人酔い
ホールに集う多くの人々は立食の方に偏っていて、テーブル席の方は意外と空いていた。
皆座りたくならないのかと不思議に思いつつも、食事を座って食べたい俺は有難く角席を確保した。
テーブル席を1箇所陣取り仲間内で料理を楽しんでいると訪問客は激減した。
ここまでガッツリ寛いでいると流石に話し掛け辛いらしい。
いい事だ。
気を抜けるので喜びたいところなのだが、横に座るルネの事を考えると心配でそれどころじゃない。
ルネはノエルと合流してからも顔色が悪化の一途を辿っていた。
本人曰く、「人酔いしただけですので」だとか。
それは分かる気がする。
俺は周りをザッと盗み見て溜め息を吐いた。
昼間の人混みは各自が好き勝手楽しんでいる人々の集団だったからマシだったが、ここに集う連中は相互にキツイ視線をギラつかせている。
脳内であーだこーだと人物批評をしているであろうことは想像に難くない。
こうして座っているうちにも、明後日の方向から不躾な視線を感じるのは気のせいじゃないだろう。
気分も悪くなるというものだ。
「ルネ、大丈夫か?」
「兄が…」
「よっぽど悪いんだったらさっきの部屋に行くか?」
「私は…、ここにいますので、ヨシカさまを…」
「…」
あ、ダメそう。
やり取りをしている間にもどんどん顔色が悪くなっていくルネを見てそう結論づけると、俺は彼女を横抱きに抱き上げた。
女の子らしい短い悲鳴を上げはしたが、碌に抵抗も反論もない。
それだけ弱っているのか、恥ずかしいのか。
でも悪いが背に腹はかえられない。
とりあえずスカートじゃなくて良かったな。
俺が立ち上がるとノエルが意図を察して、先んじて人払いと障害物排除に動いてくれた。
ちょっと注目を浴びながらも廊下へ出ると先の小部屋まで運んだ。
ノエルがノックしてから戸を開ける。
「どちら様でーーお嬢様!?」
「人酔いしたらしくて。
ここで休ませていいか?」
「はい。はいっ、お任せ下さい」
先程の忍者メイドが室内にいたので声を掛けながらルネをソファへ降ろす。
降ろしてから気づいたが、ルネは両手で顔を抑えてふるふると震えていた。
隙間から見える肌は耳まで真っ赤だ。
俺は大いに慌てた。
「えっ、ルネ、大丈夫か?
熱でもあるんじゃ…」
「だっ、いじょうぶです。
ありがとうございました。
私はここで暫く休ませていただきますので、ユキヒサ様はどうかヨシカ様の所へ行ってください」
「え?お、おう」
「お嬢様は私が付いておりますわ」
「彼女が居りますので私は大丈夫です」
「そうか。
分かった、また後で来る」
「すみません、すぐにホールでヨシカ様をお探し下さい。
本当に兄がご迷惑をおかけします…」
「?…おう」
一体何をそこまで心配する事があるのか未だに謎だが、急かされるまま廊下への戸を開ける。
「わっ」
「うおっ」
「す、すみません」
「いや、こちらこそ」
脊髄反射で頭を下げ、ハッとしてあげるとそこにはトーマスが立っていた。
「あの、ルネ嬢は大丈夫ですか?
何かあったのかと、ヨシカさんに見て来るように言われたんですけども」
「ああ、人酔いしたらしくて…って、あの、ということは、姉は今1人なんですか?」
「え?ええ」
…おかしい。
態々トーマスだけに様子見しに行かせるか?
答えは否だ。
あの人の事だから、気になったら自分もトーマスと一緒に来るはずである。
じゃあ何故トーマスを派遣したかといえば、十中八九何かやらかす気満々だからだろうとしか思えない。
それに加えてルネが散々気にかけているデリックの悪業というのも、ここに来て凄く嫌な予感がしてきた。
「…ホールに戻るぞ!」
言うが早いか駆け出すとノエルが無言で追走して来た。
強化魔法を使わないとノエルの方が足が速い筈なので、きっと俺に合わせてくれているんだろう。
トーマスがその後ろを付いて来ているかは不明だが、確認もせずにホールへ走る。
ホールの扉の取手に手を掛けた所で中が一際騒ついた。
扉を開け放った先には姉がいた。
姉以外にも勿論人は居たのだが、最も注目を集め、最も目立っているのが姉だった。
というか、姉を含めた惨状が目立っていた。
姉は一対多勢という位置で紳士淑女と向き合って立っていた。
正面には傾いたグラスを持ったピンクドレスの女がいて、向かいにいる姉のドレスがワイン色に染まり、同色の雫が滴っている。
何を揉めていたかは分からないが、何があったかは訊ねるまでもなく分かる。
「ふっ」
我に返って慌てて仲裁に入ろうとしたところで、俺は直ぐに足を止めた。
「ふ、あははは。
あははははは」
姉が高笑いを始めたのである。
「あははは、はは、は。
なるほどね。なるほどなるほど。
いえ、失礼。
漸く理解しました」
「お分かりいただけまして?
貴女がどれほどーー「ええ、ええ。勿論でございます、お嬢様」
ニヤァ。
そんな効果音を幻聴する笑顔を浮かべる姉。
その顔に飲み物をぶっかけられた悲壮さなど微塵も無い。
寧ろ邪悪で愉快げな顔だ。
相手の女性が怯んで「ひっ」と悲鳴をあげた。
最早どちらが被害者か分からないリアクションである。