夏ならではの
夏の朝。
騒がしい朝。
日本に生まれ育って15年も経つというのに。
私は今まで何をしていたのか。
何を聴いていたのか。
どうして知らなかったのか。
いや、忘れてしまっていただけなのか。
夏の朝が、こんなに騒々しいものだとは思わなかった。
ちょっとびっくりだ。
蝉がミンミンと煩く鳴く。
まさかここまでだとは思わなかった。
この辺り一帯に一体どれほどの蝉たちがいるのだろうか。
私は蝉が大嫌いなのであえてそれを見てみたいとは全く微塵にもこれっぽちも思わないのだが、そんなことを思ってしまうほどだ。
一体どれほどの蝉が同時に合唱大会を開いているのだろう。
…いや、これは誰が一番大きな鳴き声なのかだとかキレイな鳴き声なのかだとか騒がしく鳴けるのだとかを競っているのかもしれない。
だとしたらなんて傍迷惑な。
競うならもっと他の事にしろ!
もし言葉が通じるなら是非そう言ってやりたいものだ。
だが、生憎と言葉は通じない。
話しかけてみたいとも思わないが。
あのおぞましい眼で見つめられるとそれだけでどうにかなりそうだ。
だけど、もし通じたとしてそれを利き入れてくれて誰が一番早く飛べるかとかで一斉に空を飛ばれた日には卒倒ものだ。
…まだ姿を見せずして騒がしく鳴かれているほうがマシというものだ。
朝から夕方くらいまでひたすら鳴き続けている蝉たち。
お前たちに休憩と言う言葉は存在していないのか。
…確かに言葉は存在していないが…そう、言うならば概念だ。
とにかくやかましいよ。
けれど、毎年この季節には考えさせられることがある。
蝉の一生は短い。
人のそれよりももっともっとずっと短い。
日にちで言えば一週間程度。
なんて呆気ない一生。
あ…という声さえも出ない。
お前たちは気付いて欲しいのか?
だから鳴くのか?
すぐに居なくなるけれど、自分はここで確かに生きていたのだと気付いて欲しくて。
それとも蝉と人を重ねて見てみればいいのか。
蝉の一生は短い。
そう日にちで言えば僅か一週間程度。
人間の感覚からすればとても短い。
ならば、蝉の感覚におきかえれば人間の寿命はとても長く思える。
人間の感覚に置き換えれば蝉の一生がとても短く思えるように。
お前たちは夕暮れ近くなると大人しくなるよ。
その鳴き声はだんだん落ち着いてくる。
もしかして、お前たちは朝から鳴き続けるから鳴き疲れて夕暮れ前にはその大半が消えて逝くのか?
ころっとぽっくり簡単に地面に転がり落ちるのだろうか。
そのカラダを地面に預けて一眠りするのか?
嗚呼…ならばお前たちの生き方は潔く、美しい。
私の嫌いなぞっとするその醜悪な見てくれに似合わずに。
もし地球温暖化で一年のうちのほとんどが夏になったとしたら、お前たちはもっと長く生きれるのだろうか?
果たしてそれは誰にも判らない。