01 ――たとえるなら、圧迫面接。
眠りから覚めたような、そんなはじまり。
ごくごく普通の成人した日本人女性であった自分が、全く知らない、日本人ではありえない色彩を持った、どう見積もっても十代――おそらく小学校低学年くらいでしかない女の子になっていると知覚したときのことだ。
薄茶色の背中まで届く長い髪の毛に緑色の瞳の、感情をそぎ落とした顔の華奢な少女。
それは暗い夜のこと、どういう仕組みかほんのり灯る明石が照らす室内で、夜闇を映す窓越しのそんな自分を見た瞬間一気に「わたし」は目覚めた。
そして気づいた。
この世界は、日本ではない別の世界で、日本人成人女性である「わたし」は死に、この世界に生まれ直したのだと。
リディーナ・スウェルという名の、幸福ではない女の子として。
それと同時に頭を抱えた。
前世と思しき記憶を得たことで、自分のおかれる環境がなかなかひどいものだと気づいたからだ。
詳細は省くけれど、前時代な価値観を持つおそらく貴族的な家に生まれ直したらしいわたしは、やはりおそらく女であるというだけでその価値を低く見積もられ、屋敷の離れ的な場所にほぼ軟禁されるように過ごしている。
すべてがおそらくなのは、誰もそういう説明を幼いリディーナにしていなかったからだ。
なので、中身成人女性の知識を総動員して、そういうことなのかなと見当をつけた形である。
家族であろう人とは関わりもなく、毎日朝晩塩気しか感じられない豆と野菜屑のスープと、鶏ムネのような淡白で繊維質な肉のソテー的なものが食事として出されるだけの毎日。
それを当たり前のものとして受け入れられていたのは、リディーナという女の子がその生活しかしらなかったからだろう。
でも「わたし」は違う。
美味しい食べ物やジャンクで身体に悪い背徳的な味も、自由に生きる楽しさだってしっているのだ。
なによりも娯楽。これがないことがしんどかった。
前世のわたしという人間は、二次元にまつわるオタク趣味をこよなく愛していたので。
漫画もない、アニメもない、各種ゲームや動画を見ることさえない。そもそもそういった娯楽がこの世界に存在してるかどうかすら怪しい。
これはどうにかしないといけないと思いながらどうすることも出来ず、せめて心は守らねばとはじめたのが筋トレである。
詳しいことはわからないけど、筋トレをすると脳内麻薬的なものがしあわせを感じさせてくれるとかなんとか、ほぼ常駐していたSNSでみたことがあったので。
根拠はわからないけどそういうもの。みたいな知識だけはまあまああるのだ。
そうやって日々をやり過ごすこと数年、十七歳になったわたしはいま、突然部屋に押し入ってきたおそらく肉親に無理やり連れ出されて、広い部屋の中央に立たされて目の前には屈強な男性がずらり並んでいる。なんてカオスな状況になっています。
いやもう本当に突然すぎた。突然部屋に押し入られ、連れ出され、馬車的な乗り物に押し込まれ、とうとう人買いに売られるかそれに近しいことになるのではと戦々恐々としていれば、わけのわからない四角い建物においやられ、
「お前はもう、うちの人間でもなんでもない無関係な人間だからな、余計なことは一切しゃべるな」
などと吐き捨てられた上で放置されたのだ。
そうして戸惑っているうちに、あれよあれよと同じ服装をした屈強そうな男の人に囲まれて、左手首に銀色の輪っかをつけられて、会議室のような雰囲気の部屋に通されたってわけですよ。
いや本当になに? どういうこと??
