甘味
目を覚ますとベッドの上だった。
寝ぼけ目だけを動かして周囲を窺う。
青暗い世界は異空間じみて見えるが、間違いなくここは自室だった。
窓の外は薄明るく、早朝だろうと知れる。
どうやらあのまま寝てしまったらしい。
誰かがここまで運んでくれたんだろう。
そしてそれは多分姉じゃない、…誰か知らないが今度お礼を言わないと。
何故分かるかといえば、姉が準備時に「怪我にハイヒールは若干辛い」と呟いたのを聞いていたからだ。
弱音を隠したがるあの人が控えめでも"辛い"と明言したのだ。
きっと実際には「マジで無理」ぐらいの辛さだったんだと思う。
元気な姉ならいざ知らず、現状の姉が慣れない格好で俺を運搬したとは考えられなかった。
因みにこのぼやきを聞いた時に「やめとくか」と尋ねたが断られた。
それでも引かないのは姉らしいというかなんというか。
身体を起こすと、ジャケットを脱がされている以外は昨日の服装のままだと気づいた。
道理で動き辛い訳だ。
多少疲労感は残っているが、世に言う二日酔いというものは意外にもなかった。
時計を見ると本当に早朝だ。
これは酷いと思うくらいに早すぎる。
開き直ってそのままの格好で布団を被り直すと、案外スッと意識を失った。
二度寝して起きたら、結局いつもよりちょっと早いくらいの時間になってしまっていた。
俺は慌てて起きてシャワーを浴びた。
髪をガシガシと拭きながらリビングに行けば、姉と蒼龍が朝食の準備をしていた。
俺よりもアルコールを摂取していたはずの姉は至って元気だ。
朝から通常営業で動き回っている。
…いや、通常よりもうるさい。
昨日蒼龍に貰った花飾りを身につけては無駄にクルクルとステップを踏んで見せつけてくる。
その上ペタペタとスキンシップも多い気がした。
とりあえず拭いている最中の頭を撫でている手は邪魔だったので叩き落す。
花冠とコサージュは色素を残してドライフラワーにしたそうで、物凄くご機嫌である。
横で姉を見つめている蒼龍も幸せそうだ。
そんな幸せコンビから朝食を振舞われ、フレイアがヨタヨタと階段を降りてきた辺りで弁当を受け取る。
「兄さん、いってらしゃい!」
「いてらー」
「ふぁ、あ、いってらっさいましぇ…」
ぽやっとした様子で手を振るフレイアに手を振り返しておいた。
出勤すると、職場にもぽやっとなった2人がいた。
「ああ、ユキか。おはよう」
「…ぉはよう」
「おっはよー!」
「おはよう、どうした?」
「何がー?」
「いや、なんかお前ら楽しそうだから」
ミックとノエルを目で指して言うと、ミックはキヒヒと笑った。
「今年の花祭りはめっちゃ楽しかったからな!」
ノエルはミックがニイと口端を持ち上げる様子を横目にチラと見た後、いつもはサムズアップする右手でピースサインを作った。
何故ピース?
「…俺も…今年は良かった…国際晩餐会…」
「そうなのか」
テンションが普段の5割増しのノエルとミックを前にしても、アーチボルトは相変わらず泰然自若に相槌をうつ。
「そうだよ!」
「…ああ」
「ほう」
「な!ユキも楽しかったよな!?」
「まあ、俺も楽しかったよ」
「なんだそのやる気のない賞賛!」
「え、ええ?」
何が気に入らなかったのか、身を乗り出して詰め寄られる。
ミックのいつもよりヤケに高いテンションに、物理的にも精神的にも少し後ろに身を引いた。
「いや、凄かったぞ?
