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夜のドライブ

作者:

車内クーラーから勢いよく風が噴き出して、顔に当たる。限界まで低く温度を設定したのに、クーラーは熱風を届けた。

停めていた車の中はすっかり温もっていて、快適な温度になるまで十分以上はかかるだろう。

斗真は忌々しく舌を打った。

ここのところ蒸し暑い日が続いていた。

梅雨は明けたばかりで、まだまだ初夏のうちだというのに、今朝のニュースによると猛暑日が続いているらしい。

夜になっても、車の中には熱が残っている。

斗真は泣きそうになる頬を引き締めて、シートベルトを締めた。噛み締めた奥歯がギリと音を立てる。

夜の街はすっかり昼の喧騒を忘れ去り、静かなものだ。

古臭いネオンの光を浴びながら、斗真は自宅に向けて車を走らせた。

何度目かの信号で赤信号に引っかかる。交差点の手前で滑らかに車を止め、斗真は苛々と指でハンドルを叩いた。

怒りと悲しみ、自責が複雑に心をマーブル色に染める。疲労の溜まった体が重い。

里奈はどうして今日来なかったんだ。

斗真は信号待ちの間、素早く携帯電話を取り出して確認してみるが、何度見てもメッセージは来ていない。

信号が変わった。斗真は携帯をしまって、ブレーキから足を離した。

緩やかに車が発進する。

アクセルを踏みながら、斗真はどうしても今日のことを考えてしまっていた。

体が知らずと前のめりになり、斗真は前方を睨み付けるようにして車を運転している。

里奈は去年の秋から付き合っている恋人だ。交際は順調で、今度半年記念日としてちょっと背伸びしたホテルのディナーに行く予定だった。

今日もデートの日だった。

けれど。

「くそっ!」

斗真は苛々とクサる気持ちを抑え切れずに、声を上げた。運転中でもなければ、物に当たりたい気分だ。

里奈は来なかった。連絡もない。

それでも、何か事情があるのかもと待って、待ち続けて、すっかり辺りが暗くなるまで待っても里奈は現れなかった。

こんな別れ方ってあるかよ。

斗真は心中悪態をつく。

ようやく車内が冷えてくる。クーラーの風が少し弱まり、音が小さくなっていく。

カーステレオから音楽が聴こえる。その明るいアップテンポな曲調にさえ、苛々して、斗真はBluetoothを切り、カーラジオに切り替えた。

「今夜のおすすめは美玲の『月夜の夜に』です」

そんな言葉と共に、丁度しっとりとした音楽が流れ出したところだった。

落ち着いた曲調のラブソングが車内に響く。

嫌でも彼女を思い出す。

里奈は黒髪のロングがよく似合う美人だった。今どき珍しく全く染めたことのない黒髪を自慢していた。はっきり自分の意見を言える奴で、幾度か喧嘩をしたこともある。

ちょっと吊り上がった目を気にしていて、よく化粧で誤魔化していたけれど、俺は本当はそのままの彼女の目が好きだった。

そんなあいつがまさかこんな別れ方をしてくるとは思わなかった。

斗真はやるせない気持ちのまま家に帰りたくなくて、ハンドルを切った。

自宅へ向かうのはやめた。海でも見に行けば、多少は気も晴れるかもしれない。

ラジオはリスナーからのお便りを読み上げていた。

ザザ、ザザ

急に電波障害が起こって、ラジオの調子が悪くなる。声が途切れがちになって、やがて雑音しか流れなくなった。

おかしいな。この辺電波悪いんだっけ?

斗真は訝しみ、眉を寄せるが、どうとも出来ないことだ。

耳障りな音を出すラジオを切り替えて、また携帯からBluetoothを繋いで音楽でもかけようとした時だった。

ラジオから妙にカタコトの言葉が流れたのは。

「次ハ右ニ曲ガリマス」

「は?」

バスのアナウンスのようなことを言い出すカーラジオに、つい斗真はナビ画面を凝視する。

カーナビの液晶画面は壊れたテレビのように白黒の点描画が動いているだけだった。

斗真は首を傾げながら運転に戻る。

今のはなんだったんだ?聞き間違えだろうか?