その辺りで気づいたんだけど、どういう仕組みかわからないんだけど、言葉を一切発せられなくなっていた。
腕輪のせいなのか、わたしのしらない別の事情なのか、おかげで目の前に横一列に並ぶ五人の男性に事情説明も求められない。
きっと、おそらく、雰囲気からして軍隊とか警察的な組織に所属する人たちなんだろうなとは予想しているんだけど。だって目の前から繰り出される威圧感がすごい。
――たとえるなら、圧迫面接。
そんな人たちの前に突然連れられた理由はわからないけど、ろくでもない事情なんだろうことは想像がつく。
知らないうちに冤罪かけられて投獄? 異世界転生ものの小説とかだと、ギロチンとか修道院とか聞くけどこの世界もそういう感じなのかな。
投獄やら修道院とかならまあ、いままでの生活とさほど変わらないし多少ましなご飯が食べられるかもしれないけど、死ぬのはなあ。
まあ、現状を思うにまた運が良ければ転生とかあるかもしれないし、ワンチャン来世に期待とか?
いやでもやっぱり死にたくはないわあ。
前世の自分が死んだらしいことはどうにか飲み込めたって、そのときの記憶なんてまるでないし、処刑にせよなんにせよ死ぬときは絶対に痛いし苦しいに違いない。
なんてことを考えていたら、軍人と思しき男性の一人、戦隊レッドの定位置であるセンターに立つムキムキマッチョだろう身体の大きな男の人が口を開いた。
「貴女は、どうしてご自身がここに連れてこられたかご存じですか?」
あらやだ存外口調が丁寧。
軍服と帽子で隠れてはいるけれど、厳つさで印象が恐そうに全振りされているけれど、突然殴られたりはしない感じなのだろうか。
部屋に満ちた空気は張り詰めているものの、多少落ち着けたわたしはそっと息を漏らす。わけのわからなさに混乱はしていた。けれど、まずは落ち着いて深呼吸をしなければ。
とはいえ、質問には答えなければいけないだろう。わたしはなぜか声を出すことが出来ないので首を横に振ることで答える。
ていうか失語してるの、この人たちがそうしてるわけじゃないのか。じゃあなんでだろう。
「では、説明いたします。貴女にはボートウェル家への脅迫罪、ならびに侮辱罪などの嫌疑がかけられています」
意味がわからない。
同時に、なるほど。と思った。
冤罪の方か。というかまあ、ずっと閉じ込められていたわたしが連れてこられた理由なんて、他にないんだろうけど。
「それではこれからいくつかの質問をしますので、嘘偽りを述べず答えてください。よろしいですか?」
声が出ないのも、どういう仕組みかわからないが身内の仕業だろう。
経緯はわからないけれど、血縁の誰かがボートウェイ? さんの家になにかをしでかして、事が大きくなり、犯人としてわたしを引き渡した。と。
なるほど、大変クソな事態じゃないか。
となると声が出ないのも「余計なことをしゃべるな」に起因するのかもしれない。
だって、不自然だ。
朝までは普通に声が出てたのに、痛みもなにも感じていない喉からは空気が漏れ出る音だけがする。これでは弁明も出来ず、投獄されてしまうのかもしれない。
そのボートウェイ? さん? とやらの身分によってはそれよりひどいことになる可能性だってある。
この世界の法律なんて知らないけど、罰金刑だとしたって払えるわけないんだからどのみち投獄? 死刑までなったりもする?
あ、でも、もしも投獄で済んだとして、刑期があけたらわたし自由の身になれるのでは。
ひとりで働きながらひっそり生きられたりしないかな、無理かな。というかこの世界の娯楽とかに触れたい。漫画やアニメやゲームはさすがにないだろうけど、小説くらいはあるんじゃないかな。というかあれ。存在してくれ頼むから。
その先の妄想はセルフでまかなうから、そのくらいは出来るから。
しゃべることが出来ない現実逃避にそんなことを考えていたら、右端の男性が一歩前に進み出てきた。
……返事をしないから殴られるとかないよね?
