第4章
喧嘩に強くなりたい方、チャンピオンになりたい方、シェイプアップしたい方、入会受付中。佐藤ボクシングジム。などと書かれた小汚い外観の建造物。乙女を連れ込むべき場所でないとは思うが、わたしの家なんだから仕方ない。扉を足で押し開けて入った。いつものメンバーが練習している。
「まあ汗臭いけどね、座るとこもあるし、しばらく休憩していきなよ」
とは言ってみたものの、ちょっと気まずい。目をやると、わたしの腕の中のヨーコは泣き止んでいたが、その表情は見慣れない親戚のオッサンにいないいないばあをされた幼児のように不安げだった。そりゃ、こんな異次元に連れ込まれたら涙も出ないよね。なんか、わたしのほうが泣きたくなってきた。
わたしはヨーコを一番綺麗、と言うか、一番ましなベンチに座らせた。同体格の女子を運んだおかげで、さすがに腕が疲れた。もう今日はトレーニングいらないな。
「どう、落ち着いた?ごめんね、変なとこに連れて来ちゃって」
「……あ、あの」
「ん?どした?」
「ありがとうございました、本当に」
「いいよそんなの、わたしが好きでやったことだしさ。きみ、一年生?」
「はい。あっ、茶古です。茶古優理です」落ち着いたらしい彼女は思いのほか、芯の強そうな眼をしていた。少し乱れた長い黒髪が、余計にそう思わせたのかも知れない。そして当然ながら名前はヨーコじゃなかった。
「ユーリちゃんっていうんだ。わたしは佐藤麗菜。ここのボクシングジム、わたしのお父さんが経営しててね。わたしの自宅と繋がってるの」
「佐藤、さん」
「あはは、レナでいいよ別に」
「レナさん、レナさんも、ボクシングの選手なんですか?」
「えーとね……選手ではないよ。ただ練習の手伝いとか、いろいろやってるだけ。親はおまえも選手になれってうるさいけどね。嫌だよ、殴り合いなんてさ。ははは」
「あのっ」
ユーリちゃんが急に大きい声を出したせいで、わたしの笑いが変なタイミングで止まってしまった。「うくっ」みたいな声が出て間抜けな感じ。
「ど、どしたの?」
「私もレナさんみたいに強くなりたいです」
「へ?」
「ボクシングしたら、強くなれますか?」
「ちょ、ちょっと待ってね。えーとね、まあ規則としては別に問題ないんだけど、まず、このジムに女の子の会員さんなんていないんだよね。それに、ボクシングなんて良いもんじゃないよ全然。痛いし、グローブとかヘッドギアとかマジ臭いし、人間のやるもんじゃないよ正直」
そこまで言ってしまってから、なんか自分もろとも否定してる感じになって悲しくなったんだけど、実際そうだから。殴り合いなんて野蛮人の所業だし。さっき殴った右拳、まだちょっと痛いし。
「あの、でも、私、レナさんみたいになりたいんですっ」
会話がループした。いかん。これ、夢見る少女の顔ですわ。何とか諦めてもらうしかない。
「……わかった。でも、わたし目指そうってんなら、きついよ?今なら入会金タダだけど、学生会員で月に六千円もかかるし、毎日吐くほど練習だし、グローブなんか異臭が漂うやつ使うことになるよ?お風呂入って石鹸で洗わないと臭い取れないよ?爪も短く切らなきゃだめだよ?」
「やりますっ。お願いです。私に、ボクシング教えてください」
「あ、う、うん。じゃあ、まあ明日からでも。もし気が変わらなかったら、動ける服装と体育館シューズみたいな底の靴持っておいで」
「今っ、今取って来ます。お金も払います。すいません」
そう言ったかと思うとユーリちゃんは自分の鞄を掴み、走って出て行った。あれ?わたしが教えるの?
うん。まあこんな世界、長くいられるわけないだろうけどね。