パーティは豪華でスゲーってなったし。
タルトっぽいやつとマドレーヌは微妙だったが、カヌレとババロアが最高に美味かった!」
晩餐会会場で出されていた甘味どころは大体一通り食べたが、特筆すべきはあの二つだっただろう。
他はまあ普通だった。
その辺のお店のやつよりは美味しいが、日本で食べたやつの方が美味しかった気がする。
好みの問題なのかもしれないけど。
「花祭りも綺麗だったし、ヤバかった。
上から降ってる花にも見惚れた。
屋台で買った白いもしゃっとした菓子も美味かった。
あの白いやつはうちの連中にも好評だった」
宣言通り、花祭りの屋台で見かけた白くて小さい、ダイスみたいな形状の菓子を俺は土産がてら購入していた。
それはメレンゲクッキーじみた何かに砂糖層がコーティングされたような菓子だ。
外はカリッとしていて中はサクッ、そうかと思うと口の中でフワリと溶ける不思議で美味しいものだった。
一口食べて気に入った俺は、姉と蒼龍とフレイアに一袋ずつ買っておいたのだ。
勿論自分用にも三袋。
それを受け取った姉が「ありがとう!でもどうして君ってやつはこう、毎度気に入ったものを大量に購入するんだろうね」と苦笑いしていた。
気に入ったからに決まってるだろう。
何を言っているんだあの人は。
そんなことを思い出しつつ俺が手柄を報告する気分で胸を張って言うと、ミックはあの時の姉と同種の苦笑を浮かべた。
ノエルは無表情のまま、目を少し細めた。
「…菓子の話ばっかじゃねえか」
「だなぁ。
ってか白いのって、あの、あれか。
お前が大量に買ってたやつかぁ。
つかよぉ、一袋がデカイのにプレーン味ばっかり六袋も買って、お前、食いきれたのかよ?」
「?
一気に食べる訳ないだろう。
計画的に消費している」
「何でオレがこんな不思議そうな顔されなきゃなんねーの?」
俺が"何言ってんだコイツ"と視線を向けると釈然としない顔をされた。
一度に食べるのは五、六個ずつなんだから昨日今日でなくなる訳がない。
姉ならきっと今日明日中にでもさっさと食べてしまうのだろうが、俺はそんな勿体ないことはできない。
きっとあれはりんご飴みたいなイベント菓子なのだろうし、ダメになってしまわない程度には引き伸ばして楽しみたい。
りんご飴に纏わる話を思い出した。
近所のお寺の夏祭り。
姉にワガママを言って買ってもらったりんご飴やチョコバナナはとても美味しくてびっくりした。
勿体なくて、半分食べて冷蔵庫に入れておいたら、次の日ドロドロになっていて"コレジャナイ感"に顔を酷く顰めたのは嫌な思い出だ。
…いや、嘘をついた。
顔を顰めたどころじゃ無い、確か俺は泣き喚いた筈だ。
姉の心境を今思うと筆舌に尽くし難い。
毎日家計を切り詰めて、この日くらいは俺だけにはと屋台菓子を買い与えて自分は我慢して。
それなのに次の日理不尽に当たられた挙句、その後一週間くらい機嫌の悪かった俺を来る日も来る日も宥め続けてキレなかった姉はマジで凄いと思う。
俺なら無理だ。
妹にそれをされたら間違いなくキレる。
俺の残念エピソードは伏せて勿体ない旨を伝えると、呆れ半分のミックに「貧乏性ー」と言って笑われた。
否定はしない。
「今も持っているから食べてみるか?」
「え!?」
「ほら」
クリップ留めされた半分くらい減った菓子袋を鞄から出して見せると、今度こそはっきりと呆れ顔をされた。
「職場に持ってくんなよ」
「レヴィも持ってきてるじゃん」
そう言って部屋の一番後ろを指差す。
釣られて振り返った3人はフッと微笑んだ。
俺が指差した先ではレヴィンがもぐもぐと何かを食べていた。
机上には類似の小袋とその空き袋が複数散らばっている。
いつも通りラトが世話を焼いているが、チームメンバーの2人もその左右から偶に手を出していた。
肩からずり落ちた上着をレヴィンに掛けなおしたり、飲み物を差し出したり。
その手つきは誰もがとても優しかった。
この教室であの一角だけ雰囲気が違いすぎる。
レヴィン達は大の大人なのに、子供か小動物のピクニックでも見ているような謎の微笑ましさがある。