ちょっと不安に思いながら、どうすることも出来ず男性を見つめる。あれ、他の四人に比べてだいぶ線が細いなこの人。幹部とかかな。
黒髪黒目のずいぶんと綺麗な顔立ちをしている男性、顔面偏差値の高さに目をつぶれば色合いが前世を思わせてちょっとだけ懐かしさを感じる。
「――失礼」
「?」
白手袋に包まれた彼の指先がそっと喉元に近づいてきて、ぴりついた痛みを覚えて身を引きかけたのをどうにか踏ん張ってこらえれば、すぐに指先は離された。
「……言葉を封じる魔法がかけられていたようだ」
わたしに。ではなく、背後の四人に告げた幹部さん(仮)は元の位置に返って再び五人横並びになる。RPGの戦闘シーンかよみたいな突っ込みが出かかったけど我慢だ。我慢。
幹部さん(仮)の言葉を受けてためしにあーと声を発すれば、すんなり音として出てくれたのでほっとした。
冤罪ルートの可能性はまだまだ高いけれど、弁明の機会はありそうだし。
いやでもこれどっちがいいんだ。
無実が確定した場合、家に戻れるはずもなければ戻りたくもない。
いっそこちらで保護とかお仕事斡旋とかしてくれないだろうか。
「それではこれから取り調べを行います。あくまで被疑者ではなく参考人という立場である貴女には、それを拒否することと弁護人を立てる権利があります。その権利を行使しますか?」
固く、強い語調だった。
そうすることは許さないというのでなく、そうでなければならないという意志が乗った声。
それにわたしは首を振る、もちろん横にだ。
「いいえ、お役に立てることを言えるかはわかりませんが、嘘偽りなく答えたいと思います」
そういえばこの世界で『わたし』として目覚めてから、家の息がかかった人間以外と話をするのは初めだななんて、他人事ように思った。
色々はしょるけども、圧迫面接改め取り調べの結果、わたしの意見は概ね好意的に受け止められたらしかった。
無罪とは言われてないけど、待遇がとても向上したのできっとそう。
最初こそゼー○の査問かな? みたいな、対面立ちっぱなし質問大会だったのが、いまは応接室のような場所に移動して、対面で座りながら飲み物とお茶菓子まで出してもらえている。
……立ちっぱなしのときに盛大にお腹の音を鳴らしてしまったのが原因だろうな。
朝ごはん食べてなかったし、生まれ変わってからはずっと空腹続きなのが当たり前すぎてお腹が鳴ることも少なかったんだけど、家以外の、話が通じるかもしれない人の前に出たことで安心でもしたのかもしれない。
ある程度身の上話を含めた話をして一段落ついた頃には、海外風な世界観にはそぐわない和定食に似たご飯まで食べさせてもらえた。……カツ丼はさすがに出なかったけど。
お膳に乗った控えめなご飯とおひたしだろう青菜には、鰹節によく似たものが散らされて醤油そっくりの液体がかかっていた。甘辛いあんかけがかかった肉団子とお味噌汁までついていて、実はここは日本の延長線上にある国かもしれないとまで思えた。
あまりの懐かしさや美味しさに泣きそうになりながらもこらえることが出来たのは、ほんの少し食べただけで満腹になった悔しさからかもしれない。
これまでの食生活が本当にひどかったせいだろうけど、捨てられるのももったいないから持ち帰れないか聞いたらとても可哀想なものを見る目で見られてしまったもの。
食べ物を粗末にするともったいないお化けが出てくるとまでは言わないけど、やはり出された物は全部食べたかった。
そんなこんなで人心地がついて、いまです。
当初こそ五人の男性に詰められていたわけだけど、いまは対峙するのがセンターにいたレッドさん(仮名)と幹部ぽいイケメンさんのふたりに減ったのも、安心材料のひとつなのかもしれない。
