっぱり同じではないんだななんて、当たり前なことが頭をよぎる。
「勉強はね、大事だと思う。知識なんてあればあっただけいいって、それはわたしも知ってる。だけど、それをする理由に他人であるわたしを持ってくるのは駄目。前世のわたしは確かにわたしの中にあって、けせらはたしかに前世のあなたの神様だったかもしれない。わたしにも憧れの字書きさん、絵描きさん、その他活動者さんはいたし、生配信があれば投げ銭したし、お金払ってイラスト小説描いてくれるサービスあれば活用したし、課金は実質無料だった。わかる、それはね、わかるの」
脳裏に浮かぶ大好きだったあんな人こんな人。
思い返せば後悔なんていくらでも出来るけどそれはいま考えない。
けせらを活動名としていたわたしはもういなくて、いまのわたしはただのリディーナでしかないんだから。
「でもね、それは生活に支障のない範囲でなきゃいけないし、ましてや自分のこれからを左右する出来事に絡めちゃうのは駄目だってわたしは思うよ。そういう大事な選択に他人を使っちゃうのはよくない。わかる?」
「っ……」
大きな瞳が揺らいで、コップの水が決壊するように涙の膜が張ってあふれた。
ぼろりぼろりとこぼれる大粒の涙に、慌てたのはもちろんわたしだ。お巡りさん、わたしです。
びびびっと背中に嫌な震えが走って、あわあわと言葉を探すもなにも出てこない。
そのうちにマリエルちゃんからは泣くのをこらえるような嗚咽が漏れて、でも、どうにかこらえようとしているのか唇をかみしめるのがわかった。
「ごめ、なさ……っ」
か細い声がそう告げて、華奢で白い指先がまぶたを強く押さえたところで、衝動的に抱き寄せてしまった。いやこれもう死刑じゃん。処刑待ったなし。
小さい身体はこのまま燃えてなくなってしまうんじゃないかってくらい熱くて、か細く震えていた。
「あた、し。急に、なんか、こんなことになって、おとうさんも、おかあさんも、しらない人になったみたいで、こわくて……っ。悪い夢なんじゃって、まいっ、あさ……ぅく、起きたら、自分の部屋で、がっこ、いってって、けせ、ら、先生、がっ、おんなじ世界にいてくれるってわかって、うれしくて……っ、なんか、すごく、心強くて……」
小さな手が、すがるようにわたしの服の袖をつかむ。
まるで命綱かなにかのように。
「先生の、ため、なんて言って、ほんとうはあた、しが、安心したかった……。昔の記憶が本当なんだって、あ、たし、ちゃんと、いたんだって……っ」
「そっか、――そっか」
いろんなことが了解出来てしまった気持ちになって、わたしはマリエルちゃんの背中をぽんぽんと撫でるように叩く。大丈夫だと、ここにいると、少しでも伝わるように。
「はなさんは、もしかしたら学生さんだったのかな」
問いかけに、小さな頭が腕の中でこくり頷く。
「高校二年生、でした」
「思い出したのは最近?」
「半年くらい前です」
「……そっか」
思い出が多ければその処理はきっと大変なことだろう。
わたしは幸いとまでは言いたくないけど、それなりに記憶を咀嚼して呑み込む時間だけはたくさんあった。
けせらであった自分と、リディーナである自分。
家族の言いなりであることしか許されなかったリディーナ・スウェルであった女の子には、これといった自我は存在しなかったので、わたしは過去の人格の影響を大いに受けてここにいる。
対して、彼女はどうだろう。
わたしとは違って、マリエルちゃんはマリエルちゃんとしてもきちんと愛されて育っただろう。過去のはなさであった彼女もきっとそうで。
その二つの記憶は、上手く折り合えないままなのかもしれない。
「うん、わかった」
マリエルちゃんを抱きしめたまま、わたしは存在を忘れかけていたお兄さんへと視線を向ける。
妹を泣かせた悪女めみたいな顔で見下ろされているかと思ったけれど、存外呆けたような敵意のない顔がわたしをひどく戸惑った目で見下ろしていた。
「あの、もし今現在求人などしているようであれば、わたしをこちらで雇って頂くことは可能ですか?」
「――は?」
「食客? 居候? は、正直そうして頂く理由もないし、中身は一般小市民なんでいたたまれなさすぎて身の置き所に困っちゃうと思うんで、労働させてもらって、お賃金も頂いた上で、こちらに置いてもらえたらなと」
こっちの世界に馴染みはまったくないので、軽作業からやらせてもらえたらありがたい。
「試用期間を設けてもらって、使い物にならなければクビにしてもらってかまいません。同じ敷地内に似たような境遇のわたしがいることでこの子がちょっとでも安心出来るなら」
「……先生」
ぽかんとしていてもイケメンはイケメン。
それでも泣き濡れて真っ赤な妹をみて我に返ったらしいお兄さんは、自分の後ろに控えている美人メイドさんに目線をやった。
それだけで意図を了解したのだろう、艶やかな唇が思ったよりも低めの声で答える。
「……本邸の清掃係に欠員が出ています」
「じゃあそれでお願いします。その上で、彼女の教育云々の話は改めてふたりで話し合いをお願いしたいです。そういう理由ではじめた勉強なんて身につかないと思うので」
差し出がましかろうがしったことか精神で押し切る。
だって小さな女の子が泣いている、根性出すのにそれ以上の理由は必要ない。
しばしの沈黙の後で、お兄さんは大きく息を吐いてから頷いた。
「――約束しよう。俺も、妹を追い詰めたいわけじゃないんだ」
小さくこぼされた後半の言葉は、本心だろう。
この人が妹さんのことを愛してるのは疑いようもないけれど、まあ、伝わってない部分もきっと多いんだろうな。なんて、第三者は思うわけで。
さすがに、そこまでは言わないけど。
意図したわけではないけれど、異世界転生自立生活への一歩が進んだな。
なんて、頭の片隅に思ってしまったことは許して欲しい。