日曜の夕べ
今は秋、徐々に空気中の湿気が去り、遥かに過ごしやすいと思う間もなく、来るべき冬の冷え込みへと一直線に向かう季節。暑さに劣らず、私は寒さが苦手なので。ただし、今日は秋もようやく中頃、厭うべき夏はすでに背後へ退き、厳しい冬の心配はなおせずともよい和やかな日曜の夕べ、私はかねて親しい女性との待ち合わせのため、約束の駅に降り、改札を抜けて程もなく、見つめる視線の先に、古びた駅の壁に身をもたせた彼女を見つけた。
一瞥、晴れやかなベージュが目を射る、トレンチコートに細身のパンツを合わせた姿がよく似合う彼女は、私がそばへ近寄るのをなお心づかないらしく、半ば俯いたまま優しい手先にあやつる機器へ見入っていたが、いきなり、顔を上げるや否やこなたを向く、と、立ち所にこちらに気がついて、壁から身を離したのを見ながら、私は覚えず早足になった。
ひさしぶりの挨拶も抜きに、待った、待ってないよ、とのお決まりの応酬がひとしきりあったのち、すぐ近辺への店へと、彼女が先に立ち、人一人程の距離を置いて、私がそれへと続く。ここまで繰り出したのは久々だけれど、駅周辺は至って平和で、人通りこそ絶えないものの、夜こそ人いきれの激しく混み合う繁華な街とは異なり、目につく人々の顔つき歩きつき共にゆったりとしてせかせかせず、至極穏やかなままに喧騒という程の喧騒はもちろんなく、都心を離れた東京の、さほど珍しくもない光景。
珍しくはないけれど穏やかな周囲の気配に、心はおのずと柔らかさに浸されるうち、外見こそパッとしないものの、暖簾をくぐって席に着きさえすれば、個室の仕切りとサービスの速度に往々、まあ悪くはないと断定してしまう居酒屋チェーンの店先で彼女はふいと足を止めて、しばし立看板を眺めながら佇むうち、
「ここでいい?」と振り向いて訊ねる。
もとより、店の体裁をいちいち気兼ねする間柄でもないし、私は快く了承して早速店に入るや否や、先に順番待ちをしていたらしい、二人連れがちょうど壁に寄せられた腰掛けから立ってこちらからは見えない奥へと案内されるが早いか、すたすた店員は立ち戻って来て、彼女と私を入口に程近い四人掛けの個室へと引き入れた。
乾杯の飲み物だけまずはあつらえて、しばし待つ間、彼女はメニューを拾って両手に広げながら、如何にも愉快そうに、それぞれの料理写真を目に焼き付けるが如く眺め続ける。さほど食に興の湧かない私は、料理の写真よりも、それを見つめる彼女を何とはなしに打ち眺めるうち、ぴんと、以前は胸を越える程であったつややかな髪が、今現在は肩を越す程度に切り詰められ、のみならず彼女の雰囲気をより一層可憐に高めているのに心づき、突如湧き起こる歓喜の念と共に、不意に機会の訪れた御機嫌取りも兼ねてそれを口にしかけて、ふと口をつぐんだ。楽しみは後に取っておくべきだと思ったからで。
断りの声と同時に仕切りが開かれ、グレープフルーツサワーとハイボールがそれぞれの手元に置かれると、種々の料理を見つめていたはずの彼女は色気もなく、お決まりのシーザーサラダと唐揚げに出し巻き卵を店員に告げて、そこで初めて瞳をこちらへ差し向け、
「何かほかに頼む?」と淑やかな声音できくのを、私は首を横に振って視線を移しながら、
「それでお願いします」と、彼女ではなく店員に返答をして、仕切りが再び閉まると共に、静かにグラスを打ち合わせた。
それから三時間弱、彼女と杯を交わしながらもしがない勤めの身としては言うまでもなく、日曜をそうそう夜歩きしてもいられない。
私は無論それと心づきながら、恋人ではない女とひさびさにゆっくり語らう、というより、彼女の愚痴にこちらが合いの手を入れて、時折可笑しなことを平然と口走る彼女を努めて優しくたしなめつつ、それがかえってこちらの癒やしになる無鉄砲な物言いに無限の親しみを感じながら、二人して酔っ払うより先に席を立とう、私が未だ冷徹であるうちに一刻も早く店を出て駅で別れるままそれぞれの家路につかなければその行く先、危険というよりも久しく試みない冒険にからめとられるような気がして、覚えず彼女を打ち眺めた折から、あでやかに切り詰められたその髪が私を即座に吸引する。と、立ち所に喉元まででかかった賛美の言葉を、私は危うく呑み込むと、彼女のまだ四分の三ほど残るグラスをその刻限と刹那にきめて、手元のグラスを顧みれば、これでは到底あいだをつぶせないので、ぐいと一息に仰ぐままベルに指を伸ばした。
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