屈強そうな男性複数と対峙するのは、さすがにこわいし緊張したんだな。
「それでは、あなたが知る限りであなたの家に出入りしていた人間についてお話ください」
「出入りしていた人間、ですか」
問われ、考える。
「……お話していた通り、わたしはずっと部屋に閉じ込められるような形で生活していたので、出入りしていた人間についてはあまりよくわかりません。部屋の窓も塞がれていたので。部屋の傍を歩いている人の声を聞くことはありましたが」
そこまで答えて、ひとりだけ知っている人間を思い出した。
「……そういえば、だいぶ前、わたしがいまよりもっと幼かった頃に家庭教師だという壮年の女性が来ていたことがあります。グレイの髪の、表情や口調の厳しい人だったと――」
瞬間、イケメン幹部の人から冷気のようなものを感じた。気がした。
えっ、なに、こわ。
などと口走るわけにもいかず、その家庭教師のことを記憶から浚っていく。
正直、いい記憶ではない。
あの親が選んだ人間だったので当然だがかなりきつい人物だった。
絵に描いたような権威主義で前時代的な価値観を持っていて、差別発言を繰り返し耳元に流され続けていた。当時のわたしはもう前世を思い出していたから、やべえ洗脳教育はじまったなと全力で警戒をしながら、従順な振りをしてどうにかやりすごしていたけど、折檻のような真似もそれなりにされていた。
家族に顧みられない幼いわたしも、彼女にとっては侮蔑の対象だったのだろう。
「名前は……、すみません覚えていません。名乗られたかどうかも。あ、もしよければ紙とペンを貸してもらえないでしょうか?」
この世界の筆記用具はどんなだろう。
鉛筆なんて贅沢は言わないけれど、さらさらと描きやすいものであったらいいけれど。
頷いたレッドさんが入口に控えていた人に合図をして、お盆に乗せられた紙とペンが目の前に置かれた。
紙は一枚もので、バインダーのようなもので留められている。
ペンはボールペンによく似ていた。
細いガラスに見えるペン軸の中に更に細い筒のようなものの中に黒いインクが詰められている。試し書きのつもりで紙の隅にくるくると連続した丸を描いてみればひっかかりなく書き込めた。
これなら。
遠い、遠い、記憶をたどる。
なるべく特徴を強調するように、デフォルメと写実的なものの中間を取るように。
この身体でイラストなんて描いたことはないけど、唸れ俺のオタク力と念じながら昔の手癖を思い出すように描いていく。
髪はひっつめてお団子だったはず、目はギョロと眼光鋭くて目尻は吊り上がっていた。
こう、あれだ。
某国民的アニメに出てきた、両親を亡くし無一文になった主人公をあらゆる方法でイビリ倒した学院の院長みたいなイメージだな。
書き込みは少なく、特徴を大きく。そんな感じで出来上がった似顔絵をふたりの方に向ける。
正直手が慣れていないから現在の自分の目で見ても出来は微妙だけれど、下手だけど、特徴はとらえているんじゃないかと思う。多分。
似顔絵捜査なんかで絵が上手ければいいというわけじゃないみたいな話を、どこかで聞いたことがあるし。
大丈夫、ある程度の妥協、大事。
「幼い頃の記憶で描いたので詳細は違うかもしれませんが、こういう容姿の女性だったと思います」
許されるならクソババアとか言いたいけどね。
見た目はともかく中身はいい大人なので、心許せる相手以外にそんな暴言は吐きませんとも。
「……少し席を外すがかまわないか?」
私の描いた似顔絵を持った幹部の人がレッド隊長さんに声をかけ、紙を持ったまま立ち上がった。