カーラジオは相変わらず雑音を鳴らしている。

おかしなことは続いた。

どう操作しても画面が切り替えられなかった。壊れたか?おいおい、これ新しい奴だぞ。

焦りと苛立ちで何度も画面をタッチするが、反応しない。

いくら操作してもうんともすんとも言わないナビにやがて諦めて、せめて電源を切ろうとしても、それすら出来なかった。

そして、車は交差点に差し掛かった。

「え?」

斗真は異変を感じ取って、血の気がひいた。

ウィンカーが触ってもいないのに、右に点灯する。足が勝手にブレーキを踏んで、車は緩やかにスピードを落とす。手が勝手にハンドルを切る。

説明のつかないことが起きている。

勝手に体を操られているとしか思えない。思考と行動が切り離されて、勝手に体が動き出す。

斗真は頭が真っ白になって、唇を戦慄かせた。

言葉もない。

本当に怖い時、人間は悲鳴も出せないんだ。

そんなことを斗真は身をもって実感していた。

ザザ、ザザ

ラジオが雑音を鳴らす。

体が勝手にアクセルを踏み、車を運転する。

「シバラク道ナリ。次ハ左デス」

「早ク来テ」

「待ッテルカラ」

「ズット待ッテル」

ザザ、ザザザ

カーラジオが歪な声で言葉を重ねる。

斗真はカチカチ歯を鳴らして、カーラジオを凝視した。首から上しか自由にならない体。

何が。何が起こってる!?

