港町
鳥の囀りと誰かの話し声に意識が引き上げられる。
腕の中では黒髪の少年が静かに寝息を立てている。
頭を撫でるとさらさらと絹糸のような髪が頬を流れた。
その時反射した光の中に何か色味を見つけた。
好奇心の赴くまま、毛束をつまんで朝日に翳す。
綺麗だ。
昔、漁師をしていた祖父についていった船の上を思い出す。
海の深みを覗いたあの時に見た、重厚な青緑。
手を伸ばしても決して触れる事すら叶わないあの深淵が、今この手の中にある。
そう感じる。
幻想的な感想はさて置いて、私の手は再び絹糸を梳かす作業に戻る。
全身の筋肉痛が、昨日の出来事は現実だと全力で主張してくる。
昨夜はあの後無事海まで出る事が出来た。
町影を見つけた我々はトーマスを叩き起こし、ここまで案内させたのである。
トーマスの奥さんは予定外の真夜中にも関わらず、快く招き入れてくれた。
恰幅の良い気の強そうな叔母様で、仕事が出来るキレものだ。
あれよあれよという間に部屋から何から用意された。
私達がしたことと言えば、拭いて着替えて寝ただけだった。
よくも見ただけで服のサイズが分かるものだと感心する。
慣れの問題なのだろうか。
「あの」
声が聞こえて手元を見ると、気恥ずかしそうな蒼龍がこちらを見ていた。
「おはよう」
「おはようございます」
彼の瞳は髪の碧よりも不思議な色をしていた。
緑みの青なのに、光の加減では虹色に輝く。
一般的に虹彩の色は目のメラニン色素量によって決まるのだと言う。
薄いと青になり、青より多いと緑になるらしいが、虹色なんて聞いた事がない。
これも魔力的な影響なのだろうか。
「起きるかー。
いつつ…。
身体中バキバキだけどなんとか生きてるよ」
「あはは、いたた」
蒼龍も足回りが筋肉痛らしい。
久しぶりに走ったからだろうとのことだ。
私は足回りどころの騒ぎではない。
全身だ。
逆に筋肉痛でないところの方が少ないのではないだろうか。
まぁ、思い付きで普段からいろんなものにチャレンジするため、私にとって筋肉痛はマブダチだからな。
慣れている。
どこかぎこちなく起き上がると廊下を出て下の階へ向かう。
ここ"ミルガルド商店(港町支部)"は二階建てで、上が住居、下が店先と生活スペースとなっている。
リビングへ行くとミルガルド夫妻とミーシャがいた。
「「おはようございます」」
「やっと起きてきたわね、お二人さん」
「すみません寝過ごしてしまったようで」
「あらやだ、良いのよ。
昨日は大変だったんだもの。
ごはんはそこのトレーの上にあるわよ」
「ありがとうございます」
キッチンにフードカバーが掛けられた料理が置いてある。
トレーをそれぞれ一つづつ手に取りテーブルへ向かう。
「でもトーマスさん達は早くに起きれたんですよね?」
「えらい?」
隣に座った私に上目遣いでミーシャが聞いてくる。
もちろん満面の笑みで肯定する。
「うむ、えらい!」
「やったー!」
ミーシャちゃん可愛い。
私の逆隣の蒼龍も向かいのトーマスもニッコリだ。
ただ一人不機嫌そうな奥様はジト目を旦那に向ける。
「だってこの人たち途中から寝てたんでしょ?
まったく感謝しなさいね、あなた」
「いやはや、面目無い。ははは」
「笑い事じゃないの!
この子達をここまで連れて来るのがあなたの仕事でしょう!
何こんな若い子達に連れて来てもらってるのよ!
ちゃんと仕事しなさい!」
「は、はい」
尻に敷かれてんなぁ。
あまりの剣幕に萎縮する男性陣を横目にロールパンをちぎって食べる。
何故蒼龍まで恐々としているのか。
君は関係なかろう?
「でも牢屋のセキュリティが杜撰で助かりました。
ロープはともかく、牢の戸くらいはもう少し丈夫な方がいいでしょうに」
「いやいやいや!」
ぼんやり思った事を言うと、トーマスが勢いづいて否定した。
「普通ならアレで誰も中からは出られないよ。
だって外側から封印の魔法が掛けられてたんだから。
本来なら、どんなに力持ちでも、破壊系魔法持ちでも脱走はきつかったんじゃないかな」
「そうだったんですか?」
「そうだよ。
因みに両手を縛ってた縄にも捕縛魔法がかけられていたからね?