えっ、あれなにかの証拠品とかになってしまうのか? さすがにそれは描いた本人もいたたまれないのでやめて欲しい。完成度だってそこまで高くないし。
思っても口に出せないまま見送ってレッド隊長さんの方を見遣れば、少し休憩していてくださいとテーブルの上の平たいバスケットに載せられたお菓子を促された。
なんだかんだで食べるタイミングを失っていたから、ありがたい。
さっき食事を頂いたばかりなのでお腹は空いていないけど、甘味なんて贅沢品をリディーナは生まれてからずっと食べたことがなかったから、実はずっと気になっていたのだ。
思って、クッキーに似た黄金色の焼き菓子を一つ手に取る。
さくっと口に入れた瞬間ほどけるように砕けたクッキーは、甘かった。
軽い食感で口の中の水分を奪わず、瞬く間に口の中から消えてしまった甘味にふるりと身体が震えた。美味しい。染みる。
めちゃくちゃ働いて働いて働いて、疲労全開の状態でばたりと自分のベッドに倒れ込んだときのような感覚。
――あ、やばい、泣きそう。
そう思ったときにはもう手遅れで、ぼろりと目からは涙があふれてきた。
和定食のときは、我慢、出来たのに。
にじんだ視界の向こう側でレッド隊長さんの気配が揺れたような気がして申し訳なくなる。
大丈夫です。甘味の存在をしったまま、今生では口に出来ないと言い聞かせていた人間が突然のご褒美に情緒破壊されただけなんです。とは、さすがに言えなくてどうにか涙を止めようと目を押さえるも、難しい。
頭の中は必死に涙を止めようとしているのに、身体がまるで言うことをきいてくれなかった。レッド隊長さんこれ絶対に困ってるよ。間違いないよ。って、思えば思うほど焦りが先に立って涙腺を刺激する。
いまさらだけど目にゴミが入ったって方向で顔を洗いにいかせてもらおうか。
そう、思ったときだった。
「けせら先生っ!!」
バンだかドガンだかわからない大きな音が響いて、小さな女の子のような声が飛び込んできた。涙でにじんだ視界では目視が出来ないけど多分、声が幼いこども特有のものだから。
い、いや、待って? いま女の子はなんて言っていた?
「けせら先生! けせら先生でいらっしゃいますよね?」
可愛い声が至近距離までやってきて、顔を覆うわたしの腕をつかむ。
いや聞き間違いじゃねえわ。
やめてください! オフラインで初見の人にオタクネーム呼ばれるとか黒歴史でしかないです! まじ勘弁!!
止まらない涙と予想だにしてない方向での精神打撃にメンタルが死にそうだったわたしへ、追い打ちのような声がかかった。
「――マリエルから離れろ! リディーナ・スウェルには証言虚偽のおそれがあるため即刻投獄し、再尋問を受けさせるよう要請する。腕輪の嘘検知をなんらかの細工で誤魔化している可能性がある。徹底的に調べろ」
怒りすらにじむ固い声がそう告げた途端、複数の足音が近づいてきて、遠慮のない力がわたしの腕をつかんで背中へと引き寄せた。
無理矢理身体をひねられて、息が詰まるほど痛むのに声が出ない。急になんだ。証言虚偽? 腕輪検知? 助かったと思ったら駄目って完全にホラー構文のそれじゃん!
心の中で全力で突っ込むことはどうにか出来ても、引っ張られるまま動くことしか出来ない。
さっきまでの柔らか対応が嘘のような力任せだなおいなんて思いながら、逆らわずに足を動かそうとしたときだった。
ぐっと、腰になにかが巻き付いた。
「うおっ?」
いろんな驚きが多方面から来たことによりようやく涙が止まって、視界いっぱいに映ったのはとんでもない美少女だった。
黒髪黒目の、おそらくはまだ小学校三年生くらいだろう年齢の女の子。
天使かな?