目が乾く。生理的に涙が出て、視界が滲む。

里奈のことなんてもうすっかり頭から振り落とされていた。

「次ハ左デス」

「ひ!嫌だ!帰せ!帰せってば!」

この先に行きたくない!いいしれぬ恐怖が全身に染み渡る。

どこに連れて行かれようとしているのだろうか?海?山?街中ということはないだろう。

斗真にはその先が死にしか思えなくて、恐ろしくて仕方なかった。

斗真は必死に首を振る。

体は勝手に車を左に方向転換した。

恐怖。

何が悪かったんだ。

この間拓也たちとふざけて怪談なんて話したからか?大学生の頃肝試しなんて言ってお墓に行ったからか?それとも、それとも。

斗真はきつく目を瞑る。

死にたくない。死にたくない。

怖い。怖くてたまらない。

限界まで低くした車内クーラーが車内を極寒にしていた。

その中で斗真は全身汗だくで歯を鳴らしていた。

寒いのか暑いのかそれすらもわからない。

夜のドライブは途方もなく長く感じられた。

斗真は信じてもいない数多の神に祈った。仏様にも助けを求めた。

こんなことなら。こんなことになるならさっさと帰った。免許なんて取らなかった。もっと神を信じた。

神様仏様。これからいくらでも信仰します。お賽銭ケチりません。だから。

だから。

どうか。

どうか。

「たすけて……だれか…」

斗真のか細い声が車内に消えていく。

ザザ、ザザ

「到着。トウチャク。目的チにツキマシタ」

「待ッテタ。斗真クン」

何処か聞き覚えのある声がラジオからして、ようやく車は止まった。

斗真は暫く目を瞑ったまま、ぶるぶると震えていた。ブレーキを踏んでいる足の感覚が戻ってきたことにも気づかない。

窓をノックされる音で斗真は我に返った。

驚いて目を開けてしまったことに戦々恐々としながら、車内を見たが、何もなかった。

ほう。胸を撫で下ろし、息を吐く。

拳を握って開いて、体の感覚が戻ってきたことを確認する。

車がほんの少し動き出し、慌ててパーキングに入れて、サイドブレーキを引き、車を停める。

なんだったんだ。一体。

全身じっとりと嫌な汗をかいていた。どっと疲労感に襲われて、座席にもたれかかる。

そこで、窓の外に人影が見えて、斗真はギョッとした。

黒髪の長い女が窓の外に立っている。全身ずぶ濡れで、服が肌に張り付いていた。

普段なら目に毒だと目を逸らしてやれるのに、その女から目が離せなかった。

女の手足は細く、白い。闇夜に浮かび上がるように乳白色の肌が目につく。

昼間の日の下で見れば、健康的に見えるだろう肌は、今やけに青白く見え、幽鬼のようだった。

「ひっ!」

斗真の喉が引き攣れた音を立てる。

コンコン。またノックの音がする。女の青白い手が窓を叩いていた。指が細い。小さな爪まで白く見えて、斗真は顔を痙攣らせる。

コンコン。ノックの音。

斗真は恐々と女の顔を伺った。

里奈だった。

「は?」

斗真は忙しなく目を瞬かせる。

何度目を擦っても、里奈だった。

何でこんなところに。

疑問と共に安堵が胸に広がる。心臓が急激な心情の変化にどくどく脈打っていた。寿命が縮んだ。

里奈だと思ってみれば、女は街灯で白く照らされているだけで、普通の女だった。なぜかずぶ濡れだが。

里奈は首を傾げている。

斗真は息を整えて、恐る恐る窓を開けた。

「やっぱり斗真くんだ。こんばんは」

里奈の声は明るかった。

柔らかな高い声で、にこやかに微笑む。

「こんなところで奇遇だね。ごめんね。色々あって今日行けなくて」

真っ先に謝られて、デートをすっぽかされたことへの怒りは何処かに行ってしまった。

いや、そもそも、先程のことが怖すぎて、もう怒りなんて湧いてこない。

「い、いやいいよ。それより何でこんなところに?」

先ほどまでの恐怖で舌が縮こまっていた。吃りながら、斗真が尋ねると、里奈は困った顔で言葉を濁した。

「ちょっとね。それより、せっかくだから送ってくれない?送ってもらったんだけど、帰りのこと考えてなくて。実は困ってたの」

斗真は躊躇ったが、明るい里奈のいつもの調子に安心する気持ちもあって、渋々了承した。

「まあ、いいよ。乗りなよ」

「ありがとう」

ずぶ濡れの里奈を乗せて、車が走り出す。

現在地が何処だかわからなかったので、斗真は携帯のナビをつけて、里奈に持たせた。

カーナビはすっかり元の調子に戻っていたが、怖くて使えなかった。しっかり電源を落とす。

里奈の案内で、安全運転で帰る。

助手席の里奈は携帯の明かりで、ぼうっと下から照らされて不気味だった。

こんなに日焼けしてなかったっけ?こいつ。

斗真は違和感のようなものを抱いたが、どう見ても里奈に間違いない。

「今日は本当にごめんね」

「いや、いいよ。待ってたけど、連絡もなかったから心配した。何があったんだ?」

「ちょっとね。それより、今日は泊めてくれない?話を聞いてほしいの」

里奈はあんな所にいた理由も、ずぶ濡れの理由も教えてはくれなかった。はぐらかす里奈は珍しい。一体何があったんだろう?

斗真の胸に奇妙な不安が過ぎる。

「今じゃ駄目なのか?」

「言いにくいから。心の準備をさせて」

困ったように笑う里奈は、本当にいつも通りなようでいて、何処か違う。少しだけ様子が変だった。よほど嫌なことでもあったんだろうか?

些細な違和感。

無視してしまえるくらいのものだったが、斗真の頭に澱のようにこびりついて離れない。

斗真は里奈のことを窺う。

他愛無い話をして、斗真が住んでいるアパートに着いた。

行きはあんなに長く感じたのに、一時間とかからなかった。

右のサイドミラーを見ながら、車を駐車する。

「里奈、着いたぞ」

斗真は助手席を振り返って、凍りついた。

里奈はいなかった。

助手席には斗真の携帯電話がぽつんと置かれている。

「は?」

里奈がいない。消えた。

助手席のシートを触ると、しっとりと湿っている。

間違いない。

白昼夢でも何でもなく、里奈はここにいたんだ。

なら何でいない?

怖気が急激に背筋を走る。斗真は身を震わせた。

ピリリリリ!

携帯電話が鳴った。

混乱していた斗真は大袈裟に肩を震わせる。

ピリリリリ!ピリリリリ!

恐る恐る斗真は携帯電話を手に取った。

発信者が表示されていることにまず安堵する。

電話をかけてきたのは里奈の母だった。

「はい。もしもし?」

「あ、斗真くん?よかった!繋がって!」

慌てているのが明らかな彼女の声に、訝しく思いながら斗真は答える。

電話に出たことで落ち着いてきて、冷え切っていた体に温もりが戻りかけていた。

「はい。俺ですが、何かあったんですか?」

斗真は次の瞬間、里奈の母が言った意味が一瞬わからなかった。

「里奈が…里奈がね。里奈が亡くなったそうなの。今警察から電話が来て、」

「え?」

里奈が亡くなった。

さっきまで一緒にいた里奈が。

斗真は携帯電話を取り落とした。里奈の母が心配する声が足下の電話から聞こえる。

何も考えられない。

斗真の顔は真っ青だった。唇は紫色になり、歯を震わせている。

斗真は耳元で囁く声を聞いた。

「ズット一緒ダヨ、斗真クン」

ラジオの声と同じだった。

斗真はその声を何処で聞いたのか思い出した。

ついさっきまで聞いていた。

それは里奈の声だった。


読了ありがとうございます。

ありきたりな話になってしまいました…

テーマに沿って書くの難しいですね

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