ご飯持って来てくれた彼が両方かけたんだろう」
「あー、なるほど。
それを私が無意識のうちに破壊したと。
尚の事彼には悪いことをしましたね」
叱られるどころの騒ぎじゃないな。
最悪クビだ。
あれ?
クビでよくね?
私ならあんな職場こちらから願い下げだ。
「拒否しなかったんだから同罪でしょ。
奴らには後々痛い目を見てもらいますから、心配しなくて大丈夫よ!」
目を吊り上げている。
娘と旦那が酷い目にあったのだ、当然だろう。
私だって彼女の立場ならそうする。
「そうそう、そうだわ、お嬢さん」
「はいはい、なんでしょう」
けろっとした顔で振り向く奥様。
「事情はこの人からだいたい聞いたわ。
なんかの手違いで無能力なんですって?」
「ああ、みたいですねぇ」
「…さっぱりしてるわねぇ」
「いやはや、私の故郷では無能力が普通でして。
この国じゃやっぱり良くないんですか?」
「良いか悪いかはわからないけど、生きづらいわね、間違いなく。
身の回りのもの全部に魔力がいるんだもの!
仕事もないし、差別もあるし、生活もままならないわ!」
はっきり言うなぁ。
ま、その方が分かりやすくてありがたい。
「ですね。
まぁ、そんな気はしてました」
「あ、あの!」
蒼龍が急に声をあげた。
意外な大声に部屋は静まりかえる。
少し音量を間違えたのか、真っ赤になって俯く。
視線を独占してしまい恥ずかしくなったのだろう。
かわいい。
それでもめげずに顔を上げて言葉を続ける。
「お、あ、僕が、助けます。
僕、魔力多いから、ヨシカさんの分も、その、大丈夫です。
僕がヨシカさんを守ります!
だから、その、落ち込まないで…」
なんだこの生き物。
可愛すぎるだろ。
ごめん、全然落ち込んでないよ。
「ありがとう。
そうね、2人一緒なら大丈夫だよ。
ね?」
「はい!」
私達2人のやりとりを微笑ましげに見ている面々。
気恥ずかしいやら嬉しいやら、如何ともし難いこの状況。
「えらい!」
先程の蒼龍の声量などメじゃないくらいの大声。
鼓膜が破れるかと思いましたわ、奥様。
「えらい!あんたはえらい子だ!
漢だねぇ、好きな子を守ってこそオスってぇもんよ!
ねぇ!あんた!」
「すっ!ーすっ、あのっ!」
耳まで真っ赤にして狼狽える蒼龍。
その頭を遠慮もなくワシワシと撫でる奥様。
止めようか悩み顔のトーマス。
ニコニコしてるミーシャ。
私はと言えば、その初々しい様子をニヤニヤと眺める。
私が一番性格が悪いかもしれない。
「大丈夫!
あたしに任せなさい!
魔力がなくたって、いいえ、魔力が無いからこそできる仕事があるのよ!」
「魔力が無いからこそ?
なんでしょう、すごく興味があります!」
「そうでしょそうでしょ、あんたならそう言うと思ったわ!」
身を乗り出した、私の肩を掴んでニヤリと笑う。
「覚えて、書けるようになるまでが大変だけど、1回の仕事でそこそこ稼げる仕事よ。
どう?」
「書く仕事なんですか?
良いですね!
私ものを作ったり書いたりするの、好きなんです」
「そうでしょうとも!
そうじゃなきゃあんな設計図やフネは作れないわ」
なるほど、昨日の私の仕事を見て持って来てくれた話なのか。
「材料はうちが出すわ。
報酬は材料費を抜いた分を渡す。
どう?」
「いいんですか?そんなにしていただいて」
「もちろん。
実を言うとうちも人が足りなくて困っていてね。
助けてもらえるとありがたいのよ」
「まずは出来るかどうか、ですね」
それが問題だ。
私はどうやら相当の規格外らしいからな。
「やる気と根性があれば誰でも出来るわ」
「じゃあ出来ます」
即答すると、奥様は爆笑した。
「あんた、面白い奴ね!」
「根性なら誰にも負けませんよ?」
「確かに。
図太くて強い奴じゃなきゃ、あんな無謀な逃走劇はしないわよね」
「イヤですねぇ。
こんなか弱く繊細な乙女を捕まえて、図太いだなんて」
更に爆笑して肩をバシバシ叩かれる。
イタイ。
「あんたに頼みたいのは魔法陣を書く仕事よ。
プロに指導を頼んだから、詳しくはそっちに聞いてちょうだい」
もう手配してあるのか。
マジで手際いいなこの人。
というか、断ってても無理矢理やらせたって事だろうな。
おお、こわいこわい。
肩を竦めて座り直すと、皿の上の謎肉を頬張った。