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蜂蜜と

 いい。


 いいって。


 いい。


 いいんだって。


 …いいの?


 いいんだよ。


 どこへでも行っていいの?


 どこへでも…飛びたってゆけ…。


 そう言うと、悲しそうに笑うその人は僕の手を強く握り締めた。


 だから、僕も微笑して弱々しくその手を握り返した。


 風に流れる香りに意識を集中させて、今はそれだけを心に思った。


 ああ…蜂蜜のように甘い君の匂い。


 いつも香ってきてたけど、君って蜂蜜好きだったかな?


 それともそれが君の匂い?


 …判ってる。


 解ってるよ。


 後少しで離れるから…それまではどうか君はこの手を放さないで。


 ……。


 ……。


 そして、僕はゆっくりと君の手から自分のそれを解いた。


 ごめんね、ありがとう。


 …どう致しまして。


 















 

 蜂蜜のように。


 甘い…甘ったるい匂いをさせて。


 漂わせて、身に沁み込ませて。


 蜂蜜でも全身に塗りたくってるの?


 と半分冗談で半分本気で、失笑しながら訊くと。


 そうだねって、君は笑った。


 そうなの?って。


 …ちがうよって。


 僕の手を握っては放して…そんなことを繰り返しながら。


 そう…何度僕達はそんなことを繰り返しただろう。


 ねぇ、やがては君が僕の手を放してどこかへ行ってしまうのだろう?


 寂しそうに笑ってさ。


 それでも行きたいって苦笑しながらさ。


 ねぇ、そのときもやっぱり蜂蜜のように甘ったるい優しい香りを身にまとって、旅立つ?


 貴方はここに居てねって…酷い言葉で僕をこの地に縫い付けてさ。


 君は僕独りを置いていくの?


 その匂いさえも僕から奪ってさ…連れて行くのかい?


 君が居るという証を。


 一緒に何処いずこへと…。


 寂しいな。


 悲しいな。


 行って欲しくないよ。


 ここに居て欲しい。


 ここに居てくれたらいい。


 どこにも行かないでと、行くなときつく言ってそのカラダを押さえ込めたらよかったのに。


 でもね、やっぱりそうは思っても思うだけで。


 何もしないんだよ、僕は。


 何も選ばない…選べない。


 君に任せるだけ…君の自由だからね。


 だからさ…行っていいよ、


 今までここに居てくれてありがとう。


 行っていいよ…。


 どこまでも気が済むまでさ…旅をしておいで。


 楽しんでおいでよ。


 僕はここで待ってるからさ。


 寂しさを我慢できなくなったらいつでもいい…いつでも帰っておいで。










 ざわりと風がうなった。


 風にまぎれて運ばれてくる匂い。


 鼻孔をくすぐるこの甘ったるい感じは…。


 ……。


 振り返る。


 逸る鼓動を落ち着かせながらゆっくりと後ろを振り向いた。


 そしたらそこには…。


 僕の顔から消え失せていた笑顔が瞬間、零れ落ちた。 


 ただいま。


 おかえり。


 甘い甘い蜂蜜の香り。


 それが運んだ君の居場所。










 もう大丈夫だよ。


 君の場所は誰も奪わないから。


 誰も責めたりはしないから。


 ここに居ていいよ。


 よく帰ってきたねって頭を撫でてあげる。


 帰ってきてくれて嬉しいよって抱きしめて上げるから。


 そしたらね、絶対笑顔でお帰りって言ってあげるから。


 だから、いつかでいい…帰っておいで。

 

 






 君におかえりを…――ねぇ、あげるから。


 僕にただいまを…――ねぇ、ちょうだい。


 

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