白いレースたっぷりのワンピースを着ているのも相まって、神聖さすら感じる。
そんな女の子が、大きな瞳をめいっぱい見開いた必死な顔でわたしにしがみついていた。バラ色の頬に陰を落とす長い睫を涙で濡らして、まるで、この手を離せば命はないとでもいうような必死さで。
「――っ、けせら先生に……っ、触るなァッ!!」
天使のような少女が、その見た目にそぐわないほどのドスのきいた声で吠えた。
「――え」
刹那、大きな地震が来る前兆のような身体全部に響く振動のようなものを感じたわたしは、自分と少女を中心に周囲のものが外側へと弾き飛ばされたのが見えた。青白い燐光が半円を描いてわたしたちを包み込み、その外側の人や物が無秩序に宙へ飛んでは壁にぶつかる。
「マリエル! やめなさい、その女は危険だから離れるんだ!」
レッド隊長ですら壁に打ちつけられている中で、イケメン幹部さんだけが唯一地に足をつけて必死にこちらに呼びかけている。マリエルというのは、おそらくはわたしにしがみついている女の子の名前なんだろう。
よく見れば似ているから血縁なのかもしれない。
「うるっさい! あたしの話なんて何一つまともに聞いてくれないくせに、偉そうに指図しないでよ!! けせら先生のこと乱暴するつもりのくせにっ!」
めっちゃ語弊がありそうな言葉回しだな。
エロ同人みたいに! って繰り返したくなるけどきっとこれはそういうことじゃあない。
状況判断がまるで出来てないけど、嘘つきとかその女呼ばわりされているのは、この子の「けせら先生」呼びが原因のような気がしてきた。……ていうか多分そうだろう。
ずっと閉じ込められて暮らしてきましたって言ってる人間に、こんな美少女が先生なんて呼び慕ってくれてるのだから疑われるのもさもありなん。さもありなんてどういう意味かはわかってなくて、感覚で使ってるところはあるけど。
ああ、いけないいけない。
キャパオーバーする事案に現実逃避で思考を巡らせてしまうのは、わたしの悪い癖でもある。深刻になりすぎるのもしんどいから自分ではやめるつもりもないけど。
現実逃避をしていても、わたしを挟んでの言い争いはとどまることを知らないというか、ヒートアップの一途をたどっている気がする。
あーーー、これ、わたしが止めないといけないやつかな。
イケメン幹部からの信用は現状ゼロどころかマイナスだろうから、声をかけるとすれば女の子の方かな。
相変わらず青白く光る半円の外側は地獄絵図みたいになってはいるけれど、まあ、わたしにはいまのところ害はないし、考えないようにしよう。
「ええと、マリエル、さん? わたしたち初めましてだと思うんですけど、先生って?」
感情が昂ぶってヒートアップしている相手に、同じ声量で挑んではいけない。ゆっくり静かに、こちらに意識を向けるように挙手をして、可愛らしい顔を覗き込んだ。
「先生は、先生です! あたしの神様! この絵の描き方、癖、間違いないですっ! このタッチはカゼハナ初期のオールキャラギャグ本のときの絵柄に似てますし!」
「いや待って?」
めちゃくちゃ懐かしい名称が聞こえてきた。
カゼハナ。は、我々作品ファンが使う略称で、正式には風の花都シリーズと呼ばれる異世界ファンタジー作品のことを指す。
前世の活動名が出てきた辺りで嫌な予感はしていたけど、そうだね、わたしがここにいるんだから他のひとがいたって不思議じゃないのかもしれないね。
「あたし、はなです! けせら先生の大ファンで、書き手でもなんでもなかったから覚えてくださらないかもしれないけど。先生のジャンル移動には毎回ついていって本だって全部買うくらいにはファンでした、あっちの、頭が固くてあたしのこと理想の妹に当てはめて話を聞いてくれないクソ兄貴にはまったく取り合ってもらえてないけど、あたし、前世の記憶がある日本人なんです!」
天使のような見た目の美少女からおよそ聞きたくない言葉の羅列が放たれて、ああ、あのイケメンさんはお兄さんなのねなんて現実逃避のように思った。
わたしが黙ったことで再び勃発する兄妹喧嘩、というよりも美少女による兄への罵倒。応接室の破壊は止められているようだけど、イケメンさん以外の人はどうすることも出来ないようでオロオロした表情をしている。
いや、これ、どう収拾つけるのが正解なんだろう。
決着はそこからしばらくして、妹ラブであろうお兄ちゃんにとっての最終兵器「だいっきらい」が炸裂したことにより、相手側が完全降伏白旗ヒラヒラしたことで収束した。