待機
「姉、おい止まれ」
暫く歩いた所で声を掛けると、姉はピタッと立ち止まった。
ぶつかりそうになり俺も慌てて止まる。
まだ怒っているのだろうか。
俺もトーマスもルネも何も言わずに背中を見つめる。
くるりとスカートを翻して振り返った姉は、俺たちの予想に反してニヤリと笑っていた。
「くっくっく、言ってやったぜ!」
「何わろてんねん!」
思わずツッコミを入れると更に声を上げて笑う。
安心と呆れから溜め息が出る。
俺の溜め息に重なるように後ろからも聞こえた。
振り返って確認するとトーマスだ。
トーマスは困ったように苦笑している。
「…地獄を見せるって、一体何をする気なんです?」
「んー?ひ、み、つ!
ふふふ」
戯けた調子で人差し指を唇に当てて悪戯っ子のようにウインクをする。
いい歳して何を可愛子ぶってんだか…。
まあいい。
何を企んでいるかは知らないが、あの様子ならあまり酷いことはしないだろう。
マジギレして殴りかかるとか、洒落にならない報復をするとか。
そういうヤバいことを蒼龍の実父にしようとしているなら、流石に止めようと思っていたから安心した。
「引っかかった時に蒼くんにどうしても会いたくなるような、そんな悪戯を仕掛けてあるんだよ」
「仕掛けてあるって事は設置型か?」
「んー?さぁてね?
それはともかく、彼がこのまま家に寄らないで領地に帰ろうとしたら発動するようにしてあるんだ。
観念して家に来れば良し。
来なければ宣言通り地獄を見てもらう」
悪人の笑顔で「ククク」と含み笑いをする。
その顔は当にお伽話に出てくる悪い魔女といった感じ。
いや、この人魔法使えないんだけどな。
「まあ大丈夫よ。
見たって身体は痛くも痒くも無いし、金銭的な被害を出す類のものでも無い。
ちょっとびっくりするだけさ」
「危なくないなら良いですけど…。
あの、ほどほどにして差し上げてあげてくださいね?」
「はいはい、おーけーおーけー、善処します」
「うん、ダメそうだな」
「だぁい丈夫だって!」
俺はケラケラ笑う姉をジトッと睨んだ。
トーマスが緩い苦笑を浮かべてこちらを眺めている。
「あの方、上位の伯爵なんですよ?
かなりの名家ですし、お子さんが産まれるまでは王都でかなりの上役でいらっしゃいました。
けど…、ヨシカさんの前では形無しみたいですね…」
「うむ?ああ、まあね。
私は身分だの地位だのなんて、正味知ったこっちゃないからな。
でも大丈夫。
集団生活の営みに身を置く以上、ある程度は私の方から法や社会通念に合わせるよ。
社会的ジレンマに於いては基本的には社会優先にしてるしね。
ただまあ、キレてたりすると忘れることもしばしばあるがね」
「それがダメなんだよな」
「おうよ!」
「元気に返事すんな!
もうちょっと申し訳なさそうにしろよ」
「こんなにも寛大な私をキレさせる奴が悪い
んだよ」
「横暴」
「そうかい?」
姉は態とらしく不思議そうな顔を作って、それをコテンと首を傾げて見せた。
「あたっ」
ムカついたので額にデコピンを食らわせておいた。
多少騒動はあったがまだ時間的には余裕がある。
俺達が相当早めに来たからだ。
別に待ち時間に何をすることはないのだが、他でもない俺が早め早めの行動が好きなのである。
ぼうっと待っているのも苦じゃないし、遅刻するんじゃないかとやきもきするほうが嫌だ。
他三人はそんな俺に合わせてくれただけだ。
「皆様お茶でもいかがです?」
そんなルネの提案に乗って案内されたのは小さめの一室だった。
休憩室だろうか?
城にしては落ち着いていてシンプルな内装だ。
壁には書類棚が並んでおり、テーブルと椅子がある。
「おや、いらっしゃい。
早かったですね」
不意に声を掛けられてびっくりする。
きょろきょろと見回すと、戸の死角にデリックがいた。
驚いた顔のまま目を瞬かせる俺に向かって微笑みかけ、ゆるゆると手を振っている。
デリックは二人いるルネの兄たちのうち、上の方の兄だ。
のんびりした感じの人で、姉とそこそこ仲がいいらしい。
因みに下の方の兄はエルマーという名前のキリッとした人である。
彼は俺がルネの家にお世話になっていた頃に会ったことがある。
とは言っても挨拶をちょこっとしたくらいの人なのであまり人となりは知らないが、デリックとは大分雰囲気の違う人だなぁというのは何となく感じた。
なんというか、ピリピリした感じの人だ。
むすっとしていて口数が少なく、デリックに対してちょっと辛辣。
でも事ある毎にルネのことを心配してるし、俺にも親切にしてくれるいい人だ。
ルネから聞いた話によると、デリックがオーランシュ伯爵領の領地管理をしていて、エルマーは宰相の仕事を手伝っているのだそうだ。
それぞれの能力の関係で役割分担していると言っていたけど、各自の能力は知らない。
尋ねれば教えてくれるのかもしれないが、まあ、聞いてもどんな魔法やスキルなのかはいまいち分からないだろうしな。
「む、デリックさんじゃないですか」
「ヨシカさん!」
デリックは姉の姿を確認すると微笑をぱあっと笑顔に変えた。
「ヨシカさんこんばんは。
お茶はいかがです?」
「いただけますか?」
「勿論!
さあ、皆さんお席へどうぞ」
ご機嫌なデリックさんに促されるまま席に着く。
皆が座っているうちに、デリックは最初に座っていた椅子を部屋の隅から運んで来ていた。
そういえば何故そんな部屋の端の椅子に座っていたんだ?
少し不思議に思ったが、まあ別にいいかと思い直した。
実家の押入れに入り込んでその一番奥に潜むのが好きな姉なんて人物もいるんだから、世の中には部屋の隅が好きな人だっているだろう。